第三節 さよならの挨拶
出向最終日の様子です。
第一話 サヨナラの時間
<アダンのサヨナラ: 帰任の時>
最終日は門出を祝うかのような晴天だった。
俺は会社の端末を総務チームへ返却し、メンバーの方にお菓子を配って一人一人に挨拶をした。
佐伯さんも谷藤さんも涙目になって俺を見送ってくれている。
また会えるからと笑って答えるしかない。俺だって帰りたくない。セキュリティ庁とは違い、ここの社員は優秀でありながら皆とても親切で暖かい人が多かった。3年間もいたんだ、寂しくなって当然か。
優秀だが、出世ばかり考える寒々しいセキュリティ庁に帰任して自分は本当にやっていけるのか、そんな疑問がわいてくる。
でも仕事だ。俺も仕事を始めた当時の気持ちに返って、キチンと今後のことも含めて考えを整理しないと。
大川専務がわざわざ来てくれた。
俺に手を差し出し、固く握手をしてくれた。
「また一緒に仕事をしましょう。帰任してやり難かったらいつでも声をかけてください。うちではいつでも歓迎するし、良いポジションを約束するよ」
安西さんのことを中嶋さんから聞いているであろう大川専務は、帰任前の面談でも同じことを言った。3年間の出向期間での仕事ぶりをしっかりと見ていてくれたようだ。
また、何となくだが、俺が椎名に惹かれていることを感じているのかもしれない。中嶋さんは絶対に情報を漏らす方ではないが、俺の態度を見ていたら分かるとは思う。
それに、ルームシェアする事は椎名の居住申請で分かっているはずなので、勘の良い人なら分かるだろう。
面談の時にも、椎名は優秀だが脆いところがあるので、これからも支えて欲しいと言われた。
本当に良い人達に恵まれた。医者だけの世界では巡り会えなかった。
プログラムを学んで、セキュリティ庁に入り、出向を志願した事で得られた機会は自分の努力で掴んだものだが、それに加えても俺は幸運だったと感謝しかない。
俺は最後に椎名に挨拶をした。
スーツに身を包み、スラリと立ち上がったその姿は、初めてあった頃から変わらずかっこいい。
職場としては最後となる椎名の顔を目に焼き付けて、俺達は握手を交わした。
佐伯さんが大きな花束を俺に渡してくれた。
拍手が起こり、温かな風が俺の周りを包む。
こうして、俺の3年間の任期は満了となった。
第二話 帰任の夜
<アダンの身長: 居酒屋の夜>
俺と椎名は2人席で唯一空いているカウンター席に座った。3ヶ月前、椎名と再開した夜に一緒に夕飯を食べた椎名行きつけの人気店だ。
会社から近いが、定時直後と言うこともあり、カウンター席は空いていた。
「悪いな、最後の夜にここで良かったのか?こんな狭い席、しかも同じカウンターで。花束は隣に置くからこっちによこせ。アダンは何飲む?ツマミは何がいい?」
3ヶ月前と同じことを椎名は言った。
俺もその時と同じく、やっぱりビール、つまみは唐揚げと冷奴とオーダーした。この前、美味かったしな。
椎名は壁に掛かったメニューを眺めて、だし巻き卵と焼き鳥を追加した。
自宅とは違う印象の、涼しげな風貌に映える切長の目を俺に向けて、長い足をカウンターの下で組んでいる。
俺は相変わらずカウンター椅子からブラブラする自分の足を見つめて、笑ってしまった。
あの時、俺は椎名くらいに背が高かったら良かったと感じたが、今となってはこの身長差が恋人として程よい。
「椎名、ありがとうな。最終日まで一緒にいてくれて。メシまで付き合ってくれて感謝だよ。花束持って泣いて帰るところだった。
それにしてもお前、相変わらず足長いな。足組んでるのになんで下に足がつくんだよ」
椎名はクスリと笑って、背が伸びたのかなと、くだらない冗談を言う。そしておもむろに俺の前髪を触って、少し切るか?と言った。
俺は首を横に振った。
明日からセキュリティ庁だが、俺はむしろ顔が隠れるくらいがちょうどいい。あそこではあまりオシャレになった自分を見てほしくないと言うか、自衛のためにもダサくて暗い方がいいと考えている。
「アダン、明日からはくれぐれも無理するなよ。当面は毎日仕事のことを話して欲しい。一緒にベストな答えを探して行きたいし、お前の気持ちを一番に優先したいからな」
椎名はそう言ってビールジョッキの半分ほどを一気に飲み干した。ジャケットをおもむろに脱ぎ、シャツを巻き上げる。細いのに逞しい腕が露わになって、知らず目を背けてしまった。
コイツ、無駄に色っぽい時があるんだよな。
恋人の今となっては、夜のアレコレを思い出して恥ずかしくなってしまう。
俺も手元のビールを半分ほど飲み、少し赤くなった顔をアルコールで誤魔化した。
椎名は頰杖をついて、そんな俺を優しく見つめる。
自宅とは違うサラリーマンの居酒屋デートに、俺はたどたどしく仕事の話をするしかなかった。
所々で椎名が前髪を触ったり肩を叩くなどのスキンシップを図ってきたので、その度に嫌がる素振りで対応した。
まだまだ小心者だと自覚しつつ、幸せを深く感じる最終日の夜だった。




