愛しの魔法使いさんへ
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_春の報せ_
三百年前から相変わらず今日も森は平和だ。朝方になれば小鳥たちが恋を歌うのが聞こえるし、樹木は生き生きとして光に向かって枝を伸ばす。いつもと変わらない、平穏な朝。
閉じそうになる目を擦り、傍に置いていた丸眼鏡をつけると、ようやく世界がはっきり見えるようになる。寝間着から着替えて、癖の多い黒髪を適当に三つ編みに編む。ローブを羽織り、大きなつばのついたとんがり帽子を被って、杖をひと振りして整えれば完璧な私の仕事服だ。
そう、お察しの通り私は魔女である。
森の中に小さな木造の家を構え、魔法薬売りを生業としている、ただのしがない魔女である。魔法薬売りをしている為、さぞかし人付き合いのある魔女だと思われがちだが、実際には違う。その実態は極度の人見知りだ。依頼は全て手紙で受け付けるし、商品を届けるのも使い魔の鳩のポッポに任せている。そういう風に仕事をこなしてきたから、かれこれ二百年くらいは人間の姿さえ見ていない気がする。
そんなことはさておいて、とりあえず頼まれた魔法薬を作る為の準備をしなくては。確か伯楽いわく『長い間馬の脚を速くする魔法薬』だっけ。
棚の瓶に手を伸ばし、ボウルにその中身を出そうとしたが、いくら振っても出てこない。どうやら全部使い切ってしまったらしい。しょうがない、庭の薬草を摘んで一から作るしかない。
外に出ると、随分とまあのどかな景色が広がっている。小さめの籠を手に取り庭の畑にある薬草の葉を摘みとると、薬草のツンとした匂いが鼻についた。
出会いもなければ変化もない、いつもの日常。多分この先ずっと、死ぬまで変わらない日常。そう思ってた。
...この時までは。
近くの茂みで、がさと何かが動く音がした。鹿か、狐か、はたまた兎何かだろうか。音がした方に顔を向ける。そこに居たのは鹿でも狐でも、ましてや兎でもない。人間の少女がぽつんとそこに佇んでいた。
思わず私はその場に立ち尽くしてしまった。
おかしい、何故こんなところに人間がいるのだろう。ここら一体には魔法をかけているから、迷路みたいに迷ってこの家には絶対に辿り着けないはずなのに。
沈黙が流れる。
魔女を悪く思っている人間は決して少なくは無い。もしかしたらなにか危害を加えてくるかも。いつでも対応できるようそっと身構える。
先に口を開いたのは、目の前の人間だった。
「えっと...こんにちは。私はハル。この子は君の子であってる?」
ハル、と名乗る人間は、自身の肩を指さす。とまっていたのは、まさかの己の使い魔の鳩。
(ポッポーーーッ!?何してんの!?)
私の使い魔がいるんだから、そりゃあここまでの道が分かるわけだ。おおかた、ポッポがここまで連れてきてしまったんだろう。
ポッポは我関せずというふうに、そこにじっとしている。おいこの鳩め。
なぜ裏切った...と、じっとポッポを見ているうちに、翼のあたりに包帯が巻かれてあるのが目に止まった。
「こっちの方向に行きたそうにしてたんだけど、羽を怪我してたみたいで、それで...」
「あ、いや、もう大丈夫です...その子はうちの子であってます」
そう言うと、彼女はよかったあ、とほっとしたような顔になった。
杖をひと振りして魔法を唱えれば、ポッポの傷はすぐに癒え、元気に肩から飛び立った。まったく、怪我をして帰ってくる上に人間まで連れてくるなんて、そのおっちょこちょいさは誰に似たのやら。
「それで、何の見返りが欲しいんですか」
後からとんでもないものを請求されでもしたら困るし、先にさっさと済ませてしまう。
そんな魂胆で聞けば、彼女はぽかんとしてオウムのように「見返り?」と聞き返した。
見返り目的じゃないのか?そんなまさか。人間は欲深い生き物だ。じゃなきゃこの商売でやっていけるわけがない。
「じゃあ...一つだけ」
やっぱり。お礼が欲しかったんだな。まあ、人間なんてそんなものだろう。言うように促すと、その人間は想像もしてなかったことを口にした。
「ここに、また来てもいい?」
「...え?」
なんで?
いや、待てよ。何かよからぬ事を企んでいるんじゃないだろうな。魔法道具を盗むとか、油断させて仕留めるとか。
そうだ、そうに違いない。というか目的と言ったらそれくらいしかないだろう。
とはいえ見返りは見返りだ。約束を反故にするのは私のポリシーに反する。
いざとなればこちらには魔法もあるし、すぐこの場所にも飽きるだろう。もし誰かにこの場所のことを告げ口しそうになったら、別の場所へ引越しでもすればいい。この森から離れるのは寂しいが致し方ない。
「まあ、いいですけど...」
「やったあ!私、初めて魔法使いさんに会ったから、話してみたかったんだよね」
「た、ただし!誰にもこの場所のことは言わないでください」
「もちろん、分かってるよ〜」
人畜無害そうな顔をしてそう微笑む人間の少女。仮にも魔法の使える魔女の前であまりに無防備すぎやしないだろうか。
一瞬絆されそうになるが、慌てて気を引き締める。きっと、油断させて寝首を搔く算段だろうけど、騙されないぞ。
「魔法使いさんのお名前は?」
名前、か。名前なんて久々に聞かれたな。顧客はいつも魔法薬売りの魔女としか呼ばなかったし。それにしても、まさか今呼ばれることになるとは思わなかったけど。
「...アオ」
この名を口にするのも随分久しい。...とりあえず、魔法薬用のハーブ収穫しなきゃ。
ハーブを収穫している間も、その人間は私の周りをうろちょろしては、気の抜けたような笑顔を浮かべ私に話しかけてきた。こいつ、暇なんだろうか。
「じゃあ、また明日」
手を振りながら去っていく少女を横目に、家の扉を開ける。夕日が暮れるまで少女がここに居座ることになると誰が想像できただろうか。
...すごい方向音痴とかで、今日の見返りの話とか全部有耶無耶にならないかな。
そんなことを考えながら私は一日を終えたのだった。
_芽吹く予感_
あの日から何週間経っただろうか。
三日もすれば飽きると見積もっていた私の考えが甘かったのか、まだ人間の少女はこの場所に飽きる気配はない。どうしてこうなった。
「アオはいつからここに住んでるの?」
「...三百年前」
「え、三百年!?じゃあ年齢はもっと上ってこと?」
年端もいかないような子に敬語で話すのも馬鹿らしくなって「そうだけど」と返すと、彼女は目玉が転がり落ちそうなくらいに目を見開いて、やけにオーバーなリアクションをとった。
この際、いつの間にか当たり前のように私の家にお邪魔して、丸椅子に座っているのはもう気にしないことにしよう。全然人が来ないのを理由にずっと鍵を開けっ放しにしていた私も悪い、うん。
「背丈も見た目も私と同じくらいだし、てっきり十五歳くらいだと思ってた...」
背は私の方がナツグミ一粒分くらいは高いんですけど?と訂正するのも面倒で、彼女が話すのをただひたすら聞き流しながら、薬草を加工する。ポッポめ、厄介事を運びおってからに...。
最近は毎日こうだ。にんげ......長いしもうハルでいいか。ハルがひたすら話したり、私の作業を興味深そうに観察したりして、私は彼女がそうしているのをよそに淡々と魔法薬のための作業に取り掛かる。
正直言って、こちとら二百年近くは人間と面と向かって話してこなかったものだから、話しかけられるとどうしていいか非常に困る。おい誰だ引きこもりとか言った奴。ポッポか?まあ許そう事実だし。
「私も何か手伝おうか?」
彼女が手伝いを申し出てきたが、こんなのは丁重にお断りしておくに限る。手伝うフリしてくすねられても困るので。あと単純に彼女の性格からして何かやらかしかねない。
「いい。すぐに終わるし」
「そっか、じゃあ待ってるね」
いや待たなくていいんだよ。お家に帰りな?とは思ったが、鼻歌をうたいながら足を振り子のように揺らして待っている彼女を見て、僅かに残っていた良心か痛み、口を噤んだ。
仕方なく今日の作業を終えれば、彼女はそれに気づいたようで子犬みたいにうきうきして近づいてくる。何だこの生き物は。そうやって庇護欲でもそそるつもりか?
「今日はね、これをもってきたんだ〜」
彼女は懐から何かを取り出すと、じゃーんと嬉しそうに見せびらかした。
「え、何これ」
「ミサンガだよ!」
いや、見れば分かるけども。そういうことが言いたい訳ではない。
「最近町でミサンガを編むのが流行っててね、それでおすそ分け!」
ハルは私にミサンガを握らせてくる。おい強引だなこの人。
掌には青と水色の糸で編み込まれたミサンガ。人間の間ではこの糸に願いを込めて手首や足首に身につけるらしい。こんな糸だけで到底叶うとは思えないけど。所詮ただのお呪い、か。
...まあ、貰うだけ貰っとこう。
「ちょっと、何でニヤニヤしてるの」
「ん〜?別に〜?」
生暖かい視線に腹が立って、持っていた杖で頭をぽこんと叩いてやった。それでも何故だかハルは嬉しそうで、なんだか心の奥の方がむず痒くなる。すっかり彼女のペースに呑まれてしまっている気がするが、それも悪くないと思ってしまったのはどうしてなのか、自分でもよく分からなかった。
_立待の月_
「...来ないな」
窓から外を眺める。何ら変わりない景色。強いて言えば、葉が紅く染まり始めたくらい。それ以外はほとんど全部色褪せて見える。
いつもならもっと早い時間には来ているのに、もうだいぶ日も暮れてしまった。こんな遅い時間には流石に彼女も来ない。たまたま何か用事でもあったのかな。
彼女が来なくなって二日目。
二日間も来ないことは今までもざらにあったから、大して気にはならなかった。ただ、彼女がいないこの家は、随分静かだと思った。ポッポが依頼の魔法薬を顧客に届けに行ったからか、余計に閑散としていた。
彼女が来なくなって三日目。
自分の部屋がやけに広く感じた。
彼女が来なくなって四日目。
ようやく、彼女はもう来ないのだと悟った。
何で、どうして来なくなったんだろう。
いやいや、これで何も問題はなくなったじゃないか。今までの何の変哲もない暮らしに戻っただけ。きっとあの子もこんな所にずっと居るのは飽きたのだ。
...本当に?本当に、飽きちゃったの?
自分にとってはいいことのはずなのに、なんでこんなにも嬉しくないんだ。
胸のあたりがじくじくと小さな痛みを訴える。体が普段より重く感じる。風邪にでもかかったか?魔女が病気だなんて、冗談も程々にしてほしい。
もう、寝てしまおう。多分今日は疲れてるんだ。だからこんな変な感じがするんだ。魔法で着替えて布団に潜る。残念ながら、睡魔は全くやってこなかった。
あの子が来なくなって一週間経った。
どうせ今日も来ない。自作の薬を飲んでも、風邪だと思っていたものは日に日に酷くなっていくばかり。嗚呼、色々とツイてない。しゃがんで家の前の畑を弄るが、ついあれこれと考えてしまう。
本当に人間は身勝手だ。あんなに他人のテリトリーに散々居座っておいて、飽きたらこの始末。やっぱり、あの日の私の判断は間違っていたんだ。
外でかさ、と草むらが揺れ動く音がして、弾けるように顔を上げて見た。が、そこに居たのはただのリス。何を期待しているんだ私は。
無意識に彼女を待っている自分に嫌気がさす。
再び草むらが揺れ動く音がした。またリスとかに決まってる。今度は狸かも、なんて。はは...何考えてんだろ、私。
「アオ」
自身の背後から、少し高い、聞き慣れた声が聞こえた。たった一週間会わなかっただけなのに、声を聞いたのが随分昔だったような錯覚に陥る。
「一週間ぶりだね。アオは元気だった?」
「ええ。...てっきり飽きてもうここには来ないかと思ってた」
動揺が伝わらないように、後ろを振り返らずにそう答えた。
「飽きる?そんなまさか」
ありえないよ、とでも言うような声色に、私は思わず怪訝な顔で振り返る。
「じゃあなんで...」
「実は、ちょっと風邪を拗らせちゃってさ」
そう言って、気まずそうに眉を下げて苦笑いする彼女。風邪?たったそれだけ?呆れを通り越して笑えてさえくる。
「本当に?」
「もちろん。...会えなくて、すごく寂しかった」
彼女の澄んだスカイブルーの瞳が、その言葉は真実なのだと雄弁に語っていた。
そんなふうに言われてしまっては、もう私はそれ以上追求することは出来ない。...ん?何で追求する必要があるんだ?彼女にここに来る義務がある訳でもないのに。
「アオは、寂しかった?」
私の顔を覗き込むようにして聞いてきた彼女の言葉が、嫌にストンと胸に落ちた。
そう、か...寂しかったんだ。彼女が、ハルがそばにいなかったことが。
「...うん、寂しかった」
その素直な気持ちは、案外簡単に言葉にすることが出来た。もしかしたら自分が思っている以上に、彼女に会えなかった日々は堪えたのかもしれない。
私のこの態度は予想だにしなかったのだろう。彼女はぎょっと目を見開いた。そんなに驚かれるとかえって恥ずかしくなってくる。
「ね、今のもっかい言って!お願い!」
調子に乗ったのか、彼女はもう一回と催促してくる。...やっぱ言わなきゃ良かったなこれ。
火照った頬を手で仰ぎながら、「何のことだか」としらばっくれた。
_寒露とたより_
いつからか、時々ポッポを介して手紙で連絡を取り合うようになった。ハルの字はところどころ丸くて、偶に誤字があったりしたけれど、そんな所も彼女らしくて好きだった。
会えない日でも手紙を読めばハルの姿が浮かんできて、彼女の傍に居るような気分に浸れる。なんだかんだで気がつけば、私はハルのことばかり考えるようになっていた。はじめの頃の警戒していた気持ちは何処にいったんだと思うほど、今では完全に気を許している自覚はある。
世間一般的に言えば、多分これは...。
いやいや、そんなまさか。だって、同性である以前に私は魔女で、彼女は人間だ。そもそもの前提が違うのだ。だから、これは恋じゃない。
「ばあ!!」
「うひゃぁ!?」
そうやって考えているうちに、いつの間にか来た彼女が後ろから勢いよく抱きついてきた。色んな意味で心臓が持たないのでやめて欲し...いや、やっぱ止めなくていいや。
先に言っておくが断じて抱きつかれるのが嬉しいとかではない。ええ、断じて。
「なーに難しい顔してんの?悩み事?」
「色々あるの」
そう言うと、彼女は抱きつくのをやめて「ふーん」と納得したようなしてないような返事を返す。離れてしまった体温を残念に思ってしまったのはきっと気のせいだ。気のせいだと思いたい。
というか第一、どうしてこの私がこの子の言動にここまで振り回されなければならないのだ。
「ま、何かあったら全然頼りにしていいからね...って聞いてる?」
何だか無性にモヤモヤというか、ムカムカというか。そんな感じがする。あなたも、私の事で悩めばいいのに。同じ気持ちを味わえばいいのに。
ふと、彼女のふにふにとした頬が目に入る。
そして、気づけばそのやわこい頬に手を伸ばしていた。
「え、ちょ...あ〜...それで元気がでるんならいいけどさ」
彼女は少し驚いた素振りを見せたが、その後は特に気にする様子もなく私にされるがままになっていた。ふふ、ざまあみなさい。
彼女の頬はあったかく桃みたいにすべすべで、ちょっと力を入れて押さえると、もちもちと癖になる感覚がする。すごい、思っていた以上に柔らかい。ずっと触っていたいくらいだ。
「じゃあ、今度は私の番!」
彼女はそう宣言すると、私の頬を両手でちょんと突いた。あまりに一瞬のことだったから、驚きのあまり後ろに勢いよく飛び退いてしまった。自分からは触れることができるが、彼女から触られるのは心の準備ができてないからつい吃驚してしまう。
「はは、変なアオー」
真っ赤になってまともに喋れず固まる私は、彼女から見ればさぞかし滑稽だったことだろう。うう、恥を晒してしまった。こんなはずでは...。
それでも、こんなときでさえ彼女の笑顔に見蕩れている私は、随分と重症なのかもしれない。
彼女が帰った後、夕飯やらを済ませていればいつの間にか空に星や月が浮かんでいた。今日はどうやら満月らしい。優しく当たりを照らす月は、そこはかとなく儚い雰囲気を感じさせる。
どこかの国の人間は、『愛しています』と言う言葉を『月が綺麗ですね』と訳したそうだ。
「月よりもハルの方が綺麗だな」
「......えっ。私、今なんて...」
自分でも無意識に零れ落ちた言葉に、動揺を隠せない。なんだ今の台詞は。こんな月並みの口説き文句のようなことを言うなんて、まるで、初めての恋に浮かれる子供みたいじゃないか。こんなの私のキャラじゃないのに。
こんなに私が阿呆になってしまったのも、全部全部ハルのせいだ。
羞恥心から家の柱にゴンゴンと頭をぶつけていれば、止まり木で休んでいたポッポは、何してんだコイツとでも言いたげな目で見ていた。やめろ、そんな目で私を見るんじゃない。
ああもう、いいや。この際認めてしまおう。
私は、ハルが好きだ。
はっきりと意識してしまうと、余計に顔が熱くなってくる。はあ...次、どんな顔して会えばいいんだろ。
_冬隣る節_
ある日、私のこの魔法で適当に結んだ髪を見たハルに、髪をいじらせて欲しいと頼まれた。断る理由なんて特になかったから、二つ返事で了承した。
距離が近いと心臓がうるさくなるけれど、髪を編んでいる間は彼女に顔を見られなくて済むし、むしろ良かったかもしれない。
「できた!」
彼女の元気な声が後ろから聞こえる。彼女から渡された手鏡を覗けば、いつもと違う雰囲気の私がそこに映っていた。この感動を伝えたくて何か言おうと彼女の方を向く。
しかしハルは、私が口を開く前に私の頭を優しくそっと撫で、
「うん、かわいい」
と満足そうに目を細めた。彼女があまりにも優しい笑みを見せるものだから、危うく口から“好き”の二文字が飛び出してしまいそうだった。
落ち着け、勘違いするんじゃない。彼女が可愛いと言ったのは私じゃなく、私のこの髪型だ。そんな事は分かってるのに、年甲斐もなく浮かれてしまう。可愛いと言ってくれるのは彼女ぐらいしかいないにしても、単純すぎやしないか、私。
本当に今更ではあるが、初対面の時に冷たくしすぎたことが悔やまれる。いやでもだって、あの時はこんな風になるなんて思ってもみなかったんだもの。
「髪飾りとかつければもっとかわいくなるよ!」
「例えば〜...こういうのとかさ」と自身のつけていた、花柄のワンポイントが入った銀色のバレッタを外し、私の髪につけた。最近はこんなのもあるんだと私が静かに感銘を受けていると、ハルは突飛なことを言い出した。
「そのバレッタ、気に入ったならアオにあげる!家に同じようなのまだあるし」
ミサンガといい、このバレッタといい、私は彼女から貰ってばかりだ。また、宝物が増えちゃったな。ハルみたいに、私も何か身につけられるような贈り物がしたい。カチューシャなんてどうだろう、と想像を膨らませる。
なんかこのやり取りってまるで恋人みたいだな、なんて柄にもなく乙女みたいなことをふと考えてしまう。
「本当に貰っていいの?」
「もちろん。だって、私たち友達だもん、ね?」
友達。
彼女の言葉でふっと我に返った。全身に冷水でもかけられたような気分だ。
...そっか、友達か。それ以上でもそれ以下でもない関係。私は一体何を期待していたんだか。もしかしたら...とか、我ながら馬鹿馬鹿しいにもほどがある。彼女は私の事を友達だと思っているのに、私は...。拳をぐっと握りしめる。
こんな得体の知れない魔女にそういう意味で好かれたって、きっと気味が悪いだけだ。
「ありがとう、ハル」
今の私の気持ちを知って欲しくなくて、胸の痛みを無視してバレないように笑みを作った。
そのときの私は、上手く笑えていただろうか。
_霜の声_
「ねえ」
目の前の彼女が口を開く。
「私の事、好きなの?」
突きつけられた私の秘密に戸惑いを隠せない。それだけは知られたくなかったのに。肯定も否定もせずに突っ立っている私に何か察したのか、彼女はまた言葉を口にする。
どうかそこから先は言わないで。あなたの口からそれ以上の言葉は聞きたくない。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
「ごめん、正直そんな人だとは思ってなかった」
聞いたこともないような冷たい声と軽蔑の眼差し。それは私にとっての焚刑だった。
そこで私の意識はぷつりと途切れた。
「...っはぁ、はあ...」
窓から光は差しておらず、空はまだ暗かった。
かいた冷や汗が気持ち悪くて、動悸が止まらない。呼吸が浅くなる。
どうやら夢だったみたいだ。
ハルはあんなことを言う人じゃないと信じたいけれど、夢で見た彼女の声が、表情が、こびりついて離れない。夢だとわかっているはずなのに、彼女に会うのが怖くなった。
その日、彼女の姿はなかった。ただ、昼頃になって散歩に出ていたポッポが、便箋を持って帰ったきたくらいだ。ポッポを出迎えるために外に出れば、地面の氷がパキパキと割れる音がする。
花の模様の入った便箋を見てすぐ彼女からだと察した。破かないようにそっと便箋を開ける。
変に嫌な予感がした。
中には一枚の紙。いつもならびっしり書いてあるはずの紙にはたった三行だけ。
『もう会えない』
『ごめんね』
『お元気で』
夢の内容が頭の中でフラッシュバックする。
足元から崩れていくような感覚。周りの音が遠のいていく。
「なん、で...なんで...」
気づけば涙が零れ落ちていた。涙は留まることを知らず次から次へ溢れてくる。どうせここには誰も来ないんだ、思い切り泣いたって構わないはず。堪えるのを諦めれば、涙は勝手に頬を伝って落ちていった。声を上げて泣いたのはいつぶりだろう。
涙の跡と手に力をいれていたせいか手紙はくしゃくしゃで、先程までの手紙は見る影もない。
「ちょっと、何なの、ポッポ...今くらいは泣かせてよ」
泣き寝入りするんじゃないとばかりにポッポがつついてくる。その様子は何かを訴えたそうだ。そういえば、ポッポはハルから手紙を直接受け取ったんだった。
あまりにポッポが必死だったから、仕方なしに魔法でポッポの記憶を覗き見た。
ハルの住む町の景色が映る。恐らく彼女の家に向かう途中なのだろう。町は人で賑わっていて、店や家も随分多い。
ふと、大人の女性の声が聞こえてくる。
『あの家の子も災難よねえ。森の方へ出かける途中に、足の速い馬を制御しきれなかった御者の馬車に轢かれるなんて』
『命があっただけまだ良かったわよね。ただ、もう歩けないのは本当に残念だけれど』
『もしかして魔女の呪いだったり...』
『あらやだ、怖いわねえ』
脚の速い、馬...?やけに胸に引っかかる。
場面はうって変わって、赤い屋根の家の窓辺。
部屋は簡素な造りで、窓のすぐ側に机とベッドが見える。ベッドにいるのは、私のよく知る彼女だった。目元はこの距離でもわかるくらい腫れていて、目は赤く充血している。
『ポッポ、いらっしゃい』
いつもよりもくぐもった声。泣いていたんだ、彼女も。
『今日で最後になっちゃうかも。...私ね、もう歩けないんだって。アオに会いに行けない...便箋も、自分で買いに行けない』
『ただでさえどこに出かけてるのか言ってないのに、両親に便箋を買ってきてなんて頼んだら、誰に渡すんだって怪しまれちゃうし...だから、私決めたの』
『アオと、お別れしようと思う。きっとアオなら大丈夫だもん。そうだよね、ポッポ』
それは彼女のやるせない独白だった。
色々言いたいことはあった。だけど、ひとつも声には出なかった。お別れの挨拶すらも。
当たり前だ、だってこれはただのポッポの記憶で、私が何をしたって意味は無い。
気づけばポッポの記憶を見終わっていた。
私は暫く呆然としたままだった。一度に知ったことが多すぎて、頭では分かっても心が追いつかない。
もし今彼女が目の前にいたなら、何のための魔女だと思ってるんだ、こういう時こそ魔女の力を頼ればいいじゃないかと見当違いの八つ当たりをしてしまいそうだった。実際、私ならきっと治せる。だけど、彼女がそれをしなかったのは、きっと私のことを魔女ではなく、ただのアオとして見てくれたからなのだろう。彼女の態度は初めて会った時からずっと変わらない、優しいままだ。
彼女と出会ったあの日の思い出が脳裏に蘇る。
そう、確か依頼された魔法薬を作ろうと.........。
__思い出した。『長い間馬の脚を速くする魔法薬』。あの日、彼女と出会った日に作っていた魔法薬だ。確か、あの魔法薬は彼女と同じ町の伯楽に売った。そして、彼女は『脚の速い馬を制御しきれなかった御者の馬車に轢かれ』た。
いや、そんな、まさか。何かの冗談だと思いたかったが、そう思うにはあまりにも辻褄が合っていた。血の気が引いて、膝がガクガクと震えだす。
もしかして、ハルが怪我したのは...
「私の、せい...?」
依頼を了承したのも、魔法薬を作ったのも私だ。私が魔法薬を作らなければ、あの依頼を受けなければ、彼女はきっと今でも元気に歩き回っていただろう。そもそも、私と彼女が出会わなければ、彼女は毎日のようにこの森には立ち寄ることはなく、馬車に轢かれもしなかったはずだ。
私の様子がおかしいことに気づいたポッポが、騒がしく鳴いている。
「は、はは、私なら大丈夫だよ、ポッポ。これは私の責任。だから、私が何とかしなくちゃ」
鳴き止まないポッポを尻目に、フラフラとした足取りで材料を取りに向かった。
_冬眠_
失ったものを作るのは容易ではない。
彼女の為の魔法薬を作るのに材料が足りなくて、色々な場所で集めてから魔法薬を作るのに随分と時間をかけてしまった。彼女は歩けずに苦しんでいるのだ、急がなければ。ボサボサになった髪も、ところどころほつれてしまった服も、気に止める暇などない。
私は指をパチンと鳴らせば、辺りが白く光り始める。私にかかればワープ魔法なんて御茶の子さいさいだ。今までは引きこもっていたからあまり使う機会はなかったけれど。
光が収まると、部屋の中にいた。彼女の部屋だ。
「アオ...?アオなの...?」
大好きな声。あの時よりも長い間会ってなかったから、声を聞けただけでも嬉しくてしょうがない。まあ、きっとこうして会えるのも、今日で最後だろうけど。
「ええ。…あなたに商品をお届けにあがりました」
手元の魔法薬を見せる。未だに困惑しているのか、ハルは固まったままだ。
「ではお代を頂戴しますね」
「え、何、どういう……」
彼女がなにか言い終わる前にぐっと近づいて、その額に口づけをした。最初で最後の、好きな人へのキス。これくらいは、どうか許して。
口づけした箇所から星みたいにきらきらとしたものが溢れて、その場に漂い始める。
「お代は、私に関するあなたの記憶」
私との思い出は、あなたにとってこんなにも綺麗なものだったのね。
取り出した記憶を、持ってきた小さな瓶に詰めた。記憶に干渉されてぼんやりとした彼女に魔法薬を飲ませる。もうじき彼女の意識がはっきりしだして、歩けることに気づくだろう。記憶の改変ももう済ませてある。
これで、私の仕事はおしまいだ。
……どうせ、私のことは忘れてしまうのだ、最後くらいいいだろう。
「さようなら、私の大好きな人」
振り返ってどこか上の空の彼女の姿を目に焼き付けた後、再び指をパチンと鳴らす。後ろから微かに名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
帰ってからしばらくの間は放心状態だった。
なんにもやる気が湧いてこなくて、ただただ息をしているだけの時間が続いた。
嗚呼、こんなことになるくらいなら、恋なんてしなきゃ良かった。ぼんやりと当たりを見渡す。
そんな時に、ふと彼女からだいぶ前に貰った青と水色のミサンガが目に入った。ちぎれた時に身につけた人の願いを叶えるんだったっけ。なんとなくミサンガを手に取る。所詮はただのお呪いだってわかってる、だけど。
__また、会いたい。
利き手にそのミサンガを括りつける。
これからは、彼女との思い出を支えに生きていくんだ。
_季節は巡る_
ない、ないないない!
蝶が舞い小鳥が囀るような陽気で平穏な日に一人、私は慌ただしく探し物をしていた。
あの日から一年間ずっと、大事に大事に身につけていた青と水色で編み込まれたミサンガ。
あの宝物があったから、今までの寂しくて苦しい日々も乗り越えられてきたのに。
いつもそれがあるはずの右手には何もついていない。ちぎれてどこかに落としてしまったのだろうか。
彼女の記憶を入れた小瓶も最近見当たらないし、本当に今日はツイてない。でも、このバレッタだけでもあってよかった。それすらも失くしたら、私の支えが全部無くなってしまうから。
もしかしたらミサンガも小瓶も外に落ちてるのかも。
庭にしゃがんで、その場の草花を必死にかき分ける。
その時に近くの茂みで、がさと何かが動く音がした。ポッポか、それとも森の動物だろうか。どっちにしろ今はそれどころではない。はやく、はやく見つけなきゃ。
「随分忙しそうだね。アオ」
その声に思わず手が止まる。
勢いよく振り向けば、人間の少女がぽつんとそこに佇んでいた。
「なん、なんで、ハル、が」
声が震えて上手く話せない。
彼女は飄々とした様子で話を切り出した。
「なんかさ、大切なものが確かにあったはずなのに、ど〜しても思い出せなくて」
「この森がやけに印象に残ってたから、そのうち何回もこの森にくるようになって……それから、出会っちゃったんだよね」
この子に、とハルが指を指した先には、私の使い魔のポッポ。
「ポッポがこの小瓶を咥えてて、開けてみたら今までの記憶が、全部よみがえってきて」
段々と鼻声になる彼女。それにつられて、私の視界も次第にぼやけてきた。
「思い出したの、アオのこと」
スカイブルーの瞳が私を射抜く。彼女も、多分私も、酷い顔でボロボロ泣いていた。
「私の足を治してくれてありがとう」
泣いているのに穏やかな顔でそう笑う彼女。罪悪感に耐えきれなくて、慌てて否定した。
「ちがう、ちがうの……私が悪いの……」
しどろもどろになる私の話を、彼女は静かに頷きながら聞いてくれた。
「私を引いた馬車の馬が、アオが作った魔法薬を飲んでいたかもって?」
うん、と小声で返事をすると、彼女は唐突に噴き出した。今は笑う場面じゃないだろう。なんで笑ったのか分からなくて、不思議そうな顔をしていれば、彼女はにっとして言った。
「それってさ、全然アオのせいじゃないよ」
「だって、アオはその魔法薬を作っただけでしょ?しかも、あの馬が本当に魔法薬を飲んでたとも限らないんだし」
でも……と言いかけると、ハルは私をぎゅっと抱き締めた。暖かくて心地の良い感覚。とんとんと一定のリズムで背中を叩かれる。
「はい!この話はもうおしまい、ね?」
「それよりさ…私はあの言葉の意味が知りたいな」
耳元で彼女の声が聞こえる。
あの言葉……?何の事だろうか。
今まで記憶を辿って、一つだけ心当たりのあることを思い出した。あの時、お別れの日に私が言った『大好きな人』という言葉。もう彼女とは関わることはないと思い、つい口にしてしまった言葉。もし、その事を言っているのだとしたら。
鼓動が急に早くなるのを感じる。やばい、手汗かいてきた。身動いてみるが、抱きしめられているせいか逃げることも叶わなそうだ。
言うしかないのか、この気持ちを。この気持ちを知られるのが怖くて体が強ばる。
「私ね…この一年、ずっと胸にぽっかり穴が空いたみたいな感じだったの。それは、傍にアオがいなかったから」
「私、思い出して気づいた。たぶんきっと、アオと同じ気持ち」
「アオの気持ち、ちゃんと知りたい。お別れの挨拶じゃない、本当の気持ち」
彼女の言葉の甘美な響きに魅了される。
それってズルくないか。そんなことを言われてしまったら、どうしたって都合のいい方へ勘違いしてしまう。
…いや、もう勘違いでも何でもいい。
目を瞑ったまま大きく息を吸って、彼女に届くように吐き出した。
「ハルのことが好きなの。大好きなの。会いたくて、会いたくて、仕方なかった」
とうとう言った。言ってしまった。何にも反応が返ってこなくて、不安になって薄目を開けてみると、見たこともないくらい顔が赤く染まったハルがそこにいた。
「これは想像の破壊力かも……」
「え?」
「ああ、いや何でもない」
照れたスカイブルーの瞳と視線がかち合う。
「私も……私も、アオが好きだよ」
思ってもみない反応をされて、どうしていいか分からなくなった。夢じゃ、ないんだよね。おずおずと彼女の背中に手を回す。掌から彼女の温もりが伝わってくる。確かにこれは夢じゃない。
長い間生きてきた中で、一番幸せかもしれない。喜びで胸がいっぱいになり頬が緩む。連れてきてくれたポッポにお礼しないとな。
あれ、なんかだんだん顔が近づいてきているような……。そう思った時にはちゅ、という可愛らしい音が鳴っていた。
「な、な……」
「あの時のお返しだよ、あはは」
ファーストキスを見事に奪われてしまった。
あの時の私でさえ額にするくらいで我慢したのにぃ……!それでも、やっぱりしてくれたのは嬉しくて、とても満ち足りた気持ちになった。魔法を使わずにここまで私を喜ばせてくれるハルの方が、よっぽどすごい魔法使いだ。
(人間とか女の子とか関係ない、あなただから好きになったの)
愛しの魔法使いさんへ
愛しています。これまでも、これからも。
めでたしめで
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手元の本をバタンと閉じて、古本屋の棚に戻す。最後は決まってご都合主義のハッピーエンド。現実はそこまで優しくは無い。前に落ちてきた癖の多い黒髪を後ろにながす。
あの子が好きだった。でもあの子には恋人が出来た。勿論私じゃない。隣のクラスの背の高い男の子。
たまたま、帰り道に手を繋いで歩く所を見てしまったのが運の尽き。元から伝える気はなかったし、諦めるのにはちょうど良かったかもしれない。なんて、御託を並べて自分を納得させるのでいっぱいいっぱいだった。
今日は失恋記念日だ。逆に失恋しなかったことなんてないけれど。今日だけは自分をいっぱい甘やかそう。帰りにカフェでも寄って……。
そんなことを考えていたら、つい前を見るのが疎かになってしまった。
向かい側から歩いてきた人とぶつかって、持っていたスマホが手から落ちる。やばい、画面割れたかも。あたふたしていると、落としたスマホを相手の人が拾ってくれた。
「すいません!大丈夫ですか?」
前を向くと水色の瞳が心配そうにこちらを覗いている。
どこか懐かしい面影が見えた気がした。
こんな拙い文を閲覧して下さりありがとうございます。ここからはただただ作者が言いたいことが続きます。ご了承ください。
はじめは五千字くらいのあっさり読める短編を書くつもりだったのですが、まさかここまで長くなるとは思っておらず、作者自身驚愕しております。なんでこんな量になっちゃったんだろうね。
実は、この量にプラスで百合の間に挟まる男でも書いてハプニングを増やそうかとも思ったのですが、尺の都合と、やっぱ百合の間に挟まる男なんて許せねえよなという個人的な意見で結局おじゃんになりました。最後の展開とかもどういうふうに終わらせようか三日間くらい悩みました。というか力尽きました。あまりにも色々とグダグダすぎるう……。本来はハルの方も色々と設定があったのですが、それも入りきらずボツに……。今ではそれが心残りですね。
最後に、ここまで読んでくださったあなたへ感謝を込めて。