うさぎ--4--
「雪村さん!!?」
頭で状況を考えるより先に、声が出てしまっていた。
僕は、かけ足で菜子さんに近づいていった。
「雪村さん!大丈夫!?どうして…」
どうして…?
そうだ、なんで彼女は、此処に倒れているんだ?
さっきまで、3階の窓から顔を出していたのに。
…考えるまでもなく、答えは出ていた。
大きな鈍い音。
3階から一瞬で地上まで降りる方法。
菜子さんは、飛び降りたんだ。
それ以外に考えられない。
…じゃあ、なんで飛び降りたんだ…?
まさか、自殺…?
本当なら、校舎の中にいる生徒か先生に言って、
救急車を呼んでもらうのが、今僕がとるべき正しい行動なのだろうが、僕はそれが出来なかった。
慌てすぎて、逆に冷静になったとでもいうか…。
とにかく、こうして数分前から現在までに至っている。
「…う…ん…」
かすかに、菜子さんの声が聞こえた。
「雪村さん…?」
「待って…」
「え?」
「お兄ちゃん、待って!!」
菜子さんは突然目を見開き、大声を上げながら起き上がった。
そして、しばらくきょろきょろと周りを見回した後、ぼーっと一点を見つめている。
「あの…雪村さん、大丈夫…?」
僕の声を聞いた菜子さんは、ゆっくり顔をあげた。
僕と目が合い、しばらく見つめ合う。
そして、一言。
「あんた、誰?」
…その言葉は、僕の中に、電撃が走ったような衝動を与えた。
漫画で言うと、背景にベタフラッシュがあるような…。
…ベタフラッシュって、専門用語ですかね…?
「え…もしかして頭うったの!?僕は同じクラスの…」
「…ああ、太田くん?」
「そう!太田敦!!」
「下の名前は、今始めて知ったよ」
「そ…そう…」
どうやら彼女は、本当に僕の事をよく覚えていないらしい。
多分頭をうったとかではなくて、彼女はクラスメイトなんかに興味がないのだろう。
「それで…えっと…体大丈夫…?痛くない…?」
「なんで痛がる必要があるの?」
「え、だって3階から落ちたんだよ!?」
「へ?菜子、3階から落ちたの?」
「え…」
「あ、そういえば、なんで菜子、こんなところに寝転んでるんだろう…」
冗談を言ってる顔には、見えなかった。
「…さっきまで、君は3階の窓から下を見てたんだよ」
「そうなの?」
「…僕を見てくれてたんだと思ってたんだけど、思い違いだったみたいだね…」
「太田くんを?菜子が?」
「思い違いだってば…」
僕は、泣きたい気持ちを堪えていた。
同じクラスになった時から、ずっと好意を抱いていた女の子との始めての会話が、こんなのなんて…。
「…あ、思い出した」
「な、何を!?」
「菜子、君を見てたよ」
「ほ…ほんと?」
「うん、間違えたの」
「間違えた…?」
「お兄ちゃんかと思って、ずっと見てたの」
お兄ちゃん…?
「お兄ちゃんはもう高校生なのに、なんで中学校に来てるんだろーって思いながら見てた。
それで思ったの。もしかして、お兄ちゃんは菜子を迎えに来てくれたのかなって」
…。
「なのに、お兄ちゃん…じゃなくて太田くんか。急に歩き出して、行っちゃうんだもん。
だからお兄ちゃんが何処かに行っちゃうと思って…」
…。
「その後の事は、覚えてないや。多分、そこで落っこちちゃったんだろうね」
「………」
言葉が、見つからなかった。
彼女の思考回路が、理解できなかった。
理解するのに、時間がかかった。
だって…、窓から落ちる理由が、“お兄ちゃん”だなんて…。
「…えっと…つまり、雪村さんは、僕とお兄さんを見間違えたんだよね?」
「そうだよ」
「お兄さんがいた事もちょっと驚いたけど…、見間違えたって事は、
もしかして僕とお兄さんは似てるの?」
「………」
「雪村さん…?」
「太田くん、失礼だね」
失礼…?僕、何か気にさわるような事、言ったかな…。
「お兄ちゃんは、太田くんの100倍はカッコイイよ。失礼だなぁ」
……今、僕は物凄く失礼な事を言われた。
いくら好きな女の子でも…これは……正直ムカつく。
「…お兄ちゃん、いなかったんだね」
「残念ながら、君の大好きなお兄ちゃんは此処にはいないよ」
僕は、少し不機嫌な態度で言ってしまった。
本当は、優しく話したいのに。
「なんで?」
「何?」
「なんで菜子がお兄ちゃんが好きだって解るの?」
…は?
こんなに『お兄ちゃん』と連呼されたら、誰だって解るだろう…。
また、少し馬鹿にされたような気分だ。
…だけど、菜子さんの顔は真顔で、真面目に言ってるようだった。
「あ!!」
「どうしたの?」
「うさぎがいない!!」
「…うさぎ…?」
「菜子がいつもポケットに入れてるうさぎ!!小さい頃、お兄ちゃんが買ってくれたうさぎなの!!」
…またお兄ちゃんかよ…。
しかし、見間違えたお兄さんはまだしも、
ポケットに入れてたぬいぐるみが消えたというのは、おかしな話だった。
落ちた時にどこかに行ってしまったのかと辺りを見回して見たが、見当たらない。
菜子さんが草をめくってうさぎを探し出したので、つられて僕も探したが、
うさぎは、見つからなかった。