乙女ゲーム制作の裏側
神田七緒は頭が痛かった。
七緒にはマーケティングがわからぬ。
けれども七緒は面白いゲームを作らねばならなかった。
株式会社キング・リリーはかつてコンシューマー及びポータブルゲーム機での乙女ゲーム産業の第一線で爆売れしまくっていた会社である。メディアミックスは当然として、そこから派生した昨今のオタク産業の先駆けとして映画だの舞台だのまで手広くやっていた。
だがしかし、スマートフォンの普及によりゲーム機の売れ行きは激減し、ゲームの在り方がそもそも変わってしまい、一時は権利含め会社の売却まで話が及んだ。
昨今、異世界ファンタジーのブームにより「乙女ゲーム」の需要が再熱する。というのも流通する小説の大多数が「乙女ゲームにトリップ、ないし転生・成り代わりしてしまう」という内容であったためだ。
一昔前の夢小説を踏襲しつつ新しいものに変化したそれはどちらかというとメインヒロインよりもライバルキャラに重きをおいていた。悪役令嬢とかいうそれである。
七緒の中の令嬢のイメージは元祖王道で言えばベ○バラのマリー・アントワネットであったし、高笑いさせるなら西○寺まりぃであったし、闊達なものでいうなら鈴○園子であったし、流行りものの悪役令嬢の根底に置くのであれば竜○麗華、姫○亜弓、一○宮蕗子、イライ○・ラガンみたいなものをイメージしていた。
売れているものをチェックすることが苦でない程度にはいまもサブカルの中に身を置いているけれど、正直なところ七緒にとって異世界転生というのは難しかった。自分が夢小説を読んでこなかったからかと自分の本棚を思い出す。薄い本はたくさんあるのだが。
親がオタクの2世女オタク、基本はお腐れ様、彼氏は2つ上のガン○ムオタクで、結婚の話はしたり……しなかったり。そんなゆるオタライフと並行して行う仕事は楽しいが難しいことも多い。自分の感性で書いたものが最近の淑女たちに需要があるものか? 果たしてこれをゲームにして売れるのか? 売れるのかというか売らねばならないのだが。
「神田さん、ごめんけど打ち合わせ10分倒していいかな?」
「はい、……目黒さん、寝てます? クマやばいですよ」
「あはははは……まあ、あはははは……」
弊社のエンジニアたちはきちんと寝ているんだろうか。いくつかあるプロジェクトによって差異はあるだろうが、リリースを目前にした自分の、そしていましがたフラフラと仮眠室に消えた目黒さんのアサインされているプロジェクトは今がヤマだ。デバッグが終わらないと発狂していた声を聞いたのは一昨日のことで……
「あ゛ーーーーーーーっ! 死ね本番環境ううううぉおおおおおあぁぁ!」
「おい、誰だ上野にやらせたの! 寝かせろって言ったろ!」
「あく、そく、ざああぁぁぁんっ!」
「ぎゃああああ! 検証端末ううううぅぅ!」
「…………」
パーテーションの向こうから上野さん、代々木さん、田端さんの絶叫が聞こえる。もうだめだ。ゴッ、みたいな鈍い音は上野さんが検証機をぶん投げた音に違いない。
10分経って、予定時刻より遅めに打ち合わせがスタートするとさっきよりいくらか(本当にいくらか)マシになった目黒さんと、死屍累々と言った風体の先の三人と、デザイナーの大塚さんと、ディレクターの渋谷さんが着席する。
「はい、じゃあ今日もよろしくお願いします。まず今日ですが、弊社のゲームに異世界転生したという事例の話をします」
「は?」
渋谷さんの目がうつろだったので寝言かと全員が綺麗にハモって「は?」とか言ってしまう。偉いのだが、渋谷さん一応このプロジェクトのリーダーなのだが。いやいやいや、今なんて言いました? 弊社のゲームに異世界転生? なんだって? 新しい企画をやれってか? リリース後のイベントのスケジュール決まってんぞおい、いまからやり直すの? 無理だよ無理無理。CSぼろっくその未来しかないですよ?
「ちがっ、まって、待って聞いて、俺だって言いたくないよこんなこと俺も疲れてんのかなと思ったもんまじで」
「四十路のおっさんの「もん」とか聞きたくないです」
「代々木、クビな」
「代々木さんはいいんでなんの話ですかそれ、夢?」
全員がデスマーチの真っ最中で正常な判断力がない。正常でないことくらいはわかって居る中で渋谷さんが思いつめた顔をしたら話を聞くくらいしか余裕がない。ゲーム業界、いつか自殺率1位になりませんようにと切実に願うばかりである。
「先週から、全部で5通のメールが来てる。差し出し人は不明」
「不明?」
「ドメインとかじゃなくてそもそも差出人の欄が無い」
渋谷さんがHDMIケーブルをつないでモニターに画面を複製させる。受信ボックスの中に「差出人無し」というフォルダを作ってそこに分類しているようだ。
メールには「おたくのゲームに転生させちゃったのでよかったら見てね」みたいなことが丁寧に書かれており、URLがくっついている。
一応、社外の怪しいメールを開かないようにと言われているので渋谷さんも最初は上に報告したらしい。これ危ないんじゃないかと、いたずらじゃないかと。総務部も真っ当にまずいよねって感じでそれは削除してしまったそうだが、そこから加えて4通連絡があったそうだ。2通目は1通目と同じ内容で「怪しくないよ。ただの報告だよ」というテキストが追加されたもの。3、4、5通目はそれぞれ別のゲームに異世界転生させちゃったよ、みたいな話だった。
「で、総務と話つつ動画を見てみた」
「リスキーすぎる」
「そしたらまじで「アロイス」と「夢花」と「クラッシュ」に異世界転生してるらしくて……しかもそれが、先月と、先週と、3日前……」
「各プロジェクトのバグが出た日じゃないですか!」
七緒は思わず叫んだ。コンシューマーとポータブルはともかく、アプリ事業部の3プロジェクトで関係者が発狂していた日だ。それぞれがそこそこの長さで運営しているアプリなのに緊急メンテナンスを入れて詫び石をばらまいたそれである。
SNSではキングリリーでもそんなことあるんだー、と大多数が寛容な反応だったが生きた心地はしなかった。
「で、さっききたメールがこれ……」
「いやああああ!! フューシャの日記シリーズううううぅ!?」
フューシャの日記、はコンシューマーで展開した3部作の乙女ゲームだ。これはもう生産も終わっている古いものだけどまさかそこまで手が伸びていたとは。
ごく自然に異世界転生を受け入れてしまっているところは一旦考えないことにする。だって差出人不明のメールとか気持ち悪いけど寝不足の頭で考えられないもん。神様的なサムシングだと思えば解決だ。異世界転生も二次創作もそういうところあるよね。
「というわけで、「アンスフィアの聖女」アプリ版のリリースは延期です!」
「ぎゃああああああ!」
「いやあああ! 大塚さんが死んじゃったあああ! 渋谷さんの人でなしいいいぃ!」
乙女ゲーム開発側にも異世界転生の波が来ているらしい。