不穏な動き 2
翌日以降、本当にダスティンはエラをアパートまで送ってくれるようになり、それが心強くてエラは少しほっとした。
そしてダスティンは黙っていようとしたエラの意志をあっさり無視してルークやシンディにエラがストーカーに遭っていると話してしまった。
話を聞いたルークは速攻でエラの夜勤は当分無しにしてくれ、ダスティンが夜勤で送れない時は車に乗せて送ってくれるようになったし、シンディはわざわざ店にやって来て何でも相談に乗ると言ってくれた。
手紙や荷物は相変わらず送られるし、隠し撮りされた写真も送られててくるが、フランマ全体で守られているので心強い。迷惑をかけている点に関しては申し訳ないが。
そんな中、ルークがシンディとの結婚二十周年記念日だからと花の日の翌日から三日間の休みを取った。前々からとっていた休みで、二人でゆっくりするらしい。
それでも二人とも何かあればすぐに連絡するようエラに言ってくれた。優しい夫婦だ。
そんな訳で、エラはダスティンと二人で店番をしている。
「店長、残念だったわね。休み初日なのに雪なんて」
「家でのんびりしてるんじゃないか?」
「そうかなぁ」
「なあなあ、これ確認してくれ」
ルークの三日間の休み初日は雪で、少しばかり積もった雪は、天気予報によればこの冬最後らしい。
少しばかりルークの不運を二人で想像して、エラはダスティンが魔力付与をした石を指先で摘み、魔力を確認した。
「………うん。上手にできてる」
エラは先輩としてしばらく石の魔力を探っていたが、ダスティンの魔力付与は完璧だった。
「ダスティンって魔石工の才能ありそう。私より早い」
「そうか?」
きょとんとするダスティンはあまり実感はないらしい。
「とりあえず魔力付与できた石、上に置いてくる」
「早く晴れるといいわよねぇ。魔石のストックが心配…」
「それな」
店が繁盛した事で普段より魔石が売れていく為、魔石のストックが切れかけているのだ。
日光干しに備えて石の入った箱を抱えて階段を登るダスティンから目を離して、エラは店番をする。
さすがに雪が降っているから今日の客は少ない。世間的にも今日は休日だが出歩いている人は普段より少なめだ。
しんしんと降る雪を見つめながら、思い出すのはヨルクドンだった。
突然泣き出したエラをアルフィーはそっと抱きしめて宥めてくれた。試作に緊張して、寒さに気付いてなかったエラを魔法で温めてくれた。
いつも味方でいてくれた黄色がかった緑の瞳。自分と同じ色の瞳でも、ずっと優しい色。
「………過去になんてならないわよ…アルフィー」
今でもやっぱり思ってしまう。
店の前の通りを歩きながらアルフィーがフランマにやってくる事を。
そう、あんな風にあそこの曲がり角から姿を現してーーー……。
「え?」
ぱちん、と現実に戻る。
フランマの前は地元商店街の通り。三叉路のすぐ近くにフランマはある。
その三叉路から覗く一人の茶髪の男がいた。
茶髪だがアルフィーでは無い事は明白だった。
だってアルフィーなら、あんな隠れるようにこちらを見る必要はない。彼は魔法が得意だし、自分の姿を隠すくらい簡単にできるだろう。
なにより、同じ茶髪でもアルフィーの自然に馴染むような柔らかい色合いの茶髪ではなく、灰色がかった暗い茶髪だった。
その男を知っていてーーーエラはぞっとした。
「ダ……ダスティン!」
思わずダスティンを呼んで、エラはレジカウンターから立ち上がり、二階への階段を駆け上がった。
「エラ?どうし……」
屋上へ続く階段から丁度降りて来たダスティンを見つけて、エラはすぐにストーカーがいると言おうと思った。
でも直前までアルフィーの事を考えていたせいだろうか。
ーーー何でアルフィーがいないの?
「っ………!」
「え?お、おい、エラ?どうした?」
ぼろぼろと涙が溢れてきた。
ダスティンみたいにおしゃれじゃなくていい。
デイヴみたいに映画が趣味じゃなくていい。
ルークみたいに魔石工でなくていい。
マテウスみたいにカッコ良くなくていい。
父みたいに過剰な愛情表現じゃなくていい。
他のどんな男性でも嫌だ。
「…アルフィー……何で………」
どうしてそばに居ないんだろう?
スリ被害から守ってくれた時のように。
ヨルクドンで励ましてくれた時のように。
誘拐から無事に帰ってきてくれた時だって、泣いているエラを抱きしめてくれたのはアルフィーだったのに。
ダスティンやルークがストーカー被害を心配してアパートまで送ってくれても、家では一人だから不安で押し潰されそうで。
「……何で……いないの……?」
ずっとずっと、そばに居て欲しかったのに。
今こそそばに居て欲しかったのに。
泣き出したエラをダスティンはおろおろしながらも宥めてくれて、エラは幾分冷静さを取り戻した。
ダスティンが差し出した水を飲んで、人心地着いたエラは「どうした?」と尋ねられて素直に答えた。
「ストーカーが分かった。……前もストーカーしてきた人だった」
「前?」
「コブランフィールドに来たばかりの頃に…ストーカーにあったの。ここのお客様で、接客に慣れてなくて…ダメだよなぁって思いながらもつい個人情報漏らしちゃって……それで、付けられた」
「どうやって解決した?」
「姿隠しの魔石で逃げ回ってたらいつの間にか諦めてくれたから…」
そう、今回のストーカーはエラがゴブランフィールドに来たばかりの時のストーカーと同じ人だった。
ほんの短い期間だったが、それでも怖かった。幸いにもすぐに諦めてくれたからエラは何事もなく日常に戻れた。
それなのに、どうして今になって。
「どいつだ?」
「あそこの……黒い服着た人」
一階に戻って見つからないように壁に隠れながらダスティンに伝えると、ダスティンは分かったと言って果敢にも店の外に出ようとするので、エラは慌てて止めた。
「あ、危ないってば」
「ストーカーなんてする奴、大体腰抜けだろ」
「そ、そうかもしれないけど……お、お願い……ダスティンに何かあった時、冷静に対処できる気しない……」
震えながら不安を伝えるとダスティンは不満そうにしながらもとりあえず頷いてくれた。
「……とりあえず、お前は工房側で仕事してろ。俺が店番する」
「……はい…」
歳上らしく指図するダスティンについ頷くと彼はエラを工房側に押しやった。
それからもストーカーはちょくちょくやって来てはエラの行動を監視するように見ていた。
ルークとシンディが休み明けに話を聞いて、ストーカーが現れた時すぐ不審者として通報したが、何故かストーカーはそれを察知して逃げ出したため、警察には誰もいないと言われてしまった。
エラはストーカー事件が解決されない事を落ち込んだ。
とりあえず自衛しなければ、という事でこれまで通り、仕事終わりはダスティンかルークが送ってくれる事になり、休日も昼間以外はあまり出歩かないようにした。
その生活は窮屈で、アルフィーが何かあるたびにこんな生活をしていたなら、よく耐えてたなと思って寂しくなった。
しかし、ついに恐れていた事態になる。
休日の昼間にエラは買い物に行った。
スーパーで数日分の食料をまとめ買いし、エラは重たい荷物を持ちながらアパートまで歩いて帰り、鍵を取り出す。
しかしドアを開けた所で何となく視線を感じて、エラはそろりと振り返った。
いた。
エラの借りているアパートから見える最初の角の所に灰色がかった茶髪が見えた。遠目でも顔にも見覚えがある。
「ーーーーっ!!」
真っ青になってエラは慌てて部屋に飛び込み、ドアの鍵を締めると、安全な場所に帰ってきたせいか緊張が緩み、涙が溢れてきた。
怖い。
誰か。
「………アルフィー……助けて………」
何度でもここに居ない人に助けを求めてしまう。
無意識に首から下がる魔石入れを握り締める。それが身を守ってくれるかのように。
エラは玄関でしばらく恐怖と独りで戦っていた。
ついに家に来た。
いや、今までも隠し撮りされていたから来ていたのだろうが、姿を認識すると恐怖が半端ない。
エラは落ち込んで出勤した。
「おはよー…って、顔色悪いぞ?どうした?」
おかげで速攻でダスティンに見破られた。
「ちょっと夜更かししちゃって……」
誤魔化そうとするが、ダスティンは眉を顰めた。
「嘘つけ。何かあっただろ?」
「………何で分かるのよ…」
そんなに顔に出ているのだろうか。ちょっと落ち込む。
エラは商品棚を掃除しながら白状した。
「……昨日いたのよ、家の近くに」
「……はああああ!?」
短く告げた主語のない内容にダスティンは大声を出した。
「家まで来たのか!?大丈夫か?」
「うん。何もされてないよ」
安心させようと笑顔で言うが、どうしても暗くなってしまう。
「………家の近くで見つけたくなかったなぁ…」
「すぐ引っ越せ」
ダスティンが顔を顰めた。
確かに家がバレている以上、身を守る為に引っ越すのは理に適っている。
でも。
「……いやよ」
エラは暴れる感情を飲み込んで、静かな声で拒否した。
引っ越したくなんかない。
「職場は変えれないし、アパートだけ変えたってイタチごっこだしね」
「だからって……」
「だってそうでしょ?私、そんなにお金無いし、イタチごっこになったら引っ越しで破産しちゃう」
「でもエラ」
「引っ越ししたくないのよ」
「…っ、はあ……」
反論をどこか諦めたようにダスティンが息を吐き出した。
いつも通り、機械的に開店準備をする。今日は店長は夜勤明けで昼間はいないから二人で店を回さなければ。えっと今日やる事は……。
「引っ越ししたくない本当の理由はアルフィーか?」
投げ掛けられた質問にエラは瞠目して振り返った。何で。
ダスティンはモップの柄に顎を乗せてじと、とエラを見ている。
「やっぱりな。ーーーもうすぐ別れて二年だろ、忘れろよ」
呆れたようにダスティンが言う。
エラは顔を伏せた。
忘れられたらどんなにいいだろう。
妖精の月の瞳、自然に馴染む茶色の髪、優しい顔立ちの紳士的な人。優しすぎて、身の回りでの出来事を何でも自分のせいにしていた。何も悪く無いのに。
いつまでも癒えない傷がじくじくと血を流している。
過去にならなかったら迎えに来てくれる。
本当は分かってる。あれはエラを納得させる為のその場の嘘で、きっと迎えになんて来てくれない。王位継承権がアルフィーからいつ失くなるのかなんて知らないが、少なくともアルヴィンに子供ができるまでは確実に保有させられているだろう。エラの安全の為に別れると言ったアルフィーが迎えに来てくれるはずもない。
それでも感情が納得しない。
ーーー忘れられたらこんなに苦しく無いのに。
「……普通は忘れられるものなの?」
ぽろりと言葉が口から溢れた。
みんなが忘れろって言う。
エラは忘れたく無いのに。
友達が離れて寂しかったと言った悲しい横顔と、別れようと言われた時の苦しそうな顔が頭から離れない。
「たったひとりを、ずっと想ってちゃいけない?」
だって約束したの。ずっとそばにいるって。夢を捨ててでもそばに行くって。
でも今は行けない。エラが来る事をアルフィーが拒否しているから。
だからせめて、独りよがりでも、この心だけは誰にも。
商品棚にある黒水晶の魔石が目に入った。
アルフィーにあげた破邪退魔の魔石。あそこに自分の心は置いてきたと思うようにしている。
ーーー今も持っていてくれるかな。
「わっ!?」
急に頭を乱暴に撫でられて、エラは驚いてダスティンを見た。
ダスティンは仕方なさそうにエラを見て「悪かったよ」と言った。
「エラはそういう奴だよな」
その一言が、何だか自分の事を理解してくれているようで涙が溢れてくる。
そういえば、誰も彼もがエラの為にアルフィーを貶す中、ダスティンだけはアルフィーの思い出を話させてくれた。
「ーーー……忘れなかったら、迎えに来てくれる、って言ってくれたの」
「うん」
「そんなの、嘘だって分かってるよ。分かってるけど…まだ、待ちたい」
「そっか」
「だって……フランマで待ってる、って私が言ったんだもん……ずっとそばにいるって約束…っ………」
その先は嗚咽になってしまって何も言えなかった。
ダスティンが慣れない手つきでエラの頭を撫でてくれる。
その不器用な手つきがヨルクドンでのアルフィーを思い出させて、また涙が溢れてくる。
「……アルフィーに、会いたい……会いたいよぉ……」
誰かにこの心を打ち明けたのは初めてだった。
両手で顔を覆ったエラはしばらく恋慕の心に泣いた。




