間話 エレノア 2
目を覚ますと、コーヒーの匂いがした。
ああいい匂い……。実家にいる時はいつもお母さんが朝淹れてくれてたっけ……。
ぼんやりと目を開けて、コーヒーの匂いを堪能したエレノアはハッとした。
ーーーって違う!
ここは実家ではない。寝る前にコーヒーなんて淹れてない。何が起きている?誰かが部屋にいる?
誰が!?
慌てて文字通り飛び起きると「あら、起きたのね」とよく知る声がエレノアの耳に入ってきた。
「……少佐?」
「おはよう。時間的にはこんばんは、だけど」
そこにいたのはロックウェル少佐だった。片手に売店のコーヒーを持ち、優雅に口元で傾けている。
ロックウェル少佐はくすりと艶やかに微笑むと、寝起きで呆然としているエレノアに余程疲れてたのね、と穏やかに話しかけた。
「ま、毎回この任務の後は魔術師が使い物にならなくなるから仕方ないけど、だからといって戸締りしてないのは感心しないわ。誰かに無体な事でもされたらどうするの?」
「…すみません…」
「念の為来て正解だったわね」
軍住宅とはいえ、窃盗などの犯罪が起きるのも事実。どうやらロックウェル少佐はエレノアを心配して来てくれたらしい。優しい。けど余計な手間を使わせて申し訳ない気持ちにもなる。
そこで魔力を使い果たして倒れる事なく、疲れた顔をつしつつもしっかり立っていた魔術師を思い出した。
「グレイ少佐ならこんなヘマしないでしょうね」
自嘲しながら任務後の様子を思い出して言うと、ロックウェル少佐は涼やかな目元をぱちぱちさせてから苦笑した。
「マテウスだって尉官の頃この任務の後はいつもふらふらだったらしいわよ?」
「そうなんですか?」
「そうらしいわ。私は正式な軍属魔術師ではないからこの任務に参加した事はないんだけど、翌日に会うと大体顔色悪いし、あいつも疲れたとか言ってたから。今だって最強だ何だって言われるから意地で立っているだけでしょ。さっきも先に寝るってメールがあったし」
「寝るんだ…」
「昨日から報告だけしたら潰れる気満々だったわよ、あいつ」
グレイ少佐の意外な様子に思わず面食らってしまうが、魔力を使い果たして疲れているのなら当たり前かもしれない。しかもグレイ少佐は現場指揮官だから任務後にすぐ帰されたエレノアと違って上への報告などでどんなに疲れていてもすぐには帰れない。そりゃあ帰ってすぐ寝たくもなるだろう。
…あれ?
「少佐って、グレイ少佐とお」
「余計な質問はしないの」
「な………えー…少佐って秘密主義ですよね」
「そうね。あまり私生活について人に話したくはないタイプだわ」
確かにロックウェル少佐の私生活についてはあまり知らない。そういうミステリアスな所が美人に拍車をかけている気がする。
「ところで体調は?お腹減ったでしょう?何か食べに行く元気があるなら付き合うけど、行けそうにないならサンドイッチとスープ作ってきたわよ。食べる?」
「少佐は女神ですか…!女神でしたね!ありがとうございますぅ…!」
「そうよ。ありがたがって頂戴」
美人で気さくで気遣いできて勤勉でノリも理解できるなんて、神様はこのジゼル・ロックウェル少佐にどれだけのものを与えたのだろう。
「エレノアは明日は休みだったかしら?」
「はい。初めてだから一日休めと言われました。体力が保ったらコブランフィールドの友達の所へ行こうかと…」
「遊び過ぎて体力使い果たさないようにね」
「夕ご飯食べるだけですよ。友達は明日仕事なので」
何気なく答えた明日の予定に少し心が躍る。辛い物好きのエレノアと甘い物好きのエラというチグハグコンビでも楽しめそうなチーズの美味しいお店に行くのだ。
それからロックウェル少佐はエレノアがご飯を食べて、ちゃんと鍵を締めたのを確認してから帰っていった。
エレノアは改めて戸締りを確認するとベッドに潜り込み、明日エラと行く夕飯を楽しみに目を閉じた。
「エラー!久しぶりー!」
「久しぶり、エレノア」
待ち合わせしていたコブランフィールドの駅にエラが現れた瞬間に、エレノアは彼女にぎゅう、と抱きついた。
いつもにこにこしていて可愛らしい彼女は、ぱっちりした大きな妖精の月の瞳を嬉しそうに細めて抱擁を返してくれる。
「エレノアが見つけたチーズのお店、楽しみにしてたの」
「私もよ。チーズのピザが美味しいらしいわ」
他愛無い話をしながら目的の店に向かう。ヨルクドンで出会った時は一緒にご飯を食べに行くほど仲が良くなるとは思わなかったが、あまりにもエラがいい子なので、ついつい交流が続いてすっかり友達になってしまった。
たぶんエラは人と信頼関係を築く事が上手いのだ。人の話を聞くのも上手だし、素直で裏表がないし、いつもにこにこしていて愛想もいいし、人の悪口も言わない。
二人で仲良くチーズ料理を食べて美味しい美味しいと舌鼓を打つ。朝はまだしんどかったが、もうすっかりエレノアは元気なので、次々とチーズ料理がテーブルから消えていった。
「エレノア、すごい食べるわね。やっぱり軍人は体が資本だから?」
「やっぱり食べる量増えてるわよね…」
「でも太ってない。羨ましい」
「エラだって細いじゃない」
「運動してないからぽよんぽよんよ」
女の子らしい会話を楽しめば、そのうち話題は恋愛の方向へ向かっていく。
「エラは新しい出会いとかあった?」
「特にない」
少し寂しそうな顔を見せる友達に、まだ前の彼氏を引き摺ってるんだと察する。
一年半くらい前にエラは彼氏と別れた。
詳しい原因はエラが話したがらないので知らないが、どうやら一方的に振られたらしく、彼女はずっと次の恋愛に消極的だ。
「何なら男を紹介しようか?同じ士官学校の同期なんだけど」
「やめとく。最近、やっと師匠に一人前扱いされるようになったの。今が踏ん張り所だから、今は恋愛はしない」
「そう?」
やんわり断られてエレノアは身を引く。何度次の恋愛を示唆してもエラは頑なに拒否する。
「エレノアはどうなの?遠距離恋愛中なんでしょ?」
急に話を振られて目を瞬く。
そうして自分の彼氏を思い出して顔を顰めた。
「ああ…半分忘れられてる気がするわ」
「忘れるって…」
「いや、絶対忘れてるわよ。あいつ、ほとんど電話も出ないしメールにも返信ないもの」
「そうなの?」
「もう別れようかなぁ。話してても楽しくないし、なんか私が軍属魔術師になったのが面白くないみたいなのよねー」
士官学校や軍に入ってからのきつい訓練で心折れそうな時、彼は何も励ましてくれなかった。エレノアを励ましたり、気晴らしに付き合ってくれたのはエラや女友達、それから同期の女性軍人と指導係のロックウェル少佐だ。彼は何もしてくれなかった。
あいつ要らないなぁ、と考えてもう気持ちが冷めている事に気が付く。
「あーやっぱり無理。別れる。今別れる。もう話すのも面倒臭いし、メールで別れようって書こう」
エレノアがスマホを取り出すと、エラが大きな目を更に大きくした。
「ええっ、今!?」
「今よ今。だってあいつに時間を消費するよりエラと話してた方が楽しいって気が付いちゃったんだもの」
「それは嬉しいけど…ほ、本当に別れちゃうの?」
「うん。楽しくない奴といつまでもダラダラ付き合ってても仕方ないし。…よし、送信」
送信してエラに視線を戻すと、彼女はまだ目を丸くしていた。
でもスッキリしているエレノアは明るく言い放った。
「よーし!ダイエット成功!」
「ダイエットって……」
「ダイエットでしょ?これで余計な事に煩わされずに仕事に専念できる!最高ね!」
唖然としているエラは少ししておかしそうに笑った。
それに少しホッとする。彼氏と別れてからちょくちょくエラは寂しそうな顔をするので心配になるのだが、ちゃんと笑えてはいるみたいだ。
にしても解せない。こんないい子をどうして彼は一方的に振ったのだろう。
彼ーーーアルフィー・ホークショウは特殊な出自があるので、二人の問題にエレノアはあまり首を突っ込まなかった。でも首を突っ込むべきだったのかもしれないと今は思っている。エラはずっと寂しそうで、いつかは吹っ切れるだろうという楽観視がどんどんできなくなっている。
「エラ」
「ん?」
「ホークショウ君の事、忘れられない?」
思い切ってストレートに聞くと、エラは目を丸くしてから寂しそうに笑った。
「…うん」
寂しそうに笑ったエラは、テーブルに視線を落としてぽつぽつと話し始めた。
「自分でも馬鹿だなって思うよ。でも……まだ忘れたくないの。優しい人だったんだよ。私には勿体無いくらい……」
優しい?
「優しいなら一方的に振ったりしないでしょ」
「一方的ってわけじゃ……」
「でも振られた理由、分かんないんでしょ?」
「…エレノアは手厳しいよ」
「エラの人が良過ぎるのよ」
この友人は人を悪く言わない。もう別れたのにずっと彼を庇っている。
何でもハキハキ物を言ってしまうエレノアとしては、今のエラのモダモダしている状態はもどかしい。
「……いいの。私が勝手に待ってるの。………いつか過去になるまで」
寂しそうな妖精の月の瞳。ヨルクドンで会った頃きらきらと元気に輝いていた瞳は、もう一年半も憂いを帯びて翳ってしまっている。
この切ない瞳が元に戻るまでどれくらいの時間が必要なんだろうか。
分からない。分からないが、また以前のようににこにこ明るく笑って欲しいから、エレノアは定期的にエラを遊びに誘っては様子を見ている。
いつ来るか分からない、エラが心から笑顔になる日をエレノアは待っている。
エレノア話でした。
本当はこの立ち位置は妹のレーナにしようかと思ってたんですけどね……なんか…こう…上手く…絡められなくって……これ無理じゃん…!?代わりになれるキャラ、エラサイドにいる!?
探した結果いましたよ…!ありがとうエレノア…!あなた、こんなに活躍する予定なかったのに…!
逆にレーナはごめん…!本当はもう少し活躍するはずだったんだ…。活躍しないのに主人公の生活圏に呼んでしまった…。




