間話 エレノア 1
ちょっと話が前後した幕間です。終わらない恋エラ編2の途中話。取材を受ける前です。
エレノアはコブランカレッジを卒業してから士官学校へ行き、見事に夢だった軍属魔術師になった。同期の中にはエレノア以上の魔法の使い手はいなかったが、他の軍属魔術師は皆高度な魔法が使えて、エレノアは普通の訓練以外にも魔法の訓練とハードな日々を送っていた。
ハードな日々は毎日くたくたになってベッドに倒れ込む程だったが、配属先では素晴らしい先輩が指導役になり、充実した日々を送っていた。
エレノアが配属された先は情報部で、国内外から集まってくる情報を分析・精査し、自国の有利になるよう働きかける部署だ。残念ながら魔法を積極的に使う部署ではないが、丁度魔法に詳しい人材が欲しかったとかで、エレノアは回ってくる情報の中にある魔法について精査している。
「ベイリー少尉、ちょっといいかしら?」
「ロックウェル少佐」
指導役のロックウェル少佐は情報部のエリート女性軍人だ。国外の大学を首席で卒業し、上層部の覚えもめでたい頭のキレる女性は、本来ならエレノアの指導係なんて事をしている暇は無いはずだが、どうやら一部の層からやっかみを受けているらしく、エレノアの指導役に任命された。
少佐としては不本意だろうが、エレノアとしては学べる所が多い先輩で、世の中にはこんなに頭のいい人がいるのか、と何度感心した事か。
国内とはいえ、世界一と名高いコブランカレッジ魔術科出身のエレノアはそれなりに勉強ができる自信があったが、ロックウェル少佐を見ているとそんな自信も打ち砕かれ、実はちょっと落ち込んだ。
でも少佐は天才ではなく、ひたすら勉強をする秀才だったので、エレノアも彼女を見習って回ってくる情報が分からない時は、詳しい士官に聞いたり、現状を調べたりして職務に励んでいた。勉強は好きだ。
エレノアを呼び止めた少佐は一つの資料を差し出してきた。
「一ヶ月後に軍本部の破邪退魔の魔法を張り直す事は知ってるわよね?」
「はい。今年は張り直しの年なんですよね?軍本部、国会議事堂、王宮と一ヶ月ごとに張り直す」
国の最重要機関の三つは様々な魔法や科学で守られているが、攻撃から守る為の破邪退魔の魔法は魔法が劣化するため二年に一度、張り直す必要があるのだ。色んな部署から軍属魔術師が掻き集められて魔法を掛け直すのだが、恐ろしく魔力を消費する為、張り直し当日は軍属魔術師が使えなくなり、一瞬だけ国の防衛力が低下する危険な日でもある。
幸い今この国はどこの国とも戦争になりそうな雰囲気は無いが、テロ組織に狙われる可能性もあり情報部はピリピリしている。
「そう。で、貴女にお鉢が回ってきたの」
「え!?」
「期待の新人だしね。これ、資料ね。必ず読み込んで、当日までに使えるようになっておいて」
渡された資料を受け取りながらエレノアは呆然としつつ、期待されているのだと分かり武者震いがする。
訓練で小さい物を対象に何度も使った魔法だが、同期で使いこなせるのはエレノアだけだった。
「必要なら通常業務を削ってその魔法の練習に当てていい事になってるわ。今日から張り直し当日まで貴女の仕事のいくつかを私が貰うから頑張りなさい」
「は!ご期待に応えられるよう頑張ります」
憧れの先輩からの期待に嬉しくないわけがない。
エレノアは喜色を滲ませながらも真っ当に返事をしてすぐに資料に目を落としたのだが。
「とりあえず」
ガシッと肩を憧れの先輩に掴まれた。
さっきまで普通だったはずの先輩の青い目がギラギラ光っている。
「あいつにはだけは負けないでよ!」
エレノアは目を瞬いた。
尊敬する先輩が目の敵にしている軍人がいるのだが、その軍人も軍属魔術師で、尚且つ軍内で彼に敵う魔術師がいないほどの腕前の持ち主である。有名人なのでエレノアも知っているし、なんならロックウェル少佐とは別方向に憧れている。
「えーっと…あいつってグレイ少……」
「あいつで十分よ!あいつで!」
そんな事言ったって、新米の私がグレイ少佐をあいつ呼ばわりできるわけないじゃないですか…。
「はあ。…でもロックウェル少佐ってグレイ少佐とこ」
「それ以上言ったら仕事量三倍にするわよ」
目の前の美人に睨まれて、思わず「ひっ!」と掠れた悲鳴が漏れた。美人が怒ると怖い。
でもこの任務に勝ち負けなんてないはずである。
エレノアは困惑しつつもこくこくと頷き、それを見たロックウェル少佐は満足したらしい。
宣言通り、その日からロックウェル少佐はエレノアの仕事をいくつか貰ってくれ、エレノアは訓練に集中できるようになった。
そして軍本部の魔法張り替え日当日。
「君がジジが指導してるエレノア・ベイリー少尉?」
先輩が目の敵にしている軍人、マテウス・グレイ少佐が目の前に現れた。ジジとはロックウェル少佐の愛称だ。
エレノアが自己紹介すると、彼はにこやかに「今日はよろしくねー」と手をひらひらさせた。
うん。本当に美形だわ。
淡い金髪にブルーグレーの瞳、ソバカスやシミひとつない小顔にすっと通った鼻筋、唇は薄いが血色は良く、均整のとれた体躯。少々童顔だが、それでも見た目は神が作った最高傑作のような人だ。
これで魔法を使う事に関しては天才的で、魔力量もずば抜けていて、武器も使える勉強もできるなんて本当に羨ましい。きっと魔法の張り直しもグレイ少佐を中心に行うんだろう。
エレノアの予想通り、グレイ少佐を中心に張り直しは行われ、エレノアは見事に魔力を使い果たしてフラフラになった。
ああこの感覚、二度目だわ。さすが破邪退魔の魔法。あの時はエラに頼まれたんだっけ。
フラフラとその場に尻餅を着いて周りを見渡すと、他の軍属魔術師達も座り込んで目頭を揉んだり、地面に倒れて天を仰いだりしている。
そんな中、グレイ少佐だけは疲れた顔をしながらもしっかり立っている。さすが最強の軍属魔術師。うう、あそこまでなるのに何年かかるかなぁ…。
しばらくエレノアは座り込んでいた。貼り直しに参加していない軍属魔術師が魔法の効果を確かめており、それが終わるまではダラける事が許されているのだ。
招集がかかって集まり、労いの言葉を聞いた後は現地解散だ。破邪退魔の魔法を使用した日は魔術師達は役に立たないので、エレノアはふらつきながら軍のバスに乗った。他の魔術師も同様である。この任務に参加した魔術師達は魔力消費のせいでふらふらなので、魔術師が自力で運転して事故を起こさないよう軍が送り迎えのバスを出してくれているのだ。
といってもバスが送ってくれるのはストーナプトンの外れにある軍本部の軍住宅までだ。
軍住宅は広い敷地に下位士官が使うドミトリータイプの官舎が数棟と、下位士官でも軍曹以上か士官が使用できる個室タイプの官舎が数棟、家族がいる軍人が使う小さめの一軒家がいくつも整然と並んでいる。
エレノアは個室寮の一つへ入っていった。
自分の部屋に帰るのも億劫だったが、体を引き摺るようにして自分の部屋まで辿り着き、鍵を開けて何とかドアを潜る。
そして部屋の奥にあるベッドに倒れ込んだ。
「……あー……もう無理……寝る…」
ぐで、と全身の力を抜いてだらけ込んだまま、エレノアは目を閉じた。
戸締りしたっけ?と一瞬思ったが、もう立ち上がる気力が無かった。




