独りの時間 side Ella 2
酔っ払ったレーナを大学寮まで送り届けた次の日、エラは仕事だった。
作ったコーディアルシロップを持っていき、ルークとダスティンに渡し、店用に一本は冷蔵庫に入れておく。
「これ、エラが作ったのか?」
「そうよ」
初めてシロップを渡したダスティンが不思議そうにシロップを持ち上げる。うっすら黄色がかった透明な液体が瓶の中で揺れた。
「エラって凝り性だよな」
「そう?料理が好きなだけよ。口に合わなかったら捨ててくれたらいいから」
「捨てるわけないじゃん。ありがと、エラ」
そう言われれば嬉しい。
エラは少し微笑んだ。
「残りのは誰かにあげんの?」
もう一本あるシロップに目敏く気がついたダスティンに聞かれて、エラはこくりと頷いた。
「友達にもあげようと思って。今日の夜、映画を観に行くから」
「ああ、映画友達の…デイヴだっけ?」
「そう」
今日の夜はデイヴと映画に行く約束である。観に行く映画は二人の老人が人生にやり残した事をリスト化して一つ一つリストを消化していく事を主軸に書いたヒューマンストーリーで、デイヴが観たいと言い出したので、エラも付き合う事にした。
「面白かったら教えろよ。俺も観に行く」
「あら、興味あるなら一緒に行く?」
「今日はちょっと無理。兄貴に頼まれた買い物があるからさ。とりあえずこれ、ありがと」
「どういたしまして」
ひらひら手を振ってダスティンが店に降りていき開店準備に取り掛かるので、エラも続いて二階から降りていく。
そうして仕事をしてエラは閉店後にデイヴと待ち合わせをしているショッピングモールへ向かった。
映画はじんわりとした感動を運んできた。
「はーー……思わず泣いちゃった」
「…隣りで泣くからどうしようかと思った」
「あはは。だって不仲だった娘さんと和解して孫に会うシーンで感動したんだもん」
デイヴと感想を伝え合っているのは、ショッピングモールのすぐ近くにあるレストランである。映画の上映時間とデイヴの仕事が終わる時間の関係上、映画を先にして夕食を後回しにしたので二人ともお腹が減っていたのだ。
適当に食べ物と飲み物にデイヴはビールを、エラはジュースを注文して、今見た映画の感想や予告で流れていた興味のある映画について話しながら食事をつつく。
でも寂しいのは何故だろう。
ーーー去年ならここに、もしかしたら居たのかもしれない。
愚かな幻が見えた気がした。
「ねえ、デイヴは死ぬ前に絶対にやりたい事ってある?」
感傷的過ぎるなと思いつつも止められずにデイヴに尋ねると、デイヴは少し眉を寄せてから考え始めた。
「…テニスの世界大会を観に行くとか?」
テニスが趣味のデイヴらしい。
「エラは?」
尋ねられて、ふ、と自嘲的に笑ったエラはジュースに目を落とした。
「……アルフィーに会いに行く、かなぁ」
「………………」
「……会って何かしたいわけでもないんだけど……」
「………………あんな大馬鹿野郎、もう気にすんな」
ぼんやり呟いたエラにデイヴが慰める響きを持って吐き捨てるように言うので、思わずそのギャップに笑ってしまった。
「大馬鹿野郎って、勉強はできるでしょ」
「勉強できても馬鹿過ぎる。あいつは昔から我慢のし所がおかしいんだ。……中学の頃だって、俺に怒ればよかったんだ」
デイヴが言っているのはデイヴが王族というものを理解してアルフィーとの距離感が分からなくなってしまった時の事だろう。
「当時の事、話にしか聞いてないから分からないけど……それは仕方ないんじゃない?」
「そうかもしれないが……でも、エラに関しては馬鹿過ぎると思う」
どことなく怒った雰囲気のデイヴに苦笑する。
「……アルフィー、元気?」
「………知らね。最近会ってない」
「そっか」
エラの笑顔が陰る。
デイヴはエラとは月一くらいで会うのに、幼馴染であるアルフィーとは会っていないのか。
ーーー独りで寂しくないだろうか。
避けられて寂しかった、と呟いた悲しい瞳を思い出す。
いつも人の事ばかりで、自分の事は後回しで、身の回りで怒る悪い事を何もかも自分のせいにして。
ずっとそばにいる、って約束したのに….。
黙り込んでしまったエラを心配そうに見遣るデイヴに気づき、エラは意識的に笑顔を作って話題を戻した。
「デイヴは他に死ぬ前にやりたい事ないの?」
「…………あんな奴、いつまでも待たなくてもいいんだぞ」
ぴくりと指先が震えた。
「……わかってる」
短くそう答えた。
夏の終わり、エラは帰省した。
今年は旅行ではなく、グリーンウィッチ内にある高齢の祖母の家に行った。従兄が結婚する為にお嫁さんを連れてくるからだ。
なので父に帰りに特産品をフランマの土産に持って帰れるように頼んでおいた。
エラから遅れて二日後にレーナが帰ってきたので家族で祖母の家に行くと、見た事ない可愛らしい女性が従兄の隣りにいた。祖父を亡くしてからしょぼくれていた祖母も嬉しそうにしている。
エラは躊躇いなく従兄に近づいた。
「おめでとう、ニック兄さん」
「ありがとう、エラ。久しぶり」
「これ、少ないけどお祝いね」
ニックに用意しておいた結婚祝いを渡しておく。
それを見たレーナがあんぐりと口を開けた。
「あ!お姉ちゃんだけずるい!」
「ずるくないわよ。社会人として当たり前でしょう」
「ぐぬ……っ、でも教えてよ!」
「いや、レーナはまだ学生だからね。気持ちだけでいいよ」
ニックに言われてレーナは不服そうに口を閉じた。
それから祖母に挨拶をして、夕飯の時間までエラは料理や配膳を手伝った。何人かの親戚に肩の傷は大丈夫かと聞かれたので、エラは問題ないと返した。
そして夕食会が始まった。当然話題はニックの結婚についてだ。
エラは話題に時々混じりつつ、夕食を食べていた。
そしたら突然祖母がエラを見つめてにこにこしながら褒めた。
「エラったら、随分綺麗にご飯を食べるのねぇ」
「え?何、おばあちゃん」
「それ、わたしも思ったわ」
「あ、やっぱり?オレもそう思ったんだよ」
「え?」
「あたしも綺麗に食べるなぁって思いました…」
親戚や果てはニックのお嫁さんまで褒めてくれる。
意味が分からないエラに祖母はにこにこしながら続けた。
「テーブルマナーでも学んでるの?都会に出るとそういうのも覚えるのかしら」
「ーーー…………」
テーブルマナーなんてエラは何も習っていない。強いて言うなら………。
いつも行儀良く食べていたアルフィーを思い出す。例えカジュアルレストランに行っても完璧なこの国のテーブルマナーを嫌味なく披露していて、でも臨機応変に場所に対応していたから堅苦しくなく場に溶け込んでいた。聞けばやっぱりアルヴィン達と学んだと言っていた。
だからエラも何となく、彼と並んで見劣りしないように姿勢良く食べるようにしていた。たまにマナーに自信がなくてアルフィーに直接聞いた事もある。アルフィーは馬鹿にする事も、呆れる事もなく丁寧に教えてくれた。学んで悪い事ではないし、と。
だから知らないうちに少しだけマナーが良くなったのだと今更気付かされた。
「…テーブルマナーに詳しい人が知り合いにいたのよ」
何も知らない祖母は「あらそうなの?」と笑っている。
胸に広がった苦い気持ちをどうにか抑えつけてエラは食事を続けたが、さすがに次の話題には堪えた。
「エラもレーナも彼氏の一人や二人、できたかい?」
何の含みもなく、ただ世間話として振られた話題。
「あら、エラちゃんには彼氏がいるって聞いたけど」
「そうなの?」
「ついにエラにも彼氏かー」
「……いないわよ」
勝手に盛り上がろうとする親戚をエラは一言で何とか止めた。レーナや両親が微妙な顔をしているが見ないふりをした。
「振られたの。ーーーもう、やめてよ。今日はニック兄さんのお祝いでしょ。やめましょ、こんな辛気臭い話」
エラはあえて明るく言った。従兄のお祝いの席だ。折角こんな田舎まで足を運んでくれたニックのお嫁さんにも悪い。
「あらら、それは……」
「元気出せ、エラ」
「そうそう、次があるわよ」
「そうだそうだ。エラの良さが分からない奴なんか忘れちまえ」
好き勝手に言う親戚に内心怒鳴りつけたいのを必死に我慢してエラは「そうだね」と何とか返事をする。
ニックの祝いの席だ。親戚達は何も知らないのだから。雰囲気を悪くしてはいけない。
必死にそう言い聞かせてエラは夕食を食べた。
そうでなければ泣き出してしまいそうだった。
ぼんやりと自室の窓からグリーンウィッチの空を見上げるとゴブランフィールドより沢山の星が空を彩っていたが、月と妖精の月が輝いているせいで光の弱い星は分からない。
それでも十分に美しい星空だが、エラの心を癒やしてはくれなかった。
エラは孤独感を抱えていた。
美しい黄緑色の妖精の月を見上げながら物思いに耽る。
何でこんなに孤独なんだろう。
あの日、アルフィーが目の前からいなくなった日からしばらくは泣いて、空虚な気持ちを持て余していた。
その空虚な気持ちはいつまでも消えず、いつしか孤独感もプラスされて、些細な事ですぐに泣き出しそうなほど感情が脆くなった。
「…………明日、帰ろうかな…」
故郷に帰ってきて家族に会っても、親戚達と騒いでも、ますます孤独感が増していく。
一人でいるアパートの方が孤独感が少ないのは何故なんだろう。
分からないが、こんな苦しい思いを抱えたまま幸せ絶頂のニック達を祝う事にも限界がある。
心の均衡が崩れてしまえば、祝いの席で泣き出してしまうかもしれない。
こんな危うい心の均衡、誰にも知られたくない。
エラは下を向いた。
「…………やっぱり帰ろう……」
何だか無性に消えてしまいたかった。
エラとデイヴが観に行った映画は「最高の人生の見つけ方」(邦題)です。原題は「The Bucket List」で、個人的には名作だと思います。




