独りの時間 side Ella 1
ゴブランフィールドにある地元の人向けの小さな商店街。そこにある二階建ての古めかしい印象の魔石工房フランマ。
春らしい陽気に照らされて、あらゆる店が開店の為の準備に忙しくなる頃、感じのいい白いシャツに黒いズボンを履いたダークブロンドの男がフランマにやって来た。
「あれ?鍵閉まってる」
男ーーーダスティンは店のドアが開いていない事に気付き、二階に向けて大声を出した。
「エラーーー、朝だよーーーー」
それから店の合鍵を取り出して扉を開けて、店内に入る。魔石がキラキラと朝の光に照らされて光っていてとても綺麗だ。そんな光景が実は少し気に入っている。
今日はその光景に混じって、エラがいるはずだったがいない。
でも何かあったわけではなく、単純にーーー……。
「ご、ごめん!寝こけてた!」
案の定、バタバタとエラが二階から降りてくる。
「やっぱりな。昨日の夜の天気、微妙だったもんなぁ」
「そうなのよー。妖精の月が出てるのに雨降るんだもん!しかも夜中の間に三回もよ?気が気じゃなくて、ずっと起きてたわ…」
「お疲れ様。んじゃ、叔父さんにどやされる前に支度するかな」
「手伝うわ」
「いや、夜勤明けなんだから帰って寝ろ」
大慌てで開店準備を始めるエラに続いて、ダスティンも荷物を二階へ置いてから掃除道具を取り出して掃除を始める。
といっても、真面目なエラは夜勤中の空いた時間に細々と翌日の準備をしていくのでそれほど時間はかからない。
そうしてルークがやってきて、魔石工房フランマの一日が始まる。
エラが大怪我から復帰してきてから変わらない日常だ。
「エラ、働き過ぎだ」
「じゃあな、お疲れ様」
「う、お、お疲れ様でした…」
働くの好きなのに。
二人にフランマを追い出されて、エラはアパートに帰った。
フランマの日常は変わらない。
エラが撃たれて一年の日も、エラは特に何かするわけでもなく普通に出勤して仕事をした。
春の麗かな日差しは気持ち良く、エラは郵便局に通販の魔石を持っていく途中で、園芸が趣味らしき家の前で沢山の花が咲き誇っているのを見て、ずっとささくれている心が癒されるのを感じた。我知らず口元が緩む。
郵便局が見えてきた頃に、郵便局から出て来たビジネスマンが分厚い封筒を落としたので、エラは封筒を拾って落とし主に渡した。内気そうな四十代くらいの男性は何度もどもりながらお礼を言ってくれた。
郵便局に戻って配達の手配を済ませてフランマに戻り、ルークに言い付けられた冷蔵の魔法ーーー今は冷蔵庫に成り代わった魔石だーーーを幾つか作った。春から秋にかけてよく売れるのだ。特に夏はお酒やジュースを冷やしてレジャーに持って行きたい人が増えるから。
エラは魔石工としては順調に成長していて、ルークほどではないにしろ、もうひとり立ちできるほどまでに成長していた。
魔石を一つ完成させて、先日、ルークに言われた事を座ったまま思い出す。
「エラ、正直に伝えておく。お前はもう一人前だ。魔石工としての腕だって悪くない。……もっといい給料が貰える魔石工房に移ってもいいんだぞ」
ルークの店であるフランマは個人経営の魔石工房としては成功している店だ。ルーク一人で見習いを二人抱えても経営できるのだから。
でも給料が少ないのは確かだ。見習い二人を抱えてそれぞれに高い給料が払えるほどさすがに儲けていないし、福利厚生だってほとんど無い。
もう少し大きな魔石工房ならもしかしたらもっと給料が貰えて、福利厚生だって充実しているのかもしれない。
でもーーー……。
「……私なんて、まだまだですよ」
ルークほど長く保つ魔石は作れない。まだルークほどの腕を持った魔石工とは言えない。それに大きな魔石工房に行くと、オーダーメイドしている所は少なくなり、ここみたいに沢山の魔石を作る機会は少なくなる可能性もあるだろう。
ーーーまだ、ここを出て行きたくない。
「もう少しだけ、店長の下で修行したいです。駄目ですか?」
「お前がいいならいい」
そう言ってもらえて安心する。
エラはまだここに居たいのだ。
エラは初夏に恒例のエルダーフラワーのコーディアルシロップを沢山作った。瓶六本分だ。
一本はルーク、一本は店用、一本は自分用で毎年恒例だが、今年はダスティンとデイヴにもそれぞれあげるつもりだ。ルークにあげるのにダスティンに無いのは変だし、デイヴは丁度映画を観に行こうと約束しているので。
エレノアにも肩の傷のお礼がてら贈ろうと思ったのだが、あまりコーディアルシロップが好きでは無いとのことだったので、別の形でお礼をしようと決めた。
最後の一本はダイアナとアルヴィンに送る用だ。ちゃんと二人にどうすればいいのか確認したので、直接送れる。
二人の為に瓶だからと丁寧に梱包しながら、苦い気持ちが込み上げる。
本当はーーー二人を通してアルフィーにも届けばいいと思っている。
それで私の事を思い出せばいい。
忘れてなんてやらないんだから。
忘れさせてなんて、やらないんだから。
いつまでも亡霊みたいに思い出せばいい。
そんな暗い感情が溢れる。
「………私って思ってたより意地悪だったのね」
一年以上過ぎても過去になんてならなかった。
今でもたまにフランマにひょっこりやって来るんじゃないかと思ってしまう。おかげでぼんやりとドアを見つめるのが半ば癖になってしまっていた。
大体そういう時はダスティンが魔力付与した石を見て欲しいとか魔石について教えてくれと声をかけて現実に引き戻してくれるのだ。
ダスティンと言えば、フランマに来たばかりの頃はいかにも軽薄で、服務規程が無いとはいえ格好だって店子として相応しくなく、店番はサボるわ、商品説明はなかなか覚えないわ、女子大生など若い女の子に声を掛けるわで真面目に仕事をする気があるのか疑問だったが、本気で魔石工になりたいと思ったのか、それともルークに憧れたのか、今やすっかり心を入れ替えて見習い魔石工として真面目に働いている。格好も地毛が気に食わないからとダークブロンドに染める事は続けているが、全体的には好青年風にまとめている。でもダスティンらしく、ちょっと遊び心を利かせた隠れたオシャレもしていて、そのせいか訪れる女性客からの受けが良くなり、ちょくちょく連絡先を渡されている。
でも返信はしていないらしい。意外だ。フランマに来た頃は自分から女性客に連絡先を渡していたのに。
王宮宛のシロップを梱包すると、残りはそれぞれ紙袋に分けてから冷蔵庫へ入れる。
梱包したシロップを忘れないように玄関に置き、エラは出掛ける為に支度を始めた。今日はレーナに誘われて夕飯を一緒に食べるのだ。
郵便局に寄ってシロップを王宮に送ってから、サリヴァン女子大学にやって来たエラは待ち合わせ場所の正門で妹を待った。
「あ、お姉ちゃん!」
「……レーナ…?」
呼ばれて振り返ったエラは目を見張った。
レーナは随分可愛らしくなっていた。
エラのような濡羽色ではないが、茶色っぽい黒髪は赤毛に染められて、元々お洒落な子だったがますます垢抜けた。
「びっくりしたー?」
「…びっくりした。最初、別人かと……」
「えへへ。最近は赤毛が流行りなの」
流行りなど興味のないエラはそうなんだと思うだけだが、見慣れないレーナの赤毛は彼女に似合っていた。流行り物が大好きな彼女らしい。
「さ!行こ行こ!」
「そうね」
エラの腕をレーナが引っ張り、エラは大人しく従った。
そしてすぐに大人しく従った事を後悔した。
「乾杯ーー!」
騒ぐ大学生に混じってエラは控えめにソフトドリンクを持ち上げた。
「……乾杯……」
レーナがエラを連れて来た場所はパブだった。
別にパブである事はいい。エラだってお酒は弱いが、別に嫌いなわけじゃないし。
でもそれは普通のパブだったらの場合だ。
……こんな大学生出会いの場みたいなパブなら来なかったのに……。
ちびちびソフトドリンクに口を付けて周りを見る。
少し大きめのパブの中は、いくつも円卓が置かれており、ゴブランフィールドにある大学からやってきた学生達が気の合った者同士で集まっては乾杯を繰り返していて騒がしい。男も女も関係なく色んなテーブルを行き交い、他大学との交流を深めたり、情報交換をしたりしながら自分の世界を広げ、そして出会いを求めている。一時の熱情に任せて一夜を共にする事もあるだろう事は想像に難く無い。
また一組の男女が人目を避けるように肩を抱き合ってパブを出て行く。
………私には合わない場所だわ……。
エラはレーナがいるテーブルで目立たないようにしながら溜め息をついた。自他共に認める田舎娘の自分にはハードルが高過ぎる。だって田舎娘にとってこういうパブは犯罪に遭う可能性が高いイメージで、自己防衛の為に近づかないが鉄則だからだ。
レーナはというと生き生きとして他の学生達と談笑している。元々都会に憧れていた妹なので、田舎には無い娯楽が楽しいのだろう。
変な奴に目を付けられないといいけど…。
羽目を外し過ぎないか心配になる。今日は姉妹でゆっくりご飯が食べられるかと思っていたのに、正反対にハラハラさせられている。
とりあえず飲まないようにしようと決めた。レーナもエラの妹なのでそれほど酒に強く無いから、前後不覚になるほど飲んだ場合に備えなければ。
……さすがにそんな事しないと思うけど。
いくらレーナが都会に憧れていても、さすがに防犯意識まで捨ててしまったとは思いたくない。
それでもレーナから目を離さないようにしよう、私は飲まないと改めて心に決める。他人から見たらどこにでもいる女の子でも、エラにとっては世界で一番可愛い妹だ。魔石工になりたいという夢を最初に応援してくれたのはレーナだし、両親の説得を手伝ってくれたのだってレーナだから。
舐めるようにソフトドリンクを飲んで時間を潰していると、どこかの男子学生と上機嫌に話していたレーナがその男子学生を連れてエラの所へやって来た。
「お姉ちゃん、飲んでる?」
「そういうレーナは酔ってるわね」
「えっへへー。酔ってませーん」
どう見ても酔っ払ってるわよ。
呆れるエラに構わず、レーナは上機嫌で一緒に連れてきた男の子の肩を叩く。
「彼がねー、お姉ちゃんの事、可愛いってー」
「…………どうも……」
反応に困る。見ず知らずの人に突然可愛いとか言われても。
が、レーナは気にしないし、男子学生も気にしないらしい。
「お姉ちゃんねー、もう一年以上彼氏がいないのー」
「そうなの?」
「………………そうですけど」
「へー、何で?」
「何でって…………」
未練たらたらだからですけど?
………なんて惨めな答えが言えるわけもなく、エラは言い淀んだ末に「ちょっとやりたい事があるので」と適当にお茶を濁す。
実際、エラはアルフィーに未練があり過ぎた。
ネックレスもペアストラップも外せないし、旅行で買ってくれたぬいぐるみは枕元に置いてるし、新年に送ってくれたティーポットセットは使ってる。
どうしてもアルフィーに関する物を捨てられない。
本心を曝け出していいなら、今からでもストーナプトンへ行って記憶を頼りにアルフィーの家まで行きたいし、会えるのであれば何でもする。
でも電話もメッセージアプリもメールも通じないから我慢しているのだ。
大体、嫌い合って別れたわけじゃない。エラの安全の為だ。
「やりたい事って何?」
「……魔石のお店を持つ事ですね」
「え、魔石?何で魔石?」
「私、魔石工なので…」
「へえ、何で魔石工に?」
「……憧れたからです」
「そっか。ところで君の好きなものって何?よかったら奢るよ」
「いえ、結構です」
しばらく三人で話していたが、エラが警戒して素っ気無いせいか男子学生はしばらくすると他の席へ行ってしまった。
それを見てレーナが赤ら顔で呆れた。
「お姉ちゃんってばクール過ぎ」
「……レーナがこんな所、連れてくるからでしょ」
「だってお姉ちゃん、全然彼氏作らないから」
ぷう、とレーナが頬を膨らませる。
彼氏と言われて、もう隣りにいない優しい人を思い出す。
茶髪に妖精の月の瞳ーーーいつだって紳士的で穏やかな人だった。ほとんど声を荒らげたり、感情的に怒る事がない人で、博識で魔法が得意でーーーいつもエラの事を想ってくれた。たまに揶揄われたり、険悪になったりもしたけれど、それだって大切な時間だった。
アルフィー………。
感傷を表に出さないようにしながらエラは素っ気なく答える。
「元々、実家の方でも私に彼氏なんかいなかったじゃない。……彼氏がいた去年が特殊だったのよ」
「普通、一人作ったら二人目、三人目っていくでしょ!?」
「私にはそんなの無理。性格を考えなさいよ」
「確かにお姉ちゃん、真面目だけどさぁ……私は心配してんの!お姉ちゃん、いつまでもアルフィーさんの事引き摺ってるから……そんなんじゃいつまで経っても次いけないよ?」
「別に無理に探す必要ないじゃない。いいのよ。私、今のところ結婚願望無いし」
バッサリとレーナの心配を斬って捨てる。
ーーーもし結婚をするなら、相手はアルフィーがいい。彼となら穏やかな家庭が築けたかもしれない。
もう癒えたはずの肩の傷がずきりと痛む。
でもきっと、アルフィーはそれを望んでいない。
アルフィーは自分といて危険な目に遭うより、エラが安全な場所で笑っていてくれた方がいいと言った。エラは危険でもいいから一緒にいたかったのに。
………いつまでも未練ったらしいわね。
そうは思っても、いつまでも未練を捨てられない。
過去になんてならない。ずっと失恋しているのだから。
姉の恋愛事情を気にする妹を無視してエラは申し訳程度にあるナッツに手を伸ばした。
カリッと小気味良い音をたてて口の中でナッツが砕けた。
最終話まで書き終わったので、これから毎日最終話まで投稿します。時間は17時に固定します。
もう少しエラとアルフィーの話にお付き合い下さい。




