病院 5
母は言った。馬鹿な選択はしないでね、と。
マテウスは教えてくれた。警察は緑眼ハンターが王家の瞳を狙ったと考えていると。どうやら公式発表は控えているが、本当に犯人は魔石の伝説を真に受けて独自の解釈もして、妖精の月の瞳なら伝説の魔石を作れると思っているらしい。三番目の被害者が軍人でタフな人だったらしく、発見時は辛うじて生きており、犯人の語った妄想を覚えていたそうで、そう証言して亡くなったという。
だから特別な目を狙った。そう王家の瞳をーーーそう警察は考えているらしい。
エラの頬に残る涙を指先で拭い、アルフィーはそっと眠らせたエラをベンチに横たえた。
「……ごめん…エラ」
真っ黒な髪を緩く撫でる。いつも艶やかな髪がちょっとベタついているのは洗えないからだろう。
この黒髪を初めて見た時を思い出した。
「……初めて出会った時、夜の妖精って、本気で思ったんだよ」
青く光る真っ黒な髪と妖精の月の瞳。美しい夜を切り取ったかのような色合いは神秘的で、フランマで店番をするエラは、フランマの内装も手伝って本当に妖精のようだった。
彼女が妖精なら、この別れも必然なのかもしれない。
ーーー妖精は男の元を去るものだ。
今回去るのは妖精ではなく人間だけれど。
「………さよなら、エラ」
面と向かっては終ぞ言えなかった決定的な一言を卑怯にも眠るエラに告げる。
そっと身を屈めて、眠る最愛の人に触れるだけの口付けを贈る。
二度と会えなくてもいい。彼女が健やかに笑っていられるなら。
「……………………よい夢を」
アルフィーはエラのそばを離れた。
そして、二度と振り返る事は無かった。
酷く優しい夢を見た気がする。
ふと目を開けると、病院の休憩スペースだった。近くの時計を見る限りは、たぶん寝ていたのは十分もないくらい。
あまりにもすっきり目覚められて、アルフィーから別れようなんて言われたのは悪い夢かと思った。
アルフィーが来たのは夢だったのかな。
でも病室に帰ると、待っていた妹から決定的な一言を言われた。
「おかえりー。アルフィーさんは?」
その一言で現実に戻されて、エラは年甲斐もなくわっと泣き出した。
突然泣き出したエラに家族がすわ肩が痛いのかと慌てるが、エラは構っていられなかった。
肩の痛みより、失恋の痛みの方がずっと痛かった。
その日以降、アルフィーがエラの前に現れる事は無かった。
エラが入院している間にフランマには一度だけ顔を出したらしいが、今までお世話になりました、と戸惑うルーク達に手土産を押しつけて帰っていったらしい。
別れると決めてからのアルフィーの行動は迅速で、メッセージアプリは返信無しで、メールはエラーメッセージしか返ってこないし、電話にいたっては『お掛けになった電話は現在使われておりません』と定番のアナウンスしか返ってこなかった。
エラとの個人的な繋がりを徹底的に無くす事でエラとは何の関係もありません、と外部に主張しているのだと気が付いたが、それがエラを守る為の行動であると分かっていても、赤の他人だとアルフィーから言われているようで悲しく、またエラはわんわん泣いた。
アルフィーの思い出も一つ捨てられた事も堪えた。
「ねえ、ストール知らない?」
アパートに帰ってきて数日、アルフィーから貰ったストールが無い事に気がついたエラは、エラを心配して全快するまではとゴブランフィールドに残った母に尋ねた。
「もしかして、旅行の日に付けていたストールの事?ごめんなさい、血が取れなくて捨てちゃったわ。あの日着てた服も一緒に……」
「捨てた!?」
「え、ええ……大事な物だったの?ご、ごめんね。でもどれだけ洗っても取れなくて……」
「………………ううん、いい……………」
本当なら何で勝手に捨てるのかと母を詰ってしまいたかったが、それはお門違いな怒りな気がしてエラはぐっと怒りを飲み込んだ。
目に見えて落ち込んだエラに母は「気に入っていたのならまた買いに行きましょう」と気を遣って言ってくれたけれど、例え同じ物が見つかっても買う気は無かった。アルフィーがくれたから大切だったのだ。
そのうち母も帰った。
肩の傷跡は残ったが、だいぶ薄くなりほとんど分からなくなった。エラの話を聞き、心配して訪ねてきてくれたエレノアがエラの傷跡を見て、最近学会で注目されてる魔法だと言って傷跡が目立たなくなるよう変わった治癒魔法を掛けてくれたからだ。
エレノアは母がいるうちから定期的に来てはエラに魔法を掛けてくれた。
「ホークショウ君に掛けてもらえばいいのに。彼、元気?」
「……分かんない」
「分からない?何で?」
「…………別れたから」
「…………ええええ!?嘘!何で!?」
「………分かんない。振られた」
嘘だった。理由は知ってる。エラの安全を守る為だ。
でもここで理由を言ってしまえば、アルフィーの努力は無駄になってしまう。何の為にアルフィーがエラとの関わりを断ったのか、分からないほど馬鹿じゃない。
「信じらんない!エラ、振るなんて!何考えんの!?………エラ?」
憤慨するエレノアだったが、エレノアの怒りに迎合するわけでも、アルフィーを庇うわけでもなく、ただ落ち込んだエラの表情を見て何かを察してくれたらしい。
「……元気出しなよ、エラ」
「…………うん」
「きっと良い出会いがあるよ。エラ、可愛いもの」
「………………………」
憤慨したのはエレノアだけじゃなかった。
デイヴもハッキリと顔に怒りを示した。
でもエラが何も言わないので察したのか、「あいつは真性の馬鹿だ」と吐き捨てるように言い、エラを励ますように「映画を観に行こう」と誘ってくれた。
ルークやシンディ、ダスティンにも心配された。
けれどエラは多くを語らずに「振られた」と繰り返した。
そうしてアルフィーがいない日常が始まった。
エラをアパートまで送ってくれる人もおらず、勿論部外者がフランマの二階で勉強する事もない。
最初に戻っただけ。アルフィーがいなかった頃に。
そう言い聞かせて日々に戻る。
夢の為にフランマで修行して、店番をして、たまにエレノアと遊び、デイヴと映画を観に行き、レーナと実家に帰って父の暑苦しい愛情表現から逃げて、母の手伝いをして。
そうして日々を過ごしているうちに、いつの間にかアルフィーと別れてから一年が経っていた。
それは二人を引き裂いた緑眼ハンターが活動を停止したのと同じだけの時間だった。
ふと気がついたらブックマーク数が50を超えてる!?
読んでくれてる方、ありがとうございます。ようやく起承転結の転が終わりました。次から結です。もうしばらくお付き合い下さい。




