病院 4
右肩が痛くて服が上手く脱げないので、レーナに手伝ってもらってパジャマの袖を抜き、エラは病院のシャワーに入った。
右肩は痛むが我慢できないほどではない。たまに痛み止めのお世話になるが、それだけだ。
今日からは下半身浴ならしてもいいと許可を貰った。上半身は傷があるから当分は駄目らしい。
それでも数日入っていないシャワーはお腹から下しか浴びれなくても気持ちいい。あと看護師さんに洗って貰わなくて済むのも嬉しい。昨日まで膀胱にカテーテルが入っていたので、毎朝看護師さんが洗ってくれたのだが、本当に恥ずかしかった。
ふと肩に落ちる黒髪に目が留まる。
頭洗いたかったのになぁ。
旅行で汗もかいたのに銃撃されて病院に運ばれてから一度も洗ってないセミロングの髪は、油でギトギトしている、気がする。こんな姿でアルフィーに会いたくない。いや、会いに来てくれて嬉しいんだけど。
それにしても、とエラはさっきのアルフィーを思い浮かべた。
会えたら嬉しいと思っていたのに、再会は甘い雰囲気など欠けらも無かった。アルフィーは強張って真っ青な顔をしていたし、いつも優しく見つめてくる緑の目は焦燥を色濃くして、全くエラと視線が合わなかった。
何とか視線を合わせようと覗き込んでも、ふい、と逸らされてしまい、いつも優しく紳士的に接してくれるアルフィーが別人のようだ。
「……まさか、お母さんが何か言ったんじゃ……」
つい口の端から零れ落ちたのは、いつもはおっとりしていても冷静な母が、エラの入院がよほどショックだったのか、アルフィーのせいなんじゃないかなどと言ったからだ。
それを聞いた日、エラは烈火の如く怒った。アルフィーがどんな苦労をしてきたのかなんてエラだって全ては知らないけれど、何もしていないのに命を狙われて、誘拐されて、それがアルフィーのせいだなんておかしい。アルフィーは何も悪くないのに。
今回はたまたまエラに当たっただけだ。それにエラは銃撃に倒れてすぐ意識を失ったし、背後から突然撃たれたので、あまり危機感が無い。自分の肩を見ればガーゼに覆われた傷があるので、撃たれた事は理解しているが他人事に近い気分だ。だってエラの記憶では、立ち上がった瞬間に息が詰まって倒れ、気が付いたら病院にいたのだから。
でも、父がいて母がアルフィーに暴言を吐いたとも考えにくい。いつもは娘馬鹿で愛情表現が大袈裟な父だが、エラが入院してからの医者や警察への対応は母よりずっと冷静で、ショックから落ち込みの激しい母の事も甲斐甲斐しく世話をしている。エラがアルフィーを悪く言われて怒り狂った日も、母が悪い、狙われたのはアルフィー君も同じで、彼は悪くないだろう、と諭してくれた。
キュ、と蛇口を捻ってシャワーを止める。
頭を洗いたいのをぐっと我慢してシャワーを出ると、レーナがタオルを持って待っていてくれた。
「あー気持ちよかった。いてて…」
「ああ、もう。私が拭くから!」
タオルを受け取って体を拭こうとしたが、痛みでまだ満足に右腕を動かせないエラを見て、レーナが慌てたように背中を拭いてくれた。
「もーやだぁ…私二十二なのに、まさか妹のお世話になるなんて」
「あー、そう言う事言うー?ならアルフィーさんに代わってもらう?」
「いや駄目。絶対駄目!だって髪はボサボサだし、シャワーまともに入ってないし、流石に恥ずかしい…!」
「じゃあ大人しく拭かれて下さーい」
「ぐぬぬ」
大人しく拭かれていると、鏡が目に入る。右肩にあるガーゼ。この下には銃創がある。医者には跡が残るだろうと言われた。そりゃそうだ。弾が貫通していたのだから。
体に傷が残ってしまうのは……やはりちょっと堪える。
美容の面も勿論だが、一番の理由はアルフィーだ。
だって見るたびにアルフィーが辛そうな顔をするのが目に見える。その度に謝られるのは御免だ。別にエラはアルフィーのせいだと思ってないのに。
はあ、と少し溜め息が出る。
傷は残るみたいだし、アルフィーは変だし、憂鬱だ。
アルフィーから変な壁を感じるのは気のせいだろうか。
銃撃された日から全てが悪い方向へ向かっているような、嫌な気配が色濃くなっていた。
様子が変だったので待っていてくれるか心配だったが、シャワーを出て病室に戻っていけば、先程の休憩スペースでアルフィーはエイブリー達とベンチに座って待っていた。両親も別のベンチに座っている。
声を掛けようとする前に護衛官が気づいて知らせ、アルフィーとエイブリーが振り向く。
恋人会うのに両家の親、プラス護衛官までいる状況に今更恥ずかしくなったが、エイブリーが気を利かせたらしく、アルフィーの肩を母親らしく抱いて何事か話してから席を外した。
それに伴って護衛官達も席を外し、マテウスが仕上げとばかりに何か魔法をアルフィーとエラに掛けて去っていく。
何の魔法だろう。
マテウスだから害意のある魔法だとは思っていないが、後でアルフィーに教えてもらおう。
アルフィーがエラの方へやってくると、両親もレーナに目配せして席を外した。レーナもエラから荷物を奪い取ると先に病室に持っていくね、と囁いた。
二人になると、アルフィーがいつもみたいに自然な所作でエラに手を差し出し、エラももう慣れたもので自然と自分の手を乗せる。
エスコートされながらベンチに座ると、アルフィーはいつもよりほんの少し距離を空けて座った。
それを寂しく思うが、お互いの両親もいるしアルフィーも節度を保ったのだろうと勝手に納得する事にした。
「来てくれてありがとう。ちょっと遠いから無理かと思ってた」
「来ないわけないだろ。……俺のせいなのに。痛くない?」
「さっき痛み止め飲んだって言ったじゃない。平気よ。それに、アルフィーのせいなんかじゃないわ」
「……いいや…俺のせいだよ」
「馬鹿な事言わないで。どうせまた自分のせいで、って思ってるんだろうけど、アルフィーは何一つとして悪い事はしてないじゃない。悪いのは犯罪を犯す方でしょう?」
「…それでも…エラが病院に担ぎ込まれる事態を作ったのは俺だ」
「そんな事ないってば!いたっ…」
「っ、馬鹿!」
自分のせいだと言い張る強情なアルフィーに思わず身を乗り出して否定するが、その時に右肩を庇う動きをしなかったので傷が傷んで少し呻くと、アルフィーが血相を変えた。
その顔があまりにも悲壮過ぎて…エラは驚いて動きを止めた。
「…お願いだから……無理しないで……」
「別に…無理なんか……」
懇願するように言われてエラの気概が挫かれる。
何でそんなに自分のせいにするのか本当に分からない。
両親や警察からエラが狙われた訳ではない事は聞いたので、アルフィーがエラが撃たれた事に罪悪感を感じる理屈は分かるが、いくらなんでも自己嫌悪に陥り過ぎだ。
どこか泣きそうな顔をしているアルフィーにエラの不安が掻き立てられる。
「…ねえ、どうしたの?さっきから変よ?」
そろりと尋ねると、アルフィーの妖精の月の瞳に恐怖と悲壮な光が浮かんだ。
「さっきマテウスが確認した……警察の見解では、俺を狙ったのは王家の妖精の月の瞳を狙った緑眼ハンターの仕業だって……」
「え……?」
エラが警察から聞いて知っているのは緑眼ハンターの仕業という事だけだった。
「何で王家の………」
「…前に話しただろ?魔石の伝説……」
「え?あの、どんな魔法も込められる魔石は王家を指してるんじゃないかって話?妖精の月の瞳が多くて、魔力量が多いから」
「そう。だから狙われたんだって……さっき言われた」
「ええ…?…」
だからそんなに罪悪感で潰されそうな顔をしているの?
「……っ!そんなの……おかしいわよ!それは警察の見解で、緑眼ハンターがそう言ったわけじゃないんでしょう?狙ったのは本当に私かもしれないじゃない!私だって妖精の月の瞳を持ってるもの!」
「それでも王家というブランドが付くのは俺なんだ!エラにはない!」
怒鳴っているはずなのに悲鳴のような声だった。やっとアルフィーがエラの目を見てくれたのに、いつも優しい黄色がかった緑の瞳は悲しみと焦燥しかなかった。
アルフィーがこんな感情的になるなんて本当に珍しくて、エラは何も言えなくなる。
ふいとアルフィーが目を逸らして項垂れる。エラも何も言えなくなってしまった。
沈黙が二人の間に落ちた。重苦しい沈黙はエラの肺を潰すようだった。
あまりの沈黙の長さに耐えられなくなった頃、やっとアルフィーが口を開いた。
「………別れよう、エラ」
「……え?」
頭を殴られたような衝撃だった。肩を撃たれた時の衝撃よりもしかしたら大きい衝撃かもしれない。
別れる?
意味を理解して真っ青になる。
「…や、やだよ。やだ……何で?わ、私何かした…?」
「何もしてない。エラは何も悪くない。……でも、もう俺は、エラが狙われるのも、怪我をするのも嫌だ。一緒にいて病院送りにするより、一緒にいられなくても安全な場所で笑っていてくれた方がずっといい」
「そんなの嫌!そんな安全、何も幸せじゃないじゃない!」
「……今だけだよ」
「そんなの!」
「きっといつか過去になる」
「……!!」
そっと囁かれて瞠目する。
アルフィーの瞳は諦めを濃くして、どこか遠くを見ていた。
「今は辛くても、いつかは過去になる。……修行してた店に押しかけてきた、とんでもなく馬鹿で危険な男と付き合った事もあったなって思えるようになる」
「………アルフィーにとって……私は…もう過去なの…?」
「まさか」
いつの間にか瞳が潤み、涙が溢れそうになる。
アルフィーがそっとエラの手に手を重ね、そのままこつりと額も重ねてきた。
繋がれた手が切ない。
「…俺にとっては一生に一度の、今までで一番素敵な出会いだったよ。今だって好きだ。…本当は別れたくなんかない……でも、お願いだ。……もう二度とエラを危険に晒したくないんだ。……一番大切だから」
切実に言われて何も言えなくなる。
嫌だと言いたいのに言えない。
「……………もし、過去にならなかったら?」
せめてもの抵抗をすると困ったようにアルフィーが少しだけ笑った。
でも唇を少し不器用に歪ませただけの微笑みだ。
「……その時は迎えに行く」
「……それ、いつ?」
「……いつかな」
「……………じゃあ、待ってる」
「エラ」
「ずっと待ってる。だから、アルフィーがいいと思った時に迎えに来て。約束よ?…フランマで待ってるから……」
「……待たなくていいよ」
「アルフィーが勝手に別れるなら、私だって勝手に待つわ。私の人生だもの」
「…………分かった」
エラの抵抗に諦めたようにアルフィーが呟く。
「……ごめん。いつも振り回してばかりで」
「ううん」
「結局、オータムフェスティバルも二回とも花火上げられなかったし、旅行は台無しにしちゃうし、本当にごめん」
「そんな事ない。楽しかった。アルフィー、いつも私が行きたい所に連れてってくれるから…」
妹に頼まれて訪れたストーナプトンでは、エラが喜びそうな所をピックアップして回ってくれた。おかげでアルフィーにあげた魔石をピアスに加工してくれる場所に困らなかった。
ヨルクドンではずっとエラの味方でいてくれた。それがどれだけ心強かったか。
トレーラーパークだって、約束通り連れていってくれた。お揃いなんて子供っぽいから嫌がるかとおもってたのに、似合わない事したと言いながらも買ってくれた事が嬉しかった。
「……やっぱりやだ……」
ぽろぽろと涙が溢れる。
みっともなくてもいい。アルフィーの優しさに縋りたい。
でもアルフィーは「ごめん」と繰り返すだけだった。
「ごめん、エラ」
「…やだよぅ………」
「…ごめんね」
繋がれた手が痛い。
「……馬鹿。アルフィーの馬鹿…!」
ぽろぽろと溢れる涙が熱い。
「何で私達が別れなきゃならないの…?そんなのおかしいじゃない……!」
「それでも俺は……エラが安全な場所で笑っていてくれた方がいい………もう二度と、俺のせいで危険な目に遭って欲しくない…………ごめんね、エラ」
泣きじゃくるエラの肩に障らないように、そっとアルフィーが腕を回した。
「《闇の帳、その向こう。虹の輝き、水中の呼吸、火中の歩行……》」
何かの呪文を唱え始めたアルフィーにハッとして身を引こうとするが、もう遅かった。
「…アル………」
どうしようもなく瞼が重たくなる。体に力が入らない。アルフィーに凭れ掛かるしかなくなる。
あっという間にエラの意識は暗闇に落とされた。
最終話まで予約投稿しました!よろしくお願いします。




