病院 3
エラがいるのは襲われた観光地からほど近い、地方の救急病院である。最近建て替えたのか、比較的綺麗な病院だ。
病院に着いたアルフィーは母やマテウス達とエラの病室に向かった。
普段なら母に気づいた人達が母を写真に撮ったり手を振ったりと騒がしいが、母自身が韜晦の魔法で身を隠した為、有名人故の面倒事には至っていない。寧ろ、韜晦の魔法を見破れない人からすれば屈強な軍人三人に囲まれたアルフィーに周りが恐れをなして寄ってこない。
教えてもらった部屋番号は五二二。五階までエレベーターで上がったアルフィー達だったが、丁度廊下にある小さなスペースで、エラの両親と警察関係者と思しき二人組が話しているのに遭遇した。
無視する訳にも行かず、こんにちは、と声を掛けると母も魔法を解いて同じ様に声を掛けて頭を下げた。
エラの両親は二人とも複雑そうな感情を顔に表していたが、とりわけ母親の方がアルフィーに険のある視線を向けてきた気がする。何となく悪い印象を抱かれていそうだ。仕方のない事かもしれないが。
「丁度良かった。これから伺おうかと思っていた所なんです」
二人組の刑事のうち、三十代後半くらいの刑事がそう言った。ショートカットで背が高く、肩幅が広い事から一見すると男性のようだが、声と顔つきは女性である。ギャップがすごいが、被害者であるエラが女性なので警察も気を回したのかもしれない。パーバディ・ターナーというらしい。
もう一人の刑事は、初めて会った時のダスティンみたいに、どこか小馬鹿にしたような視線をアルフィー達に向けてきた。三十代前半くらいだろうか、エルモア・ワシントンと名乗った。
何となくエルモアの視線が不快で警戒する。アルフィーだけでなく、マテウスや護衛官達も何処となくピリリとした雰囲気になり、まるで見えない火花が散っているようだ。
ターナー刑事はワシントン刑事に「やめなさい、みっともない」と注意して、マテウス達に頭を下げた。
「申し訳ありません。軍の介入をよく思っていない者も多く……」
そう言われて納得する。首都ストーナプトンやその周囲にあるゴブランフィールドなどの大きめの街は、王族が公務での移動の為に公共交通機関を多用する事が多く、王族を警護する軍と治安を守る警察はよく連携を取る。だから細部はともかく、軍と警察の間では王族が絡んだ場合の棲み分けがされており、軍が介入しても警察の受け入れはできているのだ。
しかし一歩外へ出てしまえばまるで勝手が違うのだろう。警察には警察の誇りがある。王族が関与しているとはいえ、法律的には一般人のアルフィーが絡んだ事件に軍が介入するのが面白くないと思う人もいるだろう。ワシントン刑事も軍の介入が面白くない刑事なのだ。
ワシントン刑事は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らし、無遠慮にアルフィーの顔を覗き込んだ。反射的に身を引くと、母が侮蔑を込めてワシントン刑事を睨んだ。
しかしワシントン刑事は気にせずに、嫌らしい笑みを浮かべた。
「ほら先輩、やっぱり妖精の月の瞳ですよ。加えて王族だ。間違いない」
「エルモア!」
「王族で妖精の月の瞳!間違いなく、緑眼ハンターの仕業です。王族の妖精の月の瞳を狙ったんだ。美しい妖精の月の瞳を持つプリンセス・エイブリーの息子なら、同じ瞳を持っているだろうってね」
どくん、と心臓が跳ねた。
緑眼ハンター。旅行中にニュースで聞いた殺人鬼。狙っているのは、緑色の目を持つ人ばかり。
情報が耳に入ってきているのに、頭に入ってこない。ワシントン刑事を睨んでいた母も困惑に固まっている。
「…どういう…意味、ですか」
絞り出すように尋ねる声は震えていて、自分の声じゃ無いみたいだ。
ターナー刑事は言うのを躊躇ったが、対照的にワシントン刑事は嬉々として口を開いた。
「緑眼ハンターが狙うのは妖精の月の瞳です。王家は妖精の月の瞳が多く、魔石の伝説だってあるでしょう。だから狙われたんですよ。特別感のある目ですからね」
魔石の伝説ーーー妖精の月の石には全ての魔法が込められるという伝説だ。でもこれは実際にはできないと証明されている。
伝説は伝説だった。それだけの話だが、王家には妖精の月の瞳が多く、魔力量も多いので、魔石の伝説は王家を神聖視したが故にできたのではないかという説もある。つまり魔石の伝説は王族の妖精の月の瞳を指しているのではないかという事だ。
王族という肩書きがあるせいで狙われた?ならやはり、エラが巻き込まれたのはアルフィーのせいだ。
世界がぐらぐらと揺れる。気持ち悪い。吐きそうだ。
固まってしまった息子を気遣いながらエイブリーがまた尋ねた。
「緑眼ハンターというのは…?」
「この辺りで出没する連続殺人鬼です。妖精の月の瞳を狙っています。……まだ憶測です。ですが念のため、アルフィーさんの目の色を確かめようと……」
「とりあえず、話をもう一度聞かせてもらいますよ」
「いい加減にしなさい!」
アルフィーを気遣ってくれるターナー刑事とは違い、ワシントン刑事は不遜な態度を崩さない。
あまりな態度に母が噛み付いた。
「事情聴取には応じます。でもターナー刑事ならともかく貴方は嫌よ!うちの子だって傷ついてるのに、その態度は何ですか!」
「傷つく?大怪我をしたのはメイソンさんでしょう。それに残念ながら僕が担当ですので」
「自分を狙った弾丸がエラちゃんに当たった事にショックを受けて無いとでも?それが警察の態度だというのなら、正式に抗議させて頂きます!」
「ご自由にどうぞ」
「…いいや、貴方には担当を外れてもらいますよ、ワシントン刑事」
不意に静かに母を護衛していたマテウスが口を挟んだ。
彼はいつの間にか手に持っていたスマホから目を離して、冷徹に目を眇めた。
「笑わせないで下さい。そんな権限、軍には無いでしょう」
「今回ばかりはありますよ。王族の安全を守る事が我々の仕事です。あなたは世界光教団に入信し、教団に献金もしている」
さっとワシントン刑事が顔色を変え、マテウスを睨みながら顔を赤黒く変色させた。その顔は憎悪にまみれている。
ハッとしたように母がアルフィーを庇うように動き、同時に呆然としていたアルフィーも母を庇おうとして腕を前に出し、護衛官達が臨戦体制に入った。エラの父親もぎょっとした様子で母親の肩を抱いて、半歩後ろへ下がった。
世界光教団とは既存の宗教から派生したカルト教団であり、全ての人は全てを平等にするべきだという教えを説いている。
それだけ聞くと何が問題なのかという教えだが、健常者と身体的な障害がある人に同じ肉体労働をさせて健康を害したり、貯金額の上限が決まっており、それを超えると教団に寄付させるなど、間違った平等を説いているのだ。
もちろん身分もそうで、同じ人間なのに“王族”なんておかしい、王族などという特権階級は廃止すべきだと声高に主張している。ラピス公国内では王族が参加するイベント事でデモ活動をする程度だが、他国では実際に王族が害された事もある。
そんなカルト教団に目の前の刑事が入信している?
マテウスは淡々と続けた。
「もちろん我が国は宗教の自由を謳ってますから、世界光教団に入っている事自体は咎めません。ですが先ほどからの態度から、アルフィー様を使ってプリンセス・エイブリーを害する可能性があると我々は判断します。よってあなたにアルフィー様の事情聴取などさせられません。軍の方から警察上層部へ、正式に依頼しますのでそのつもりで」
「…王族なぞくだらん。神を冒涜する不信心者、妖精などという悪魔を信じる愚か者どもめ…!」
憤怒に染まった顔を隠しもせずワシントン刑事が唸り、明確な敵意を言葉として向けた。
一触即発のピリピリとした雰囲気に憂慮したターナー刑事が、後輩を宥めようと声をかけて退席を促すと、彼は憎悪の顔で睨んだままゆっくりと動き出した。
「教祖様の教えを信じないから、彼女が怪我なんかするんだ」
とんでもない妄言を吐いて二人の刑事が去っていく。
それを睨むようにして見送ったマテウスは、真剣な顔でアルフィーに忠告した。
「当分はここの警察の事情聴取には応じなくていいです。軍の情報ですが、この辺りは世界光教団の支部があります。警察にも熱心な信者がいるのなら危険ですから、信用できる刑事か判断できるまでお待ちを」
「…分かった」
こくりとアルフィーが頷くと、母が元気付けるようにアルフィーの肩を抱いて摩った。
「あんな刑事の言う事を間に受けちゃ駄目よ。神を信じれば誰でも平和に暮らせるなら、戦争も、飢餓も、災害も起こらない事になっちゃうわ」
「…そうだね」
でも、エラが撃たれたのは。
「……マテウス、俺が緑眼ハンターに狙われたのは確実なのかすぐ分かるか?」
「…確かめてみます」
アルフィーの頼みにすぐマテウスが動き出す。ワシントン刑事は信用できないが、警察全てが信用できない訳でない。
マテウスが確認作業をしている間、アルフィーは真摯にエラの両親に頭を下げた。
「エラさんに怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
国王仕込みの美しい礼。それがエラの両親にできるアルフィーにできる最大限の謝罪の形だった。
赦されるとは思っていない。アルフィーはエラの魔石に守られてピンピンしているのに、巻き込まれたエラは重傷で入院生活だ。彼女の両親が何も思わないわけがない。
寧ろ、赦さないで欲しかった。
今の結果は、アルフィーの身勝手な結果だと本気で思うから。
でもアルフィーのせいでエラが小さな苦労を強いられてもエラが少しもアルフィーのせいにしないように、エラの父親も同じだった。
「…何も、君のせいじゃないだろう。娘もアルフィー君のせいじゃないと言っている。……顔を上げなさい」
そう言われて頭をゆっくり上げるが、心は少しも晴れなかった。
ーーー赦されたくなかった。お前のせいだと罵られた方が楽だった。
そう思って愕然とする。
糾弾される事で楽になりたかったのだと、己の矮小さとこんな所で向き合いたくなかった。
何も言えなくなっていると、母が騒がせた事を詫びつつも、事件解決の為に協力するつもりがある事を伝え、エラの父親も頷く。
「え?アルフィー?…に、エイブリー様!?」
そんな両親達の話を横で項垂れながら聞いていると、聞き慣れた声がして、弾かれたように振り返った。
そこには少し荷物を右手で抱え、パジャマ姿でびっくりしたように目を見開くエラがいた。右の首筋とパジャマの間から覗く白さは包帯だろうか。彼女の横には妹のレーナも付き添っていて、彼女の方も驚愕に目を見開いている。レーナもエラほどではないが、黒髪なので二人並ぶと髪や瞳の色味は違うのにそっくりだ。
「本当にプリンセス・エイブリーだ……」
「こんにちは、エイブリー様」
「こんにちは、エラちゃん。傷は大丈夫?」
「はい、とりあえず。……いてて」
パタパタとアルフィー達がいる所にやって来るエラは、少し走ったせいで傷に響いたのか僅かに顔を歪めた。
ーーー走らせたらいけない。
ハッとしてアルフィーはエラに数歩駆け寄り、走らせないように怪我をしていない左の手を掬った。アルフィーに手を握られたので、エラも足を止める。
「…っ………傷、痛いの…!?」
「平気平気。さっき痛み止め飲んだし」
痛み止め。
その言葉が心を抉る。痛み止めを飲まなければならないほど痛いのか。
やはり自分のせいだ。
どっ、どっ、と心臓が嫌な音をたてる。
ぐらぐら、する。
やはり別れるべきだ。あの時できなかった決断を今するべきだ。
でないとまたーーー……。
「…ご、めん………俺のせいで……」
「もう、アルフィーのせいじゃないってば」
「でも……俺が…っ………ごめん…」
「……アルフィー?」
二の句が継げなくなる。たくさん、言いたい事はあったはずなのに。ごめん以外の言葉が出てこない。
黙り込んでしまうと、エラが不思議そうに見上げてくる。
その無垢な瞳を直視できなくて目を逸らした。
今までにないアルフィーの態度にエラが戸惑っているのは分かっていたが、何と声を掛けたらいいのか、もう何も分からなくなっていた。
「エラ、どこか行くんじゃなかったのかい?」
「え?あ、うん。シャワーに。許可貰ったから」
「時間制だったな。早くいっておいで」
見かねたエラの父親が声を掛け、エラは戸惑いつつもアルフィーに「待っててね」と声を掛けてシャワーに向かう。レーナも後を付いていく。
そんな二人の背中を見送る事もできず、アルフィーはただ立ち尽くしていた。




