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病院 1

 救急車や警察が到着した。

 魔法による止血は救急隊員や看護師ではできないという事で、アルフィーはエラの止血をしながら一緒に病院に向かった。

 運ばれた病院ではすでに医師や看護師が待ち受けていて、アルフィーは医師に止血を変わってもらい、エラはすぐに手術室に運び込まれていった。

 ご家族ですか?と医師に聞かれ、ボーイフレンドだと答えると彼女のご家族と連絡は取れますか?と聞かれた。

 あまりのショックに呆然としながらもエラの鞄から彼女のスマホを取り出して、父、と登録されている電話番号にかける。

『もしもし、エラか?どうしたんだ?パパの声が聞きたくなったのか!?嬉しいぞー!』

 一度だけ会った人の声は、愛娘を呼んでいた。

「……あ……」

 喉が塞がって、上手く言えなかった。

『ん?誰だ?』

 愛情深かった声が、不審げに低くなる。

 切られるわけにはいかないと、アルフィーは必死に喉に力を込めた。

「…アルフィーです…アルフィー・ホークショウ……」

『…ああ……なんだ君か。エラがどうかしたのかい?』

 不審げな声から娘を心配する声に戻ったのを聞きながら、アルフィーはつっかえながら言葉を紡いだ。

「…エラが…エラが、撃たれて……今、病院に……」

『……うたれた……?撃たれた!?おい、どういう事だ!悪戯なら……』

「嘘じゃありません!」

 思わず大声で否定した。

 自分の大声に驚いて、少し冷静になる。

 いや、冷静ではない。ただ落ち込んだだけだ。

「…病院の先生に代わります……」

 辛抱強く待っていた医師に電話を渡すと、彼はすぐにエラの現状を一通り説明して、すぐに病院に来るように言うと電話を切ってアルフィーに返してきた。

 医師が去るとアルフィーは手術室前のベンチに崩れるように座り込んだ。

 もう理解していた。

 一瞬発動した魔法。あれは左耳に付いているピアスの破邪退魔の魔法が発動したのだ。

 おそらく、エラを傷つけた凶弾は彼女を貫通してアルフィーに当たる所だったのだろう。だから魔法が発動した。

 そして突然立ち上がったエラが撃たれた事から、恐らく狙われたのはーーー。

「エラ……」

 どうしようもなくなって、アルフィーは顔を覆った。

 悪夢だと思いたかった。





 どれくらい待っただろう。

 エラの手術はなかなか終わらない。

 悪夢ではなく現実である。

 やってきた警察に簡単に事情聴取をされ、アルフィーは事実をできるだけ正確に伝えた。

 話した事で幾らか冷静さを取り戻したアルフィーは自分の父にも連絡した。国立公園に置いてきてしまったレンタカーにしろ、警察の対応にしろ、狙われた事にしろ、もう自分一人で対応できる範囲ではないからだ。母に電話しなかったのは、母は仕事中に携帯電話を持ち歩けないから。

 その後はまたエラの無事を祈り続けた。

「アルフィー!」

 呼ばれて顔を上げると、意外な事にバタバタとやって来たのはアルフィーの両親とマテウスを含めた護衛官が三人だった。

「アルフィー…!あなた、その血……!」

 母に言われて自分を見下ろす。白いTシャツにも羽織っていた紺色のシャツにもべっとりと血が付いていた。もう血は乾いている。

「…俺は怪我してない…これは…エラの……」

 絞り出すように言うと、母が抱きついてきた。

「…母さん、汚れるよ」

「そんなのどうだっていいわ!」

 わっと母が泣き出す。父が宥めるように母の頭を撫でながらアルフィーを母ごと抱きしめた。

「……お前だけでも無事でよかった」

 尊敬する父の手がアルフィーの頭を撫でるのは何年振りだろう。

 ぼんやりとそんな事を考える。

「娘は!?娘は無事ですか!?」

「落ち着きなさい」

 そこへ悲鳴のような女性の声と落ち着いた男性の声が響いて、やはりバタバタと手術室前にやってきた。

 す、とマテウス達が母を守る為に少し動く。

 でもやってきた人達にアルフィーは見覚えがあった。

「エラの……」

 エラの両親だ。

 微かなアルフィーの呟きを拾った父が、こちらでお待ち下さい、と説明を受けているエラの両親に近づいて挨拶をし、母も涙を拭きながらアルフィーから離れた。

 娘を心配する故にだろう、今にも父に掴みかからんばかりの勢いだったエラの母親だったが、エイブリーの顔を見て動きを止めた。それは父親の方も同じで、エラとそっくりの緑の目を見開いている。エラの妖精の月の瞳は父親の遺伝のようだと今更気がついた。

 母はそっと頭を下げ、アルフィーの母親だと告げた。

 さすがに自国の王女の息子と自分の娘が付き合っているなんて思わなかっただろう。エラの両親は母に慌てたように頭を下げ、母が「どうぞ、お気になさらず」と言うとおずおずと頭を上げて、母に遠慮した様子を見せながらも娘を心配して何が起きたかをアルフィーに聞いてきた。どうして娘がこんな目に、と思うのは当たり前だ。エラは何もしていないのだから。

 アルフィーはエラの両親に何があったかをできるだけ冷静に話した。母と父、護衛官達も聞いていた。途中で両親がアルフィーの事について口を出したりもした。

「…たぶん狙われたのは俺です……エラは巻き込まれて………」

「そんな……!」

 エラの母親が口元を両手で覆ってふらつき、父親が肩を抱いて支えた。

 その時、手術室の扉が開いた。

 全員が目をそちらに向けると、医師が出てきて「メイソンさんのご家族は…」と尋ねてきた。

「私達です。…娘は無事ですか?」

 青い顔で、でも努めて冷静に尋ねたのはエラの父親だ。

 アルフィーも固唾を飲んで医師を見つめた。母が力付けるようにアルフィーの肩を抱いた。

「ご無事です。ひとまず大丈夫でしょう。麻酔が醒めたら会えますよ」

 その言葉にどっと力が抜けた。

 思わずふらつくと、母が支えてくれた。

 片手で顔を覆い、深く息を吐く。よかった。無事ならそれで。

 そのまま医師は詳しい説明をするからとエラの両親を連れて近くの部屋へ入っていった。

「……エラの顔が見れるまで居てもいい?」

 ぽつりと呟くと母は泣き笑いをしながら「当たり前じゃない」と返事をした。

「大丈夫よ。母さん、今日の公務は全部キャンセルしたから」

「リサに押しつけたが正解じゃないかい?」

「そうとも言うわね」

 アルフィーを励ますように、努めて両親がおかしそうに言う。

 実際、突然のキャンセルに母付きのリサは尻拭いに近い形で各部署へ連絡を入れて母が来ない事についての調整をしているのだろう。

 いつもなら「リサさんも母さんに振り回されて大変だね」と笑えたかもしれない。

 でも今は少しも笑えなかった。





 エラの両親も戻ってきてしばらくすると、手術室の扉が開いて看護師や医師が付き添いながらベッドが一台出てきた。

 枕の上に散った真っ黒な髪からエラだと判断して思わず駆け寄ると、彼女は清潔なガウンのような水色の病院着を着せられ、真っ白な布団を掛けられていた。まだ眠っているのか口元にドラマで見るような酸素マスクがあるものの、穏やかに目を閉じている。

「エラ…!」

「エラ…」

 エラの両親がそれぞれ声を掛けると、看護師が軽くエラの左肩を叩いて「メイソンさん、お母さん達ですよ」と起こし、エラがふ、と目を開いた。

 さすがにアルフィーもエラの両親より先に声を掛けるわけにもいかず、その様子を見守っているとエラはぼんやりと自分の両親を見上げた。

「…おと…さん……お母さ……」

 ああやっぱり最初に呼ぶのはお母さんではなくお父さんなのか、と場違いにも思った。本人は否定しているがエラは父親っ子のようだ。

「大丈夫?痛くない?」

「……へいき……ねえ…何が……起きたの……」

 何が起きたのか。

 その質問はアルフィーの心を抉った。

 彼女は何が起きたのか、まだ知らないのだ。

 エラの母親が何か言おうとしたが、それより早く父親の方が口を開いた。

「また後で教えるよ。それより今日は疲れただろう?眠りなさい」

「……アルフィーは…?」

 ぼんやりした様子でエラが呼んだが、アルフィーはすぐに返事ができなかった。

 エラの両親が顔を見合わせてアルフィーの為に場所を空けたので、アルフィーは震える足を何とか動かした。

「……ここにいるよ」

 エラの呼びかけに応えると、眠そうなエラの目がアルフィーを捉えた。

 何と声を掛けるか迷った。緊張で喉がカラカラに乾いている。

 だって彼女がこんな目に遭ったのは間違いなく自分のせいなのだ。あの時、エラが不意に立ち上がったから、アルフィーを狙ったはずの弾丸はエラに当たった。

 ごめん、と謝るべきだろうか。それとも無事を喜ぶべきだろうか。いや、彼女はまだ何も理解していないのだ。謝ったところで混乱するだけだ。

「……ごめんね……」

 何と声を掛けるか逡巡しているうちに、エラがぽつりと謝った。

「え……」

「……旅行……台無しに…しちゃった……」

「ちがっ……!…俺が……」

 エラは何も悪くないのだ。

 エラは巻き込まれただけで。

 今日も昨日も一昨日も、アルフィーは魔法を使って身を守ってはいなかった。

 トレーラーパークや国立公園は人が多く、狙われる事は少ないだろうし、そもそもアルフィーは今回の旅行について家族以外に行き先を漏らしていない。デイヴはエラ経由で行き先を知っていたが、エラも心得ていてアルフィーの事情を知っている人にしか話していない。それに北部解放戦線が壊滅してから、王族や自分を狙ったテロ行為がなりを潜めたから、旅行先なら大丈夫だろうと思ったのもある。

 今までだってそうだった。アルフィーは四六時中魔法で身を守っているわけじゃない。待ち伏せなんかの罠が心配される時だけだ。だから登校中は魔法を使った。ルーティンになっている行動は狙われやすいから。

 だけど今回は使ってなかった。使う必要性を感じなかったから。

 もし魔法を使っていたら、エラは。

「……俺のせい、なんだ……ごめん……」

「……?……アルフィーの…せいじゃ無いよ……?」

 何も知らないエラは無垢な瞳で不思議そうに首を傾げる。

 言葉を続けられないでいるアルフィーを見かねたのか、エラの父親が「とにかく今日は休みなさい」と声を掛けた。

 それを機に、看護師達が一言断ってからエラの乗ったベッドを運んでいく。

 それを見送ったアルフィーの肩を母が抱いた。

 でもアルフィーの心には暗雲が立ち込めていた。




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