安堵と恐怖 3
フランマにやってきたアルフィーは、エラとの再会を果した後はルークに心配をかけた事を詫び、ダスティンとも一言二言交わした後、エラの仕事が終わるまで二階で待っててくれた。
途中で飲み物を飲みがてら一度だけ顔を出すと、バッカスと電話をしていて、エラに気がつくと軽く手を振ってくれた。
それにほっとする。いつもの光景だ。
閉店作業を終えて、四人がフランマの外に立った時は夜の帳が町に降りて街灯が灯り、ぴゅうっと冷たい風が吹いていて少しずつ冬の気配が近づいていた。
「じゃあお疲れ様。エラはよく休めよ。アルフィーも気をつけてな」
「お疲れー。俺、どっかで夕飯食べてこーっと」
ダスティンはまた気を遣ってくれたらしく、いつもはエラと同じ道で途中まで帰るのに、今日はルークの後ろに付いていった。ルークと何やら話している。
ダスティンの行動にエラとアルフィーは顔を見合わせてから少しだけお互いに苦笑し、手を繋いでアパートまでの道のりを歩き出した。
いつも通りだった。
今日は買い物の必要が無かったからアパートに真っ直ぐ帰り、二人でキッチンに立って夕飯を作り、一緒に食べる。
「ルークさん、俺への態度が変わらなかったな」
「、何が?」
カボチャのポタージュを飲んでいたエラはポタージュを飲み込んでから首を傾けた。よく意味が分からない。
疑問符を浮かべるエラにアルフィーがサラダに伸ばした手を止めて、視線を彷徨わせてからエラを見つめた。
「俺が王族の末端だって知ってもさ、いつも通りだったなって」
エラはぱちぱちと瞬きをしてからまた首を傾げた。
「だって、アルフィーはアルフィーでしょ?」
国王の孫だと、母親がプリンセスだと初めから知っていたらまた違う態度で接するかもしれないが、ごく普通の青年だとずっと思っていたのだ。急に態度を変えろという方が無理な気がする。
が、エラの疑問とは裏腹に今度はアルフィーが呆然としてぽかんと口を開けた。
その態度に今度はエラが不安になってくる。
「…え…?あれ?私、変な事言った?もしかして私、物凄く不敬な事してたりする?こんな風にアルフィーと話さない方がいい?」
どうしよう。夏のホームパーティーの時も普通にアルフィーと話してたけど、実は不味い事をしただろうか。エラの態度や話し方は王族相手では不敬だっただろうか。とても優しい方々だったから、突然の面会に戸惑っていたエラにそこまで求めるのは酷だろうと黙っていただけだろうか。
一瞬の間にどんどん不安になって眉が下がる。
「え?いや、待って!?普通がいい!今のままがいいから!」
とか思ったら今度はアルフィーがテーブルから身を乗り出して慌て始めた。いつも行儀よく食べているアルフィーにしては珍しい態度だ。
本当に慌てている様子のアルフィーにびっくりしたエラが思わず動きを止めてアルフィーを見つめると、彼ははたと気がついて体を元に戻し、気まずそうに視線を他所に向けた。
アルフィーはフォークを持ったままの手を顎に当て、しばらくするとフォークを置いて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……俺、王位継承権は第三位だけど、扱いは一般人と同じ括りだろ?だからさ、アルヴィンやダイアナと違って公務なんてしてないし、国民の大半は俺の顔も知らないし、興味もないと思う。だから子供の頃はそれなりに友達もいたんだ。中学くらいからかな。俺の母親がプリンセス・エイブリーだと分かると、みんなその意味を理解し始めて、俺から距離を取り始めた」
どこか遠くを見つめるような目をしてアルフィーは続ける。
「…今思えば、周りも戸惑ってたんだと思う。今までただのクラスメイトだと思ってた奴が王族の末端だったなんてさ。…デイヴにも距離を取られたくらいだからな」
「デイヴが?」
「そう。あいつ、エラと同じですぐ態度に出るから分かりやすかったよ。ああ、デイヴも他の奴らと同じで俺から去っていくんだな…って思った。でも、当時の俺は理由が分からなかった…分かりたくなかった、って方が正しいかな。こんな些細な事でみんな俺を除け者にするんだ、ってショックだった」
結構塞ぎ込んだんだよ、俺。自嘲するようにアルフィーが苦笑するが、いつも優しい瞳には苦労と悲しみが浮かんでいた。
エラは何と答えればいいのか分からず、食事の手を止めて静かに話を聞いていた。すぐ態度に出る、と言われて馬鹿にされたと怒りが込み上げたはずなのに、そんな些細な怒りはすぐに萎んでしまった。
想像すると悲しくなる。誰も意図しない虐めだったのだろう。誰も彼もがアルフィーの身分に遠慮して、声を掛けなくなって、十代のアルフィーはクラスの中で孤立していった。
それはとても辛い事だろう。
「…結局、また友達になってくれたのはデイヴだけだった。クラスではずっと腫れ物扱いで、俺は一人でいるか、アルヴィンとばかりいるようになったな」
「…アルヴィン?」
話の中に突然出てきた王子の名前に、つい水を差してしまったエラはしまった、と狼狽えたが、アルフィーは「ああ、言ってなかったっけ?」と気にせずに話を続けた。
「俺、小中高とアルヴィンやダイアナと一緒だったんだよ。あいつらが通ってる間は学校に軍が配備されて護衛されるからさ」
ああ、なるほど。エラは心の中で納得する。護衛官が付かない子供のアルフィーを守る為の苦肉の策だったのか。
アルヴィンとダイアナは王太子の子供で法律的に王族だから護衛官が付く。二人を警護するついでにアルフィーにも目を掛ける事はきっと可能で、そうやって子供のアルフィーを周りの大人達は必死に守ってきたのだ。
でも犯罪者から守る事はできても、子供達の戸惑いから発生したアルフィーの孤立を助ける事はできない。
「…アルヴィンも同じだった。元々病気のせいで学校も休みがちだったし、王族だってのを周りが理解し始めて孤立してたから、俺たちは時間が合えば一緒にいた。二人でいると、更に誰も話しかけて来なくなった。……おかげでアルヴィンは他の生徒に冷たい、未来の国王に相応しくない、って記者に書き立てられたけどな。そっちがこっちを避けてたのに、勝手なもんだ。…これも今思えば、俺たちもクラスメイトを避けてたんだろうけどさ」
当時を思い出しているのか、どこか苦しそうにアルフィーが嗤う。
「話が逸れたね。…そういう経験ばかりだったから、ルークさんも同じかなって思ってたんだ。でも違った。俺を見た瞬間、大丈夫だったのか?って心配してくれて、その後はエラに早く顔を見せてやれ、っていつも通りだった。…それが嬉しかったんだ」
話は終わりとばかりにアルフィーがサラダに手を伸ばし、レタスを口に運ぶ。
エラもそれに倣って焼き魚に手を伸ばすが、あまり味がしなかった。
「そんな顔しないでよ」
困ったようにアルフィーが微笑む。
「もう昔の話だよ」
昔の話。
「…うん」
ーーー本当に昔の話?
ううん、きっと今の話。そうでなかったら、ルークへの感想が出てくるわけがない。
アルフィーを取り巻く環境はどうして過酷なんだろう。王族の末端で王位継承権なんて持っているから犯罪者に狙われ、それなのに法律的には一般人だからと軍の護衛が付けられず、周りにも遠慮されて話しかけてもらえないなんて。
今ならアルフィーがフランマの二階を気に入った理由が分かる気がする。ルークの魔石で守られているフランマはひとまず安全で、普通の青年として扱ってくれるから居心地が良いのだろう。
アルフィーに何か声を掛けたいのに言葉が出てこない。
励ますのは違う。気休めなんて意味がない。何と言えば正解なのか分からない。
結局、エラは何も言えずに食事を終えた。上手く表情を繕えず、こういう所が態度に出ると言われる所以だろうな、と変に納得した。
キッチンに立ったエラは食器を洗おうとしていた。
水が汚れを洗い流すように、この暗鬱とした気持ちもアルフィーの苦い過去も水で洗い流せればよかったのに。
ふわりと背中が温かくあった。
「ごめん、エラ。そんな顔をさせるつもりは無かったんだ」
背中から抱きしめられている。
何だか無性に切なくなって、エラはくるりと向きを変えるとアルフィーの背中に腕を回した。
「………辛かった?」
ぽつりと尋ねると頭を撫でられた。
それはエラを宥めているというより、アルフィーが自分の気持ちを宥めているようだった。黄色がかった緑の目は悲しそうに細められた。
「当時はね。特にデイヴにまで避けられたのは辛かったな。幼馴染の関係まで終わるのかって悲しかった。でもデイヴとは元の関係に戻れたし、今は数は少ないけどバッカスみたいに俺が王族の末端なのを知ってる友達もいるし、エラもいる。そんなに寂しくないよ」
寂しい。
ああそうか、アルフィーは友達に避けられた事が辛かったのではなく、寂しかったのか。
優しい彼はきっと人に当たり散らす事もできず、寂しさを胸に抱え込んでいた事が容易に想像できる。
だって従妹に閉口の魔法なんて児戯に等しい魔法をかけただけで落ち込んでいたのだから。
「……私はアルフィーから離れたりしない」
きっと今でもあの時の寂しさを忘れたりはしていないのだろう。そうじゃなかったら、こんな悲しい目をしていない。
少しでもアルフィーの寂しさを軽くしたくて、エラは心情を必死に言葉にした。
「今まで通りにする。アルフィーが許してくれる限りずっとそばにいる。もし誰かに私がアルフィーの隣りにいるのは相応しくないって言われたら、勉強でも何でもしてアルフィーのそばに行く。アルフィーのそばにいられるなら魔石工になる夢を捨ててもいい。私にあげられるものは何でもあげるから…だから………んっ」
そこからは言葉にもさせて貰えなかった。
噛み付くようにキスをされて、洗い物も終わって無いどころかシャワーだって浴びてないのに、熱に浮かされたように熱烈に求められて、夢中で応えた。
全部終わって二人で使うには小さなベッドに寝転がると、アルフィーがエラの髪を弄びながら小さく笑った。
「やっぱりエラって妖精じゃない?」
「…何でそうなるのよ」
求められ過ぎて疲れきったのは体だけじゃなく頭も同じで、ぼうっとする思考を何とか動かし普段通りに返すとアルフィーがどこか切なそうに微笑んでエラの額にキスを落とした。
「俺に都合が良すぎて夢なんじゃないかって…目が覚めたら、居なくなってるんじゃないかって不安になる」
「居なくなったりしないわよ…人間だもの」
「うん。エラが夜の妖精でなくて本当によかった」
何がおかしいのかくすくすと笑いながら、アルフィーがエラの左頬に手を当てた。
じんわりと頬が温かくなって、アルフィー誘拐のストレスと今の情事で疲れていたエラは、その温かさに誘われるように夢の世界へ旅立った。
「寝ちゃったか」
腕の中ですうすうと眠るエラを心底愛おしく思いながら、アルフィーはエラの左頬に走る傷を完治させた。こびり付いた瘡蓋がぽろりと落ちる。
押し寄せた感情のままに、かなり滅茶苦茶にエラを求めた自覚はある。しかもそんなアルフィーにエラは懸命に応えようとするのだから、歯止めも効かなくて抱き潰してしまった。
でも言い訳をしていいなら、あんな風に過去の傷を丸ごと包んでくれるような恋を囁く方が悪い。
反対側の頬に手を翳して治癒魔法を使う。
治癒魔法の魔力は温かくて心地良いのか、エラが無意識にアルフィーの手にすり寄ってくる。
何だか子猫みたいで可愛い。真っ黒な子猫だ。
ふ、と笑みが溢れる。同時にやっぱり無理だと思い知った。
「………俺も、ずっとエラの隣りに居たいよ」
エラは子供の頃から追いかけている夢をアルフィーの為なら捨ててもいいと言った。
もちろんアルフィーはエラに夢を捨てさせる気は毛頭ない。魔石工を夢見ないエラなんて想像できないし、きっとそんな事を彼女にさせたら二人の関係はいずれ歪になって壊れるだろう。そんなのは嫌だ。
でも単純にその心意気がどうしようもないほど嬉しかった。
だから、どれだけエラの為だと言い聞かせても、今後彼女を襲うだろう危険を考えても、アルフィーにはエラに嫌われでもしない限り、彼女のそばを離れるという選択はできそうになかった。
もしエラを失う事になったらーーーそう考えただけで恐怖に体が動かなくなるのに。
「……………エラは必ず守る。だから……」
必ずなんてない。現に自分達はただの恋人で、四六時中エラを守れるような立場も道理も無い。確実にいつか危険に晒してしまう。
それでも。
揺れる視界。涙を堰き止めながら、穏やかに腕の中で眠る最愛の人を見つめる。
こんなに誰か一人を求めた事なんてなかった。
愚かな事だと頭では分かっている。
でもまだ、このままこの恋に溺れていたいーーー。
「……まだ、そばにいる事を許してくれ……」
ほんの少し癖のある柔らかな黒髪に唇を埋める。
アルフィーはしばらく眠るエラを手放す事ができなかった。
わずか半年後、アルフィーはこの決断を後悔する事になる。
ここ一週間くらい毎日投稿してましたね。
次の話は少し間が開きますので、よろしくお願いします。




