安堵と恐怖 1
アルフィーは王宮付き医師の診察を受けて、問題無しの太鼓判を貰った。
分かっていたけど。だって脅されただけで特に何もされてないし。
一応呪詛の類いがないかも調べられたが、それも心配していなかった。何か魔法がかけられていたら魔法に敏感なマテウスがまず気づくはずで、一緒に帰ってきた彼が何も言わなかったから何も魔法はかけられていないはずだ。
病院で診察を受けていると両親も駆けつけて、母には人目も憚らず泣かれた。誘拐なんて久々だったので、アルフィーが危険な目に遭うのは自分のせいだと思っている母は気を揉んでいたのだろう。
父も涙が浮かんだ青い目で抱きしめてくれた。
やはり両親の元に帰って来られると守られていると感じて安心する。これは子どもの特権だろう。
しばらくは護衛官達に警護されながら親子三人で無事を喜んでいたが、両親がそれぞれの親族にアルフィーの無事を連絡したのでひっきりなしに両親のスマホは鳴りっぱなしだった。
自分のスマホは北部解放戦線に取り上げられて車で連れて行かれるまでに捨てられてしまったので、アルフィーは両親のスマホを借りてそれぞれの親族に無事を報告した。
みんなが無事を喜んでくれ、ゆっくり休むように言われた。
でも一通りの報告も終わり、検査も終わり、護衛付きだが家に帰っていいと許可を貰って家に帰ってきたのに、いつまでも心は騒ついたままだった。
窓の外は暗い。もう夜だ。下では母が大急ぎで夕飯を作っている。
自室でベッドに横になったアルフィーは左耳のピアスに触れた。冷たく固い感触が指先から伝わってくる。
エラの顔を思い浮かべようとして、泣き顔が浮かんだ。
「……………はあ…」
両腕で目元を覆い、ぼろぼろと涙を零すエラの幻影を追い出そうとするが上手くいかない。
心が騒ついている理由は分かっている。まだこの目で彼女の無事を確認できていないからだ。
早く会いたかった。
泣いているなら涙を拭ってあげたいし、怒って罵られたら、髪を撫でて宥めたい。
でも心の片隅でずっと冷静な自分が叫んでいる。
ーーーもう会うべきじゃない。
いつエラを危険に巻き込むか分からない以上、もう関わるべきじゃない。巻き込まれてからでは遅いのだ。彼女を想えばこそ、もう関わりを持たないのがベスト。
でもそれをすればエラは守られるが、アルフィーがエラに感じていた情愛も敬愛も情熱も、もう二度と得られないかもしれない。
本気で慈しみたいと思ったのも、家に帰るのが億劫になるほど離れ難く感じたのも、全てを我が物にしたいみっともない征服欲や独占欲も、理性が吹き飛ばされるほど劣情を刺激されたのも、ただ隣りで笑っていて欲しいと心底願ったのも、全部、エラが初めてだった。
きっとそれを失くした自分は抜け殻だ。
「……エラ…ごめん……ごめん……」
小さく呻いて、ここにいない彼女に謝罪する。
やっぱり君を手放すなんて、ヒーローみたいな事は俺にはできそうにない。
アルフィーは目を閉じて、片腕で目元を覆い、ひたすらエラを想って苦悩していた。
どれほどそうしていただろう。誘拐で緊張していたせいか、いつの間にか眠ったらしいく、目を覚ますと窓の向こうの空は朝日が昇ろうとして朝の気配を纏わせた光が差し込んでいた。
のそりと体を起こすと、腹が空腹を訴えた。
そういえば、昨日は助け出されて病院で検査結果を待っている時にマテウスが差し入れてくれたパン以外まともに食べていなかった。夕飯は食べる前に眠ってしまったし。
キッチンになら何かあるかな、と起き出した時に勉強机の上に母が作ったと思しきアップルパイが置いてある事に気がつく。
ラップが掛けられたアップルパイの上には母の丁寧な字で「冷蔵庫に夕飯があるから、温めて食べてね」と書いてあった。
とにかくお腹が減っていたので、冷たくなったアップルパイに手を伸ばして食べる。アルフィーがよく知る母の味だ。
それだけでは物足りず、まだ寝ている両親を起こさないようになるべく足音を立てないようにキッチンへ降りていく。
冷蔵庫を開けると昨日の夕食があった。
電子レンジで温めて、朝ご飯代わりにぺろりと平らげる。
火の魔法でお湯を沸かして、棚を開けてドリップコーヒーを取り出してマグカップにセットする。
コーヒーを淹れて一息つき、テーブルに突っ伏す。
エラに会いたい、会うべきじゃない。二つの相反する感情がずっと対立している。
でも会いたい。
好きなコーヒーを飲んでも全く落ち着かない。
結局、もんもんとした気持ちを抱えながら朝を過ごし、外出許可も降りなかったので一日中家で過ごした。一度だけ外出したが、それは警察の事情聴取の為だった。
「もういつも通りでいいよ。あとこれ、警察から。無いと困るでしょ?」
そう許可が出たのは翌日の昼で、アルフィーは目の前に差し出された自分のスマホに驚いた。手元に戻ってくる事はないと思っていたのに、傷だらけとはいえ戻ってくるとは。
ぱっと画面が明るくなると、初めて魔石が売れた時にお祝いに贈った花束を抱えたエラがこちらに向かってはにかんでいる。
でも乱暴に扱われたスマホは画面にはヒビが入っていて、それが何だか今のアルフィーの心境のようだった。
外出許可をくれたマテウスによれば、もう取り逃した北部解放戦線の主だった連中は今回の騒ぎで逮捕でき、もう一度報復してくるほどの組織力がもう無いとの事だ。
ただ当分はいつもより警戒するよう言われた。まあこれはいつも通りだからあまり気にしてない。
さてどうしよう。
自分の事はニュースになったらしいので、あまり大学には行きたくない。どうせ遠巻きにヒソヒソされたり、逆に質問責めになったりして面倒だ。必要最低限以外で行きたくない。
王宮に行こうか。祖父母達も心配していたし、無事の連絡はしているが顔を見せに。
デイヴの所でもいいかもしれない。ーーーいや、行った瞬間にエラの所へ行けと蹴り出されそうだ。
バッカスも同じだろう。
ぐるぐると何処に行こうか考えたアルフィーだったが、そもそも『何処かに行こう』と考えている時点で行きたい場所は一つである事に思い至る。
どれほど言い訳を並べ立てて選択肢を増やしても、今後の彼女の安全の為に行くべきじゃないと考えても、結局思考の行き着く先は夜を切り取ったような黒髪と妖精の月の瞳を持つエラばかりだった。
結局アルフィーは家を出て、いつもの方向へ足を踏み出した。




