魔石工房フランマ 5
エラの夜勤は順調だった。
三日目の朝方は雨だったが、曇ってきた時点で石を屋内に避難させて要らぬ光を遮断する遮光性の高い布を被せたし、四日目は雨が続いたので夜勤が休みになったくらいで至って順調だ。
ただ夜勤の時は少しばかり心細い。
フランマの近くには数軒の飲み屋があって、たまに酔っ払いの怒号が聞こえてきたり、喧嘩らしき喧騒が聞こえてくるからだ。中には聞くに堪えないような酷い罵声の時もある。
店の二階、あるは屋上にいるから別にエラが被害を被る事はないし、万が一強盗が来てもエラに被害がないようにルークは自分で発動させるタイプの防御の魔石やこの前アルフィーが試していた目眩し系の魔石、拘束の魔石を持たせてくれているから、エラが冷静に対処さえすれば命に関わる事はまずない。…絶対ではないが。
でも真夜中は好きだ。飲み屋も閉まり、辺りが静かさに満ちた時間帯は、世界に自分がたった独り残されたような不思議な孤独感があって、なんだか妖精の世界に迷い込んだかのようだから。
五日目の夜勤は昨日の雨が嘘のように晴れて、月光干しにはもってこいの日だった。
日が暮れてから石の入った箱を屋上に出して、エラは二階に戻った。そうして泊まり込み用の部屋に入る。
そこは窓の前に机と椅子があり、片方の壁側にはソファーベッドが、反対側の壁は本棚になっており、魔石関係に関係する本で埋まっているので、泊まり込み用の部屋というより書斎だ。本の種類は初心者用から玄人用、天然石の書籍から魔術書まで多岐にわたる。全部ルークが集めた本だ。
エラはいつも夜勤中はこの部屋の本を読む事が多い。他の仕事をする事もあるが、基本的には晴れの日の夜勤は読書という名の勉強をして過ごしている。
今日も本棚から『魔法陣の基礎』というタイトルの本を取り出して机に置き、鞄から持参のノートを取り出すと、エラは柔らかい間接照明の中で勉強を開始した。
たまに顔を上げては窓の外を確認し、天気の具合を確認する。
そうしてまた勉強に戻る。
「……意味わかんない……」
エラは本を捲りながら唸る。何がどうなってこうなるのよ。
「太陽がこのマーク……月は…えー……意味によって違うの?どれをどう使うのよ…この魔法陣なんて月が三つも描かれてるし……」
ぶつぶつ呟きながら、ノートに少しずつまとめていく。成果は芳しくない。
どれほどそうやって勉強をしただろうか。
コツンーーーという何かが硬いものに当たったような音がして、エラの意識は本から引き上げられた。
「……?」
何か音がしたような。気のせいかな。
するとまた、コツン、と音がした。
窓?
音は後ろの窓からする。思わず時計を見るとそろそろ酔っ払いが多くなる時間だ。
エラが窓を振り向くと、窓ガラスに丁度小石が当たる所で、その小石はおかしな事に空中に浮いている。明らかに誰かの魔法だ。
イタズラかしら…?
酔っ払いが明かりの付いている窓に石を当てて遊んでいるのかもしれない。
ルークが持たせてくれた目眩しの魔石に魔力を込めて、自分の姿を隠してからエラはそっと窓の下を覗き込んだ。
街頭や街の明かりで夜でも多少なり見えるフランマの前には、見覚えのある茶髪の青年がエラのいる二階を見上げていた。
「……え!?」
思わずあげた驚きの声に魔石の魔法が解けたのだろう、茶髪の青年ーーアルフィーはエラに気がついたらしく、ひらひらと手を振った。
何でこんな時間に?
慌ててエラは書斎を飛び出し、階段を降りて店の正面へ向かう。
店内の照明を付けると、アルフィーが扉の外にいた。
「久しぶり、エラ」
彼は外から話しかけてきた。いや、久しぶり、じゃないわよ。
というか、どうしよう。どうすればいいの、私。
エラは率直に困った。
だって店は閉まっているから部外者を入れるのも躊躇われるし、そもそもエラは今この店に独りで泊まり込んでいるから、そんな所に顔見知りとはいえ異性を入れるなんて単純に少し怖い。エラは軍人や警察官のように体を鍛えていないし、コブランカレッジ魔術科に通うアルフィーに魔法で勝てるなんて絶対に思えないから、男女の性差を考えて己に圧倒的に不利な状況をわざわざ作ろうなんてしない。
だが、アルフィーをこのまま外に放置するのも気が引ける。
エラは少し躊躇ってから、ドアベルの魔石を発動させてからドアを開けた。ドアベルの魔石には魔法無効化とドアを強化する魔法があるから、万が一魔法を使われてもドアが防いでくれる。殴る蹴るという行為ならエラ自身も色んな魔石をすでに身につけて発動しているから対応できるーーーたぶん。
というか、流石にアルフィーはそんな事しないと思う。
アルフィーとまだ二回しか会ってないがそんな事をする人ではない、と思いたい。
「こんな時間にどうしたの?」
「魔石の月光干しに興味があって」
そんなに魔石に興味を持ったのか。本当に月の光に当てるだけの地味な作業だから、興味を持つようなものでは無い気がするんだが。
「ただ妖精の月の光に当てるだけよ?」
「分かってるよ。でも乾物とかは日干しだろ?月光に干すのなんて、俺が知る限り魔石だけだから気になってさ。ちょっと見てみたくて」
どうやら知的興味らしい。
しかし、エラだって知り合いを勝手には店の中に入れられない。
「…部外者入れられるわけないでしょ」
「昼間、ルークさんには許可取ってるよ。ほら」
「ええ!?」
またアルフィーはエラの斜め上を行く返答を平然とする。
アルフィーが腕をエラの前に差し出すので、思わずそこを見ればアルフィーの腕には黒い魔石と紫の魔石、そして魔石を通す革紐でできた簡素なブレスレットがある。
「ちょっとごめん」
一言断ってからアルフィーに触らないよう魔石に手を翳し、己の魔力で魔石の魔法を探れば、黒の魔石にはかなり強力な拘束の魔法がかけられていて、発動条件はエラに触れたら発動するようになっていた。紫の魔石はルークかエラにしか外せないようにしてある魔石だ。
というか同じ魔石をエラも今身につけている。だから今エラはアルフィーに触れなかった。触れたらアルフィーに拘束の魔法がかかってしまうからだ。
「昼間に頼み込んでさ。最初はルークさんもエラが女の子だからダメって言ってたんだけど、この魔石を身に付ける事とエラが許可くれればいいって。というわけで俺はエラに触る事もできないから安心して」
「……店長……」
エラは思わず手を額に置いた。連絡くらいくれ。というか夕方会った時に教えてよ。何で教えてくれないのよ。
実はエラが夜勤のため昼間に店を手伝いに来ていたルークの妻が、フランマに来てからというもの友人も恋人も作らず魔石作りにのめり込むエラを心配して、アルフィーを断ろうとするルークの横から割り込み、要らないお節介を焼いたのだーーーなどと知らないエラは心の中で文句を言う。
「で、俺は入れて貰える?」
「……店長が許してるんだからいいわよ」
溜め息をついてエラはアルフィーを招き入れた。まあいい。どれだけ地味な作業か見て驚け。
そのままエラは二階を素通りして屋上へ向かい、月光干しをアルフィーに見せた。
「これが月光干し…」
屋上の月の光が一番当たる場所にぽつんと置かれた箱を見てアルフィーが拍子抜けしたように呟く。
「天気に気をつけてさえいれば特にやる事もないの。地味な作業でしょ?」
「いや、思った通りだと思ってるよ」
夜なので天然石の元の色などさっぱり分からないはずだが、アルフィーは興味深そうに箱の中を覗き込む。
「干してる最中に盗まれたりしないの?」
「一応対策はしてあるけど、魔石なんてほぼ屑石から作るから宝石としての価値なんてないわ。オーダーメイドで宝石で作って欲しいって依頼の時は夜中見張りしてるし、結界も張るけど…基本的には石を外に出したら店の中で過ごしてるの」
宝石としての価値と魔石としての出来は別物だ。だから魔石は基本的に宝石としての価値のない天然石から作られる。
だが例外的にオーダーメイドで飛び込むのがダイヤモンドなどの宝石の魔石だ。婚約や結婚の記念品の一部として作られる事が多い。そういう大事な石を預かる場合はエラもルークも気を張って作業しなければならないのだ。
しかし普段はそんなに気を張らない。そりゃ盗まれれば店としては損だが、ずっと見張っているのも馬鹿らしい。
「じゃあエラは二階で何してたの?」
「勉強」
「勉強?」
「暇だもの」
大切な作業だがとっても暇なのだ。今日もエラは魔石に魔法付与を行う時に必要となる知識を勉強しようと魔法陣の勉強をしていた。魔法陣を使用するような魔法は効果が大きいか、大掛かりな魔法になるから生活する上で使った事がなく、基礎から勉強している最中だ。でも基礎から難しく、さっぱり分からない。できれば先生が欲しい。
そこでエラははっとして目の前のアルフィーがコブランカレッジ魔術科である事を思い出した。
「アルフィー!」
「え、何?」
「魔法陣について分かる?分かるわよね?教えて!」