花の日 3
公園に戻ったアルフィーは、相変わらず興味を持った事に一直線のマチルダを追いかけて疲れ切っているオスカーと選手交代した。
「アルフィー兄ちゃんがいなきゃ、僕死んでる」
「大袈裟な。オスカーはよくやってるよ」
今は木に登っているマチルダが落ちないよう見張りながら、傍らで疲れ切って死んだ目をしている従弟を慰める。
どうにも落ち着きがないマチルダをいつも必死に追いかけて面倒を見ているのは叔父夫婦だが、今日は親がいないせいなのか、それとも知らない場所だからか、とにかくマチルダの落ち着きの無さに拍車が掛かっている。
そんな妹に朝からずっと付き合っていれば疲れるだろう。後でオスカーだけアイスでも買ってあげよう。
そんな事を考えていると、ねえ、とオスカーがアルフィーに呼びかけた。
「さっきの女の人、兄ちゃんのガールフレンド?」
「そうだよ」
さっきまで隣りにいた青みがかった黒髪を思い出して、思わず表情が優しくなる。
無自覚に可愛い事を発言するものだから、つい衝動的に抱きしめてしまった。ほんの少しだけ身体を緊張に固くしていたけれど、ふわりと鼻腔を擽った甘さのある柑橘系の香りはエラが二人でストーナプトンを回った時からたまに付けている香水で、自惚れかもしれないが、仕事でもアルフィーの為にほんの少しおしゃれをしてくれたのかと思うと顔がにやけてしまう。
二人で過ごしたいから絶対に夕方には従兄弟達を叔母に引き渡してエラとデートに行こう、と心に決める。
「ふぅん。大学の人?」
「いや、魔石工だよ。じいちゃんにあげた氷の魔石、あれを作った人の所で働いてるんだ」
「じゃあ歳上?」
「同い年。彼女は高卒で働いてるから」
「え、意外」
「そうか?」
「兄ちゃんが付き合うような人って、勝手に賢い人だと思ってた」
「なんだそりゃ」
オスカーと会話しながらもマチルダからは目を離さない。しかし、そろそろ上の方に登りすぎて枝が細くなっている。
エラにプレゼントを渡す一番の用事も済んだし、一度こいつらを家に連れ帰ろう。
「マチルダ、そろそろ降りてこい。帰るよ」
「やーーだーー!まだここにいる!」
「………お姉ちゃんが荒れそう」
ポツリとオスカーが呟いた言葉はマチルダの叫びに隠れてしまい、アルフィーの耳には届かなかった。
従兄弟達を連れて、アルフィーはストーナプトンの家に一度戻った。
戻る最中も、マチルダは違う電車に乗ろうとするわ、道端のモニュメントによじ登ろうとするわ、制御するのが大変だった。
おかげで家に帰る頃には疲労困憊でふらふらだった。
「ただいま……」
「ただいまーー!」
「おかえり」
「おかえり。アルフィー、ごめんなさいね」
玄関を開けると、起きた父が出迎えてくれたし、叔母も用事から戻ってきていた。
これで従兄弟の面倒見から解放される、と安堵する。いや、オスカーの勉強をみるくらいならいくらでもやるが。
そこまで思い出して、アルフィーと一緒にマチルダを追い回していたオスカーにご褒美をあげてなかったと思い至った。帰りもバタバタしていてアイスなんか買う余裕がなかったのだ。
ちなみにハンナには無しだ。彼女はアルフィーがいると本当に弟妹の面倒を見ない。普段はちゃんとしっかり者の姉をしているらしいが、どうにもアルフィーの前では姉である事を忘れるらしい。いつもアルフィーが見るのは、妹を追いかけるオスカーとそれを全く気にも留めないハンナで、たぶんハンナは歳上のアルフィーに甘えているのだろうが、そんな姿しか見ないので実はアルフィーはかなり呆れている。
リビングで寛ぐ従兄弟達から一度離れようと、自分の部屋に戻ったアルフィーは財布の中身を確認してポケットに捩じ込みながら時計を見る。
エラの仕事が終わる時間を考えると、デートまであまり時間的な余裕はない。だが、車で行く程度の余裕はギリギリある。
車を借りる許可を父から貰おうと、足早にアルフィーはリビングに戻った。
しかしリビングの手前でアップルパイの皿を持つハンナがいて動きを止める。
「あ、アルフィー、このアップルパイ食べてもいい?」
「駄目」
速攻でアルフィーは拒否した。
「ええー!?何で!?」
「ほら、くれるわけないって言っただろ?」
後ろから笑ってそう言うのは父だ。アルフィーと同じ茶髪と青の瞳を持つ父は穏やかな人で、あまり怒る事がない。
とはいえ。
分かってるなら止めろよ!
父に心の中で文句を言いつつ、アルフィーは手を伸ばしてハンナの持つ皿を取り上げる。
「ああっ!いいじゃない!ケチ!」
「ケチで結構。てか、もう二切れしかないからオスカーかマチルダのどっちかが食べれないだろうが。我慢しろ」
「二切れを半分にすれば四人で食べられるじゃない」
「駄目、無理、却下」
にべもなくアルフィーはハンナの提案を棄却するには理由がある。
このアップルパイは三日前にエラがくれたのだ。しかもワンホール。
初めて作ったというエラのアップルパイはレモンを入れすぎたのかレモンの主張が強かったが、それでも美味しかった。
流石にワンホールだったので、持って帰った日は両親やリサにもあげた(ついでに付き合ってる事も伝えた)が、残りは一人で食べたくて大事に食べていたのだ。
そんなアップルパイ残り二切れを誰がやるというのか。
「何でよー!」
「そりゃあ彼女から貰ったんだからあげたくないよなぁ」
「え?」
「余計なこと言うなよ、父さん」
びっくりした顔で固まっているハンナの横をすり抜けつつ父を制する。
「ロルフ、お夕飯どうする?どこか食べに行く?」
寛いでいた叔母が父に尋ねたので、アルフィーは「俺要らない」と伝えた。
「あら、アルフィーはどこか行くの?」
「まあね。ついでに母さんは向こうで食べてくるよ。父さん、車借りていい?」
「いいぞ」
許可をくれた父に感謝しつつ、従兄弟達を追いかけ回して小腹が減っていたアルフィーは、手に持ったアップルパイを行儀悪く立ったまま食べようとした。
「もーらい!」
「あっ」
その時、バッとハンナがアップルパイを一切れ奪っていき、口の中に放り込んだ。
びっくりしたアルフィーが止める暇も無かった。
もぐもぐ口を動かす従妹を呆然と見て、アルフィーは思いっきり溜め息をついた。
「お前………はぁ…」
溜め息を吐く事でなんとか文句を飲み込む。大人気なく固執していた自覚はあるので、歳下の女の子相手に文句を言うのは躊躇われる。
「…う、わ。レモン効きすぎじゃない?」
勝手に食べて何つった?こいつ。
「文句言うなら食うな」
その点だけは怒る。何なんだ。人の物を奪っておいて。
「ハンナ!何やってるの!?」
「あー!ハンナだけいいなー!あたしも!あたしも欲しい!」
「ちょ、マチルダ…」
「………分かったよ、マチルダ」
アルフィーは諦めて最後のアップルパイをマチルダに差し出した。オスカーや叔母は謝ってくれたが、さすがにまだ小さなマチルダのお願いを断るのは大人気なさすぎる。
アップルパイを食べたマチルダが「酸っぱいけど美味しい」と喜んでくれたのが救いだ。
「えー、そう?」
そんな文句を言ったハンナを軽く睨んで、アルフィーは皿をキッチンに置くとリビングを出た。
もう限界…。
さすがに一人っ子で、家の中が騒がしいのに慣れていないアルフィーの限界を超えた。オスカーだけならいいのに。
普段ならこんなに早く限界は来ないが、せっかくエラと過ごそうと思って前々から準備していた予定を狂わされた上に、アップルパイまで食われてしまって精神的に限界だった。
しかも従兄弟達は今日から三日もいるのだ。何故なら三連休だから。
アルフィーはもう一度部屋に戻って、大きめの鞄を出すとポケットの財布を放り込み、衝動的に着替え一式も詰め込んだ。
もう車中泊でいいから静かに過ごしたい。
鞄を掴んでスマホをポケットに入れ、アルフィーは部屋から出た。
そのままリビングに顔を出さずに玄関に向かった。
バタン、と扉の閉まる音がして、ロルフは首を窓に向けた。この家はダイニングの窓から玄関口が見える造りだからだ。
そこには鞄を肩に背負って出て行く息子の姿があった。
「ハンナ!あなた、アルフィーに謝ってらっしゃい!」
「えー?たかがアップルパイでしょー?」
「美味しかった!」
「マチルダもよ!?」
怒る妹と姪っ子達はアルフィーが出掛けた事に気がついていない。
ロルフは娘の粗相に怒る妹をやんわりと制した。
「メリッサ、今はいいよ」
「ロルフ!」
「アルフィーならたった今出掛けた」
「え!?」
声を出して驚いたのはハンナだ。全く、この姪っ子は。アルフィーに構って欲しいならオスカーのように勉強を教えて欲しいと言った方が余程賢明だというのに。
あんな風に我儘を言って甘えるばかりでは、我慢強いとはいえ騒がしい事に免疫のないアルフィーに避けられるに決まっている。アルフィーは幼い頃から当たり前のように大人に囲まれて育ったせいで、賑やかな場所より静かな場所を好むのだ。
「で、出掛けたってどこに?」
「彼女の所だと思うよ」
「あら、アルフィーに彼女ができたの?」
「まだ会わせてもらった事はないけどね」
半年くらい前から急に息子の外出頻度が上がったので、何となく気の合う友人か、それともガールフレンドでもできたのかと思っていたが、本当に彼女ができたとはと驚いたものだ。アルフィーはその出自のせいで人間不信の面があるため、少しばかり将来を心配していたのだが、全くの杞憂だった。グレイ少佐に頼んで魔法の鍛錬をしていたところを見ると、随分彼女の事を大切にしているようだ。
息子が夢中になっているのはどんな子なんだろう、と思っていたロルフに、甥っ子のオスカーが意外な事を言った。
「僕、さっき会ったよ。黒髪の綺麗な女の人だった」
今日は花の日だ。昼間、一人で出掛けたがるアルフィーと付いて行きたがる姪っ子ズのささやかな舌戦がうとうとしている耳にうっすら聞こえてきたが、あれは彼女に会いに行きたかったのか。魔石工見習いとしてすでに働いている子だと聞いているからてっきり夜会いに行くのかと思っていたが、それなら悪い事をした。
「あんな暗い色のどこがいいのよ」
ボソ、と聞こえたハンナの不満には聞こえないふりをした。まあ高校生のハンナだから、金髪の方がモテるに決まっているという固定観念も仕方あるまい。実際、金髪は人気があって、黒髪や茶髪は人気がないのだ。だが、それが全てではない。
だから、ロルフは甥っ子に返事をした。
「オスカーは会ったのか。俺もそのうち会わせてもらえるかなぁ」
噂のエラ・メイソンさんに。
まだ見ぬ息子の彼女はきっと今日、王宮の方でも話題になっているだろう。妻のエイブリーが広めるに決まっている。
かつての自分の境遇を思い出して、ロルフは少しだけ息子の彼女に同情した。
たぶん、間違いなく、近いうちに王族の誰かと会う羽目になるだろう。
何せ彼らは、王族として接しなくてもいい人と聞けばすぐに王宮に招きたがるのだから。
フランマが閉店する十五分前に、ようやくアルフィーはやってきた。
「随分遅れた登場だな」
「これでも精一杯やってきたんですよ…」
エラから事情を聞いたのだろう。嫌味というより、苦笑して出迎えてくれたルークは軽くアルフィーの肩を叩いた。
「従兄弟達は大丈夫だった?」
「ちょっと今、あいつらの話はしたくない…」
純粋に心配して聞いたエラに、アルフィーは暗い表情で返した。
それだけでよほど大変だった事が分かる。
もう少しで終わるので、車なり二階なりで待っていてもらおうかと思っていると、ルークが時間を確認してからエラに手を振った。
「ほれ、後は俺がやっておく。エラは上がれ」
「え…でも」
「せっかくの花の日だ。どうせこの後に客も来ないだろ。たまには遊んでこい。あとアルフィー、あそこ駐禁だぞ」
「え!?」
「急いで退かさないと切符切られるから、エラもさっさと支度してやれ」
「え?は、はい」
ルークの勢いに押されて、思わず返事をする。
慌てて二階へ上がり、バックを引っ掴むと、エラは店内へ戻った。
駐禁と聞いてアルフィーはまずいと思ったのか、もう車に戻っている。
「店長、本当にいいんですか?」
「いい、いい。ほれ、行ってやれ」
しっしっ、と手で出て行くよう促され、エラは後ろ髪引かれつつも、礼と労りの言葉を師匠に掛けて、アルフィーが待つ車に乗った。




