花の日 2
朝、エラが出勤するとシンディとルークから小さな柔らかい包みを渡された。
「花の日おめでとう、エラ」
「ありがとうございます店長。シンディさんも。開けてもいいですか?」
「勿論よ。気に入ってくれると嬉しいわ」
くすぐったく思いながら包みを開けると、そこにはドット柄のハンドタオルが入っていた。ドット柄の二箇所は猫のシルエットになっており、猫好きとしてはとても嬉しい。
もう一度お礼を言ってから、エラはありがたくハンドタオルを鞄に仕舞い、鞄を片付けると開店準備を始めた。
シンディは仕事の為に一度帰る、と言って帰っていったが、帰り際に悪戯っぽく「アルフィーから何を貰ったのか教えてね」と囁かれた。照れくさくて、うまく返事ができなかったが、シンディは気にする様子もなく元気に帰っていった。
実はほんの少しだけ期待している。恋人らしい初めてのイベントなので、何かプレゼントがあるだろうかと内心ソワソワしている。昨日アルフィーからメッセージが来て、夕食を一緒に食べようと誘われているので夜には会えるはずだ。
そこまで考えて、昨日父から届いた大瓶のリンゴジュース五本とキーホルダーを思い出して、ちょっと遠い目をした。
娘を溺愛している父からはコブランフィールドに来てからも毎年何かしらプレゼントが贈られてくるが、シンディと違って本当にセンスがない。
母はそんな父を止めるため、一人暮らしにありがたい洗剤とか野菜とか送りなさい、と言ってくれているらしいが、なんかこう、言っちゃ悪いがセンスがない。リンゴジュース五本って何だ。好きだけど。なんか父の時間はエラが五歳くらいで止まってるんじゃないだろうか。
というのも、子供の頃はリンゴジュースばかり飲んでいたらしいし、キーホルダーは五歳くらいのエラなら大喜びしそうなリボンやハートの付いた可愛らしい……というより子供っぽいデザインなのだ。どうしよう、アレ。ちょっとどころか、使い道がない。
とりあえず、アルフィーがもし変な物を贈ってきてもお礼は言おう、と変な決意をする。
というか…しまった。ルーク達にリンゴジュースをあげればよかった。
明日持ってこよう、と思いながら開店準備を進めていき、時間通り開店する。
アルフィーはいつ来るだろう。今日は祝日だから大学も休みだし、特に学会に出席するとか用事があるとかは聞いていないから、昼くらいには来て、フランマの二階で勉強でもしているかもしれない。
実はこっちもプレゼントを用意しているのだが、喜んでくれるだろうか。
ソワソワとした気持ちを抱えつつも、エラはいつも通り仕事をしていくが、そんな浮足だった気持ちは少しずつ萎んでいった。
昼を過ぎてもアルフィーが来ないからだ。
気温が一番暖かくなった頃、魔石を通販客に送る為、郵便局へ歩きながらちょこっとだけエラは落ち込んでいた。
確かに何時に来るとか、そんな約束はしていない。勝手に午前中に来ると思い込んでいたのはエラだし、アルフィーは夕方まで来ないかもしれない。
お夕飯は一緒に食べるんだし、と自分を励ます。
「…っていうか、私のせいだよねぇ…」
今日の為に魔法付与を練習していたため、せっかく恋人になれたのにこの一ヶ月…いや二ヶ月近く、あまり恋人らしい事をしていない。
どうしても今日に間に合わせたくて必死に練習していたため、アルフィーがフランマに来ても夜アパートまで送ってくれる時もエラは疲れ切ってふらふらだった。
アルフィーは笑って「お疲れ様」と言ってくれたけど、もしかしなくても恋人としては物足りなかっただろう。自分の目標ばかり気にしていて、アルフィーの優しさに甘え過ぎたかもしれない。
愛想尽かされちゃったらどうしよう、と自分の行動を振り返ってますます落ち込んで前をしっかり見ていなかったエラは、角を曲がった所で小さな誰かとぶつかりかけた。
「きゃあ!」
「っ、ごめんね」
エラはたたらを踏んで足を止めた。
角を走ってきたのは大きな青い瞳に、濃い金髪のくるくるの髪をした女の子で、まだ十歳前くらいに見える。
そこへバタバタと同じ色合いの髪と瞳を持ったもう少し年嵩の男の子がやってくる。十三、四歳くらいだろうか。
その更に後ろから誰かが走ってくるが、エラは転びかけた女の子に視線を合わせていたので、よく見ていなかった。
「ごめんね、大丈夫だった?」
「うん。平気」
「マチルダ、何やってんだよ」
「マチルダ!すみません、従妹がご迷惑おかけ……」
走ってきて謝ってくる保護者らしき男に目を向けたエラは驚きで固まった。
相手も目を見開いている。
「アルフィー?」
「エラ?何でここに…」
そこにいたのはアルフィーだった。
が、お互い固まっていたのは一瞬だった。
「アルフィーお兄ちゃん!あれ!あれ何!?楽しそう!行ってくる!」
「マチルダ、落ち着きなよ…ってもー!兄ちゃーん!」
「あ!こら、マチルダ!待て!」
全く落ち着きのないマチルダという女の子が、あっという間にどこかへ行こうとするのを、アルフィーと男の子が二人掛かりで引っ捕まえる。
呆然とするエラの後ろから更に「待ってーー!」と誰かが走ってきた。
やはりマチルダや男の子と同じような髪色と瞳を持つ、丁度妹のレーナと同い年くらいの女の子がやってきた。色や顔立ちも似ているので、この三人は兄弟なのだろう。
そしてアルフィーの発言から察するにアルフィーの従兄弟だ。テレビで見た事がないので、おそらく父方の従兄弟だろう。
一番上の姉らしき女の子に男の子は噛み付いた。
「お姉ちゃん、遅いよ!」
「ごめんって!あそこの雑貨屋が気になったのよ」
「マチルダいるのによそ見しないでよ!ずっと僕とアルフィー兄ちゃんで追いかけてるのに!」
「だからごめんって!」
「ハンナ、頼むからマチルダから目を離すなって…。オスカー、この先に公園あるからそこまでとりあえず行け」
いつもと違ってぐったりした様子でアルフィーが公園を指差す。
「オスカー、ちょっと頼んでいいか?公園で待ってれば迎えに行く」
「いいよ」
「えーー、アルフィーいないのー?」
「ハンナはちゃんとマチルダ見とけよ。お前、一番上だろ?」
「好きで一番上に生まれたわけじゃないわよ!ちょっと!どこ行くのよ、アルフィー」
「お姉ちゃん、やめなよ。兄ちゃんの用事に無理矢理くっついてきたのお姉ちゃんでしょ…。マチルダ、ほら、行くよ」
やいのやいの、と騒ぐ三兄弟からアルフィーは離れると、呆然とするエラの横にやってきた。
「ほら、その荷物、郵便局行くんでしょ?」
「え?う、うん」
誘導してくるアルフィーに合わせて足を動かしながら、三兄弟が気になってちらりと後ろを見ると、オスカーと呼ばれた男の子は何とか捕まえている妹を公園に引っ張っていき、むすっとした顔をしたハンナがちらちらこちらを見ながら二人の後ろを歩いていく。
頑として三人を振り返る様子がないアルフィーを不思議に思い、エラは首を傾けた。
「あの、いいの?」
「いい、いい。オスカーはしっかりしてるし、ハンナも俺がいなきゃ、ちゃんとマチルダの面倒見るだろ」
ぞんざいにそう言うアルフィーが意外で目を丸くすると、アルフィーが徐にエラの手を取って、郵便局に向かっていく。
手を繋がれた事にどきりとしつつも、エラは平静を装って三人との関係を確認する。
「従兄弟なの?」
「そう。父方の従兄弟。氷の魔石を贈ったじいちゃんの近くに住んでてさ、今日は叔母さんの用事にくっついてストーナプトンまで来たんだって。朝から三人の相手して疲れた……連絡入れる暇も無かった…」
「朝から?」
「そう。朝一で家に来て、午前中ずっとあいつらの相手してた。オスカーは勉強教えてただけだから大した事ないけど、ハンナとマチルダが本当に厄介……マチルダは母さんや父さんの部屋に入ろうとするし、ハンナは俺がいるからか、マチルダ放置で遊んでるし…今日の予定が台無し…」
「予定?どこか行くつもりだったの?」
素で尋ねるエラに、アルフィーは溜め息をついてエラの手を自分の方に引いた。
ほんの少しだけ二人の距離が縮まって、エラはまたどきりとするが、目の前のアルフィーは不服顔だ。
「フランマに行くつもりだったに決まってるだろ」
言われて、その意味を察し、エラは思わず顔を伏せた。恥ずかしい。
同時に少し嬉しくなる。やはり朝からアルフィーは来てくれるつもりだったのだ。
恥ずかしいやら嬉しいやらで、どんな反応をすればいいのか分からなくなっていると、足を止めていたアルフィーが郵便局に向かって歩き出す。
「とりあえず、郵便局行こう。仕事、いつまでも空けるわけにはいかないでしょ?」
「う、うん」
少し挙動不審になりつつも返事をして、エラも歩き出す。
歳は同じでも社会人と学生で、なかなか時間も合わない上にエラが魔石に熱中していたから全然一緒にいられない中、少しでも二人でいられるのが嬉しくて、でも仕事中なのにという戸惑いもあって。
でも、やっぱり、嬉しい。
全然恋人らしくなれないと反省したばかりのエラはほんの少しだけ思い切ってみる事にした。
「あ、あの」
何とか喉に力を入れて、声を出す。
アルフィーがエラの方を見たのを気配で察したが、恥ずかしいのでちょっと目を合わせる気になれない。
緊張で少しだけ手に力が入る。
「一緒に、いられて…その…嬉しい」
段々と小さくなってしまった声は彼に届いただろうか。
恥ずかしくなって郵便局まで駆け出してしまいたくなる頃、急に体が引っ張られた。
手を繋いでいる状況下でエラを引っ張れるのは一人しかいない。嫌な感じも強引な感じもしない。
引かれるままに少しだけ体を動かすと、ぽす、と軽い音をたててアルフィーに抱きしめられた。
茶髪がすぐ近くにある。エラの肩口にアルフィーが頭を預けてくるので、髪や肌が触れ合って、何だか恥ずかしいし、今まで無かった触れ合いに気持ちが落ち着かなくなる。
「アル……」
「不意打ち禁止」
「…へ?」
「もうあいつら三人じゃなくて、エラを持ち帰りたい…」
思わぬ一言にエラが焦る。
どうしよう、アルフィーが壊れた。
疲れていたアルフィーの理性をぶっ壊した自覚のないエラは狼狽える。
流石にエラだって恋人との付き合いにおいて、そういう事があるのは理解しているが、流石にまだちょっと覚悟が追いついてない。
「し、仕事中です」
「……そうだね」
はあ、とアルフィーがついた溜め息がエラの首筋を擽る。
変な声が出そうになるのを肩を跳ねさせる事で耐えたエラから、アルフィーが離れる。
「俺も、一緒にいられて嬉しい」
こつ、と額が重なる。
健全だが恋人としての触れ合いに、エラの緊張も解かれて頬が緩む。愛想尽かされちゃったらどうしようなんて考えてたのが馬鹿みたいだ。
お互いに笑い合って、額を離す。
そうしたら、アルフィーが持っていた鞄の中を探って細長い箱を取り出した。
「これ渡したくて、無理矢理コブランフィールド来たんだよね」
「え?」
「本当は一人で来てエラに渡したかったんだ。でもあいつら付いてくるって聞かなくてさ。公園で三人待たせておいて、俺だけフランマに行こうと思ってたんだけど、ここで会えたから渡しておく」
赤色のリボンが付けられた箱をアルフィーが差し出した。
「花の日おめでとう、エラ」
ぱっとエラの気持ちが華やぐ。恋人から花の日にプレゼントを貰うのはラピス国民にとって嬉しいものだ。
エラは両手でそれを受け取った。
「ありがとう、アルフィー」
「どういたしまして。気に入ってくれるといいけど」
早速リボンを外して箱を開けると、金の丸い籠がついたネックレスが入っていた。籠は花が透かし彫りされたような上品なデザインになっている。
それが何なのかエラは一瞬で理解した。
「魔石入れ!」
「さすが魔石工」
アルフィーがくれたネックレスは、籠が開くようになっており、その中に魔石を入れられるものだった。
魔石が大好きなエラにとって、常に魔石を持ち歩けるこの上なく嬉しいプレゼントだ。籠の大きさもフランマの魔石の大きさを考えてくれたのだろう。
「わあ、嬉しい…!」
素直に喜ぶエラを見て、内心胸を撫で下ろすアルフィーである。
「ねえ、着けてもいい?」
「どうぞ」
嬉しくて早速身に着けてみる。アルフィーの選んだ魔石入れは魔石が入ってなくてもネックレス単体として使えるのだ。
どんな魔石を入れるかはまた考える事にして、エラはネックレスを取り出すと、はた、と動きを止めた。
「どうかした?」
覗き込んでくるアルフィーに、エラは少しだけ恥ずかしく思いつつも口を開いた。
エラだって、いくら魔石に夢中でも、年頃らしく憧れるシチュエーションがある。
例えば、恋人にネックレスを付けてもらうとか。
今がその好機では?
「あの、着けてくれる…?」
そろりと尋ねると、きょとん、と目を丸くしたアルフィーが次には柔らかく、でも照れ臭そうに微笑む。
「じゃ、後ろ向いて」
アルフィーにネックレスを渡し、髪の毛をサイドに流しながら後ろを向くと、アルフィーが慎重にエラの前にネックレスを持った腕を回した。そして首にネックレスを掛けてくれる。
あまりの近さにドキドキしながら待っていると、カチ、と小さな音がしてアルフィーがネックレスから手を離した。
しゃらり、と鎖が首を滑り落ちていく。
胸元を見れば金の籠が控えめに存在を主張していた。
「どう?」
はにかみながら振り返る。
「似合ってるよ」
そんな一言が嬉しい。
へにゃりと笑ったエラの手をアルフィーが握った。
ああ、そうだ。嬉しくて忘れていたが、今は仕事中だった。
それでも顔が緩むのを止められない。
「じゃあ行こうか」
「うん」
二人は郵便局への短い道のりを再び歩き始めた。
そんな二人を見ている人がいた。
「何あれ」
不満そうな顔をしたハンナは、仲良く歩いていく二人を物陰から睨みつけていた。
「夕方には何としてもあいつら置いてくるから」
そう言ったアルフィーとは公園で別れた。
アルフィーはエラを店まで送ろうとしてくれたが、ハンナとマチルダは従兄に久々に会えた事が嬉しいのか、あっという間にアルフィーを引っ張っていってしまおうとするため、エラが遠慮した。
たぶん、アルフィーとしては三人の相手をしたくないからエラに遠慮して欲しくはなかったのだろうが、疲れ切っているオスカーと甘えてくる従妹達を見てしまうとエラは図々しくなれない。
店に帰ったエラはちゃんと仕事をして夕方になるのを待った。
仕事が終わってからの短い間だけでも一緒にいられるが嬉しくて、エラは朝同様浮足だった気持ちで仕事に打ち込んだ。
エラのお父さんはプレゼントのセンスが壊滅的に無い。
アルフィーのプレゼントセンスは良い。昔から王宮に出入りしてるし、母親がプリンセスなので、一流品見て育ったから物の良さが分かるタイプ。安物でも大体いい物買ってくる。
エラがアルフィーから貰った魔石入れるネックレスは、天然石のお店とかで見かけるやつのおしゃれ版です。




