お泊まり(不本意) 2
ふ、と意識が浮上する。
ぼんやりと目に入った光景は、見慣れない部屋。
ーーー自分の部屋じゃない?
「っ!?」
それを認識した瞬間、アルフィーは飛び起きた。
が、すぐに近くで寝息をたてるエラに気がつき、どうしてエラがいるのか一瞬考えて、疲れてエラの部屋で寝てしまったのだと思い出した。
……やってしまった。
はあ、と溜め息を吐いてソファーにまた身を沈める。
疲れていたとはいえ、まさか寝るとは。
不覚、というより自分の失態が恥ずかしい。
思わず頭を抱えるとちゃり、と硬い音がして持ち上げた腕を見れば、エラの使う魔石のブレスレットが付けられていた。
それを見てアルフィーは呆れた。
いや、付けるなら俺にじゃなくて自分にでしょうが。
黒髪をベッドに散らして寝息をたてているエラを見遣る。恋人でもない男がいるのに無防備すぎやしないか?
信頼されている事を喜べばいいのか、悲しめばいいのか微妙なラインだ。
けれど、そんな不満は時間を確かめようとスマホを持ち上げた瞬間に飛んでいった。
僅かなスマホの明かりで、破られたノートに何か書いてあるのに気がついて、ライトを付けてノートを確認すれば、バランスの良い字で『マテウスさんが、自分かお母さんに電話して欲しいそうです』と書かれていたからだ。
あのニュースが原因だろう事は想像に難く無いし、心配した母かマテウス、あるいは他の護衛官がエラに魔石を使うよう頼んだのだろう。
俺、一応エラが変に狙われないようにしてるんだけどなぁ。
絶対の自信があるわけではないが、アルフィーはフランマに行く時も、エラを送る時も基本的に魔法で姿を消しているーーー自分の弱点を晒さないために。
もしエラを人質に取られたらアルフィーは動けなく未来しか見えないので、それを未然に防ぐ為にも、エラを危険な目に合わせない為にも、アルフィーは魔法を使っているのだ。
まあ、信用されていないわけではないのだろう。絶対はないから心配されてるだけで。
とりあえず、時間は真夜中なのでさすがに母もマテウスも起きてないだろう、と電話ではなくメッセージをそれぞれ送る。
後は自分の身の振り方だが、どうしようか。
エラを起こして今から帰るのは、すやすやと眠るエラに悪いし、かといって起こさずに帰るのは無理だ。この家の鍵がどこにあるか分からない。
どうしようなぁ、と頭を掻いた瞬間、スマホが短くメッセージの着信を告げた。
相手はマテウスからで『狙われてる可能性があるから、今日はそこに泊めてもらう事。夜間外出禁止』と子供みたいな事が書かれていた。
この失態を母や護衛官達に知られるなんて。
とりあえず魔法の綻びがない事を確認し、アルフィーはエラに姿隠しの魔法をかける。
狙われているのならエラから離れるべきだが、マテウスがそこにいろと指示を出している以上は動くべきではないのだ。
それをアルフィーは身をもって知っている。
犯罪者達は狡猾だ。人の行動を脅し文句や行動で制御し、狩場へ誘い出す事もある。
一度、アルフィーは反抗期真っ盛りに護衛官達の制止を無視してまんまと罠に嵌った事があり、両親を泣かせた事があるので、それ以降は護衛官達の指示はまず守るようにしている。
あの時のマテウスは怖かったなぁ、と回想する。
犯罪者達に捕まったアルフィーを助け出したのはマテウスだが、普段の柔和なマテウスしか知らなかったアルフィーは、犯罪者達の魔法をいとも簡単にに打ち破り、マテウスに勝てないと自暴自棄になった連中が一矢報いようとアルフィーに弾丸を撃ち込むより速く、詠唱破棄した大地の拘束魔法で敵を戦意喪失・戦闘不能にした手腕が本当に怖かった。
二人掛け用のソファーはアルフィーには小さいが、言われた通り再び寝ると、次に目を覚ました時は朝だった。
まだエラが寝ているので、勝手にシャワーやキッチンを借りるわけにもいかず、アルフィーはエラにかけた姿隠しの魔法を解いて、適当に時間を潰した。
十五分も過ぎた頃、もそりとベッドからエラが起き上がった。
「おはよう、エラ」
「おはよ……」
まだ眠たそうなエラはいつもは艶やかな髪もボサボサで、目もいまいち開ききってない。
ーーーかと思いきや、アルフィーを認識したのか大きな妖精の瞳を見開いて、寝起きが恥ずかしいのか目を伏せ、そろ…とアルフィーの視界から逃げるように横を向いて、髪で顔を隠してしまう。
……その反応は反則では?
「えっと、朝ご飯、パンくらいしかないけど、いい?」
「あー…その前にシャワー借りてもいい?」
ちょっとどころじゃなく動揺しているのを必死に悟られないようにするが、どうやらエラも動揺しているようだと気がつけば少しだけ冷静になる。
「どうぞ」
「じゃあお借りしま…」
「あ!!」
突然の大声にびくりとすると、さっきまで髪で顔を隠していたエラが、赤い顔で「ちょっと待って!」と叫んで洗面所へ消えていく。
「?」
ガチャガチャバッタンと何かしらを慌てて片付けているような音に色々察して、勝手に使わなくて本当に良かったと一人安堵する。
少ししてエラはバスタオルを持って出てきた。
「これ使って。シャンプーとかも好きに使っていいから」
「あ、うん、ありがとう」
ぎこちなく礼を言って、落ち着かない気持ちでシャワーを借りる。
それはエラも同じで、二人は違う場所で顔に集まった熱をどうしようかと悩んでいた。
エラはアルフィーがシャワーに入っている間に慌てて着替えを済ませ、とにかく落ち着こうと冷蔵庫を開けて朝ごはんをどうしようか考える。
といっても朝から凝った物を作る気にはならないし、どうしようかと悩みつつ、卵を取り出して目玉焼きを作る。
目玉焼きとトースト、あと何にしよう。オレンジジュースくらいしかないや。
テーブルに朝食をセットしているとアルフィーがシャワーから出てきた。
水が茶髪から滴っている。
「シャワー貸してくれてありがと」
「ううん。朝ご飯、こんなものしかないけど…」
エラは謙遜で誤魔化しながらアルフィーに背を向けて、冷蔵庫のバターを探すフリをする。
い、色気!
別にアルフィーは服を着ているし、頭が濡れたままなだけだが、だからって何でそんなに色気を振りまいているのか。
平常心平常心…!
「ドライヤー、使う?」
心を落ち着けてからバターを持って振り返ると、アルフィーはあっさり「使わない」と言った。
「え、使わないの?」
「魔法で乾かすから」
「ああ…」
納得である。
見ていれば、ふわりとアルフィーの短い髪が一瞬だけ不自然に重力に逆らって、次の瞬間には短い髪の水滴は消えていた。
「わ、すご」
「そう?」
「うん。短い時間で終わるのね、いいなぁ」
「エラ、髪の毛長いもんね。覚える?」
「難しそう。火の魔法が便利なのに浸透しにくいのって扱いが難しいからでしょう?」
「まあね。でもこれはそんなに難しくはないと思うけど」
火の魔法は便利だが扱いが難しく、扱いを間違えれば火事を起こしたり、火傷を負ったりと被害が大きい。エラも火の魔法はあまり得意ではなく、生活魔法以外で使える火の魔法は、子供の頃に覚えた花火の魔法くらいだ。
あれは学校で覚えたので、エラの地元の友人はみんな使える。
「アルフィーの難しくないはあんまり信用できない」
「え、何で」
「だって私より確実に頭がいいじゃない」
エラは手で席をアルフィーに示しながら、自分も椅子に座る。
「でもエラだって頭が悪いわけじゃないだろ?」
「コブランカレッジ生に言われると嫌味としか思えないわ…」
「ええ……」
本気で困っているらしいアルフィーを気にせずに、エラは朝食に手を付けた。アルフィーもそれに続く。
「そういえば、結構ゆっくりしてるけど仕事、何時から?」
アルフィーの問いにエラはあ、と気がついて急遽休みになった事を伝えた。
「え、休み?」
「うん。店長が、ヨルクドンで働いてたから今日は休みにするって」
「うっ……申し訳ない…」
原因の一因が自分にあると気がついてアルフィーが項垂れる。
「やだ、気にしてないのに。寧ろ、砦の人達が騙され続けてなくて良かったじゃない」
エラは全く気にしていないので、心の底からそう言った。
「ところで、アルフィーって今日も休みよね?もう出歩いても大丈夫なの?」
「んー…母さんか護衛官達からの連絡次第だけど…」
アルフィーはスマホを取り出して連絡が無いか確認するが、すぐに肩を竦めた。どうやらまだ連絡待ちのようだ。
「どこか行きたかった?」
「ううん。アルフィー、どうするのかなって思っただけ」
「とりあえず連絡待ちだからなぁ。別に出掛けるなとは言われてないけど…」
うーん、と唸るアルフィーにエラは一応確認する。
「私は別に出掛けてもいいのよね?」
「たぶん」
この答えは一応エラも予想していた。
アルフィーを狙うのは王族を害したい連中、あるいは王族の血族である事を出汁に使いたい連中だ。エラを狙った所で、エラの親族やアルフィー個人の感情はともかく、王族を害する事にはならない。
だから、エラがそういうテロ組織なんかに個人的に狙われる可能性はほぼ無いだろう。
ただ、エラを狙う事でアルフィーの身動きを封じ、その上で更にアルフィーを人質に取って害する、みたい回りくどい事をしない連中がいないとも限らないとは思うから「たぶん、大丈夫」なのだ。
とは言うものの、ここで「じゃあ一人で出掛けます」なんて言ったらアルフィーは心配しそうだし、部屋にアルフィーただ一人を残すなんて気が引ける。
残された道は一つ。
二人でこの家で何かする。
「じゃあ、ジンジャーのコーディアルシロップを作らない?」
朝食の後、コーディアルシロップを作った事がないというアルフィーとキッチンに立って、エラは生姜をよく洗い、洗ったものはアルフィーに渡して薄切りにするよう指示する。
少しだけ不慣れな様子でアルフィーは生姜を薄切りにするのを横目で見ながら、エラはリンゴを洗い、皮を剥く。
「生姜が終わったらリンゴ切ってね」
「はーい」
「あとはスパイスだけど……どこ閉まったっけ?えっと……あ、あった」
エラは母と作った手順を思い出しながら、手際よくスパイスを準備していく。
「ジンジャーのシロップにリンゴって合うの?蜂蜜とかレモンはよく見るけど…」
「合うよー。まあ、私も普段は生姜単体か蜂蜜で作る事が多いんだけどね。リンゴで作るの久々。アルフィーがリンゴパイ好きだって言ってたからリンゴで今年は作ってみようかなーって」
一瞬だけアルフィーの挙動が固まった気がする。
「あ、もしかしてリンゴ単体だとそんなに好きじゃなかったりする?」
「いや、リンゴも好きだよ」
「あーよかった。嫌いだったらどうしようかと思った。リンゴ切り終わったら生姜とリンゴと砂糖と混ぜてね」
のんびりと二人でコーディアルシロップを作っていく。
アルフィーの手つきは料理慣れしていないのがよく分かるが、かといって全くできない訳ではないらしく、危なっかしいという程ではない。
「アルフィーって家で料理とかするの?」
「基本はしない。母さんがいると母さんかリサ…家政婦さんが作ってくれるし、母さんがいない時だけ父さんと交代で作るよ」
「お父さんも作れるんだ」
「でも父さんと俺だと、昨日のエラみたいなちゃんとした料理じゃないけどね。自分一人だと外食とかで済ませちゃう。…ところでそろそろいいんじゃない?」
「うん。じゃあ濾そうかな」
できたシロップをしっかり濾して、自分用とアルフィーやルークへのお裾分け用にとそれぞれ準備した瓶にシロップを入れていく。
出来上がったシロップの瓶詰めは一つは、アルフィーに、もう一つはルークとシンディ用に取っておき、中途半端に余った分は自分用。そこから二人分のコップに入れる。
「私、炭酸にするけどアルフィーも同じでいい?」
「同じでいいよ」
「ん、分かった」
昨日、前回炭酸割りだったアルフィーに合わせて買っておいた炭酸水を冷蔵庫から取り出す。
適当にシロップと割ったらそれでお手製ジンジャーエールの完成だ。
「…美味しい」
「良かった。これ一本持っていってね」
アルフィーの感想にホッとしつつ、さっき詰めた瓶を渡す。
「ありがとう。でもエラの分が少なくない?」
「いいわよ。また作るから」
やる気にさえなれば、慣れているので大した手間ではない。やる気にさえなれば。
そのやる気がいつ出てくるか分からないが、目下の問題はそんな事ではない。
さて、次は何しようかなぁ。
コーディアルシロップは作ってしまったし、お昼にはまだ少し早い。というより遅くに起き出したので、まだお腹が減ってない。
何かやる事、何かやる事……。
ここはエラの家なので、出掛ける事も帰る事もできないアルフィーの為に何か娯楽を提供しなくては。
って言ってもなぁ…ボードゲームとかも無いし、魔法陣の勉強じゃあアルフィーに悪いし……テレビもなぁ……。
「あ」
「どうかした?」
エラは一つだけ閃いた。
「アルフィーは何かしたい事ある?」
一応、アルフィーに聞くとアルフィーは首を捻った。
「これといって。ここ、エラの家だし」
ですよね。
我ながら馬鹿な事を聞いた気がする。
でも何かやる事がある訳ではない事が分かったので、結果オーライかもしれない。
「あの、じゃあ映画みない?」
「映画?」
「最近テレビで放送された『月光の英雄と魔法の目』って映画なんだけど…ちょっと見てみたくて…その、アルフィーが嫌じゃ無かったら」
一年位前に話題になった映画で、妹が面白いと言っていたから見ようと思ったのだが、なかなか見る暇が無かった映画だ。
でも、ハッキリ言ってアルフィーが好みそうな映画かは分からない。というか好みじゃない気がする。なんせ流行り物大好きな妹チョイスだ。
しかし、他にする事もない。
「別にいいよ。少し話題になった映画だよね、内容知らないけど」
アルフィーの返事はこちらを気遣ってくれるものだったが、それが嬉しくてエラは微笑んだ。
「じゃあ見よう!ソファー座って」
エラは買い溜めしてあるお菓子を引っ張り出し、飲みかけのジンジャーエールを持ってテレビの前に移動した。
人物紹介(今更)
ルーク・フレッチャー
実は凄腕の魔石工。妻はシンディ。職人気質で接客はあまり得意ではなく、エラが来るまではシンディが接客を主にやってました。エラは愛弟子として大切にしている。夫婦仲は良好。
デイヴィッド・スチュアート
焦茶色の髪、ヘーゼルの瞳。背はアルフィーより少し低いけどガタイは良いイメージ。スポーツマン。妖精が見えるけど、子供の頃に上手く伝えられなかったせいで口下手になったし、人付き合いも下手になった。
アルフィーの幼馴染。エラやアルフィーより一つ歳上。
親しい人を作るのが苦手なのに、親しくなると情が深いのはアルフィーと同じ。この二人はよく似てる。




