お泊まり(不本意) 1
観光してから昼にヨルクドンを出たアルフィーとエラはコブランフィールドに帰った。
帰った頃には夕方で、アルフィーはバイトと寒さと雪道の運転でへとへとだった。
もうエラを送り届けたら真っ直ぐ家に帰って寝ようと決め込んだが、その決定はエラの一言であっさり覆った。
「よかったら、夕飯食べていく?車出してくれたし、その、よかったら、だけど」
「食べてく」
我ながらちょろいな、と思いつつも、どうせ帰っても母は泊まりがけの公務でいないし、父も出張でいないので食べるのはインスタントだ。……と言い訳を心の中で並べる。
結局帰り道に買い物に寄ってから、エラの部屋にお邪魔した。
「ソファーにでも座って待ってて。テレビも見ていいよ」
言われた通りソファーに座ると、ソファーの前のテーブルの上には魔法陣の勉強をしていたのか教本とノートが置かれていた。
テレビを付けて、今日のニュースを見ていると速報で母が明日慰問するはずだった児童養護施設に北部解放戦線から脅迫状が届いたと報じており、母の訪問は取り止めになったらしい。
気分が悪いニュースだったが、スマホを見てもアルフィーに緊急のメッセージなんかは届いていなかったので、大丈夫なのだろう。
ぼんやりとニュースを見ているといつの間にかいい匂いが漂ってきていた。
そういえば、疲れて言われた通り座ってぼんやりしているが、何も手伝わなくていいのだろうか。
ハッとしてキッチンで夕食を作るエラを振り返りながら立ち上がる。
「エラ、何か手伝おうか?」
「疲れてるでしょ?いいよ」
「いや、何か手伝う」
「そう?じゃあそこにコップあるから出して。あとカトラリーはそこ」
言われた通り、食器類を出したり、できた料理を盛り付けたりしていく。
出来上がったのは焼いたパンとサラダ、それから豆と豚肉のラグーで、エラ曰く簡単料理らしい。
「だってサラダは千切っただけだし、ラグーは時短メニューでほとんど煮込んでないもの」
「その割にしっかり味が染みてるけど…」
「そう?なら良かった」
料理を褒められてへにゃりと笑うエラに、ちょっとだけどきりとする。
「あ、そうだ。まだ時間ある?ご飯食べ終わったら魔法陣を少し教えて欲しいんだけど…」
「いいよ」
どうせ帰っても寝るだけだ。
夕食を食べ終わると、二人で皿を洗って片付けて、机の上にエラが本を出しながら分からない箇所を聞いてきた。
それに答えると、エラが「少し自分で考えて解いてみる」と言って例題に手を付けた。
エラが問題を解いている間、特にやる事のないアルフィーはスマホでネット検索をし始めた。
十分後。
例題の問題が解けたエラは、喜び勇んでアルフィーを振り返った。
「アルフィー、解けたわ!……あ」
しかし、喜びは戸惑いに変わった。
「……寝てる」
アルフィーがソファーに寄りかかって寝ていたからだ。
どうしよう、起こした方がいいのかな。
でも明らかに疲れてたしなぁ…。
帰りの車でアルフィーが疲れていたのには気がついていた。眠そうに目を何度も瞬いたり、何度も欠伸を噛み殺したり、コーヒーを二回ほど購入して飲んでいれば流石に気がつく。
その状態で一人帰すのが心配だったのと、単純にお礼目的で家に上げて夕食をご馳走したのだが、まさか寝るとは思わなかった。
まあ、私しかいないし、しばらく寝かせてあげよう。
寝るまではいかなくても、リラックスしてくれたらいいなとは思っていたのだ。エラも車の免許は持っているので、長時間の運転で体が凝り固まり疲れるのは知っている。集中力だって欠けていくので、夕食を食べて少しでも体力を回復してくれれば、と。
寝れば確実に体力は回復できるのだから、これで良かったのかもしれない。
………ちょっと落ち着かないけど。
「と、布団。風邪引いちゃう」
ベッドの上から持ってきた布団をアルフィーに被せ、彼が持っていたスマホをそっと取り上げてから、エラはシャワーに入る事にした。
アルフィーが起きた場合に恥ずかしい思いをしなくていいように、着替え一式を持って行き、シャワーに入る。
でも、すぐ向こうにアルフィーがいると思うとやっぱりシャワー中も落ち着かなくて、あっという間に頭や体を洗うとすぐにシャワーを出た。
一応、見られても問題ない寝巻きになって部屋に戻ったが、アルフィーはいつの間にかソファーに横になって居心地のいい格好を見つけたのか、完全に寝る体勢になっていた。
どうしよう、起こした方がいい?
二回目の自問を繰り返すが、疲れているのを知っている以上起こすのは憚られる。
ちょっと起きるのを期待して、ドライヤーで髪を乾かすがアルフィーはすやすやと寝息をたてている。
起きない。
うーん…私もそろそろ寝たいんだけど……。
昨日の騒動といい、慣れない寝袋といい、寒さといい、エラも疲れているのは同じだ。
ふわ、と欠伸を一つした時、バイブ音が鳴り響いた。
慌てて自分のスマホを探すが、鳴っていたのはエラのスマホではなく、先程アルフィーの手の中から取り上げたスマホだった。
画面にはマテウス・グレイと表示されている。
誰だっけ?と思いながら頭で検索をかけて、すぐに以前デイヴが教えてくれた王族の護衛官だと思い出す。オータムフェスティバルでアルフィーを迎えにきた怖そうな人だ。
「アルフィー、アルフィー。電話」
「…ん………」
「アルフィーってば」
「……もう少し……」
「もう少しじゃないってば!電話!」
揺すっても少し大きめの声でもアルフィーは起きない。
どうしよう、と思っている間に電話は切れた。
なら仕方ない、とエラが思った途端、またアルフィーの電話が鳴った。同じマテウス・グレイと表示されている。
間をおかず掛けてきたのは緊急の案件かもしれない。
そう考えてしまうと、放っておくのも気が引ける。
エラは少し悩んでから腹を括ってアルフィーのスマホを取り上げた。
「も、もしもし」
『あれ?…間違い、ではないよね?』
電話口からはオータムフェスティバルで会った時と同じだが、あの時よりずっと柔和な声が聞こえてきた。
それでも緊張で声がどもる。
「ま、間違いじゃないです。私、エラ・メイソンで、えっと、これはアルフィーのスマホです。あの、すみません。アルフィー、うちで寝ちゃってて……」
『寝てる?』
「はい。さっきから何度か起こしてるんですけど、起きなくて…あの起こした方がいいですか?」
もし起こすよう言われたら文字通り叩き起こそうと決めるエラだったが、マテウスは少し考えたのか少々の沈黙の後『いや、大丈夫だよ』と答えた。
『一応、安全かどうか確かめただけだから。エラちゃんって、魔石工の?』
「あ、はい。まだ見習いですけど…」
相手が自分を知っていた事に驚くが、たぶんアルフィーから一緒に旅行に行く相手くらい聞いていたのどろうと勝手に納得した。
『ごめんねぇ、アルフィーが迷惑かけて。俺が迎えに行きたい所だけど、ちょっと難しいんだよねぇ…エラちゃんって確か職場の近くに住んでるって聞いたけど、どこで働いてたっけ?』
「魔石工房フランマです。コブランフィールドの」
『あ、そうそう、フランマだ。やっぱりここからじゃ遠いねぇ。アルフィーは疲れちゃったかな。エラちゃんは旅行、楽しめた?』
あ、やっぱり私のことアルフィーから聞いてたんだ。
「はい。ヨルクドンの青雪の砦はとても綺麗でしたし、魔石の資料館は楽しかったです」
『それは良かった。そういえば、前はごめんね。あの時は碌な挨拶もできなかったから』
オータムフェスティバルの事を言ってるんだろうか。
「それは全然…。デイヴから事情聞きましたし、その、グレイさんはお仕事だったんでしょう?気にしてません」
『なら、改めて自己紹介しようかな。ラピス軍、近衛兵団所属、マテウス・グレイです。階級は少佐。気軽にマテウスって呼んでいいよ』
「マテウスさん」
『エラちゃんの事はアルフィーから聞いてるから、あまり知らない気がしないなぁ。ああ、そうだ。アルフィーは結構楽しみにしてるみたいだよ?エラちゃんがアルフィーの好物作ってくれるの。明日の朝にでも作ってあげてよ』
「え…?っ、む、無理ですよ!リンゴならありますけど、パイ生地の材料がありません!」
『あははは。まあ、それは冗談だけど、もう一つも楽しみにしてるみたいだから、作ってあげてね』
「もう一つ…?あ、コーディアルシロップですか?ジンジャーの」
『うん、そう。じゃあ俺、そろそろ仕事に戻らないと上官にどやされるから、アルフィーの目が覚めたら俺か母親に電話するよう言っておいてくれる?』
「あの、起こした方がいいなら起こしますけど…」
『いい、いい。アルフィーが他所で寝るなんて珍しいから休ませてあげて。あ、できたら魔法でアルフィーを隠しておいて欲しいけど、できる?』
「か、隠す?」
『そう。ちょっと狙われててね』
狙われてる、と言われてエラは目を見張った。
秋にもアルフィーは狙われたばかりだ。
また狙われているのなら、心配して電話してきたのも理解できる。
『たぶん、エラちゃんと一緒だから元々魔法使ってるとは思うけど、心配だから魔法で隠しておいてくれない?』
「魔法は無理なんですけど…姿隠しの魔石でもいいですか?」
隠すよう言われて真っ先に浮かぶのはルークの魔石しかない。エラは生活魔法程度しか使えないのだから。
ダメって言われたらどうしようかと思ったが、マテウスはあっさり『それでいいよ』と答えた。
『本当に迷惑かけてごめんね。じゃあね、おやすみー』
「は、はい。おやすみなさい」
言いたい事だけ言ってマテウスが電話を切ろうとするので、慌てて挨拶をする。
…オータムフェスティバルに会った時は怖そうな人だと思ったけど、今は結構気さくな人だったな。
あれは仕事中だったし、アルフィーの危険に直結していたし、エラも混乱していたので余計怖く見えたのかもしれない。
「えっと、メモ……」
とりあえず、頼まれた事は実行しなくては。
エラはノートを一枚破って伝言を書き記すと、その上にアルフィーのスマホを置いた。
これでとりあえず、目を覚ましたら分かるだろう。
それから夜勤で使う姿隠しの魔石がついた革のブレスレットを持ってきて、アルフィーを起こさないようそっと腕に付ける。
それから魔力を込めて魔法を発動すると、寝ているアルフィーの存在感が消えた。気を張ってアルフィーを認識していないと、ソファーのクッションと同化してしまうのでちゃんと発動できたようだ。
「起こさなくていいって言われたし、私も寝よう…」
ふわ、と欠伸をまた一つする。
本格的に眠くなってきた。
エラはふらふらとベッドに向かい、その上の布団をアルフィーに貸した事を思い出すとヨルクドンに持っていった旅行鞄から結局使わなかったブランケットを取り出して、火の魔石も使い、温かくしてから眠りに落ちていった。
電話を切ったマテウスは何の警戒もなく素直にあれこれ話したエラに苦笑していた。
アルフィーが彼女に惹かれた理由が分かるというものだ。
常に人の裏側を探るのが癖になっているアルフィーにとっては、デイヴと同じく、思考を先回りして無難な会話をする必要のないエラは安心できる相手なのだろう。
「マテウス、アルフィー様は無事か?」
「無事ですよ」
「なら、エイブリー様も安心だな」
マテウスがアルフィーに連絡を取ったのは、北部解放戦線にまた王族が狙われたからだ。
脅迫状くらいなら可愛いものだが、今回の脅迫状はプリンセス・エイブリーを真っ青にさせた。
そこには、児童養護施設を爆破すると書かれているだけでなく、お前の愛息を拷問して殺す、と拷問の方法まで詳細に書かれていたのだ。
今までアルフィーを狙われる事は幾度もあったが、さすがに事細かに書かれた拷問方法に豪胆なエイブリーも真っ青になった。
「アルフィーは無事なの!?」
今にも公務を放り出して飛び出して行きそうだったが、随行していたリサが落ち着けてくれたので、エイブリーは表面上は取り繕って王女としての公務をしている。
こういう時、王族は可哀想だと思う。この国では誰よりも安全を確保されているが、それは同時に大切な誰かを脅かされても決して駆け付けられない事も意味している。
その苦悩を分かっているから、軍属魔術師としての護衛任務の隙間を縫って、何とかマテウスがアルフィーに連絡を取ったのだ。
まさか電話口にエラが出ると思わなかったが。
一応偽物の可能性も考えて、巧みに本物しか分からない情報を会話中から引き出したが、アルフィーの好物がアップルパイである事を知っている時点で本物だろう。同級生にマザコンだと揶揄われてからアルフィーが好物を人に教えなくなった事はマテウスも知っている。でもエラには教えたのかもしれない。
まさかデイヴにバラされたと知らないマテウスである。
更にコーディアルシロップの約束もダメ押しで聞いてみたが、すらすら答えたので電話口の相手は間違いなくエラだ。あの約束は見慣れないシロップを見つけたリサがアルフィーから聞き出したものなので、マテウスだってリサからたまたま話を聞かなければ知らないままだった。
リサは優秀な女官なので、たまにこうやって身内しか知り得ない情報を護衛官達に教えてくれる。その情報は悪事には使えないものばかりで、だからこそ本人確認ができるものだという事を護衛官達は知っているから他言はしない。そうやってリサは内側からアルフィーやエイブリーを守っているのだ。
「とりあえず、エイブリー様に無事を報告してくる。お前は今日泊まるホテルの安全確認を頼む」
「は」
上官に敬礼して応えると、すぐにマテウスは任務に向かった。
こんな所で人物紹介(今更)
エラ・メイソン
濡羽色の髪、つまり黒髪。目は黄色がかった緑。黄緑色に近い。清楚系美人系統の顔立ちなイメージだけど、美人ではない。かといって不美人でもない。普通。人間関係を築くのが比較的上手く、特に年輩の方の受けが良いタイプ。作中に全然出てこないけど、故郷に友達は多くいます。
グリーンウィッチという田舎育ち。レーナという妹がいる。
アルフィー・ホークショウ
茶髪。目はエラと同じ。顔立ちは優しい顔立ち。かといって童顔ではない。
父は国家公務員、母は王女。色々と面倒な身分。当たり障り無く人に接する事はできるが、その生い立ちのせいで親しい人を作るのは苦手。でもその分、親しくなった人には情が深い。
首都育ちで一人っ子。従兄のアルヴィンは親友。
どうでもいい設定ですが、この二人の身長差は15cm無いくらいのつもりです。




