ヨルクドン 5
『話は分かった。遠いが行けるぞ』
ヨルクドンの青雪の砦で起きているハプニング事情を電話口で説明したエラに、ルークは頼もしく答えた。
「ありがとう、店長!」
『ただし、俺はプロだ。ただとは言わん』
「分かってます」
『とりあえず店を閉める。本決まりになってきたらもう一度電話してくれ』
「はい」
エラは一度スマホを切って、組織委員会の人に提案をした。
すなわち、魔石工として今からルークを雇わないか、という提案だ。
見習い魔石工の提案に委員会の人達は様々な反応を浮かべた。見習いの鑑定を全て信じてよいのか、と懐疑的な反応もあれば、今すぐにでも魔石工に縋りたいという人、資金をどう捻出するかと思案する人。
これは提案であり、ゴリ押しするつもりは無いが、ルークを詐欺師と一緒にして欲しくないエラは誇りを持って口を開いた。
「私の師匠はルーク・フレッチャーです。コブランフィールドでフランマという魔石工房を営んでいます。調べて頂いても結構です。あの辺りで彼以上の魔石工はいません」
「腕のいい魔石工ですよ。祖父に氷の魔石を贈った事がありますが、夏が過ごしやすいと喜んでましたから」
アルフィーがエラを擁護すると、近くにいた女子大学生も口を開いた。
「フランマってあの魔石工房フランマ?女子大生の護身用の魔石売ってる所よね?だったら魔石工として問題ないところですよ」
知らない人からの思わぬ援護にエラはパッと瞳を輝かせた。
「ご存じなんですか?」
「ええ。私もコブランカレッジに入学した時にフランマの魔石を買ったから。私、あんまり神秘魔法得意じゃないの。ストーカー被害に遭ってたんだけど、姿隠しの魔石を付けるようになってからはストーカーが私を見失ってくれて、いつの間にかいなくなってたわ。フランマの魔石のおかげで怯えずに大学にも通えたし、私の周りにもフランマの魔石のお世話になってるって子はかなりいるわ。貴方の師匠が作った魔石なのよね?」
「はい!」
「なら、彼女の師匠は本物ですよ。魔術科の生徒ですら買いに行く魔石ですから」
アルフィーだけでなく、女子大生もエラの師匠の評判を良く言ってくれたため、委員会の人達の心はだいぶルークを呼ぶ事に傾いたようだった。
「あの、それは幾らくらいかかるのかな」
「それにコブランフィールドってここから遠いだろう?今から来ていただけるのかい?」
「値段は交渉次第ですけど、店長は今から来るのも吝かでは無いと言ってました」
「少しだけ待ってもらってもいいですか?」
「勿論です」
頷くエラに委員会の人達はテントに戻って協議するようだったが、エラは手応えを感じていた。
きっとすぐにルークを呼ぶよう言われる。
その予想通り、三十分もしないうちに委員長が「ミス・メイソンの師匠を呼んでほしい」と頼んできた。
夕方、ルークはヨルクドンに辿り着いた。
何故か妻のシンディも帯同していてエラは驚いたが、ルークはすぐにエラを連れて魔石作りに取り掛かった。
もう残す作業は魔法付与だけの石をありったけ持ってきたルークは、エラが一度鑑定した石を己で鑑定し直し、確かに粗悪品である事を確かめてから、委員会の魔術師にどんな魔法の魔石を作るのか細かく決めにかかった。
残されたシンディは委員会と値段交渉を始め、委員会からすると破格の条件で魔石の作成を請け負った。
「つ、つまり、今日砦に泊めたら、半額でやってくれると…?」
「あら、それほどおかしな値段ではありませんよ。この砦に三人が泊まるとこの半額くらいかかるでしょう?店主も納得していますし、私も一度泊まってみたかったので」
「ほ、本当ですか!?それなら予算内に収まる…!」
騙されて粗悪品の魔石に毎年かなりのお金を払っていたため、あまりお金に余裕の無かった委員会は喜んだ。
そんな委員会に「ですが」とシンディは付け加えた。
途端に委員会が波を打ったように静かになる。
そんな彼らにシンディは微笑んだ。
「次に魔石作成をうちに依頼する時は正規料金を頂きます。そしてできれば、次の時はうちではなく、他の魔石工に魔石を頼んでみて下さい」
面食らう委員会にシンディは石碑のすぐ脇で、持ってきた石の中から石碑にセットできそうな石を探す夫とその弟子を見つめた。
「うちの人以外にも素晴らしい魔石工はいます。とても素晴らしい砦なんですもの。色んな魔石工にこの栄誉を与えるべきですよ」
シンディがそんな話をしているとは露知らず、エラとルークは持ってきた大きめの水晶を石碑にセットしてみた。
少し収まりが悪いが、落ちる事はない。
「少し小さいが、まあ問題ないだろう」
「そうですね。水晶なら透明だからどんな魔法でも込められるし。あ、知ってました?昔ののヨルクドンの砦は青い瑪瑙で作られてたらしいですよ」
「青い瑪瑙って事は水や氷の魔法なのか?」
「はい。さっき資料館で調べました。流動の魔法で雪崩の向きを変える魔法だったみたいですよ」
「なるほどなぁ。水系統の魔法か」
「それで青く光ってたんですかねぇ」
「そういえばアルフィーはどこいった?」
「バイトですよ。元々それで来てるんですし」
あの騒動の後、アルフィーは呼びに来た友人と砦の方へ行ってしまった。
一緒にいられないのは少し残念だったが、エラはルークが来るまで資料館に戻らせてもらい、ヨルクドンの魔石について調べていたのだ。
「ただライトアップするだけってのもつまらんなぁ」
「いっそ、その流動の魔法を再現したらどうでしょう?」
「そうだな…よし。俺はとりあえず注文通りの魔石を作ってみる。エラはその流動の魔法を込めた魔石を試作してくれ」
「え…!?し、試作ですか!?」
エラは驚いて動きを止めた。
エラは今まで魔法付与の練習はしてきたが、練習以外で、しかもルークに頼まれて試作とはいえ魔石を作るのは初めてなのだ。
ルークは片眉を上げてエラを見た。
「ヨルクドンの魔石は俺も知っていたが、資料館で調べてたお前ほどは知らん。だからエラが作れ。客に見せるための魔石だ。一、二回で壊れる魔石は困るぞ」
エラはごくりと喉を鳴らした。
これはルークからの課題だ。エラが魔石工になるための試練だ。
でも、ルークは決してエラができない課題を課す事はない。彼はエラが試作くらいならもう作れると信じてくれているのだ。
エラは表情を真剣にして、姿勢を正した。
「すぐに作ります」
エラは魔法付与に集中しようと、テントに戻るルークとは離れて、石碑の所に残った。
資料館で見た流動の魔法を思い出す。
かつてこの町を頻繁に襲った雪崩に対して、過去の魔石工達は防御の魔法で食い止めたり、炎の魔法で溶かしたりせず、水の魔法で受け流す事にした。
考えてみれば、防御の魔法で雪崩を食い止めても規模が大きければ防御結界が壊れる可能性もあるし、食い止めた雪崩が結界に沿って壁となり、山道への道を塞ぐかもしれない。炎の魔法だって、溶かすのが間に合わなかったり、火傷をする人が出たり、よしんば溶かしたとしても今度は水が凍って別の危険を起こすかもしれない。
その点、流動の魔法は物を流し動かす魔法なので、結界に沿って雪崩を勢いのままに流す事が可能だ。
そうやって過去の魔石工達はこの町を守った。
その魔石を再現するのが今のエラの仕事。
エラはルークから預かった水晶を一つ取り上げた。
今回はいつもの練習のように簡単に使えなくなる魔石は作れない。試作とはいえ簡単に使えなくなってしまったら、この委員会の人達の心証が悪くなる。
「………大丈夫、できる」
あまり時間がない。ルークは依頼されたライトアップ用の魔石を作っているが、エラの試作を試してみて委員会側がこちらが良いと言えば、ルークは作り直さなければならない。
エラは一度深呼吸を挟み、目を閉じて、己の魔力を操り、魔石へ魔法付与を始めた。
「揺蕩え………動かぬ…もの………」
呪文を口に出しながら、魔法付与を慎重に行う。
慎重に、慎重に。
けれど、初めて扱う呪文で魔法付与に手こずって手の中の水晶は壊れた。
小さな傷が手にできるが、寒さで悴んでいるせいか痛みはない。
「……もう一回」
エラはもう一つ水晶を取り上げた。付与する呪文を再確認する。
大丈夫、もう一度。
何度も深呼吸をして、何度も大丈夫と呟いて、エラは二回目の魔法付与を開始した。
けれど、それも失敗する。
三回目、四回目も。
「……っ…!」
ダメだ。
手の中で砕けた水晶。
最近はこんなに失敗しないのに、どうして。
それでも諦めずにもう一度、と水晶を手に取った所で冷えた指先が水晶を取り落とした。
「…あっ………」
ーーー本当にできる?私に。
指先が震える。
何で。
ーーー何で、魔石工なのに。
分かってる。全員が素晴らしい魔石工なわけじゃない。
ーーー何で、詐欺なんか。
体が冷える。火の魔石は使っているのに。
すでに陽は沈み、夜になって、闇の気配が近づいている。最悪な事に雪まで降ってきた。
急がなきゃ。ルークならあっという間に魔石を作ってしまう。
躊躇っている場合じゃない。早く、早く流動の魔法を。
「エラ?」
「っ!」
突然話しかけられて、エラは指先で摘んでいた水晶をまた取り落とした。
「あ……」
「ごめん、驚かせた?」
「アルフィー……」
そこに居たのはよく知る、味方だった。
優しい妖精の月の瞳がエラを見下ろしていて、エラの手を見て少しだけ見開かれた。
「それ、治すよ」
「…………ど、どうしよう」
「うん?」
エラは思わず弱音を吐いた。
「て、店長に、魔石を作るよう言われたの。し、試作だけど。で、でもさっきから上手くいかなくて、そ、それに初めての呪文で、で、できる気が、しなくて……」
「エラ、落ち着いて」
「でも…!」
「寒いんじゃない?」
ふ、とエラの周りの空気が暖かくなった。
「一人の方が集中できるからテントから離れたんだろうけど、こんな吹きっさらしの所じゃいくら火の魔石を使っても限界がある。しかもエラ、魔法付与の為に手袋取ってるでしょ?体が冷えて当たり前だよ」
「そ、れとこれとは話が別……」
「一緒だよ。寒さで頭が回ってないんだ。とりあえず、手見せて」
「あ……」
ヒョイと手を取られて、治癒魔法を掛けられる。
いつもの光景に少しだけ緊張が取れると、自分の歯が寒さで噛み合ってない事に気がついた。
「いつもの状態じゃないんだから、魔法付与が上手くいくわけないでしょ?」
「……………」
「俺が魔法で温めるから。いいからエラは少し休みなよ。ーーー《遮れ》」
ぴたりと風が止んだ。
二人を包むように透明な膜が張られている。それが風を遮っているのだ。
風が止み、暖かい空気に包まれた事で、エラはやっと寒さで身を固くしている事に気がついた。思っていた以上に凍えている。
「……さ、むい」
「やっぱりね」
「…うん……ありがとう」
「いや、巻き込んだの俺だし。手伝える事は手伝うよ。昼間もそう言ったでしょ?」
「…うん」
頼もしくも優しい言葉にほっとし、徐々に寒さによる緊張が解けていく。
五分もすれば噛み合わなかった歯が鳴らなくなり、話す余裕も戻ってきた。
「バイト、終わったの?」
「終わったよ。後は夕飯食べて砦で寝るだけ」
「メンテナンスのバイトっていつも砦に泊まるんだっけ?」
「そう。別に町の宿取ってもいいんだけど、手当が出ないからみんな砦に泊まるね。エントランスで男子が雑魚寝、女子は個室だよ。女子のバイトは少ないから毎年こうだね」
「へえ」
「ちなみに、今日はエラも砦の個室に泊まれるよ」
「え!?」
「シンディさんが魔石の価格を格安にする代わりに泊めてくれるよう頼んだんだって。さっき教えてくれた」
「わあ…!嬉しい、夢みたい!毎年テレビで放送されるじゃない?いつも青くて綺麗だなーって思ってたから一回泊まってみたかったの」
いつも通りの他愛無い話にエラの過剰な緊張も取れてくる。
それを察したらしいアルフィーが「元気出てきたみたいだね」と微笑む。
空には黄金の月と黄緑色の妖精の月。すぐそばにある優しい妖精の月の瞳。
ーーー大丈夫。
「うん。頑張る」
エラは改めて水晶を取り出した。
今度は失敗せずに魔法付与ができる気がした。
何故なら、世界で一番優しい瞳が自分を応援してくれていると知っているから。




