ヨルクドン 2
エラは家に帰ってからその魔石に魔力を送り、幻影の魔法を使って自分の周りに現れる小宇宙を楽しんだ。
たったそれだけの魔法だったけれど、暗闇で使うと星の煌めきがより美しく儚げで、とても神秘的な宇宙の中心にいるようだった。これをいらないと言うなんて信じられない。
エラにとって魔石は夏や冬の温度調整や畑仕事で使う便利道具という位置付けだったが、この日から遊び道具であり、興味の対象になった。
どうして石に魔法が入るんだろう、どうして魔力を込めると魔法が使えるんだろう、どうして石なんだろう、どうやって作るんだろう。
自分の周りの小宇宙を見つめながら、エラはいくつもの『どうして』を解消できずにいた。
まだインターネットなんか上手く使えなかったし、多分当時の自分は調べた所で、今の十分の一も分からないまま分かった気になって魔石工なんて目指さなかったかもしれないから、調べなくてよかったのかもしれない。
十一歳のエラは結局、疑問を解消するためにディランの所へ向かった。
ディランは快く迎えてくれ、魔石工としてエラの疑問にも分かるように説明してくれたし、作り方も教えてくれた。
「簡単そう」
「ところがどっこい、魔石を作るのは大変なんだよ。魔力や魔法を込めるのはとーーーーっても難しいんだ。エラが宿題終わらせる方がずっと簡単だよ」
「うげぇ。宿題やだよ」
「ははは、頑張れ頑張れ。宿題頑張ったらおじさんが作った他の魔石も見せてあげるからね」
「ほんと!?」
「ああ。一杯あるよ。そのためにはまず宿題だなー」
素直なエラは翌日宿題をこなしてからディランの家に顔を出し、ディランは笑いながらランプの魔法が込められた魔石を見せてくれた。それは夜に使えば手元を明るくしてくれる魔石で、やはりチャーム仕様になっていた。
「何に使うんですか?」
「使い方かぁ…そうだなぁ、エラちゃんが分かるのは災害時かな。夜に停電とかしたら困るだろう?それに夜が明ける前に畑で作業する時に手元を照らしたりとか」
「懐中電灯じゃだめなの?」
「いや、懐中電灯でも大丈夫だよ。最近は化学に頼る事が多いからこういう魔石は姿を消しつつあるね。昔はよく使ったんだよ」
「ふぅん……他には?他の魔石も見せて!」
「それは明日のお楽しみ」
「ええええー!?」
エラの抗議の悲鳴などディランはどこ吹く風でエラの頭に手を乗せて、少しだけ乱暴に掻き回した。
「まだ見たかったら明日もおいで。ちゃんと宿題は済ませる事」
それからエラはディランの家に毎日のように遊びに行くようになった。
ディランに宿題を見せると、彼は毎回一つだけ魔石を見せてくれたし、どんな魔法が込められた魔石か実演もしてくれた。
ディランは真面目で陽気な人だった。
子供特有の無邪気さで、毎日のように押しかけるエラにディランは嫌な顔を一つしなかったし、近所とはいえあまり面識のない男の家に娘が入り浸るのは親が心配だろうとエラの両親にもわざわざ挨拶に来て、エラが遊びに来たら遅くなる前に家に帰すと約束するような人だ。
「一緒に魔石、作ってみるか?」
「うん!」
ある日、ディランはエラにそんな提案をして、二人で魔石作りが始まった。
もちろん難しい過程はディランにやってもらったので、エラがやったのは実質日光干し作業とどんな魔法にするか、どんな条件で発動するかをディランと考えただけだ。月光干しは夜なので学校があるからとやらせてもらえなかった。
それでもエラは不思議と楽しかったのを覚えている。
「どんな魔法の石にしようか?」
「空飛べるやつ!」
「それは無理だ。法律で禁止されてるからね」
「ええー……じゃあ今度キャンプに行くから火が付けれる魔法は?」
「うーん…間違えて発動すると火事になるからダメ」
「間違えないよ!」
「エラは間違えなくても、これ何だろう?って妹が触ったら?危ないだろう?」
「……うー……じゃ、じゃあこの前の魔石を星じゃなくて海にできる?」
「海かー。それいいなぁ」
エラが考えつくのは子供らしく遊べる魔石ばかりだったけれど、ディランはいつも笑いながら作ってくれた。
鯨やイルカ、魚の泳ぐ幻影の魔石、花の妖精が飛ぶ幻影の魔石、虹色を発する魔石、物を浮かす魔石、砂や泥を落とす魔石、望遠鏡のように遠くが見れる魔石ーーー色んな魔石を作った。
実用的な魔石も作った。今は化学に成り代わってあまり使われなくなった魔石で、コップの中の物を温める魔石も、その逆である冷す魔石も作ったし、温風を発生する魔石、映像を記録する魔石、音声を記録する魔石などを作った。
エラは魔石に夢中になり、この頃は友達と遊ぶ時間よりディランに魔石について教えてもらう時間の方が多かったほどだった。
「魔石は好きかい?」
「大好き!私も魔石工になりたい!」
「そうかそうか。楽しみだなぁ。エラが魔石工になるなら僕が師匠になろう。じゃあ次に魔石を作る時は魔力付与のやり方を教えてあげような」
「ほんと!?やったぁー!約束だよ」
「ああ、約束だ」
エラはとても楽しかったけれど、その時間はそれほど長くは続かなかった。
ディランが亡くなったからだ。
いつも通り遊びに来たエラが胸を押さえて倒れているディランを見つけたのでよく覚えている。
エラが何度呼んでも、揺すってもディランは固く目を瞑ったまま目も開かなかったし、ぴくりとも動かなかったし、体は冷たく、唇は色が白くなっていた。
どうしていいか分からず、心細くて泣きながら家に電話をかけ、話を聞いて飛んできた母親が救急車を呼んだ。
エラはまたディランは戻ってくると思っていたけれど、ディランは戻ってこなかった。
ディランの妹だという人とその子供がやってきて、荷物を持ち出すとディランの家は売り家になってしまった。
しばらくエラは塞ぎ込んだ。遺体の第一発見者になったショックも大きかったし、もっと早くディランの家に行っていれば…という罪悪感も大きく、学校も一週間くらい休んでしまったし、何もする気が起きなかった。
ぼんやりしていたある日、ディランの妹だという人がエラを訪ねてきた。
両親と一緒にエラの部屋までやってきたその人は、エラの前にやってくると「あなたがエラちゃん?」と尋ねた。
小さく頷くとディランの妹は涙を浮かべた。
「ありがとう。兄のそばにいてくれて」
エラは意味が分からず、首を振った。
何もしていない。ディランがエラと遊んでくれたのだ。エラは何もしてない。
それに。
「…わ、私が、もっと早く……」
声が震えて、喉が塞がって、それだけしかいえなかった。
けれど彼女には伝わったらしい。両親も息を呑んでいた。
「エラちゃん、例えあの日、エラちゃんが学校に行かずに兄の家に来たとしても…もう手遅れだったの。警察の方がそう言ってたわ。だから、ディランが死んだのはエラちゃんのせいじゃないの」
「…………………うぅぅ……」
エラは大粒の涙を零して咽び泣いた。ディランの妹が抱きしめてくれたので、それに縋ってあの日から凝ってしまったものを吐き出した。
「…ディランおじさん、魔石の作り方、教えてくれる、って言ったのに……毎日、宿題頑張ったのに……何で……何で………!も、もっと、魔石の事、教えて欲しかったのに…!何で!」
途中からわんわん泣いて、ひたすらディランの事を罵ったり、もう会えない事を寂しがった。
ようやくエラの涙が落ち着いてきた頃、ディランの妹はエラの体から身を離し、赤くなったエラの目を見て、同じように涙ぐむ目を細めた。
「兄の日記を読んだの。ここ数ヶ月ははずっとエラちゃんの事が書かれてたわ。兄……ディランは魔石工だったのに、それをやめてまで田舎に戻って両親の面倒を見てくれたの。私の娘達は魔石に興味がなくて、ディランが遊び用の魔石を作っても要らないって言うばかりで……ずっと寂しそうだったわ。でも、エラちゃんが魔石に興味を持ってくれてからは楽しかってみたい」
「…ディランおじさんの魔石、楽しいもん」
「そう言ってくれてありがとう、エラちゃん。きっとディランも喜んでるわ」
彼女は鞄からラッピングされた箱を取り出した。
「これがディランの家にあったの。ごめんなさい、誰宛のプレゼントか分からなくて一度開けてしまったんだけど、間違いなくエラちゃん宛よ。良かったらもらってあげてくれないかしら?」
エラはおずおずと渡されたプレゼントを開けた。
「……!これ……」
「ふふ、子供なのにそれが何か分かるのね」
そこにはもう廃れてしまって一般にはあまり売っていない、魔石をセットできるマグカップが入っていた。おじさん、と呼んでいたが初老のディランには似つかわしくない、可愛らしい花柄のマグカップだ。
「日記にコップの中の物を温かくする魔石を作ったって書いてあったから、エラちゃん宛だなって分かったの」
エラはプレゼントをそっと抱きしめた。きっと一生の宝物になると直感した。
「…私、魔石工になる。ディランおじさんみたいに」
「ええ。頑張ってね」
「うん…!」
日が昇り始めて、エラは黎明の空を見つめた。それがほんの少し滲んでいるが、涙は溢れていない。
「それで魔石工に?」
「そう」
アルフィーに話し合えたエラは視線を空から外し、意味もなく伸びをした。
当時はディランがいない事が悲しかったし寂しかったから、たまに思い出すととても苦しかった。でも苦しいと、決まってディランと魔石を作った事を思い出して涙を拭いて魔石工になるんだ、と意思を強くした。
魔石工になると言ったエラに師匠になってやると言ってくれたディランの約束は果たされなかったけれど、魔石工になると言った自分の夢は叶えたい。
そうして夢を確固たるものにしていくと、いつの間にかディランとの思い出は優しい思い出になっていて、涙は出なくなった。
「実はね、もうディランおじさんが作ってくれた魔石ってほとんど使えなくなっちゃったの。まだ使えるのは幻影の魔石と今日持ってきたコップの中身を温める魔石と明かり代わりのランプの魔石くらいで。ディランおじさんに貰った魔石が無くなる前に一人前になるのが私の今の目標」
何をもって一人前とするのかも実は決めていて、エラが作った魔石をルークが店に置いていい、と判断したら一人前だと思っている。
いつそんな未来が来るか分からないが、毎日の努力は目標に少しずつ近付いているはずだ。
そういえばアルフィーはどうなんだろう。
アルフィーが将来どうしたいか、何になりたいか、とか聞いた事ない。
「アルフィーは将来はどうしたいとかあるの?」
「俺?うーん…魔術研究所に就職できたらいいな、くらいかな」
「魔法の研究してる所よね。魔法の研究するの?」
「現代って化学に大部分を頼ってるでしょ?でも化学に頼りすぎて色々環境問題も起きてる。その点、魔法なら基本的には環境問題にならないからそういう問題も解決するはずだし、操作が難しい魔法を簡単にできたらいいなとは思う」
さすがコブランカレッジの学生だ。夢の規模が違う。
エラが感心してると、でも、とアルフィーが続けた。
「狭き門だから無理かな、とは思ってる」
「アルフィーなら大丈夫よ、きっと。魔法上手だし、私なんて魔石が好きってだけで魔石工になったんだし」
「…エラが言うと説得力あるなぁ」
苦笑してアルフィーが言ったが、ふとその横顔を寂しげにした。
「あとは田舎に住んでみたい」
「田舎?何にもないわよ?娯楽だって限られるし…」
「そうなんだろうけど…今ほど周りを警戒しなくてもいいかなぁって」
「あー……」
エラはアルフィーの言わんとしている事を察してどう返せばいいのか分からなかった。
確かに人の流動が激しい都会とは違い、本当のど田舎は人の出入りなどすぐ知れる。エラの育ったグリーンウィッチはそこそこの田舎なのでよそ者が来たらすぐ分かる!という程ではないが、それでも不特定多数にいつ命が狙われるか分からないアルフィーからすれば都会よりはマシだろう。
「……農業する気があるなら割と大歓迎してくれると思うわよ?」
「農業はやった事ないからなぁ…」
とりあえず無難な返事を返してアルフィーがやっぱり苦笑する。
アルフィーが周りを警戒しなくていい日が早くくればいいのに。
エラは心の中で溜め息をついた。
道中は他愛無い話をしながら進んだ。
雪深くなる道に雪道運転の経験が少ないアルフィーが少しだけ慎重に運転してるなど気が付かないまま、エラは真っ白な外の景色を楽しんだ。
いつの間にか朝日は昇っているのに、外の音は雪に吸収されたのかひっそりしていて、エンジン音と車の中の音楽がよく響く。
窓に触れれば指先が凍りそうなほど冷たい。きっと外に出たら息は白くなるし、鼻は赤くなるだろう。
ちゃんと防寒対策をしてきて良かった。寒さを防ぐための魔法も限界があるので、キチンと服を防寒仕様にしてきて良かったし、夜寝る時のためのブランケットなども温かい物を持ってきた。
山道を進んでいくと、ぽっかりと平地が現れた。
平地といっても四方を山に囲まれていて、平地にはこの辺りにはここにしか住めない!と言わんばかりに家が所狭しと並んでいる。それはなだらかな斜面まで続くが、ある一定の場所からは家は建っておらず、その先は急な斜面になっている。
「やーっと着いた。ここがヨルクドンだよ」
辿り着いた事にほっとした様子でアルフィーが教えてくれた。
「ここがヨルクドン…」
噂に違わぬ、谷の町だった。
本編に関係ない裏設定ですが、ディランは優秀な魔石工でした。でも商売が下手だったので、自分の工房は持ってませんでした。両親の看病の為に田舎に戻ると働いていた工房に言った時はとても引き止められましたが、ディランは子供の頃に大病をし、貧しい中必死に看病してくれた両親をとても大切にしていたので田舎に戻ってきました。エラは知りませんでしたが、たまに頼まれて町の人の魔石は作っていました。
魔石が大好きだった彼は、子供のエラが興味を持ってくれてとても嬉しかったようです。




