オータムフェスティバル 5
祭りから五日経った。
「いらっしゃいませ」
エラは普通に仕事をしていた。
アルフィーからの連絡は無い。短いメッセージを送ったが、デイヴの言う通り返信は無かった。
何も考えたくなくて、エラは時間があれば魔法付与の練習に没頭した。
けれど現実逃避としようと魔法付与に没頭しても、なかなか成功しなかった。
「ぅわ…っ!」
バキン!と一際大きい音がして手の中の石が弾け飛んだ。弾け飛んだ石のかけらでまた手や頬を怪我する。今回は特に激しく壊れたので、ブラウスを破って二の腕も傷つけてしまった。
「…はあ……上手くいかない……」
ズキズキと傷付けた肌が痛い。たぶん血も滲んでるだろう。
でもエラは頓着せずに新しい石を手に取った。今は少しくらい痛い方が気が紛れる。
エラはまた魔法付与を始めた。
そこへルークが顔を出した。
「おい、エラ……」
ルークは魔法付与に集中しているエラを見て邪魔をしないよう口をつぐんだが、血が滲んだ頬や手に仰天していた。
魔法付与の最中に気を散らすと失敗の元なので、ルークはエラの血が滲む様子にじりじりとした気持ちになりながら魔法付与が終わるのを待った。魔力付与や魔法付与には時間がかかるのだ。
なのにカラン、カランと店のベルが来客を告げる。
ルークは仕方なく弟子を残して店へと出た。
エラはそんな師匠の様子には気づかずに魔法付与に夢中になっていたが、また石は音をたてて弾け飛んだ。
「はあ……」
上手くいかない。
エラは一度ゴーグルを外した。何が悪いのか考えてみようと思ったからだ。
エラは目を閉じてぐるぐると腕を回した。
何が悪いんだろう。やっぱり魔力をもっと細く操れないと難しいのだろうか。結構ギリギリまで細くしているのだに……いや速度?魔法付与の速度だろうか?
思考に没頭していたエラはまた店の玄関ベルが鳴った事にも、その後に誰かが工房の入り口を覗いた事にも気が付かなかった。
「ーーーエラ?」
そろりと掛けられた声に閉じていた目を見開いて、声のした方を振り返る。
工房の入り口にいたのはルークではなく、自分と同じ妖精の月の瞳と自然に馴染むような茶髪をした男だった。
「…アルフィー?」
「って、怪我!」
目の前の事が信じられず、本物?と馬鹿な事を考えているエラのすぐそばに、アルフィーは焦った顔でやってきた。
「何でこんなに怪我してんの!?」
「え?え、あ、えっと」
アルフィーの剣幕にやっとズキズキと痛んでいた怪我に目を向けてエラは自分で驚いた。こんなに怪我をしていたっけ?
自分の体に驚いているとパッと手首を握られた。
「来た途端にルークさんにエラの所へ行け、って言われる筈だよ。何でこんなに怪我してるの?いくら魔法付与の練習でもやり過ぎ」
「ご、ごめん」
思わず謝るとアルフィーはさっと手の傷に手を翳して治癒魔法を使い始める。
「全部治すからじっとしてて」
「……はい」
エラは大人しく従った。といっても本当に大人しくしているだけだ。
何で、アルフィーがここにいるんだろう?
エラは半ば茫然としていた。色々な感情や情報が頭の中を交錯して、どうすればいいのか分からなかった。
言いたい事も聞きたい事もあったはずなのに。
「………アルフィーは…」
「ん?」
「…もう、出歩いていいの?」
とりあえずそう聞いた。
だってデイヴは数日は連絡も取れないと言っていた。
その言葉通り、エラがメッセージを一度だけ入れても何も返信がなかった。
それなのに今は目の前にいる。
アルフィーは苦笑して目を伏せた。
「一応。とりあえず今すぐどうこうはならないからって今日解放された」
「今日?」
「うん。で、そのままここへ来た」
アルフィーの手が頬に翳される。どうやらそこにも傷があるらしい。
「ちゃんと話すって約束したしね」
魔力が傷に流し込まれて頬が温かくなる。
その温かさに目を閉じる。
いつも通りだ。職人でも店子でも客でもないアルフィーがフランマにいる。
「仕事が終わるの待ってるからさ、終わったら時間くれる?」
「…うん」
エラはやっと少しだけ微笑んで頷いた。
アルフィーは複雑そうな顔だったけれど、どこかほっとしているようだった。
仕事が終わってからエラはアルフィーを家に招いた。
「狭いし散らかってるけど…」
「いや、急に押しかけたの俺だから」
親族以外の女性の部屋というものに初めて入ったアルフィーは少しだけ緊張して周りを見渡した。
ライトブラウンで統一された家具に、スモーキーグリーンのカーテンと同じような色合いのベッド、そして灰色のソファーが置かれている。
エラにソファーを勧められてアルフィは座った。
少ししてお茶と小さな椅子を持ってきたエラはアルフィーの斜め前に座ったので、アルフィーはそっと盗聴防止のための魔法を使ってから口を開いた。
「俺の母親がプリンセス・エイブリーなのは聞いた?」
「うん…デイヴから。まだ信じられないんだけど…」
「だろうね。一応、これでも母親似なんだけど」
うーん、とアルフィーは小さく唸った。
「俺は間違いなくじいさん……国王の孫なんだけど、母親が王女で、結婚で王宮を出ているから俺自身は別に王子ってわけじゃないんだ」
「え、そうなの?王女様の子供なら王子なんじゃないの?」
「ううん。何て言ったら分かりやすいかな。昔の臣籍降嫁って分かる?王女が臣下に嫁ぐ事ね。だから子供は王族じゃないんだよ。それに今は法律上は俺の母親は国王の娘だから王族なんだけど、夫やその子供は平民の身分だと明記されてるんだよね」
「……へえ」
確かに言われてみれば、どこまで王族とするか法律で決めておかないと大変そうだ。
「でもこれは法律上の話。法律では俺は王族じゃなく一国民に過ぎないのは間違いないんだけど、法律とは別に古臭い王室典範ってのがあって、それによると王女の息子にも王位継承権を認めているんだよ。つまり俺にも王位継承権が形式上はある。さて問題です。この国は女王を認めていますか?」
「え?み、認めてない」
突然のクイズにエラは驚きつつも反応した。
この国で国王になれるのは男児だけだ。でも王太子にもエラと同い年くらいの男児がいるはずだし、後継ぎ問題なら解決しているように見える。何故そこにアルフィーの王位継承権なんて話が出てくるか検討もつかない。
アルフィーは手に持った紅茶を見つめた。
「正解。この国で国王になれるのは男だけ。まあ伯父さんは元気だし、次の王位は問題ないんだよ。問題はその次」
「その次?」
「俺の従兄、アルヴィン王子ね。聞いた事あるでしょ?」
「う、うん。テレビで見た事ある」
「そう、そいつ」
うわぁ、王太子の事を『伯父さん』って言ったり王子の事を『そいつ』って言ったりするなんて。
エラは畏れ多くてそんな風に絶対に呼べないが、アルフィーは違うのだろう。本当に親族なんだと思い知らされる。
「アルヴィンはさ、魔力不全っていう珍しい病気なんだ」
「……え?」
王子様が病気?
何それ、聞いた事ない。
「公表してあるんだけど、見た目には分かりにくい病気だし、本人も元気な時は公務に励むからみんな忘れがちなんだよね。でも病気は本当で、いまもあいつを蝕んでる。魔力不全は普通なら体を巡る魔力が、どこかで滞るせいで魔力の巡りが悪くなって全身に影響を及ぼすんだけど、この病気の怖いところは突然死の可能性がある事なんだ。こんな事言いたくないけどもしアルヴィンが今死んだ場合、後継ぎ問題が発生する。じいさん…国王は一人っ子で兄弟はいないし、息子は伯父さんだけ。その伯父さんの息子もアルヴィンだけ。アルヴィンはまだ結婚してないから当然次がいない。そうすると俺に王位が回ってくる不思議が起きるんだよ。さっきも言った通り、王女の息子にも王位継承権はあるから」
「あ……なるほど……」
エラは何となく理解した。
と、同時に事情を飲み込むと焦り始めた。
だ、だって私、アルフィーの事、普通に呼び捨てにしてる…!王位継承権なんて持った人に今までとんだ無礼を働いている気がする…!
いやいや、今の今まで知らなかったからいいわよね?不可抗力じゃない?それに一国民って位置付けらしいから問題ないでしょ?今まで通りでいいのよね?デイヴもそんな感じだし!
ちょっと混乱しているエラの様子に気がついたアルフィーは苦笑して続けた。
「普通なら俺は王位継承権を持っただけの男で済んだはずだった。でも今の状況はそういう状況だから、勝手に周りがやきもきしてるんだよね。でも、そんな状況を看過しない連中が一定数いる………厄介な身分だよ、本当にさ」
そこまで話すとぐいーっとアルフィーが一気に紅茶を飲み干した。それを見ながらエラは与えられた情報を整理した。
アルフィーは国王陛下の孫で、プリンセス・エイブリーの息子。一般人だけど王女様の息子だからこの国の王位継承権を持っている。で、王位継承権を持っているから変な連中に狙われる事もある。
たぶんこういう事よね?………あれ?
エラは首を傾げた。もやりとしたものを必死に手繰り寄せる。
……王位継承権ってピンと来ないけど、普通は守られていないとおかしくない?
そういえばデイヴも王位継承権を持っているのに護衛が付かないとか何とか言ってた気がする。
「あの、デイヴからアルフィーには護衛みたいな人がつかないって聞いたんだけど……」
「あーそれね。俺は法律上は王族でないから軍の護衛が付かないんだよ。王室典範と法律は別物だから。王室典範は王族についての規律だから王位継承権とかが書かれてる。もう王室典範があったから、法律は税金を使って守るべき王族がどこまでかとか、王族への税金の使い道とかを書いている程度なんだ。俺はその範疇に含まれないから軍の護衛が付かない。おかげで自由だけどさ、まー面倒事に巻き込まれる」
面倒事。
命を狙われるような事が面倒事。
「…面倒事、なの?」
「そりゃあ面倒事だよ。勝手に周りが俺を有用だと思って命やら何やら狙ってくるんだからさ。……俺が魔法が得意な理由だって、どうしても護衛が付けられない軍の連中が俺自身に身を守らせようとした結果だしな」
「そ、うなの?」
「そ。もちろん魔法は好きだけどさ。後は何か質問ある?」
そう言われてもエラは上手く聞けなかった。たくさん、聞きたい事があったはずなのに。
エラはしばらくもう冷めてしまった紅茶を見つめていた。
「………これからもフランマに来てくれる?」
口を突いて出てきたのはそんな質問だった。
「え?」
面食らったかのように呆けているアルフィーを見て、エラは自分の失言に気がつき、慌てて両手を振って否定した。
「待って!今のなし!何でもない!」
何聞いてんの!?私!
これじゃあまるで、フラれた恋人に縋ってるみたいだ。
ーーーなんて考えてしまって益々パニックになる。
「聞きたいのは、他にも色々あるけど!ちょっとまだ上手くまとめられないというか……!」
「ーーーエラ」
優しい声に、エラは少しだけ時を止めた。
微笑んでいるのに泣き出しそうな妖精の月の瞳とかち合った。
「これからも俺は、フランマに、エラに会いに行ってもいい?」
「……………」
エラは意味が分からなくて瞬きをした。
何でそんな寂しい事を聞くんだろう。好きな所へ好きな時に行けばいいのに。エラもルークもシンディもアルフィーを嫌ってなんかないのに。
なのにどうして、許可なんか求めるんだろう。
でもその一言が、アルフィーのこれまでの苦労と苦悩を全て表しているようで、エラはそれまでのパニックも手伝い、訳もなく泣き出したくなった。
隠してきた秘密や嘘はアルフィーの身を守るためなのは間違いないけれど、きっとそれだけじゃないのだろうと漠然と思う。馬鹿な自分にはわからないけれど。
だからエラは紅茶のカップから手を離してアルフィーの手を握り、何度も頷いた。
「いい。来て。遊びに来て。会いに来て。ジンジャーのコーディアルシロップやアップルパイを作る約束があるもの」
まだ果たしていない他愛無い約束がある。
「………うん、ありがとう。また行くよ、エラ」
言葉の端に切なさと嬉しさを混ぜ込んだ返事を聞いて、エラも嬉しくなる。
へにゃ、と緊張していた頬を緩めると、直前の興奮で盛り上がっていた涙が目尻に滲んだ。
こつ、とエラの頭にアルフィーの頭が合わせられた。
至近距離で妖精の月の瞳が見つめてくる。普段ならありえない距離に真っ赤になって離れるだろうが、この時は色々とほっとしていたのもあり、エラは額を合わせたまま小さく笑った。
そんなエラはアルフィーが虚を突かれた顔を一瞬したのにも、その後でゆっくり滲むように笑ったのにも気づかなかった。
「自惚れたくなるなぁ」
「何が?」
「んー、こっちの話」
「?変なアルフィー」
互いにくすくす笑いながら、エラとアルフィーは少しの間額をくっつけていた。




