オータムフェスティバル 4
「ーーー見つけた」
突然現れたのはすらりと背の高い男だった。淡い金髪が日の光を反射してきらきらと輝いていて、ブルーグレーの瞳はとても厳格そうにすっと細められている。
「マテウス……」
「すぐに来ていただきます、アルフィー様」
アルフィー様?
どうみても年上の男なのに、年下のアルフィーに敬称を付けたのがエラはとても不思議だった。
というかマテウスって聞いた事がある。
エラは頭で名前を検索してすぐに思い出した。
アルフィーの父親の部下という人と同じ名前だ。
苦々しそうな顔のアルフィーに引く気のないマテウスはただアルフィーの返事を待っている。
エラは助けを求めるようにデイヴを見たが、彼は小さく首を横に振った。何も言うなという事だろう。
「何があったんだ?」
「ここでは詳しくは言えませんが、王族が狙われてるとだけ伝えます」
「……俺が一番ふらふらしてて、狙いやすいもんな」
ふう、と溜め息をついたアルフィーは、じっとマテウスと呼んだ男を睨んだ。
「エラとデイヴはどうなる?」
「二人は狙われないかと。狙っても意味がありませんから」
「それでも一応加護の魔法をかけてくれ」
「了解しました」
マテウスが頷くとアルフィーがデイヴを振り返った。視界の端でマテウスが小さく指先をエラ達の方に動かした。
「デイヴ、悪い。エラを家まで送ってくれるか?」
「分かった」
「エラ」
固まって成り行きを見守っていたエラを振り返ったアルフィーは何だかとても苦しそうだった。
「…怖い思いをさせてごめん。もう、大丈夫だから」
「い、一体、何なの…?ねぇ…アルフィー……」
「…俺は……」
「アルフィー様、急いで下さい」
周囲を気にしていたマテウスが何かを見つけたのか、一点を睨んで鋭くアルフィーを遮った。
「…ごめん。今度話す」
苦しそうに顔を歪めて、アルフィーはエラから視線を外し、スマホを片手に誰かと話しているマテウスの隣りに移動した。
「ブルームビルと書かれたビルの屋上だ。こっちはアルフィー様の保護を優先する。急げ。逃すな。ーーー移動します」
最後の一言だけアルフィーに向かって言って、マテウスが魔法を展開させると、あっという間もなく二人はエラの前から消えた。
エラは呆然としていた。
デイヴが「行こう」と声をかけてくれなければ、いつまでも立ち竦んでいたかもしれない。
もう祭りを楽しむ気にもなれず、エラはデイヴと家路についた。
「…ねえ、デイヴ」
「何だ?」
祭りの喧騒も遠くなった頃、エラはやっと口を開いた。
「…アルフィーって何者なの?」
「……………」
デイヴは長い事黙っていた。
エラも先を促したりしなかった。それほどに混乱していた。
狙われてるのは何で。何故王族なんて単語が出てくるの。拳銃なんて物騒な。何で様付けされてるの。何で。何で。何で。
ようやくエラのアパートの辿り着いた時、ぼそりとデイヴが呟いた。
「…少し家に入れてくれるか?そうしたら俺の知っている事を話す」
「………分かった」
呆然としていたエラは、あまり考えずに頷いた。
普段なら一人暮らしのアパートにその日知り合ったばかりの男を入れたりしないのだが、この日はそんな事を考えていられなかった。
小さな部屋にデイヴを入れて、心を落ち着けるためにエラは紅茶を淹れた。
紅茶を淹れる時間はデイヴにとってもありがたい時間だった。
ずっと表情を強張らせているエラがあまりにも痛ましく、つい話すと言ってしまったが、アルフィーの許可もなく勝手に話していいものなのかと今更不安になる。
ごちゃごちゃしている思考回路を何とか組み立てて、ただの幼馴染としての情報なら話しても問題ないだろうと、目の前にお茶を置かれた時には決めていた。
ソファーに座ったデイヴの対面に、小さな椅子を持ってきたエラが座る。
デイヴは深呼吸をして話し始めた。
「エラはプリンセス・エイブリーは知ってるか?」
「もちろん知ってるわ。王女様よね?王太子様の妹の…」
「ああ、そうだ」
自国でも、世界的にも有名人だ。もちろん知っているだろう。
デイヴはもう一度深呼吸をした。
息を吐き切って腹を決める。
「アルフィーの母親はそのプリンセス・エイブリーだ」
「え……?」
「あいつは一応王族なんだ。テレビとかには出ないし公務もしないが、王位継承権も持ってる」
「お、王位継承権…?アルフィーが?」
「ああ。でも軍や警察の護衛は付かない。その辺の理由はアルフィーに聞いてくれ。俺も何となくしか分かってないからな」
デイヴは一度、言葉を切った。エラがアルフィーの秘密を飲み込むのを待ったのだ。
「問題なのはアルフィーは王位継承権を持っているのに護衛が付かないって現実だ。アルフィーは間違いなく国王陛下の孫なのに護衛が付かない。そのせいで王族に危害を加えたい連中の格好の餌食なんだ。誘拐もされてた事あるし、今日みたいに命を狙われた事も一度や二度じゃない。直接命を狙われなくても、情報を狙われる事もある」
「情、報?」
「王族の予定とからしい。国王と会うとか、従兄と遊ぶとか、そういう類いの情報だ。今回は妖精達を信じるなら命を狙われたんだろうし、たぶん、安全が確認されるまで数日は連絡も取れなくなると思う。前もそうだったからな」
「…そ、う……」
エラは何とか返事をした。何だか情報が多すぎて、上手く理解しきれなかった。
ただ一つ分かったのは、アルフィーが何度も危険な目に遭っているという事だ。
今、アルフィーは無事なのだろうか。
「今は無事、なのよね?」
そろりと尋ねるとデイヴは大きく頷いた。
「ああ。迎えに来たのはマテウス・グレイっていう軍人でプリンセス・エイブリーの護衛官だ。アルフィーによるとこの国であいつより強い魔術師はまずいないらしい」
「そっか……」
強い魔術師がそばに付いているならきっと安全なのだろう。
まだ全然アルフィーの状況は分かっていないが、とりあえず無事だと分かってエラは固い表情の下でほっと緊張を緩めた。
そうして変な疑問が浮かび上がってきた。
「……変なの。この国で一番強い魔術師なら国王陛下に付いてそうなのに…」
ぽつりと呟いた独り言は空気に溶けて消えた。
「あー最悪だ」
王宮内にある客室でアルフィーはソファーに腰掛けて天井を見上げながら呟いた。
「あの時は緊急事態だったんだよ。ごめんってば」
「分かってるよ、マテウス」
扉の前で護衛官らしく立つ癖にいつも通りに柔和な表情をしたマテウスにぶっきら棒に伝える。実際、マテウスは何も悪くない。自身の任務を遂行しただけだ。
「狙われた実感は無いけど、デイヴの話は本当だろうし…実際、危なかったんだろうな。またデイヴに助けられた」
「そうだね。最初に助けてくれたのもデイヴ君なんだっけ?」
「そう、俺が四歳の時。公園で誘拐されたのを見た妖精がデイヴに知らせたから俺はあの時無傷で助け出された、らしい。さすがに覚えてない」
「それからなんだっけ?アルフィーが魔法を習うようになったの」
「ああ。まあ前の人はお前ほど厳しくなかったけどな」
「やだなぁ、俺も優しく教えたでしょー?」
「どこがだ、ど!こ!が!俺が何度お前に殺されると思ったか知ってるか?」
「えー?一応護衛対象なんだから殺すわけないでしょ?まあ、全力で防がないと大怪我するくらいには力の調整したけど」
「おい」
「でもま、そのおかげで安全は自力で確保できるようになったんだからいいじゃない」
全く悪く思っていないけろりとした様子でマテウスは肩を竦める。
実のところ、エラの疑問は的を射ていた。
法律の問題でアルフィーに軍の護衛は付かない。
だがアルフィーに最初に危害が加えられた四歳の時、王族を守る事を主とする近衛兵団はこの状況を重く見た。
王位継承権第三位の少年は、テロ組織などにとって恰好の餌食になる。
それは命を奪うだけではない。王族に繋がる情報を得れば外交に影響が、誘拐に成功すれば身代金として莫大な金を政府から引き出せるーーー巨大な野望を目論む連中にとってアルフィーは嫌な意味で金の卵だった。
王族だけでなく国を守る軍人として、彼らは法律の抜け穴を探した。何とかして彼に護衛を付けられないか?グレーゾーンでもいい。何とか、何とかーー。
けれども、どうしても護衛を永続的に付けられなかった。
そうして思いついたのだ。プリンセス・エイブリーは王女のため結婚して王宮を出ても護衛官がつく。ならばプリンセス・エイブリーの護衛官を増やし、アルフィー自身に身を守る術を叩き込もう。それならば回された予算や軍人の配置を調整するだけで済む。
幸いプリンセス・エイブリーもその夫も魔法を使う事は得意だったし、まだ小さなアルフィーも簡単な魔法を教えたらすぐに覚えるほど利発な子どもだった。
だからプリンセス・エイブリーの護衛官に強い魔術師が必ず一人回されるようになった。
そうしてアルフィーが十三歳の時に魔法に関しては国軍内で負け知らずのマテウス・グレイがプリンセス・エイブリーの護衛官に任命されたのだ。
彼は軍上層部が予想していたよりも遥かに高等な魔法をアルフィーに教え込んだ。だからアルフィーは危険な目に遭っても今の今まで魔法で身を守り、無傷で生きている。
「それよりも問題はエラちゃんなんでしょ?」
「……うるさい」
指摘されてアルフィーは項垂れた。
ぐちぐちとマテウスに文句を言う事で一番の懸案事項を見ないようにしてきたが、そういう訳にもいかない。
ついにエラに知られてしまった。
あの時のマテウスとのやり取りは断片的な情報だったが、憶測する事は可能だろうし、何よりデイヴが多少話すだろう。デイヴは心根の優しい青年だ。話すのはあまり得意じゃないと言っているが、あんな顔をしたエラを放っておけるような男ではない。
アルフィーは最後に見たエラの固い顔を思い出してしまった。顔色が悪かったし、いつもきらきらと好奇心に輝いている緑の瞳はひび割れた氷のようだった。所在無さげに立ち竦んだエラは頼りなくて、許されるなら抱きしめたかった。
あんな顔をさせるはずじゃなかった。本来なら祭りを楽しんで、最後は三人で花火を上げるはずだった。きっとエラは笑っているはずだった。デイヴも横でほんの少しだけ口角を上げて、不器用に笑っているはずだった。
……嫌われたかもしれないな。
エラについた嘘と言っていない秘密がある。話せていない事がある。
……こんな形で露呈するなら、ちゃんと話せばよかった。
もう全て後の祭りだった。
黙り込んでしまったアルフィーは、母が客室に戻ってくるまでただじっと時が過ぎるのを待った。




