夏の攻防 4
やって来た警察にアルフィーが事情を話しているのをエラは緊張しながらそばで待っていた。エラの顔色が悪いせいか、警官もほぼアルフィーから話を聞いてたまにエラに確認するくらいで、エラとしてはありがたい。アルフィーの話は理路整然としていて、とてもじゃないが今の自分にはまともに話ができるとは思えない。
もう今はスリが逃げた所を話しているので、もうすぐ事情聴取も終わるだろう。
「魔法で捕まえようとした?」
「はい、防がれましたけど…」
「いくらなんでも危ないぞ。次回からはそんな無茶をしちゃあいけない。身を守る事を優先してくれ。まあ次回なんて無い方がいいんだが」
警察官にちょっぴり叱られるアルフィーを見ていて、エラはぱちりと瞬きをした。
「…防がれた?」
「ん?…ああ、たぶん魔法で防がれたんじゃないかな」
エラの呟きにアルフィーが返す。
エラはその時の様子を必死に思い出した。あの時。アルフィーが魔法を使った時。魔力のムチを防いだ時。
二人組は不自然に片手を上げた。エラのよく知るーーー石の割れるような音と一緒に。
「……魔石!!」
はっとしてエラは叫んだ。驚いたアルフィーと警察官がエラを振り返る。
「魔石?」
「そう。あいつら、アルフィーの魔法を魔石で防いだんだわ」
「そうなんですか?」
警察官に聞かれてエラは頷く。
「間違いないと思います。作った人の技量にもよるけど、魔石の魔法には限界があります。アルフィーは詠唱短縮も詠唱破棄もできるんでしょ?」
「まあ一応。できないのも多いけど…」
「そういう事ができるのって強い魔術師よね?アルフィーの魔法に耐えきれずに魔石が砕けたんだわ。だからあいつら、アルフィーの魔法を防いだ時に手を不自然に上げたのよ。手首に付けてた魔石が砕けて驚いたんだわ。どこかに砕けた魔石が落ちてるかも…」
そこでアルフィーもはっとしたように目を見開いた。
「砕けた魔石で怪我をしたって事?」
魔石は魔法で破られて砕けると内側から割れる。魔法付与に失敗した時と同じ様に。
「そう。ただ時間が経ってるし、人が踏み潰してるかも……」
何と言ってもここは観光地。人が多い。
でも血が付いている魔石が見つかれば現代化学なら犯人を特定する鍵になるはずだ。ちょっとは警察の役に立てるかもしれない。
それを聞いた警察官は念のためと逃走経路を確認し始め、すぐに地面に散らばる魔石の成れの果てを発見した。キラキラと僅かな光を反射して光っている。
「全部集めるのは骨だな」
「触っていいなら俺が魔法で集めましょうか?」
「うーん…証拠品だからなぁ…手で集めるよ」
アルフィーの申し出を苦笑して警察官は断った。
それからしばらくして二人は警察官から解放されてフランマに帰った。
ルークに二人とも心配されたが、エラは気丈に振る舞っていて、アルフィーはいつも通りに営業するフランマの書斎に籠った。
籠った途端にドアに背中を預けて思いっきり息を吐き出した。
「………久々にマテウスに稽古を付けてもらおうかな…」
ぼそりと呟いてすぐに慌てて首を振った。休日までマテウスを家に呼べば、彼は仕事の延長のように感じてしまうだろう。もう子どもではないのだから兄のように慕っていても自分の我儘に付き合わせるべきではない。
エラの手を握った自分の手を見る。あの時、自分より一回り小さな手は可哀想なくらい震えていた。
スリから庇った時だって、掴んだエラの肩は細かった。力任せに引っ張ってしまってふらついた彼女を支えた時だって、知っていた事なのに改めて小さいな、と実感した。
女性の身長平均なんて知らないが、たぶん平均くらいだろうエラは男性平均より少し背の高いアルフィーより当たり前に小さいのに。
そんな彼女を一瞬でも危険な目に合わせてしまった。しかも犯人は取り逃すし。
「…はあ……」
情け無い。マテウスや母の他の護衛官のように完璧にできるなんて思っていないし、あの警官の小言通りスリ相手だろうと危険な真似をするべきでは無い事くらい分かっている。
ただ、エラの良心につけ込んでスリを働こうとした連中が許せない。そんな彼女を一瞬でも危険な目に合わせた自分もーーー小さい頃から危険な目に遭ってきたから余計に。
アルフィーの手に縋りながら襲ってきた恐怖に耐えていたエラは、アルフィーが思っていたよりずっとか弱かった。
彼女は無防備にへにゃりと笑っている方がいい。魔石の話になると目をキラキラさせて好奇心に瞳を輝かせている方がいい。
そこまで考えて、アルフィーはふと思い出し笑いをした。あんなにスリに怯えていたのに、魔石の話になった途端エラは饒舌に話し始めた。魔石の事になると黙っていられないのだろう。
そういう所は可愛いと思う。
思わず緩んだ頬に、柔らかく優しくなった感情にアルフィーは気づいて眉をへの字に下げた。
「………参ったなぁ…」
そろそろ認めなければならない。
アルフィーがこのフランマに来るようになった理由ーーー魔石に興味が出たのも、この小さな書斎が気に入っているのも、エラがいつ魔法付与で怪我をしてもいいようにというのも全て本当だ。
でもいつの間にかどれもが頻繁に通う理由の言い訳になっていた。
夜闇の様な濡羽色の髪、妖精の月の瞳ーーーもし夜を象徴するような妖精がいるならエラみたいな見た目なのだろうーーーそう思ったあの瞬間から、きっと彼女に惹かれていた。
ぐしゃりと髪を片手で乱して、アルフィーはもう一度溜め息をついた。
……自分の事なんてこれっぽっちも話せないのに。嘘ばかりついているのに。
こんな気持ちは久しぶりだった。
エラに自分の少し面倒な身分を明かす事もできないのに、気持ちばかり大きくなってしまっている。
自分の面倒な身分を知っても態度を変えず、その秘密を守ってくれると言える人にしかアルフィーは本当の事を話さない。バッカスもそんな友人の一人だ。
エラはどうだろうか。アルフィーの母親が王女だと知っても今まで通りに接してくれるだろうか。
分からない。好意は持っていても、まだ完全に信用はしていない。だから話せない。
迂闊に話したらどうなるかをアルフィーは身をもって知っている。
「バカだなぁ、俺は」
真剣に考えれば考えるほど苦い気持ちしか溢れないのなら、恋なんてしなければよかったのに。
苦しい胸の内を抱えながら、それでも震えていたエラが心配で、夜は家まで送ろうと考えてしまっている自分は本当に馬鹿だ。
こういう気持ちは抑えられないのだと初めて知った。
フランマの営業時間が終わり、後片付けや掃除をしてエラはアルフィーやルークと店を出た。
ルークはエラの一人暮らしのアパートとは反対方向なので、ルークと別れて二人でエラのアパートへ向かう。
「送ってくれなくても大丈夫なのに」
「分かってるよ。俺の気分の問題」
よく分からなくてエラは首を傾げたが、アルフィーが隣りにいると心強いので追求はしなかった。別に帰り道が怖いわけではないが、昼間にスリの被害に遭いかけたので一人の帰り道が少しだけ心細かったのは事実だ。
だからエラは小さな声で「ありがとう」と伝えた。
「え?」
訳が分からないという顔をするアルフィーにエラはへにゃりと気の抜けた顔でありのままを説明した。
「本当はちょっとだけ怖かったの。いつもの帰り道だし、何も無いって分かってるんだけど、スリなんて初めてだったし…だから一緒にいてくれて嬉しい」
「……俺なんて別に」
「そんな事ないわ。私は魔法なんて生活魔法くらいしか使えないから咄嗟に魔法で身を守ることなんてできないし、魔法が得意なアルフィーがいてくれるだけで心強いよ。昼間も守ってくれてありがとう」
微笑んで昼間のお礼も伝えると、アルフィーは妖精の月の瞳をぱちぱちさせてから、ふいっとエラから視線を外した。
どうしたんだろう、そうエラが思う前に手を取られる。
「え…?」
「もうお礼はいいから早く帰るよ」
つっけんどんにそう言うアルフィーを見上げると、彼はそっぽを向いたまま大股で歩いていく。手を繋がれたエラはそれに合わせて少しだけ早足になる。
どうやら照れ臭いようだと気付いたけれど、エラは繋がれた手の方に意識がいった。
どうして手なんか握っているのだろう。ソワソワして落ち着かないからやめてほしい。
でも昼間に慰められた手の温もりを離し難いような気もしてくる。
少しだけ頬に熱が集中したので、エラは空いている手でむにむにと自分の頬を揉んだ。
いや、昼間なんて庇うためとはいえ肩を抱かれていたのに何を今更恥ずかしがっているのよ、私。
そんな事を思い出したら余計に恥ずかしくなって、どうしていいのか分からなくなる。
持て余した気持ちをどう発散すればいいのか分からないまま、エラがアルフィーの隣りに並ぶために歩調を速めると、逆にアルフィーが歩調を緩めた。
いつもの速度に、エラの歩調に戻る。
そうして気づく。アルフィーはエラの歩調にいつも合わせてくれていたのだとーーー今も早足のエラに気がついて慌てて歩調を合わせてくれたのだと。
都会に来て初めてされた、慣れない女の子扱い。
アルフィーがこんな優しい気遣いをしてくれるのは自分だけ?それとも他の女の子にもする?
……するんだろう。彼は優しい。
そう考えたら、持て余していたはずの気持ちが急に萎んで、ジクジクと擦り傷でもしたかのように心を苛んだ。
……何でこんな気持ちになるのよ。
その理由になんとなく気がついているけれど、まだ気がつきたくなくて、エラは一つだけ切ない溜め息をついた。
「どうかした?」
「ううん、何でもない」
その溜め息に何故かすぐにアルフィーが気づいて、気遣わしげに覗き込んでくる。
くそう、目敏い。
何となく気まずくて顔を背けると、また「エラ?」と呼ばれた。心配をかけたいわけじゃないので、エラは仕方なく平坦な声で答えた。
「…こういう風に、女の子扱いされるのに慣れてないだけよ」
「は?」
「は?じゃない!もう!私が田舎娘だって知ってるでしょ!?こ、こうやって車道側歩いてもらうとか、荷物持ってもらうとか、歩調合わせてもらうとか…そういうのに慣れてないの!小っ恥ずかしいのよ、ほっといてよ!」
恥ずかしくなってつい声を荒げてしまうが、アルフィーが目を瞬かせてからくっと笑った。
「なっ……!わ、笑うなんて酷い!」
俯いたまま肩を震わせているアルフィーを睨むと悪戯っぽく細められた目があった。
「いや、ごめん。それならやめた方がいい?」
「へ?」
やめる?
「エラの言う女の子扱い。エスコートは骨の髄まで叩き込まれてるから無意識にやるかもしれないけどさ、嫌ならやらないようにするよ」
そう言われると逆に困る。別にエラは小っ恥ずかしいだけで嫌ではないのだ。
「べ、別に、その、嫌ってわけじゃ……恥ずかしいだけだし…慣れなくてその………」
もごもごと口を動かすとアルフィーは面白そうに口を開いた。
「では、遠慮なく」
「え……?ひぇっ……!?」
繋いでいた手を引きつけられて、下から添えるだけの、完全なエスコート体勢に入られた。
いやいやいや!意味わかんない!ここ住宅街!!いくら私が田舎娘でも分かる!絶対にこんな事をする場面じゃない!
揶揄われているだけだと気がついたが、エラはパニックで叫んだ。
「ア、アルフィー!」
「あははははっ!エラ、慌て過ぎ!」
「もう!」
けらけら笑ってアルフィーは最初の繋ぎ方に戻した。
それにちょっとだけほっとしたが、何で手を繋いだままなんだろうと疑問に思った。
結局、アパートに着くまで手は繋いだままだった。
エラを送った後で、アルフィーは家路についた。
一人でよかったと心底思う。
「……何やってんだ俺…」
独り言を呟いて、赤面間違いなしの思考を追い払おうとするが、無理だなと頭では分かっていた。
というか、そもそも手を繋いでしまったのが間違いだった。何で自分から手を繋いでしまったのか分からない。
いや、違う。分かってる。照れ隠しで歩調を速めてしまったので、エラを置いていかないようつい、だ。つい。決して下心があったわけでは………。
「……いや、あったな。多少」
少しでいいから意識してくれないかと。
がっくりと項垂れる。幸い、道行く人はアルフィーになんて見向きもしないから、特大の溜め息をついた。
「…無理だなぁ、これ」
昼間はあんなに落ち込んだのに、ちょっとエラが笑ってくれただけで気持ちが高揚するなんて、単純すぎる。
言い換えれば、それほどまでに自分は彼女に惹かれているという事に他ならない。
『アルフィーは真面目だよねぇ。適当に遊ぶって事をすればいいのに』
ふとマテウスに言われた言葉が甦った。
適当に遊ぶ、というのは性に合わない。不誠実な奴は嫌いだし、エラに向き合うなら適当ではなく本気になる。
だけど、ほんの少しだけ不真面目になるだけなら。
今の居心地の良い状況で、普通の青年と思われたままの状態で、ほんの少しの間だけエラと普通の青年らしく過ごすくらいはーーー許されるだろうか。
基本的にアルフィーは問題を先送りにする事が嫌いだが、この時は珍しく問題を先送りにした。
何故なら、ちょっとだけ不真面目になったから。
あのへにゃりと笑った顔を、エスコートに慣れてなくて赤くなりながらツンケンする様子を、まだしばらく見ていたいから。
だからもう少しだけ、今のままこの恋と向き合ってみよう。




