夏の攻防 3
「店長は心配し過ぎなのよ」
「まあまあ」
「何回買い物に行ってると思ってるの?あの辺の治安が悪いのなんていつもの事だし、最近過保護に輪が掛かってる気がするわ。顔に怪我した程度で大騒ぎだし」
「それは顔を怪我するエラが悪いんじゃないかな」
「だって仕方ないじゃない。こればっかりは魔石工見習いの宿命よ。店長だって若い頃は同じ怪我をしてるし、小さな傷跡すら残ってるのに。もう!尊敬する師匠だけど過保護過ぎるわ。もし私が男だったら顔に怪我しても気にしないでしょうに!」
ぶつぶつと文句を連ねるエラにアルフィーが苦笑しながら返す。
「ルークさん、傷なんかあったっけ?」
「小さな傷よ。この辺にあるの」
エラは左顎の線を指で示す。本当に小さな傷だ。
それを聞いてアルフィーが首を傾けた。
「自分に傷が残ってるから余計に女の子のエラに傷が残らないよう必死なんじゃない?」
む、とエラは黙り込んだ。
苦笑してアルフィーが続けた。
「前にルークの奥さんのシンディさんから聞いたけど、ルークさん達、お子さんがいないんでしょ?」
「うん」
「シンディさんが言ってたよ。エラが弟子入りしてきた時、二人で娘みたいに大切にしようって決めたんだって。可愛い女の子がわざわざ自分達の店を選んで来てくれたんだから、弟子として厳しくする事はあっても、ちゃんと女の子の扱いをして、困っていれば親身になってあげようって」
初めて聞く話にエラはバッとアルフィーを振り返り、微笑むアルフィーの話を呆然と話を聞いた。
「たまに『女の子の扱い』がどんなものか困るんだってさ。親戚の子供と会ったのだってかなり前で、ずっと二人で暮らしてきたから。月光干しの夜勤だって女の子一人でやらせていいのかさんざん悩んだって。で、回数を少なく設定してたら、エラのやる気が凄過ぎて衝突したって聞いたけど?」
「うっ……」
弟子入りした初期の話だ。
「回数増やして、急遽身を守る用の魔石を作って、エラとの妥協点を探ったって言ってたよ」
「…………」
「俺に治癒魔法頼んだのだって、本気で嫁入り前の女の子の顔に傷を作るなんて言語道断、って思ってるんだと思うよ。今回だって心配したから俺と一緒に行かせたんでしょ」
「……………で、でも…いくら何でも過保護すぎ…いつも買い物行ってるのに」
初めて聞く師匠とその妻の想いに何だか恥ずかしくなって、つい最初の文句を繰り返すと、やっぱりアルフィーはくすくす笑った。
「まあ気持ちは分かるよ。最近は俺の事も気にかけてくれててさ、書斎の本が増えてるの知ってた?」
「え、嘘!?」
「本当。俺が欲しかった魔術の本が二冊増えてるんだよね。前までは確実に無かったんだけど。たぶん、俺がエラの治療を引き受けたからだろうなぁ。前にシンディさんにさりげなく聞き出された本だし」
困ったように眉を下げながらも、アルフィーの表情は優しいものだった。
「ルークさんもシンディさんもいい人だよね」
「……うん」
そこは完全に同意する。素敵な夫婦なのだ。
二人は時折喋りながら歩き続け、いつの間にか観光地に近い地区までやってきていた。大通りからは賑わいが聞こえてくるし、人も多くなってきている。海外から来たらしい観光客もちらほらいるのは、この辺りに有名な靴屋の旧本店があるからだろう。
二人の前方からやってきた観光客グループは手で顔を仰ぎ、汗をタオルで拭きながら何処かへ向かっていく。暑くても友達とのお喋りは楽しいようだが、快適に過ごしたいなら是非とも魔石を買って欲しい。今は夏。フランマの魔石ならそんな暑い思いなんてしない……ーーーー
「あれ?」
エラは思わず自分の腕を確認した。
………あれ?無い…。
「どうかした?」
不思議そうに顔を覗き込むアルフィーを見上げる。エラと同じく、汗一つかいていない。この炎天下で。
エラはもう一度自分の腕を確認し、何も無い事を確認してから驚いて隣りを平然と歩く男を見た。不思議そうな顔をしたアルフィーと目が合った。
可能性としてはこれしかない。
「あの、もしかして私にも氷の魔法使ってる?」
「うん。だって暑いでしょ?店出た時から魔法使ってるけど…もしかして寒い?」
「う、ううん、快適」
快適過ぎて、魔法をかけられている事すら気づかなかった。
「魔石を使ってないのに涼しいから、変だなって…」
「ああなるほど」
唐突におかしな態度を取ったエラに納得したアルフィーは、寒かったら言ってね、となんでも無い事のように言って顔を前方に向けた。
急にゾーイの言葉を思い出した。
『久々に見たよ、あんな風にさりげなく女性を気遣う男の子。あれを打算なしでしてるなら育ちが良いんだろうね』
そういえば今日もアルフィーは車道側を歩いている。しかも店を出た時から魔法をかけて暑さ対策をしてくれていた。
……というか、この前ゾーイさんの所行った時も魔法使ってくれてたんじゃ…。
あの時も暑いからと魔石を使った記憶がない。
それに気づいた途端、エラの心は妙にざわめいた。ざわざわして落ち着かないのに、何故か不快ではなくて、どうしていいか分からなくなる。
この感覚には覚えがある。そう、これは。
うう……田舎娘にそんな事しないでよぉ……。
慣れない。だってそんな扱いは恋人同士でするものじゃないの?ジェントルマンと言えばそうだけれど、ジェントルマンって壮年のイメージで、決して同い年の男の子のイメージではない。
「あの、ありがと…」
「どういたしまして」
薄っすら赤くなった頬を隠すように素気なく言って
、エラはとくとくと早鐘を打つ心臓を鎮めるように深呼吸をした。
ーーーときめいた、なんてそんな事があるか。慣れないから。そう、きっとそれだけ。
そうやって言い訳をしながら。
むず痒い思いをしながら着いたカラントではアルフィーにドアを開けられて、それに心臓を一瞬だけ跳ねさせたもののいつも通りのお菓子を買って。
そしてやっぱり荷物はアルフィーに奪われた。
「私が持つってば」
「別にいいよ。俺もお世話になってるんだし」
そんな風に言われるとエラは言い返せなかった。
……お菓子だから重たいわけでもないし、そんなに気にしなくてもいいかもしれない。そう結論付けてエラは口を噤んだ。
二人はフランマに戻る道を進む。周りには人が溢れていて、歩道も混んでいる。
道を歩いていると不意にいい匂いがしてエラは気を取られた。
「あ、こんな所に新しいお店ができたのね」
そこには初めて見る店があった。
「マフィンの店みたいだね」
「わー!今度買ってみよう」
甘いものが大好きなエラがお店を見ながらそう呟いた時、急にドンッと背中に衝撃を受けた。
「わっ……」
ふらついたエラの二の腕をアルフィーが掴む。ぐっと引っ張られたのと、大した衝撃では無かったから転ぶ事も無くバランスを取ったが、どうやら後ろから人がぶつかったらしい。
剥き出しの二の腕を掴まれてほんの少し恥ずかしかった。そんな所、触られる事はまず無いし。
動揺した心を落ち着けて後ろを見れば観光客風の男性が一人いて、スマホと地図を両手に持っていた。
「すみません!大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「本当にすみません!電車に乗り遅れてそうで急いでて…。ここへ行きたいんですが、この道で合ってますか?」
「え?えーっと…」
観光客に地図を見せられて、エラは覗き込んだ。
「ーーーっ、エラ!!」
急にアルフィーに強く呼ばれ、グイッと肩を引かれた。
同時にバシッ、と何かが何かに弾かれたような音もする。
「きゃっ…」
あまりの力にたたらを踏むとアルフィーが後ろから支えてくれたが、何が起こったか分からないエラは目を白黒させた。
「チッ!」
「逃げるぞ!」
「待て!」
舌打ちと逃げるという言葉を発するさっきの観光客、エラを支えたまま残った腕を突き出すアルフィー。
「捉えろ!」
短くアルフィーが言うと突き出された手のひらから魔力が発せられて、淡い光を発するムチと化した魔力が逃げる二人組を襲う。
詠唱短縮による魔法ーーーそう気づいたが、その魔法は防がれた。パァンッというよく知る音がして、逃げる男達は二人とも弾かれたように手を上げたが、そのまま人に紛れてしまった。
「くそっ、逃した!」
悪態をつくアルフィーに、エラは目を瞬かせる。
「あ、あの、何が起きたの?」
訳が分からなくて間抜けな質問をすると、アルフィーがエラを解放しながら肩の力を抜いた。 .
「スリ。あいつら二人組のスリだよ」
「え?」
「最初にぶつかった男がエラに話しかけてきたでしょ?あいつに気を取られてる間にもう一人が財布を盗む、っていう手口なんだよ。急いでる、って言うわりに道を教えてって地図を広げるから変だな、って思ったんだ。ど田舎ならともかく、こんな観光地の駅なんて今時スマホのナビで充分だろ?たぶんスマホで連絡を取り合ってたんじゃないかな。咄嗟に魔法でスリは防いだけど。エラ怪我はない?」
「う、うん」
こくこくと首を動かす。スリに合いかけていたなんて全然気がつかなかった。
アルフィーはスマホを取り出した。
「一応、警察に連絡するよ」
「うん…」
呆然としながらも、鞄の中の財布を確認する。よかった。ちゃんとある。無くしてしまったら大変だった。この財布は自分のものではなく、フランマの財布だから。
そう考えたら急に怖くなった。財布の中にはお金しかないし、それほど大金が入っているわけでもないがこれを取られたら店の損失だ。ルークにもシンディにも申し訳が立たない。あんなに大丈夫だと言っておきながらこの様だ。もしアルフィーがいなかったら…。
今更顔を青くするエラにアルフィーが気がつき、警察に電話をしながらエラの手を引いて、道脇へ寄った。
「エラ、大丈夫?」
「だ、大丈夫…」
思わず繋がれている手を握りしめ、目を閉じて深呼吸を繰り返す。いつの間にか震えていた。
「怖かったよね。ごめん、結局捕まえられなかったし…」
「ううん…アルフィーのせいじゃない…」
ふるふると首を振って深呼吸を繰り返しているとそっと握り返してくれた。その手のぬくもりに慰められる。
そうやって警察が来るまでエラはアルフィーの手を握っていた。




