夏の攻防 2
夏休み中、アルフィーはよくフランマへ来た。
エラがよく魔法付与で失敗して怪我を負うのも大きいが、どうやらフランマの泊まり込み用の部屋ーーーもとい書斎が本当に気に入ったらしい。ルークも書斎の出入りは好きにしてもいいと許可を出し、アルフィーはそこで読書をしていたり、パソコンを持ち込んでキーボードを叩いていたりとどうやら勉強をしているようだ。
そんなアルフィーにエラはよく怪我を治してもらうので、やはり前回の食事だけでは何だか悪い気がして、エラは虎視眈々とお礼の機会を伺っていた。
ある日、アルフィーが午前中からやってきて、エラの昼休憩の時もまだ書斎に閉じこもっていた。
その日、たまたまエラは昼ご飯を持参していなかったので、これはチャンス!と思い、書斎に顔を出した。
「アルフィー、お昼ご飯に『ゾーイ&ネイサン』のサンドイッチ買いに行くけど、アルフィーは食べる?」
食べると言えばそのまま奢ってしまう気満々でエラは聞いた。
が、時計を見たアルフィーは見事にエラの予想を裏切ってくれた。
「もうそんな時間か。一緒に行くよ。何があるか知らないし」
くそう。失敗だ。
仕方なくエラはアルフィーと店を出て、サンドイッチの店に向かった。
五分も歩けばすぐに着くその店は昼時はとても盛況だが、エラとアルフィーが着いた時は、タイミングよく持ち帰りの客が全てはけた所だった。
「久しぶりだねぇ、エラ」
「こんにちは、ゾーイさん」
「通りを歩いてくるのが見えたから、買うかなと思ったよ。何がいい?夏野菜のピクルスなんかお勧めだよ」
「じゃあそれで。店長はいつものって。飲み物はコーヒーとココアで」
「はいよ。お兄さんは?」
「そうですね…サーモンとコーヒーで」
よく来る店なのでさっさと注文するエラに引き続き、アルフィーもあっという間に注文する。
「代金はまとめて払うから」
「じゃあ後で返す」
エラは心の中で拳を握った。やった。後から代金を受け取らずにお礼だと押し切ろう。
ゾーイはドリンクを、店長のネイサンはあっという間に注文分を作って紙袋に纏めてくれた。
ドリンク作りから戻ってきたゾーイにエラが代金を支払っていると横から伸びてきた手がひょいと紙袋とドリンクホルダーを掴んだ。
「あ」
「俺が持ってくよ。邪魔になるから先に出てる」
「うん」
アルフィーが店を出て行く。確かに店内は狭いのでいつまでもいたらイートインの客の邪魔になるだろう。
早く追いかけなきゃ、と釣り銭を受け取ろうとしたエラは、ゾーイに耳打ちされた。
「なんだい、エラ。いい男を捕まえたじゃないさ!」
「え?いやいや!彼氏じゃないですよ?」
何か勘違いされた!慌てて否定するとゾーイさんは不満そうに「違うの?」と首を傾げた。
「てっきり道を歩いてくる時に車道側を歩いてたし、入ってくる時だって先に扉開けてエラが入り切るまで押さえてたし、今だって颯爽と荷物持っていったから彼氏かと思ったんだけど…」
「え?」
「……何だい、その反応。気付いてなかったのかい?」
ぽかん、とするエラに呆れたようにゾーイが目を瞑って額を押さえた。
「まったく、魔石馬鹿も大概にしなよ。久々に見たよ、あんな風にさりげなく女性を気遣う男の子。あれを打算なしでしてるなら育ちが良いんだろうね」
だから捕まえおきなさいよ。そう続けてゾーイは釣り銭を戸惑っているエラの手に乗せた。
エラはフランマまでの短い道のりで、確かにゾーイの言う通りだと気がついた。
アルフィーは絶対に車道側を歩いたし、荷物をエラに持たせる事もしなかった。半分持つ、とエラは言ったのだが、大して重くないからとアルフィーは譲らなかった。
そういえば、この前のご飯の帰りもずっと車道側を歩いてくれていたし、転びそうになった時は支えてくれた。
そんな事に今更気がついて、落ち着かない気分になる。さりげなさ過ぎて全然気が付かなかったが、アルフィーはずっとエラの事を女性扱いしてくれていたのだ。
実家で暮らしていた頃は、そもそも男の子と二人っきりでどこかに遊びに行くという事をエラはした事がなかった。男女混合グループでなら何度かあるが、すでに魔石に心奪われていたエラは恋愛事より魔石の勉強を優先していて、周りの男の子達など恋愛対象として目に入っていなかった。
だから女性扱いされているという事実が落ち着かない。今まで誰もそんな事をしてくれなかったし、たぶんされても気が付かなかった。
うう、ゾーイさんの馬鹿。
思わず八つ当たりするくらいにはものすごくソワソワする。たかだか五分程度なのに、フランマに着いた時はホッとしてしまった。
結局、慣れない事をされて動揺していたエラはうっかりアルフィーからランチ代を受け取ってしまって、こっそり悔しい思いをした。
何とかしてちゃんとお礼がしたい!
もはやエラの意地である。
だがアルフィーと出掛けると、あの小っ恥ずかしい思いをしなければならない。
だからエラは手段を変えた。
「アルフィー、エルダーフラワーのコーディアルシロップって飲む?」
「うん」
書斎に顔を出して尋ねると、読書をしていたアルフィーは顔を上げて頷いた。
「注文を付けていいなら炭酸割りがいい」
「はーい」
エラはコーディアルシロップを自作している。実家では母と毎年作っていたし、一人暮らしを始めてからも一人で作っていて、ルークにもお裾分けしている。
もし、アルフィーにコーディアルシロップが好評だったら一本あげよう。これなら自信がある。
エラは簡易キッチンに引っ込むと三人分のコップを出して、コーディアルシロップのドリンクを作る。ルークは水割り、アルフィーは炭酸割り、エラはお湯割りだ。見事に三人とも違う。
工房で魔法付与をしているルークの所へ最初に持って行き、次にアルフィーの所へ彼の分と自分の分を持っていく。
「ありがとうーーーって、エラ、また怪我してる」
「あー…うん、さっき失敗した。難しいんだよ、魔法付与」
こればかりは本当に仕方ない。
「手、貸して」
「はぁい」
手を出すとアルフィーの手が翳されて、一瞬だけ怪我をした辺りが温かな熱を持つ。
熱が引けばもう手に傷なんてなかった。
「いつ見てもすごい」
「どーも」
素気なくアルフィーは答えてコーディアルシロップ炭酸割りに口を付けた。
エラはちょっとドキドキしながら反応を待った。
「へえ、美味しいな」
「え、本当?」
思わず喜色を滲ませて聞いてしまう。
「うん。どこのメーカー?」
「私が作ったのよ」
褒められた事が誇らしくてエラは微笑した。涼しくされた室内で冷えてしまった指を温めるために作ったお湯割りのシロップを息を吹きかけて冷ます。
「帰る時に一本あげるわ。沢山作ったから家で飲んで」
「いいの?」
「毎年作って店長にもあげてるから。それにさっきも怪我を治してくれてし…まあ怪我はよく治してくれるけど、お礼も兼ねて今年は沢山作ったの。アルフィーが嫌いだったら自分で飲めばいいしと思って。気に入ってくれてよかった」
ようやく自分で納得するお礼ができた気がする。
「帰りに渡すわね。冬にはジンジャーのシロップも作るから楽しみにしてて」
エラは上機嫌でお湯割りシロップに息を吹きかけた。
しかし数日後、エラはまた悩む事になった。
「あ、お菓子が切れそう」
オーダーメイドの客が来たので、エラはコーヒーとお菓子を出そうと簡易キッチンの戸棚を見て独り言を呟いた。
お菓子を買いに行かないとまずいかもしれない。
エラはおもてなしの用意をして客に出した。
オーダーがまとまり、客が帰るとルークにお菓子の件を伝えて買い出しに行ってくる、とエラは伝えたのだが。
「あのあたり、最近治安が悪いだろう」
「あのあたりの治安が悪いのなんて、いつもじゃないですか」
フランマのお菓子はコブランフィールドの唯一の観光地にあるケーキ屋から買っている。商業的な観光地のせいで治安は悪い。観光客の財布は緩いし、高額な買い物をしようと大金を持っている人も多いので、小悪人からすると天国らしく盗みや詐欺の被害が多いのだ。
実はフランマの所在もその商業地区の端っこではあるのだが、端っこも端っこ過ぎて地元民用の店ばかりなので治安は悪くない。もっとも、この店は観光客用の店ではないので構わないのだが。
「いつも行ってますし、大丈夫ですよ」
「そうなんだが…最近、女性ばかり狙うひったくりが出てるからなぁ…」
渋るルークを宥めようとエラが口を開いた時、こんにちは、と聞き慣れた声とカランとドアが開く音が同時にした。
アルフィーを見た瞬間、ルークはポンと拳を掌に打ち付けて、まずい。とエラは直感的に思った。
「アルフィー、ちょうどいい」
「何ですか?」
「エラと買い物に行ってきてくれ。カラントっていうケーキ屋だ」
やっぱりそうくるか。
「一人で大丈夫ですって…」
「カラント?……ああ、あの辺り、今治安が悪いですもんね」
エラの遠慮を遮ってアルフィーが口を出した。何で知ってるのよ。
「いいですよ」
「じゃあ頼んだ」
一瞬でまとまった話にエラは口をへの字に曲げた。何でこうなるのよ。




