夏の攻防 1
だいぶ書き溜めたので、しばらく毎日投稿します。
あの魔石騒ぎから一ヶ月経った。あの魔石がどうなったのかはアルフィーも分からなかった。マテウスとは仲がいいが、軍の情報を彼はおいそれと漏らしたりしないし、アルフィーもどうなったのかを聞かなかった。それに聞いたところで本来母の護衛官であるマテウスは国軍の王族近衛兵団に所属していて、テロと戦う部署ではないのでその後の詳細なんて知らないだろう。バッカスにも魔石を軍に預けた事しか分からないと言うしかなかったが、彼は得体の知れない物がなくなってホッとしているようだった。
アルフィーの周りはいつも通りに過ぎていっている。
「いくら怪我を気にしないとはいえ、もう少し気をつけたら?」
「うっ………」
「はい、おしまい。次、手出して」
「で、でも!初めて魔法付与に成功したの」
「おめでとう。でもそれとこれとは話が別。ルークさんから電話かかってきた時は何事かと思ったよ」
「店長が心配し過ぎなのよ」
「いや、さすがにこれは心配するでしょ。めちゃくちゃザックリ切ってたじゃん。俺だってびっくりするよ」
長期休みに入ったアルフィーは連日のようにフランマに来ていた。というのもエラが本格的に魔法付与の練習を始め、毎日のように剥き出しになっている手や腕、顔を怪我するからだ。
エラは今日も魔法付与の練習をし過ぎて手も腕も小さな傷を負っていた。特に今治してもらった右頬は珍しくザックリ切って、血がダラダラと流れていたので、それを見たルークが大慌てでアルフィーに連絡したせいで、今フランマの二階で彼からお叱りを受けている。
「はい、終わり」
「ありがと…」
今回ばかりは自分に非がある。そのくらいエラだって分かっている。
初めて魔法付与に成功して、その感覚を忘れないように喜び勇んで次に手をつけたら見事に失敗したのだ。それで朝からアルフィーを呼び出す羽目になったので、彼には悪いと思っている。
「ごめん。朝から呼び出して…」
「そう思うなら酷い怪我をしない事」
「う、……はぁい…」
「まあ俺的には書斎に入れてもらえるし、本も貸してもらえるからいいんだけどね」
落ち込むエラを気遣ってかアルフィーがそんな事を呟き、書斎の本を手に取る。フランマの蔵書はルークが仕事の為に集めた本ばかりなので、魔法が大好きなアルフィーには興味のある本が多いらしい。
今彼が手にしているのは『最新魔術』の本。といっても本が発刊されたのはだいぶ前なので、もはや最新ではないと思う。
だから何となく、アルフィーは本を目当てにエラの治療に来ているわけじゃないと思う。氷の魔石を店頭に並ぶより早く作って貰ったお礼か、それとも我儘を通して月光干しを見たという罪悪感のような気持ちが大きいのか、あるいは頼まれては断れないのか。
真意は分からないが、このままアルフィーの好意に甘えたままではダメだとエラは思う。ただでさえエラはアルフィーに古代文字を教えてもらっていて、最近は魔法陣も少しずつ教えてもらっているのだ。
「あの、アルフィー」
「ん?」
呼ばれたアルフィーが本から顔を上げてエラを見た。妖精の月の瞳と目が合う。黄緑色の、エラと同じ瞳。
「お礼がしたいの。今度一緒にご飯食べに行こう?奢るから」
「え?別にい…」
「私が良くない!」
案の定遠慮するアルフィーに、ずいっとエラは詰め寄った。当たり前だが男性のアルフィーの方が背が高いので、見上げる事になる。
「何が好き?お店探してくるわ」
「え、いや、本当にいい…」
「だめ?あ、もしかして彼女いる?」
「いないけど……って、違う!」
「なら別にいいじゃない。言っておくけど、私、ちゃんとお給料貰ってる身ですからね。お高いお店じゃなきゃ普通に奢れるから」
もちろん、そんなに多くない給料だからしばらく生活の切り詰めは必要だが。
でもこれ、誘い方が強引過ぎる?
アルフィーが頼まれると断れない人なら、嫌々食事に行くのなら、それはお礼じゃなくてエラの自己満足だ。
ハッと気がついてエラが「そんなに嫌ならやっぱりいい」と言おうとした所で、「分かった!分かったから!」とアルフィーが返事をした。
その返事に萎みかけていた気持ちが再び膨らむ。よかった。嫌なわけではなさそうだ。
ちゃんとお礼ができそうで、エラはへにゃ、と笑った。
「じゃあアルフィーの都合のいい日を……」
「おーい、エラ!手伝ってくれ!」
「あ、はーい!」
階下からのルークの声に、エラは大きな声で返事をして動き出す。
ほんの少し固まっていたアルフィーの力が抜けた事には気が付かなかった。
「後で都合のいい日、送ってね!ーーーいらっしゃいませ」
言いたい事だけ言って、エラは階段を駆け降り、店内へ出ていった。
エラがいなくなって、一人になった書斎でアルフィーは片手で顔を覆って、今までで一番深くため息をついた。
背中に本棚が当たる。いつの間にかエラに追い詰められいたようだ。
「……あーもう…」
訳もわからず悪態をつく。女性に言い寄られているマテウスを見た事があるが、彼は顔色一つ変えずに躱していた。それはもうスマートに。何だ、あいつ。何であんな事できるんだ。顔か。生まれた時から顔がいいから慣れてるのか。
そもそもエラが悪い。濡羽色の髪のせいか、彼女は神秘的な雰囲気を持っている。なのに妖精の月の瞳を好奇心にキラキラさせると、その神秘的な雰囲気が消えて、無邪気な少女のようになる。どうにも自分はそれに弱いらしい。
北部解放戦線の魔石騒動の時だって、魔石鑑定ができると聞いたエラは、瞳をキラキラさせてアルフィーの許可を待っていた。古代文字の勉強の時もーーーだからつい笑ってしまって、エラを怒らせたのだけれど。
夜を切り取ったような濡羽色の髪に囲まれた、キラキラした黄緑色の瞳は、この国で愛される夜空に輝く妖精の月そのものだった。
しかも今日はその後に見せた気の抜けた笑顔まで見せるから反則も反則だ。たぶん魔法付与に初めて成功した事がよほど嬉しいのだろう。今日のエラは機嫌がいいせいか、黄緑色の瞳はいつもの二割り増しでキラキラしている。
同じ色の瞳を持つ自分も、あんな風にしている時があるのだろうか。子供扱いするマテウスが頭をよぎった。
………恥ずかしくなってきた。考えるのをやめよう。
アルフィーはもう一度ため息をついて、気を取り直してアルフィーは手に持っていた本に目を落とした。
でも本の文章を読んでいるはずなのに、頭に浮かぶのはさっき無意識に迫って来たエラばかりで、アルフィーは頭を抱える羽目になった。
数日後、エラとアルフィーは駅近くの繁華街に来ていた。
エラがお礼にと選んだのは大衆向けのレストランで、ドレスコードはない。
エラとアルフィーはもうお酒の飲める年齢なので、食事と一緒にお酒を頼んだのだが。
エラって酒にそんなに強くないんだな…。
アルフィーは酔わないように頼んだ水を飲みながら、目の前のエラを見た。お酒のせいで赤くなった頬を緩ませながら、美味しい美味しいとデザートを食べている。
本人も酒に弱い自覚があるようで、甘いカクテルを一杯飲んだだけだったのだけれど、酔いが回った頃からへにゃへにゃと上機嫌だ。
何となく心配になってアルフィーも飲むのは辞めた。アルフィー自身も酒に強いわけではなく人並みなので、ここで自分まで酔っ払ってしまってはエラを送る夜道が怖い。
この辺りは繁華街であり、商業観光地も近いので治安があまりよろしくないのだ。
「あー美味しかった!」
「エラって甘い物好きだよね」
「甘い物が嫌いな女の子なんていませーん」
一瞬むくれた様な顔をしたのに、次の瞬間にはまたへにゃりと頬が緩んでいる。めちゃくちゃ無防備で可愛い。
食べ終わったエラは上機嫌にまた魔法付与が上手くできた、美味しいデザートも食べれたし幸せ〜とニコニコ笑っている。よかったね、とアルフィーは適当に答える。近くの席の男達がエラを何度も見ているので、気が気じゃ無い。間違いなくアルフィーがいなければエラは声を掛けられているだろう。それほどに酔っ払ったエラは無防備だ。
ところでアルフィーはエラに奢られる気はさらさらなかった。
エラは社会人、自分は学生の身分とはいえ、同い年のエラに奢らせるのは気が引ける。
それにアルフィーは苦学生ではない。実家から大学に通っているし、それほど無駄遣いもしない。コブランカレッジの学生という肩書きは高額なバイトもより取り見取りで、家の事も考えてちゃんと真っ当なバイトをしている。このくらいの金には困っていないのだ。
なので、アルフィーは自分の分は自分で払おうとしていた。
つまり、当然こういう事になる。
「私が払うの!」
「自分の分くらい自分で払うって」
「それじゃあお礼にならないじゃない!」
「お礼されるほどの事してない」
「あなたがそうでも私は違うの!」
常識人の二人は迷惑にならない程度の声量でテーブルで言い合っているが、隣りのテーブルに座っている年配の夫婦は「可愛らしいカップルね」と言わんばかりに微笑ましげに見守っていた。傍から見ると自分達がどんな風に見えるのかは気がついていない。
「女の子に払わせる俺の身にもなれ」
「男女差別よ。今時古い!」
「そういう問題じゃない。俺のプライドの問題」
「そんなご飯程度の安いプライド捨てちゃいなさい!」
赤い顔で眉を吊り上げたエラがアルフィーを睨みつけ、アルフィーは片手を額に当てて溜め息をついた。
アルフィーとしてはこんな不毛な言い争いはしたくないのにエラは引かない。酔っ払ってるくせにいやに正論をついてくるのは何でだ。
何度かの応酬の後、仕方なくアルフィーは引いた。
「分かった…」
もうどうにでもなれ、そう思ったのが間違いだった。
「本当?やったぁ」
奢れると分かったエラは、また上機嫌にへにゃんと微笑んだ。しかも今日はお酒のせいで可愛らしく赤らんだ顔で。
……心臓に悪い。
冗談でなく心臓が跳ねた。というかまだ動悸がする。思いっきり顔を顰めたいが、上機嫌なエラに水を差したくない。
そんな内心を隠してアルフィーは席を立った。
「はいはい、じゃあ帰るよ」
「はーい」
結局、エラが全額払い、アルフィーは肩身の狭い思いをした。まあ食事は美味しかったけれども。
店を出てからは夜道を二人で歩いていく。明るい繁華街は車通りも多いが人通りも多い。
しかし二人が行く先は繁華街ではなく観光街でもなく、住宅街がある方なので進むごとにすれ違う人達は段々と数を減らしていく。
人も車も減っていくが、酔っ払っているエラが危なっかしいのでさりげなく歩道側に誘導する。
「エラ、家どこ?」
「フランマの近くよ。いつも歩いて出勤してるの」
「フランマの?ならバスとか乗った方が早いんじゃ…」
「そんなに遠くないから歩く」
きっぱりはっきりエラが言う。
アルフィーとしては女性のエラに夜道を歩かせたくないのでできればバスがいいが、エラは酔っ払っているせいか上機嫌で夜風に当たりながら歩いていく。
何となくそんなエラに水を差すのも憚られたので、アルフィーは本心はともかく、エラに付き合う事にした。自分とエラの姿を隠してはいるからまず大丈夫だろう。
だから他愛無い話をしながらのんびりと夜道を歩いた。
「妖精の月が綺麗ね。月光干し日和だったなぁ」
天には満月と妖精の月。二つの月のせいで星は光の強いものしか視認できないけれど、美しい夜だと言えるだろう。
それなのに最初に出るのが魔石の事で、実にエラらしい。
「あれ?アルフィーの家ってこっちなの?」
「あー…気にしないで」
何でこう突然話題が変わるのか。しかも本当の事を言ったらエラが怒りそうな方向の話題に。
案の定、エラはムッとした顔でアルフィーにくってかかった。
「何ではぐらかすのよ。まさか逆方向とか言わないでしょうね?」
はい、逆方向です。今離れていっている駅から電車で帰るんです。
「俺もこっちの方」
「アルフィー?」
エラは全く信じてない目をアルフィーに向けた。実際嘘なんだけど。
「気にしない気にしない」
「気にするわよ!っあ」
急にがくん、とエラの体が揺れた。思わずそちらに手を出して、エラの腕を捕まえる。どうやら段差に蹴躓いただけのようだ。
「大丈夫?」
「うん、平気。ありがとう」
へにゃりとエラが微笑む。
「…………」
やっぱり無防備だ。誰かに声を掛けられたらホイホイ付いていきそうだ。
どう考えたって無防備すぎるエラを一人で帰すなんて選択肢はアルフィーになかった。
ちゃんとアルフィーはエラを家まで送って帰った。
ご機嫌にエラはシャワーを浴び、部屋着に着替えてから寝た。明日は仕事だ。
そうして目覚めた朝。
「………送られてしまった……」
はあ、とため息をつく。これじゃあお礼に食事に誘ったのに、面倒を見させてしまっただけじゃないか。しかもスマホに「楽しかった。ありがとう」と感謝の言葉まで届けてくれる徹底ぶり。
何かプレゼントでも贈った方がよかっただろうか。でも彼は家政婦を雇うような金持ちの家の息子だ。何かを贈った所で、もっといい物を使っている可能性ほ十二分にある。
「…お菓子とかならいいかなぁ…」
日持ちするお菓子でも贈ろうか。でもアルフィーは昨日の食事でデザートを頼まなかったから、甘い物が嫌いな可能性もある。今度さりげなくリサーチしてみよう。
昨日の失敗を反省しながら朝の準備をして、エラはフランマに向かった。




