4,覚悟と慚愧
「……何をしてるんだ?」
そう言って僕を呆然と見るジン。僕は今、家の玄関前で粗雑な造りの木剣を振っている。木剣とはいえそれはもはやただの棒切れと呼んでも差支えがないだろう。
クロノさんとユキさんが家を出て、次の日。僕が家の前で木の棒を剣に見立てて振っている所にジンが来てこの状況だ。まあ、傍から見たら何をしているんだという状況だろうな。
ヴォーパルは今は家の中で就寝中だ。だから、今僕は一人で木の棒を振っている。
いわゆる、素振りだろうか。
ただ、僕本人からすれば至極本気だ。木の棒を振りながら、僕はジンの問いに答える。
「鍛錬…………っ」
「いや、何故いきなり鍛錬なんか?それとも日課なのか?」
「別に、日課では……ないっ、けど………っ」
そう、別にこれは日課ではない。僕がただ、そうせずにいられないだけだ。そうしなければ僕は自身の精神を保てない。ただそれだけの話でしかない。
つまり、そういう事だ。要するに、僕なりの現実逃避という事だ。
それに、クロノさんと約束もしたし………
「僕、はっ!クロノさんと約束したんだ!だから、この家を守らなきゃ、いけないんだっ!」
「それで、こうやって家を守れるくらいに強くなりたいと?」
「ああっ!」
「ただ、約束を守るために?」
「ああっ、そうだ!」
木の棒を振りつつ僕はジンの問いに答える。その剣筋はお世辞にも上手いとは言えず、それでも我武者羅に棒を振り続ける。ただ、全力を籠めて木の棒を振るう。素振りを続ける。
ただ、迷いを振り切るように全力で振るい続ける。
心の中を渦巻く慚愧を振り切るように。それを切り捨てるように、木の棒を振り続ける。そんな僕を見てジンは深く溜息を吐いた。
そして、
「せいっ」
「痛っ⁉」
突然、ジンが僕の頭を殴ってきた。さほど強くもない、軽く小突く程度の拳。
しかし、それでも僕は頭に鈍い痛みを感じた。
「な、何を……?」
「いや、お前何処かズレているなと思ってさ…………」
「ズレて、いる?」
そっと溜息を吐きながら、ジンは告げた。
「いや、今更強くなりたいとか。家を守るとかはどうでも良いよ。ただ、強くなるのに素振りをするのは今の時代では古風に過ぎないか?」
「……………………」
「今の人類は架空塩基により精神の強さこそが主体となる。つまり、強くなりたいならどちらかと言えば精神のほうを鍛えるべきだろう?なんで素振りしてるんだよ」
「………っ」
正論を指摘され、僕は思わず口を噤む。それはそうだ、僕が今やっている事は、所詮はただの現実逃避に過ぎないのだろう。ただ、逃避の手段に過ぎない。
だからこそ、それをジンは指摘したのだろう。
いや、けどそれでも………
「それでも、僕は約束したんだ。この家を守らなきゃいけないんだ。だから、」
「だから、強くならないといけないと?」
「…………ああ」
僕は、静かに頷いた。分かっている。強くなりたいなら、先ずは僕自身がこの迷いや後悔を引きずり続けてはいけないんだと。強くなりたいなら、僕が精神的に強くならなければいけない。
けど、それでも僕は………僕は。
再び、ジンが溜息を吐く。そして、苦笑を浮かべて呟いた。
「まあ、しょうがないな。これも一種の贖罪という奴かな………はぁっ」
「え?」
「俺も、その鍛錬に付き合うよ」
僕は、この時自分でも驚くほど無様に動揺していたと思う。
仕方がないだろう?だって、ジンがそう言ってくれるとはつゆほども思ってなかったから。
しかし、ジンの方はもう既に決めてしまっているらしい。
「言っておくけど、もうこれは決定事項だからな?俺もその鍛錬に付き合う。だから、」
———これからもよろしくな、シイル。
その言葉に、僕は思わず口を噤んだ。いや、不覚にも心の奥深くにまで響いたさ。流石にこればかりは卑怯だと思う。それを言う事が、僕には出来なかったけれども。
「っ、え?いや、その………っ」
「何を狼狽しているんだ?ともかく、先ずは精神鍛錬の初歩からだな」
「え、いやでも…………ええ?」
「ほら、行くぞ?ぼっとしている暇なんてないからな」
そう言って、ジンは僕の手を引いて駆け出した。その顔は困惑する僕と違い楽しそうで。
それでいて晴ればれとしていた。
・・・・・・・・・
同時刻、とある宇宙船の中。遠藤クロノは一人黙り込んでいた。
黙り込んだまま、じっと椅子に深々と座っていた。
そんな彼に、ユキがそっと近付く。その手にはホットココアが。
「ほら、暖かいココア」
「ああ、ありがとう」
ユキからホットココアを受け取る。そっと口をつけそれをすすると、胸の奥に熱が広がり。
少しだけ心が落ち着いた気がした。
「そんなにあの子の事が心配?」
「ああ、こんなに後悔するくらいならもっと話しておくべきだったな」
「なんだかんだ言って、あの子の事を実の息子のように想っていたものね」
静かにクロノが頷く。その表情には僅かな陰りがあった。そう、その一つだけが彼にとってただ唯一の後悔なのである。ただ、それだけが………
「ああ、こんな事ならもっとゆっくりと話すべきだった。これほどまで後悔が残るとは」
「クロノ君、あの子の前になると本当に口下手になるからね。素直に言えばいいのに。本当はシイルの事が大好きなんだって、シイルの事を実の息子のように思ってるって」
「………ああ、確かにな」
確かに、そう再びクロノは呟いた。
クロノはシイルの事を愛している。それこそ、実の息子のように。
ただ、それを実際に口に出して言う事が出来ず結局回りくどくなってしまった。本当はただシイルとの会話を楽しみたかっただけ、というのもある。
そして、それ以上に彼に伝えたかったのだ。実の息子のように愛していると。それなのに本人を前にした瞬間にどうしてもそれを言う事が出来なかった。
それが、シイルとの間に僅かな溝を作ってしまったのである。
浅いようで、少しだけ深い溝を。それが、この場合致命的だった。
致命的で、致命傷。
「悲しい?」
「ああ、そうだな………ん?」
そう話している時、クロノ宛てに緊急通信が入った。どうやら、相手はキングス=バード大統領のようでクロノとユキの目前に大統領の立体映像が投影された。
大統領の表情は険しい。どうやら、クロノ達の行き先は既に筒抜けのようだ。
「お久しぶりですね、大統領。何か御用で?」
「何か御用で?ではないぞ。遠藤クロノ、お前が今行こうとしている場所がどれだけ危険な場所か本当に理解しているのだろうな?」
口調自体は酷く冷静なものだった。しかし、その言葉の一つ一つに籠められた感情は怒りと焦りそのものなのだろう。当然だ、クロノとユキは、今から死地に向かうのだから。
だからこそ、クロノは冷静に答えた。
「分かっていますよ。だからこそ向かうんです、でないと今後も多くの銀河や其処に住まう人達が喰われ続けるでしょうから……」
喰われる。その言葉に他意は無い。そのままそっくり、銀河や人々が捕食されるのだ。
その現象は、文字通りの捕食。つまり銀河や其処に住まう生命を空間ごと喰らう。
それも、ただ喰らうのではない。その意思や魂ごと文字通り全てを喰らうのだ。
その力の原理は全くの不明。しかし、まず間違いなく架空塩基による異能だろう。それも恐らくはクロノ自身が腰を上げなければならない程の強大な異能の保持者。
情報によれば、件の捕食者はただでさえ強大な異能の他に強力無比な概念兵器をいくつか保有しているとの事だった。だからこそ、クロノ自身が出る必要があるのだ。
或いは、クロノやユキが帰ってこれない事態すら想定出来るのだから。
そして、だからこそ大統領が焦るのである。
「………あの少年はどうなる?実の息子のように大事に思っているのではなかったか?」
「はい、もしもの時はシイルの事をよろしくお願いします。あの子を守ってやって下さい」
その言葉に、僅かに口を噤んだ大統領だった。しかし、やがて溜息一つ。
「………はぁっ、それはお前自身のやるべき事だろう?俺に押し付けるなよ」
「ははっ、それもそうですね。申し訳ありません」
クロノは笑った。しかし、大統領は笑わなかった。笑えなかった。
「帰って来いよ、クロノ。ユキも。お前達の帰るべき場所はあの少年の場所なのだから」
「はい、そうですね。では」
そう言ってクロノは通信を切った。
クロノはこの時覚悟を決めた。ユキも覚悟を決めた。
胸の奥に僅かな、しかし致命的な慚愧を抱えながら………