3,拒絶と別れ
「しばらく、家を出ようと思っている……」
家に帰った僕に、クロノさんは突然そう言った。突然の事で、僕は思わず言われた意味を理解出来ないでいたと思う。事実、この時の僕はしばらく硬直していた。
何を言っているのか、理解が出来なかった。理解が出来ずに呆然としていたと思う。
そんな僕に、クロノさんは再度同じ事を言う。
「しばらく、この家を出ようと思っている。シイルには済まないと思っているけど、シイルとはしばらくの間お別れになるだろう。本当に済まない………」
「えっと?それは一体どういう……」
何とか絞り出した声は、自分で思っていた以上に震えていた。
どうやら、自分でも思っている以上にショックを受けているようだ。まあ、当然だろう。
どうやら、自分で思っている以上にクロノさんやユキさんに依存していたらしい。つまり、少なくとも僕からすれば二人はそういう事だったのだろうと思う。
僕にとって、クロノさんとユキさんは———
この二人は———
「済まない。俺とユキにはやるべき事があるんだ」
「どうしても駄目なんですか?もっと一緒に居てよ。僕を置いていかないでよ!」
最後は懇願になってしまった。それくらいに、僕は必死だった。
どうしても、泣き言を言ってしまう。それくらい二人は僕にとって大事な存在だった。それほどまでにクロノさんとユキさんは、僕にとってかけがえのない存在だったらしい。
そんな僕の泣き言に、クロノさんは困ったような苦笑を浮かべ言った。
「じゃあ、俺達と一緒に来るか?」
「……………………っ」
その言葉は、きっと僕を試すものだったのだろうと思う。しかし、僕はクロノさんの言葉の意味を理解する事が出来ずに言葉に詰まる。
そんな僕に、再び同じ言葉を投げ掛けた。
「俺達と一緒に来るか?シイル………」
クロノさんとユキさんは、じっと僕の返答を待つ。
答えられない。僕は何も答える事が出来ない。何も答える事が出来ず、ただ口を閉ざす。
何も言えずに、ただ閉口する。ああ、きっと僕はクロノさんとユキさんとの何気ない日常こそを大事にしていたんだろう。だから、それが壊れる事を何よりも恐れているんだ。
だから、こんなにも僕は怖いんだと思う。
そんな僕に、クロノさんは苦笑を浮かべながらそっと僕を抱き締めた。
「何も恥じる事はない。大切なものを失うのは悲しいよな。辛いよな。だから、お前の元に一つだけ俺からプレゼントを残していく事にする」
「プレ、ゼント?」
「ああ、少しだけ早い誕生日プレゼントだよ」
次の瞬間、室内が光で満ちていき、やがて一羽の巨大な白兎が現れた。白兎は僅かに身体を震わせるとクロノさんの方を見て言った。人間の言葉で、頭に直接響くような声で。
「何か用か、マスター?」
「紹介しよう、こいつの名はヴォーパルだ。ヴォーパル、こいつはシイルだ。今からお前の主としての権限を移すから、こいつの事をよろしく頼む」
「えっと、マスターが言うなら別に構わないけど………」
白兎に言うと、クロノさんは僕の方を向いて両肩に手を置き真っ直ぐ向き合った。
そして、今まで無かったとても真剣な表情で。そして僅かに悲しげな表情で言った。
「これからは、こいつがシイルの事を守ってくれる筈だ。だから、俺とユキが帰るまで」
いや———
クロノさんは其処で首を横に振って言い直した。
「お前がこの家を守ってくれないか?俺とユキが帰るまで」
きっと、これはクロノさんなりの精一杯の優しさだったのだろう。クロノさんは、僕が寂しくないように守る為と言い白兎を残し、そして家を守れと言って僕に役目を与えた。
きっと、これはクロノさんなりの優しさだったのだ。だから、クロノさんの瞳は今にも泣きそうなそれを必死に耐えるような。そんな目をしているんだろう。
だから、此処で僕が言えるのはきっと一つだけだ。
「わか、りました。クロノさんとユキさんが帰るまで、この家を守る事にします」
———だから、安心して行って下さい。そして、帰ってきて下さい。
「ああ、どうか頼む」
そう言って、クロノさんとユキさんはそのまま家を出て去った。二人が家を出た後、僕は白兎に力一杯抱き付いて声を張り上げ泣いた。
きっと、これほど泣いたのは今までに一度も無かっただろう。
それほどまでに、大泣きしたと思う。
そんな僕に、ヴォーパルはただじっと僕に寄り添ってくれていた。
ただ、僕にその身体を寄せてじっとしてくれていた。
・・・・・・・・・
その頃、とある宙域に存在する銀河系が、一切の予兆すら無く………
消滅した。
その光景を目の当たりにしたとある人物が、こう告げたという。
まるで、途方もなく巨大な怪物に捕食されたかのようだと。
・・・・・・・・・
しばらく泣き続けた後、僕は泣きはらした目を擦りながらヴォーパルに向け言った。
「ヴォーパル、僕は決めたよ」
「うん、何をだ?マスター」
どうやら、もう既に彼の中で僕はマスターという扱いらしい。けど、関係ない。僕は決意を胸に秘めてそれを白兎の前で告げる。
自身の覚悟を………
「僕は強くなるよ。もっともっと、強くなってこの家を守る」
クロノさんとユキさんが、いつか帰ってくる日まで。
そして、二人に強くなった自分を見せる為に。