4,表裏/裏表
その頃、クロノとユキは外界から隔絶された異空間の中で体力の回復に努めていた。
体力と力の回復は順調だ。このまま上手く行けば、もう間もなく復活出来るだろう。
しかし、先程からユキの様子がおかしい。何処か、そわそわしているような。或いは落ち込んでいるようなそんな何処か不安定な様子だった。
「……ユキ?どうした、そんなにそわそわして。それに何か悩み事でもあるのか?さっきから一人で落ち込んでいるようだけれど」
「…………うん、えっと?」
問い掛けてみるも、当のユキは何処か上の空。というよりも言い辛そうにしていた。
或いは、ただ言いたくないだけなのかも知れないけれど……
思わずクロノは苦笑する。何故なら、クロノはユキのその理由に心当たりがあったからだ。
「ユキ、今のお前の気持ちを当ててやろうか?」
「……何を?」
「お前は今、自分を役立たずだと思っているだろう?今回の敗北で、星のアバターとも呼ばれた自分の力が全く通じずに足をひっぱる事になったと……そう思ってるだろう」
「…………」
何も答えず、ユキはぎゅっと膝を抱えて項垂れる。どうやら図星らしい。
実に分かりやすい。クロノは思わず声に出して小さく笑った。
泣きそうなユキの傍に、クロノは黙って身体を寄せその背中に腕を回す。くしゃりと、ユキの表情が歪み更に泣きそうになった。
「一つだけ、ユキの誤解を解いておこうか……」
「誤、解………」
今にも泣きだしそうな目で、ユキはクロノをじっと見た。もう一杯一杯という感じか。
だが、クロノは敢えて其処には触れない。そのまま小さく頷き話し始めた。
「先ず、最初に言っておくとユキの異能は決して役立たずではない。ただ、それを操るユキ自身の理解が浅いのが問題なんだよ」
「私の理解が、浅い?」
「ああ、ユキが自身の異能をきちんと理解すれば。或いはユキはかつての父親にも、またはブラスの暴食の異能にも十全以上に戦えた筈だ。文字通り、最高位の異能なんだよ」
「っ⁉」
驚いた。ユキは自身の異能がそれほどまでの力を有している事を知らなかった故に。
しかし、同時にユキは目の前に希望を提示された気がした。それはつまり、それを知れば自身はもう無力感を味わわずに済むという事だ。
そして、それを知るからこそクロノは敢えて突き放すような事を言う。
「けど、俺はユキにそうあって欲しくないと思っている」
「っ、それは何で?」
「……かつて、俺は自ら自身の力を手放した。ユキと別れたすぐ後の事だ、俺は人を救うだけなら戦う力なんか要らないんじゃないかとそう理解したんだ」
「………………」
そして、その想いは今も変わっていない。
「人を救うだけなら、ただそっと手を差し伸べるだけで良い。かつて、お前の父親を救うのに異能の力を必要としたけど。それは特殊な事情だっただけだ」
少なくとも、人を救うためだけなら異能の力は必要ない。特殊な力なんか必要ない。
そう、思っていたが。ユキは静かに首を横に振った。
「クロノ君、それでも私は自分の力を理解したい。理解して、強くなりたいよ。後になって私自身がどうしようも無く後悔するより、もっと自分の事を理解して高めていきたい」
だって、とユキは続けた。
「それは、クロノ君自身の強さでもあるでしょう?」
「ユキ………」
「私は、クロノ君の全てを理解してその上で全てを救うその意思に救われたもの」
そう、ユキは真っ直ぐクロノの目を見て言った。かつて、ユキ自身がそうありたいと願いそうあろうとした生き方をなぞるようにして。
そして、それを理解したからこそ。クロノは心底安堵したように笑みを浮かべた。
ユキの覚悟に触れ。彼女なら大丈夫だと判断出来たが故に……
「ああ、分かった。そこまで言うなら俺も安心した」
「私の異能について、教えてくれる?」
ユキの真っ直ぐな視線に、クロノは応えるように頷いた。
「ああ、ユキの異能。星のアバターは惑星規模の異能でありながら無限に並行する多元宇宙に干渉しうる最上位の異能だ。それはつまり、惑星規模でありながら多元宇宙規模でもあるという事」
「多元宇宙規模?」
「ああ、ユキの異能は惑星規模の環境制御能力だ。しかし、おかしいと思わないか?惑星規模の能力でありながらその実、その異能は多元宇宙にまで規模を拡張させているという事実に」
「と、言うと?」
ユキの言葉に、クロノは頷いた。
彼女の疑問に、一つ一つ答えていくように。クロノは告げる。
「ユキが得意とする力に神話の世界からの召喚がある。それは簡単に言えば、仮に神話の物理法則へと変異させた世界を定義し、その神話世界から特定の生物や事象を召喚するという事。それは裏を返せば惑星規模でありながら多元宇宙規模にまで手を伸ばせるという意味だろう?」
「っ、それは‼?」
ユキは何かに気付いたらしい。そして、それは間違いなく一つの事実を現わす。
クロノは頷くと、話を締めくくるように答えを提示した。
「ユキには膨大な経験がある。あの滅びた文明を生きて来た経験も含め、改変された世界を生き続けた経験の全てがユキの中に蓄積している。その経験があれば、ユキの異能の真価を発揮させるのに十分な力になりうるだろう」
そう、それは文字通り星の海を統べる女王としての覚醒。その産声だった。
……… ……… ………
それは、かつて〈暴食〉の怪物がまだ一人の少女だった頃の話。
少女は、ブラス=スペルビアは自身の中にある怪物性を持て余していた。
お腹がすいた。腹がへった。絶え間なく襲う飢餓感と空腹感、それは彼女が生まれながらに暴食という概念そのものへ至っているという何よりの証明だった。
彼女の異能の特性上、彼女に捕食出来ない物は存在しえない。例え、それが生物であろうと非生物であろうと有毒無毒であろうと。星に至るまで捕食可能だろう。
彼女に捕食出来ないものはない。文字通り、何でも捕食し己の糧とする。
彼女は生まれ付いての怪物だった。
しかし、それ故に彼女は孤独だった。自身に比肩しうる存在が居ないという事実に。
そして、例えどのような存在であれ自身の餌としか見れないだろうと理解しているが故。
それ故に、彼女は孤独だった。他者の、生命の輝きを理解しているが故に。
そしてそれを理解しているからこそそれを喰らいたいと思うが故。彼女は孤独だった。
———そう、ある存在が目前に現れるまでは。
「へえ?中々面白いのが居るじゃねえか、ご同類」
突然、少女に声を掛けてきた少年。歳は少女より二つか三つ上だろうか?黒髪に赤い瞳、それにまるであまねく他者を嘲るような微笑を浮かべている。
そして、何より周囲に誰一人として寄せ付けない。今にもこの首が断たれて落ちそうな、そんな鋭く物騒な気配を発していた。そして、事実として少年の腰には一対のナイフがあった。
少女は一目で理解した。目の前に現れたその少年、彼は断じて餌ではないと。
文字通り、彼は自身の同類。即ち、純粋な概念そのものへ至った者であると。
理解したが故に、少女は歓喜にも似た感情を抱いた。
この世に生を受けて、初めて出会った同類に。
「誰ですか?貴方は」
「おっと、すまねえな。俺の名はゼノ、死神だ」
そう、彼は一言で言えば死神だった。純粋な〈死〉の概念、その顕現だ。
「お前の名前は何だ?俺と一緒に遊ぼうぜ!」
そう、死神ゼノはふざけた事を言ってきた。だが、不思議と少女は高揚していた。目の前の景色が一気に開けたような気さえした程だった。
そして、その出会いが少女の運命を大きく変える事となる出会いだった。




