初めての友だち、ユイナ
翌日。
セシリアは気持ちのいい目覚めで朝を迎えていた。
アンヴェルドが「この部屋を使え。どうせ空き部屋は魔王城に山ほどある」と言って与えてくれたセシリアの寝室は実に快適だった。
空いていた部屋と言う割には完璧なベッドメイクで、布団はフカフカ。
そのおかげで彼女の体調もすこぶる良かった。
「セシリア様。失礼いたします」
「あ、カミラさん。おはようございます」
「はい。おはようございます。よく眠れましたでしょうか?」
「おかげさまで。あの、もしかしてカミラさんがこのお部屋の手配を?」
「左様です。アンヴェルド様の勅命でございましたので」
「魔王様の……。あの方、優しいですね」
口に出して、セシリアは「今の言葉は失礼だったのでは」と慌てた。
そもそも、ダークエルフは長寿の種族。
若く見えるカミラだって、生後1日のセシリアよりは確実に長く時を生きている。
そんな彼女に敬語で接してもらう事が既に失礼なのだとセシリアは気付いた。
賢者と名を馳せた彼女にしては、あまりにも遅い気付きであった。
「ああ、えっと、すみません! カミラさん、じゃなくて、カミラ様!! 魔王様もあれですよね、私に優しいんじゃなくて、気まぐれと言うか、そういうのですよね!?」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
カミラが「ふふっ」と笑う。
「わたくしの事はカミラで結構でございます。喋り方はわたくしの癖のようなものなので、お気になさらず。アンヴェルド様はお優しい方ですよ。ですが、セシリア様も随分とお優しい方のようですね。さあ、お食事の準備ができました」
カミラが「こちらへ」と言うのでついて行くと、大広間に通された。
そこには、魔王アンヴェルドの姿があった。
セシリアは思った。
「魔王様と一緒に朝ごはんを食べるんですか!?」と。
「……良く眠れたようだな」
「へっ!? あ、はい! おかげ様で、とてもよく!! あの、今日中にはどこかに住まいを見つけますので」
「構わぬ。あの部屋は貴様の好きに使うが良い。昨夜も言ったが、魔王城には空き部屋が山のようにある。遊ばせておく方が余程もったいなかろう」
「え、ええ……。ですけど、私のような新参者がそんなに良くしてもらっていいのでしょうか?」
「貴様には魔王軍の中核を担う者として期待している。ならば、幹部の何人かが住まう魔王城に居住するが良かろう」
「うぅ……。そうおっしゃるのであれば、はい……」
セシリアは人間だった頃を思い出す。
こんな風に議論で完膚なきまでの論破をされた記憶はなかった。
そして、こんなに情に溢れた朝食の風景の記憶もなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「うぐぅ……。食べ過ぎてしまいました……」
「大変結構な食べっぷりでございました。アンヴェルド様もお喜びになられております」
「うひゃあっ!? カミラさん!?」
「驚かせてしまいましたか。失礼をお許しください」
カミラの気配を消した瞬間移動には未だに慣れない。
果たして慣れる日が来るのだろうか。
「あの、魔王様に対して、私……。すごく偏見を持っていたのかもしれません。いいえ、偏見を持っていました」
「それは仕方がありません。あなた様は元は人間なのですから」
「ご存じだったんですか!?」
「申し訳ありません。アンヴェルド様のために知り得る情報は全て掌握するのがわたくしの務めですので。腹ごなしに魔王城の東にある修練場へ行かれるとよろしいかと。魔族とのふれあいにも早くなれておいた方がいいでしょう」
「……カミラさんってすごいですね。私の考えている事が全部分かっているみたいです」
「これは恐縮でございます。いつもの癖が出てしまいました。失礼を」
セシリアは、アンヴェルドの傍仕え改め、敏腕秘書のカミラに別れを告げて、言われた通りに修練場へと足を運ぶことにした。
魔王軍に支給されるローブを羽織り、彼女は歩く。
すれ違う魔族の何人かはその姿を見て頭を下げる。
「皆さん礼儀正しいですね」と感心ながらセシリアもそれに応じていたが、彼女の羽織っているローブが魔王軍の幹部にしか与えられないものであると言う事実を知ることになるのは、かなり先のことである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほわぁ……。すごいですね。熱気で満ちています。士気も高く、効率の良い訓練が行われています」
セシリアは人間だった頃に何度も魔王軍と交戦した。
人々は手放しに「英雄にかかれば楽勝だ」と口にしたが、毎回かなりの苦戦を強いられていた理由を彼女は改めて理解する。
「こんにちは! あなた、見かけない子だね? 新入りさんかな?」
ぼーっと突っ立っていたセシリアに、少女が声をかけて来た。
同い年くらいだろうか。
「えと、こんにちは。新入りです。昨日、魔王様に軍への参加を許されました」
「そっか! あたしはユイナ! オーガだよ! あなたは魔女かな?」
「はい。セシリアと言います。よろしくお願いします、ユイナさん」
「よろしくね、セシリア! ユイナでいいよ!」
ユイナは活発な女の子だった。
積極的に話しかけてくれるのはセシリアにとってもありがたい。
「じゃあ、ユイナ。ユイナはどうして魔王軍に入ったのですか?」
「あたしの親が人間の戦士に殺されちゃってね! あたしもやられちゃうーってところで、魔王様に助けてもらったの! それがきっかけ!!」
想像よりも重たい過去に、セシリアは言葉を失った。
何か喋られなければと思い発したのは、謝罪の言葉だった。
「すみませんでした。実は私、元は人間なんです。転生魔法で魔族になりまして……」
セシリアはこれまでの顛末をユイナに説明した。
人間のために戦い、人間に貶められ、処刑された末に転生魔法で落ち延びた事を。
「ですから、ごめんなさい。元人間として、謝罪させてください。もしかすると、ユイナのご両親の死に私は間接的に関わっているかもしれません」
罵詈雑言を浴びせられる覚悟の上での告白だったが、ユイナは「そうなんだ!」と明るく答えた。
ぽかんとしているセシリアを見て、「えへへ」と笑ったユイナは続ける。
「大変だったんだね! でも、セシリアが謝る事じゃないよ! あなたは自分の仕事をしていただけでしょ? それに、今はこうして仲間になれたんだから! あたしとセシリアは友達! それでいいでしょ? 人間は憎いけど、セシリアは憎くないもん!」
セシリアの中にある魔族への偏見がどんどん剝がれていく。
見た目が違うだけで、中身は人間の何十倍も思慮深く、端的に言えば優しい。
「ありがとうございます。ところで、ユイナの角って可愛いですね。カチューシャみたいで」
軽い気持ちで話題を変えたつもりのセシリアだったが、実にセンシティブな部分に踏み込んでいた。
ユイナは少し気まずそうに自分の角を撫でる。
「オーガってね、角の美しさで種族の優劣が決まるの。それで、あたしの角は真っ直ぐに伸びてないでしょ? これって劣等種の証なんだよね」
そう言えば、かつて戦場で見えたオーガの角は刀のように鋭い直線をしていた。
ユイナの角は確かに、意識して見ると珍しい。
「でも、私はその角の形が好きですよ。ユイナの優しい心が表されているようで。むやみに誰かを傷つけない心根がきっと角に現れたんですよ。って、すみません! コンプレックスなんですよね!? 私ってば、なんて失礼なことを!!」
ユイナが目を輝かせる。
そして、セシリアの手を取り興奮気味に言った。
「あたしの死んだお父さんとお母さんもそう言ってくれてたの! 嬉しい!! あたし、きっとセシリアが人間だった頃に出会っていても、あなたの事を好きになったと思う! 友達になるのに、種族とかって関係ないんだよ! えへへ」
ユイナの笑顔は、人に活力を与えるようだった。
それはセシリアが数多く使う事のできる魔法にもない効果。
志を同じくする仲間がここにはいる。
友と呼べる者がここにはいた。
セシリアは「やっぱり私の考えは間違っていました」と、人間だった頃に求められるがまま思考放棄して魔王軍と戦っていた自分を恥じた。
「修練場の案内をしてあげる! 行こ、セシリア!」
「あ、はい! 待ってください、ユイナ!」
セシリアにとって、真に心を許せる友ができたのは初めての事だった。
繋いだユイナの手は、温かったと言う。