突然の処刑命令
「ど、どういう事ですか!? 意味が分かりません!!」
あまりにも突拍子のない話をうまく咀嚼できず、セシリアは思わず叫んだ。
窓の外でさえずっていた小鳥たちが驚いて木から飛び去る。
「まずはセシリア殿、お休みのところ失礼した!」
「リンツさん! これ、何の冗談ですか? 冗談にしても品位を疑います! 土足で部屋に入って来て、いきなり処刑!?」
リンツ兵長は、戦場で背中を預けた事もあるセシリアにとっては旧知の仲。
彼女の記憶の中のリンツは、融通の利かないところはあるものの、このように醜悪なジョークを先導するような男ではない。
「自分も残念ですよ。まさか、セシリア殿に限ってと、何度も確認をいたしました。しかし、王の勅命とあらば是非もなし! お覚悟を!!」
「ま、待ってください! 本当に私、身に覚えがないんです! 冗談じゃないのなら、しっかりとした説明を求めます!!」
リンツは「なるほど。道理ですな」と頷いて、セシリアの罪状を読み上げた。
「あなたは5日前の夜分、王子ルーファス様の寝室へおひとりで向かわれましたな?」
「はい。魔導書の翻訳をするようにと頼まれていましたから。それをお届けに」
「まだ白々しくそのような事を申されるのですか。潔く事実をお認めになられよ」
「事実ってなんですか!? 私は嘘なんて言っていません!」
「あくまでも自分にあなたの罪を言わせる構えですか。……よろしい! セシリア・フローレンス! 貴様は王子を誘惑し、レスコーネ城の権力の掌握を企み、さらには帝国の乗っ取りを謀った! 間違いないな!?」
寝耳に水とはまさにこの事だとセシリアは思った。
だが、今は出来の悪い冗談に感想を抱いている時ではないとすぐに思い直す。
「誤解があるようですので、ハッキリと申し上げます! 私に自分のモノになれと命じて関係を迫って来られたのは王子様です!!」
リンツは苦くて不味いコーヒーを飲んだような表情をする。
その顔にはほんの少しの罪悪感のようなものが含まれており、兵長と言う立場上、リンツも上の指示に従うしかないと言う類の無念が少なからずあった。
だが、冷静さを欠いているセシリアはそれに気付けない。
「……セシリア殿。貴様はルーファス・レスコーネ様を、次期国王を更に侮辱なさるか!! これ以上見苦しく罪を重ねるな!!」
「話になりません! 誰か別の人を呼んでください!!」
セシリアの要望はもっともだったが、絶対君主制の帝国において王族の決定は絶対。
だが、思わぬ援軍の到着に彼女は瞳を潤ませた。
「リンツ兵長! お待ちください! わたくしたちに証言をさせてくださいませ!」
「……あっ! クロエ! リタさん!!」
そこに現れたのは、セシリアと関わりの深い者たち。
クロエは魔法兵団の師団長を務める若きエースで、セシリアの弟子の中でも極めて才能に恵まれた女子。
師弟の関係も良好で、彼女の良き友人でもあった。
リタは帝国の教会を纏める聖女。
多くの信徒から尊敬を集めており、魔王軍との戦いの中で傷ついた者の治療を先頭に立って指揮する行動力も持つ、セシリア憧れの女性である。
「わたくしは聖女と言う立場上、レスコーネ城の中にある噂は全て耳に入っております。セシリアさんの罪について、発言をお許しいただけますでしょうか?」
「あたしもです! 魔法兵団はセシリア師匠に最も近い組織ですから! きっと証言の信憑性も高まると思います!!」
地獄に仏とはかくあるべしか。
セシリアは涙を浮かべて、2人の言葉を待った。
だが、それは期待していたものとは違っていた。
「セシリアさんの悪評は知れ渡っております。英雄の立場を利用して、王子様に何度もしつこく迫っていたと。汚らわしいですわ」
「魔法兵団はセシリア師匠に、今回の乗っ取りが成功したら親衛隊として使ってやるから協力をするようにと勧誘された者が多くいます!!」
地獄に仏などいないのだ。
地獄にいるのは、悪鬼のみ。
「……えっ? クロエ? リタさん? 嘘ですよね?」
「やめてくださいませ。魂の浄化もここまで穢れてしまっていてはもう無理です」
「正直失望しました。セシリアさんもやっぱり女だったんですね」
思考回路と言うものは存外残酷にできているらしく、セシリアはここに至りようやく冷静な思考を取り戻しつつあった。
レスコーネ城の中にセシリアの味方はもういないのだ。
いや、帝国領内全土を探しても、彼女の味方はいないだろう。
英雄だ、賢者だと敬愛の念を向けてくれた者たちも、帝国市民なのだ。
何百年にもわたる絶対君主制が続いている帝国において、王族の意は絶対。
その王族が自分に向けて牙を剝いた事を、ようやく理解した。
「さあ、もういいだろう。セシリア・フローレンスを投獄せよ!!」
「はっ! さあ、こっちへ来い!!」
もはや抵抗する気力もなくなっていた。
セシリアは城の地下深くにある牢獄へと収監された。
◆◇◆◇◆◇◆◇
無機質な石の壁と冷たい床がセシリアに「これが現実」と伝えていた。
粗末なベッドの脇にある柱を毒虫が這いまわる。
彼女は失意の中で、どうしてこうなったのかと考えた。
「ルーファス様のモノになれば良かったのでしょうか」と一瞬考えるも、ブンブンと首を振る。
「力に物を言わせて人権を踏みにじるなんて、魔王軍と同じじゃないですか!」と考え直したセシリアは、やはり正義を貫こうと心に決める。
信念をもって裁判に臨めば、きっと分かってくれる人がいるはずだと。
「る、ルーファス様!? いけません! このようなところに来られては!」
「ああ、気にせずとも良い。今投獄されているのはセシリアだけだろう? それに、魔封じの手錠をはめてあると聞いたが?」
「はっ! 確かにそのようになっておりますが!」
「ならば、貴様も少し席をはずせ。セシリアと話がしたい。あの女にだって、言い分があるだろうからな。それを聞いてやるのが王族としての務めだろう?」
「なんとご立派な……! 拝承いたしました! 何かあればお呼びください!!」
カツン、カツンと石床を歩く音が近づいてくる。
それはセシリアの牢の前で止まり、2人は5日ぶりに顔を合わせた。
「良いざまだなぁ? セシリア! 今の気分はどうだ?」
「……くっ。私はあなたの事を、いい加減なところはあるけど王族としての気構えも持っている方だと思っていました! 魔法の勉強だってしてくれていたのに!」
「ああ? 魔法だぁ? あんなもん、お前の気を惹くためにやってただけだ。なのに、セシリアぁ! お前ときたら、てんで手応えがねぇんだ! まったく、大した女だよ!! おおい? そろそろ考えも変わったか? お前は賢いからなぁ? どうすれば命が助かるか、分からない訳じゃあるまい?」
醜く顔を歪めるルーファス。
対して、セシリアは気高い精神を崩さなかった。
「黙りなさい! 私は裁判で身の潔白を証明します! これまでの行いを見てくれていた民衆の中には、曇った眼を持たない人だってきっといます!!」
ルーファスは「あーあ」とため息を吐いて、舌打ちをする。
「どうしてお前は、セシリアよぉ。そんなにバカなんだろうな? 裁判? そんなもん、あるわけねぇだろ!! 王族の意思に議論の余地なんてねぇんだよ! 俺が法律だ! 最後のチャンスを与えてやったのに、愚かな女だ! 後悔しながら死んでいくが良い!!」
「そ、そんな……。横暴です。いくらなんでも、そんな無法……!」
「無法がまかり通ってはいけない」と口に出すべきなのに、セシリアの心が音を立てて折れる。
無法も法なのだと理解してしまっている自分がいた。
「じゃあな、バカ女! ああ、最後にプレゼントだ! ……ぎゃあああっ! 誰か! 誰か来てくれぇぇぇ!!」
大袈裟に悲鳴を上げるルーファス。
すぐに兵士たちが駆けつけて来る。
「どうなさいましたか、ルーファス王子!!」
「この女に噛みつかれた! なんて凶暴な女だ!! こいつは危険だ! 処刑の日まで食事は与えるな!!」
「何と言う事を……! 了解いたしました! ささっ、ルーファス様! すぐに手当てを!」
「ああ、すまない。……バーカ」
ルーファスは舌を出して立ち去って行く。
残されたセシリアは涙を流す事もなく、ただ茫然と座り込んだままだった。