はじまりはじまり
初心者です。
よろしくお願いします!
――痛い。
痛覚が機能するまでにしばらく時間がかかった。咄嗟に頭上に掲げて、盾にした左腕は痺れるようにジンジンと痛み、傷口からは鮮血が留まることなく溢れ出している。
――やばい。
切りつけられている。
明確な悪意を持った、襲撃者によって。
――なんで?
問いを発する余裕はなかった。
眼前に短刀の鋒が突きつけられている。刺突だ。
必死の思いで襲撃者の腕にすがりついた。刃を握った手を押さえ込み、何とか短刀を叩き落とそうと間合いを詰める。
襲撃者のもう片方の腕が青年の胸ぐらをひっ掴み、そのまま絡み合うにして両者が倒れ込んだ。
凄まじい腕力だ。人間とは思えない……。
しばしの激しい揉み合いの末、相手を組み伏せて馬乗りになったのは襲撃者だった。
――ダメだ、死ぬ。
今まさに人生最期の瞬間を迎えようとしているのに不思議なほど冷静だった。全てがスローモーションのようにゆっくりと進む。
仰向けの位置から襲撃者の顔がよく見える。それは仮面に覆われていた。
異様に大きな血走った眼球が瞬きひとつせずこちらを見据えていた。そして馬乗りになった男が僅かに上体を後ろに逸らし、右腕を高く振り上げる。
――ああ、死ぬんだ。次こそ死ぬ。
きつく瞼を閉じた。短い人生だったが、それなりに納得はしている。
――いやせめて童貞ぐらいは卒業したかったよな。
自嘲気味に心の中で呟いた。なんにせよ、次の瞬間には鈍く光る刃が体のどこかを貫いているはずだ。
その瞬間は来なかった
おそるおそる目を開けた先にはまだ襲撃者の顔があった。しかし先ほどまとは決定的に違う。襲撃者の頭蓋を一本の矢が横一文字に貫通している。
絶命した敵の体は一気に弛緩し、青年に覆い被さるように倒れ込む。
――何が起こったんだ。一体誰が……?
混乱する青年の視界に二本の白い影が映る。人間の脚だ。
「早く立ったら? 怪我はないんでしょう?」
降り注いだのは、若い女の声だった。
************
目の前に広がるのは突き抜けるような真っ青な空と夏特有の巨大な白雲。
細く入り組んだ住宅街の小道には、太陽が容赦なく照りつける。入学前に調子に乗って染めた金髪が燃え盛るように熱を持つ。
金髪の青年、東条飛鳥は行くあてもなくただひたすらに歩いていた。
大学に入って早くも半年近く、季節は巡りついに誰もが待ちに待ったであろう夏休みが到来している。
なんとなく受験しなんとなく合格した中堅私大、とても努力したとは言えないが、それでも飛鳥の胸には希望が満ち溢れていた。バイト、サークル、コンパ、そして願わくば彼女……。
現実はそんなに甘くはない。
元来、徹底的に受け身な性格の飛鳥にとっては、彼女どころか新しい環境で友人を作ることさえ至難の業だった。
パッと見田舎のヤンキーにしか見えない鋭い目付きに空手で鍛えた無駄に逞しいガタイ。
おまけに風呂場で染めた汚らしい金髪とくれば近づき難いことこの上なかったであろう。
そんな飛鳥は一応サークルの夏合宿中だ。上手くいかない現状にこのままではマズいと一念発起。夏休み直前に電撃加入したのがテニスサークル。
なのだが……。
入ってまだ日が浅いのにいきなりの夏合宿と来れば当然、コミュ力のない飛鳥は孤独の極致にいた。
結局、こうやって行くあてもなく、ただひたすらにホテル周辺の住宅街を散策している。
「しっかし何だよ、この暑さは。しゃーない、木陰でも探すか」
周りに誰もいないのを良いことに、まあまあのボリュームで悪態をつく。
幸いなことに木陰はすぐに見つかった。
古ぼけた家と家との間に小さなお宮が佇んでいる。飛鳥は迷わずお宮の中に入り、社殿に据え付けられた低い階段に腰を下ろす。
飲みかけのペットボトルの蓋を開け、生暖かい水を一気に喉に流し込んだ。ぬるい水にぬめりさえ感じる。
生温い水を飲み干した飛鳥は、ふと視界を左へと向けた。そこにはトンネルがあった。左右の木々がもたれ合うように続く緑のトンネルだ。
なぜなのかは分からない。飛鳥は吸い寄せられるように暗い緑の中へと歩みを進めた……




