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6 届くもの

 皇太子殿下への朝の挨拶には琴子も顔を揃えていたので、朔夜は密かに安堵した。朔夜の横を通るときにはわずかにこちらを意識したようだった。

 普段より早くに起きてから何やらずっと書き物をしていた殿下が筆を置くと、朔夜を呼んだ。

「これを届けて来い」

 机の上に置かれた文箱の中には書状が20通ほど入っていた。

「それから、これは最後に」

 そう言いながら殿下が差し出した封書の宛名は「松浦頼子殿」、朔夜の母だった。

「戻るのは昼飯のあとでよい」

「承知いたしました」

 書状の配達は本来なら衛士の仕事ではないが、殿下は2カ月に一度は朔夜にこれを命じた。その中に朔夜の母への手紙があるのもいつものことだ。文箱とともに真雪の手による配達先の一覧も渡され、その順に届けて行けばよかった。


 東宮殿を出るとまずは宮中を廻った。衛門府に書状を届けたついでに昨日の事件の取調べ状況を尋ねたが、これといって目新しいことは聴けていないようだった。

 朱雀門から町へ出たあとは貴族の屋敷に配達していった。その2通目の宛先が「葛城明子殿」、おそらく琴子の母だろう。

 高い塀に囲まれた左大臣の屋敷は都でも5本の指に入る豪勢なもので、その前には広い庭が広がっていた。門番に取次を頼むあいだ、それを眺めながらぼんやりと思った。

(こんな立派な屋敷で生まれ育った姫君がどうしてわたしの妻になるだろう)

 あまり待たされずに家令が姿を見せ、殿下からの書状を恭しく受け取った。


 正午すぎにすべて届け終えると、最後の目的地に向かった。皇宮の西、士族が多く住む地域には似たような造りの家が並び、そのうちの一つが朔夜の実家だった。

 玄関から声をかけて中へ入ると、奥から出てきた母の笑顔に迎えられた。

「殿下から預かって参りました」

「うちの三男が母に顔を見せる理由はそれだけだろうよ」

 そう言いながら両手を前掛けでしっかり拭い、母は封書を受け取った。宛名を確認してから裏へ返した。

「おまえが帰ってから開けるように、だって。朔夜、何か殿下がわたしに告げ口したくなるようなことしたのかい?」

 まさかしたとは言えずに朔夜は黙ったが、母はあまり気にしていないようで、さっさと居間へ入っていった。

「お帰り、朔夜。ちょうどできたよ」

 兄嫁が椀を3つ載せた盆を手に台所からあらわれ、座卓に並べた。実家の昼飯の定番である煮込み饂飩だ。

「ただいま。いただきます」

 こうして母と会うのは最後だろうか、と皇太子殿下の専属護衛になってからは考えることもあった。母も衛士の娘に生まれ、衛士に嫁ぎ、3人の息子を衛士にした人だから覚悟はあるはずだ。しかしそれは、いつ息子が殿下のために命を落とすかわからないということであって、殿下の妃候補に手を出して処刑されるなどとは考えたこともないに違いない。母がすべてを知ったらどんな反応をするのだろう。

「では、戻ります」

「しっかりお役目を果たしなさい」

 結局いつもと変わらぬやりとりで母と分かれた。


 朔夜が東宮殿の執務室に戻ると、代わりを務めていたふたりの衛士が退出していった。戸が閉まると、

「ここに来い」

 殿下に命じられ、朔夜は文机を挟んで殿下と向き合う位置に膝をついた。

「頼子は息災であったか」

「はい、殿下の常のお心遣いに感謝しておりました」

「そうか。ところで、琴子のことだが」

 殿下が突然その名を口にしたので、朔夜は思わず殿下の顔を凝視した。

「牢に入れたぞ」

 その口調があまりに軽いので、朔夜の頭はすぐには意味を理解できなかった。

「何故、琴子さまを牢になど」

「琴子の罪を私に告げたのはそなたではなかったか」

 朔夜は言葉を失いかけ、だが絞り出した。

「ですが、あのとき殿下は」

「本人が認めたのだ。自分はわたしの妃になれぬと」

「だとしても、捕らえるべきは琴子さまではなくわたしです」

「いいや、それはできぬな」

 殿下の目が朔夜を見据えた。

「琴子は、相手は誰なのか分からないと言っておる。暗くて見えなかったと」

「そんなはずはありません。わたしが灯りを点けました」

 それはまさしく、琴子にこちらの顔を見せるためだったのだから。噛みつくように反論した。

「そなたは琴子がわたしに嘘を吐いたと申すのだな。つまりは、さらに罪を重ねていると。何のために?」

「それは」

 今度こそ朔夜が言葉に詰まると、殿下は文机を脇に除け、朔夜のほうへと膝を進めてきた。

「なぜ琴子は己の体を無理矢理奪った相手を庇うのだ」

「庇う? 琴子さまがわたしを?」

 朔夜が首を傾げていると、殿下は嘆息した。

「ひとつ確認したいのだが、そなたは何と言って琴子を抱いたのだ? いくら何でも好きな女を抱くのに何も言わずにということはあるまい」

「殿下の妃にはさせられないからわたしの妻にする、と」

「他には?」

「それだけです」

 殿下が小さく首を振った。

「それを聞いて、琴子が何と思ったか」

 殿下は朔夜ではなく、そばで控えていた真雪に目で答えを促した。

「朔夜は右大臣にでも言われて来たのだろう」

「右大臣さま?」

 朔夜にはその名が唐突に響いたが、殿下は頷いた。

「そなたが宮中の勢力争いに興味も関心もないことは知っている。だが、貴族の娘は違う。父親や周りの者から色々吹き込まれていよう。幸いわたしの妃候補たちはそれを表には出してこなかったがな」

「だいたいおまえは言葉が足りなすぎる。相手がどうしても欲しい女なら、男は必要以上に甘い言葉を並べるものだ」

 真雪がやれやれという風に続けると、目を見開いてそちらを見たのは殿下だった。

「なんだ真雪、そんな経験があるのか?」

「いいえ、一般論です」

 空気が弛みかける中、朔夜が話題を戻した。

「あの、それで琴子さまがわたしを庇っているというのは」

 殿下は朔夜のほうに顔を戻すと、わざとらしく眉間に皺を寄せた。

「琴子が東宮殿に居座ったのは、己の父親と、朔夜に己を襲うよう命じた者、その両方からそなたの命を守るには、琴子自身が罪を背負うのが一番よいと判断したからだ」

「なぜわたしのために己の命を賭けるようなことを」

「琴子は、妻だからだと言ったぞ」

 朔夜はまじまじと殿下を見つめた。

「すでに夫を持つ身でわたしの妃になりたい振りをしていたのだから、牢に入るのは当然であろう。だが、琴子は最後までそなたの名前だけは口にしなかった。やはり、わたしの妃にできなかったのは惜しかったかもしれぬな」

 そう言って眼を眇めた殿下の口元には笑みが浮かんでいた。殿下は朔夜を追い払うように手を振った。

「あとは本人に訊け」

 その言葉にハッとして、朔夜は殿下に一礼すると執務室を飛び出した。

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