表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

番外編 桜の木の下

 毎年宮中の桜が満開になると、皇后さま主催で花見の茶会が開かれる。

 庭園の一角にある桜樹の森は百数十年も前に造られたらしい。その下に長卓と椅子が用意され、見た目も味も吟味された菓子や軽食、飲み物が所狭しと並べられる。

 参加されるのは皇太子殿下と皇女さま、皇太后さま、そして皇后さまと親しい高位貴族のご婦人方。さらに、女官や侍女らにも菓子が配られる。彼女たちは地面に拡げられた毛氈の上に腰を下ろして、この日ばかりは高貴な方々とともに飲食することを許される。


  ◆◆◆◆◆


 その年の花見の茶会が例年よりも華やかだったのは、皇女さまのご学友も招待されたためだった。長卓に並ぶ異国伝来のさまざまな焼き菓子、紅茶や果実水などを見て、姫君たちは歓声を上げた。

 女性たちの楽しそうな騒めきを背に、朔夜は警護の役目に着いていた。事前の打ち合わせどおり、ほかの衛士らと花見の邪魔にならない程度に距離を置いて、茶会の周りを囲むように立った。

 絶えずあたりに気を配っていると、ときたま茶会の光景が目に入った。皇太子殿下のほかは女性ばかりの参加者の中、殿下の秘書官である真雪が毛氈の上で菓子を摘みながら、周囲の女官たちと会話を交わしていた。

 朔夜は呆れるよりも感心した。真雪は普段は面倒くさがっていても、いざとなればああして人の中に入っていくことを厭わないし、上手くやる。朔夜にはあそこに混じることは到底無理だ。だから茶会に参加する真雪を羨む気持ちは湧かなかった。

 満開の桜からはすでに花びらが散り始め、絶えず朔夜の視界の中をチラチラと落ちていった。ときおり強い風が吹くと舞う花びらの数は一気に増した。朔夜は誘われてほんの束の間、桜樹を見上げた。

「琴子さま、どうされましたの?」

 驚いたような声がその名前を呼ぶのが耳に届いて、朔夜は振り返った。遠目にも、琴子が目元を拭うのがわかった。

「こちらの桜があまりに美しいので感動してしまって。お見苦しい姿を、申し訳ございません」

 琴子が頭を下げると、皇后さまは穏やかに微笑んだ。

「桜を見て涙を流すなんて、心が豊かなのね」

「いいえ、とんでもございません」

 恥ずかしそうに俯く琴子の姿を舞い落ちる桜の向こうに置いて、朔夜は再び茶会に背を向けた。


  ◆◆◆◆◆


 花見の茶会は今年もつつがなく進んでいた。

 朔夜は今回も警護の役目に着きながら、ときたま茶会の様子を窺った。正確には、そこに参加している妻を。

 昨年までは椅子に座る身分だった琴子は今年は毛氈に腰を下ろしていた。それでも隣の女官や、皇太子妃殿下と楽しそうに会話を交わしていて、朔夜を安堵させた。

 琴子の瞳は花を見上げるついでのようにしばしば茶会の外に向けられて、朔夜を捕らえた。朔夜はもちろんそれに気づいていて、何度かは視線を絡めた。そのたびに琴子が嬉しそうに笑うのがくすぐったかった。一方で、皇太子殿下がこちらを睨んでくるのには気づかないふりをした。

 花が綻びはじめ茶会の開催日が決まったころに、殿下から今年は参加するかと尋ねられたが、朔夜はすぐに断っていた。朔夜の性格を把握している殿下は、

「まあ、無理強いはしないが」

と口にしたところで、目を細めて口角の片側を上げるという意地の悪そうな表情を貼り付けた顔で続けた。

「警護中に誰ぞをジロジロ見つめて役目を疎かにすることのないように」

「わかっております」

 朔夜も殿下の性質は充分承知しているので、わざわざ反論したりしなかった。殿下に言われるまでもなく、桜の中にいる妻に見惚れて仕事に支障をきたすなど朔夜にはあり得ないことだ。


 ふたりだけで桜を見たいと言ったのは琴子だったが、朔夜に否やはなかった。花見の茶会から2日後の早朝。同じ夜を過ごした夫婦は、いつもより随分と早くに起き出して皇宮の庭園に向かった。ようやく日が昇ったばかりの宮中はすでに動き出していた。

 ふたり並んでゆっくりと歩いても庭園までたいした距離はない。目的の桜の森にはさすがにまだ人影はなく静まりかえっていた。たった2日で枝につく花は数を減らし、代わりに若葉が顔を出しはじめていた。

 朔夜は、桜に目を奪われている琴子の手を取った。彼女は頭上に気をとられると足元や周囲が疎かになるから、というのは言い訳だ。琴子も躊躇うことなく握り返してくる。

 あとからあとから落ちて来る花びらを見ながら、朔夜はふと思い出した4年前の花見の茶会のことをポツポツと語った。皇女さまのご学友になったばかりの琴子が初めて参加した年だ。

「桜が美しいと言って涙を溢すあなたが1番美しかった」

 そんな言葉で締めて彼女を見れば、頬を染め唇を尖らせて朔夜を見上げてきた。

「私のことなど見ようとしなかったくせに、よく覚えていますね」

「見ることが出来なかった分、見たことはきちんと覚えています」

 琴子は戸惑ったような表情を浮かべてしばらく目を泳がせた挙句、そっぽを向いて口を開いた。

「違うのです」

「何が?」

「本当は桜を見て泣いたのではなくて、桜吹雪の中に立っていたあなたの姿がとてもきれいで、だけど何だか儚く見えて、気づいたら涙が溢れていました」

 思わぬ妻の告白に、今度は朔夜の頬が熱くなった。窺うように朔夜の方へと視線を戻した琴子の顔に笑みが浮かんだ。その頭に花びらがついているのを見つけてそっと払い落とす。唐突に今の自分と琴子との距離の近さを感じた。

「来年も一緒に桜を見ましょう。再来年もその次も、ここではなくても、毎年一緒に。そしていつかわたしが先に逝ったとしても、春になったら桜を見上げてわたしを思い出してください」

 琴子の笑みがかすかに曇った。それでも、努めて明るくしたのがわかる声で夫に応えた。

「多分、あなたがいなくなってしまったら、桜が咲くのを待つまでもなく、何を見てもあなたを思い出すわ」

 互いに離れまいとして、朔夜の左手と琴子の右手がさらにきつく繋がれた。今はただ、もうじき終わるふたりきりの花見と今年の桜を惜しむ。


お読みいただきありがとうございました。


9/3追記

この話の前日譚となる『友にはなれぬ人』を始めました。朔夜視点で殿下&真雪との出会いの物語です。恋愛要素は一切なし、というか女性ほぼなし。4話で完結します。よかったらそちらもお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ