第8話 夢
ここはどこだろうか。
辺りを見回してみるが、何も見えない。
見えないというよりも、白い。
視界が白くて、でも自分の体は見ることができて。
何も存在しない空白の空間に自分がいるよう。
遠くの方が眩しい。
思わず目を細めた。
振り向いて見ると、床にポツンと黒いシミが一つ。
ゆっくりと歩み寄って、見た。
黒い絵の具がパレットから飛んだ時のようで、水しぶきの跡がある。
しゃがんでしばらくそれを眺めていた。
すると、後ろでカランと何かが落ちる音がする。
振り向いて見ると、そこには一脚の椅子。
背もたれに僅かな意匠が施してある。
近付いて腰掛けた。
椅子が小さく軋む。
椅子の上で足を抱えた。
見渡す限り何も見えない世界。
果てしなく続く白。
なぜこんなところにいるのだろうか。
思い出そうにも思い出せない。
少し心細い。
このままこの世界から消えてしまうのではないか。
そう考えると、余計に寂しくなった。
足に顔を埋める。
耳をすませば聞こえてくる、自分の微かな息遣いと、心臓の鼓動。
肌で感じる僅かな温もりに身を任せ、少し眠りにつくことにした。
再びカランと音が鳴った。
顔を傾け、膝の隙間からその音の元を見る。
誰かがいた。
「……辰茉?」
無意識にそう声を掛けていた。
被った黒いフードで顔はよく見えないが、あれは辰茉だ。
本能がそう告げている。
「辰茉……やっと会えた……」
待ち焦がれていた。
いつか会える時を待っていた。
埋めていた顔を上げて彼に語りかける。
「ごめんね、連絡もせずにどっかに行って」
彼は無言だ。
「もうどこにも行かないから、一緒に行こ」
そう言って手を差し伸ばす。
彼も手を差し出した。
お互いに手を伸ばして、繋ぐ。
手に彼の温もりが伝わってくる。
「早く帰ろ」
その温もりに勇気付けられ、椅子から立ち上がった。
立ち上がれなかった。
椅子に縛り付けられたかのように、体が全く動かない。
「ちょっと待って……体が、動か……ない」
手を伸ばし、繋いだまま、固まった。
彼は何も言わずに手を握り続ける。
「なんで……?」
そう問いかける。
彼は無言だ。
その瞬間、スッと手から温もりが消えた。
「待って……!」
こちらに手を伸ばしたまま、白い世界の影に吸い込まれていく。
「待って! 一緒に行こうよ!辰茉……!」
プツンと影が虚空に消えた。
「……ッ!」
飛び起きた。
「なに……あれ」
変な夢を見た。
椅子に座っていたら、辰茉が来て……
「辰茉……」
自分の頬を雫が伝った。
泣いている。
二度と会えない人と夢の中で再開して、別れた。
「どうしたの……?」
小さな呻き声に次いで、横からそう問いかけられた。
「すみません、変な夢を見てしまって……」
「そうだったの。大丈夫?」
心配そうな顔でこちらを眺めるあの人を見て、私は思わず抱きついて泣いてしまった。




