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「「ゼハーッ、ゼハーッ。……距離が、ありすぎ……」」
めちゃくちゃ疲れた。ニンゲンってあんなに速く走れる生き物なのか……。
でも、勝った。
「負けた。やはり獣人相手では、無理だな。ふーっ、存外体力的にもキツイ」
「……義足じゃなかったら、わたしが負けてた」
「自分から言っておいて慰めてくれるな。手負い相手に足のせいにはできん」
潔いとはこのことか。見上げた武人、大人。
ああ、身体熱い。長距離苦手なのに無理しすぎた。心臓壊れちゃう。
ついたのは領主の館の正面門。ハブラはわたしの知らない呼吸法でも使ったのかあっという間に息を整えて門の前に仁王立ちした。このニンゲン、大体のスペックがオオカミ亜人なんだけど、どうやって鍛えているんだろう。
「ここで出迎える。ここの者が戻ってきたらその辺の、適当なところに隠れておれ。出番となったら呼ぶからな」
「ん……」
門の前には石の階段があって、左右に伸びる塀の前には背の低い花木が列になっている。隠れるのに丁度いい。
東の町の方から未だに砲声が聞こえる。85ミリ砲の音もある。パートリッジはまさか、町で頑張ってる兵士を黙らせるために、重戦車でも突っ込ませたのかな。
「おそらく、早い段階で一度戻ってくる。いくらなんでも城壁を落とそうと無理はせんだろうしな」
「うん」
長々と待たされるのは嫌だからそうだとありがたい。
それで、アダーガドたちが戻ってきたら、実力行使で話を聞かせればいいのかな。アダーガドをぶん殴っていいなら待つのも楽しみだけど、どうなんだろ。
「……娘」
「ん?」
「数年前、銀狐の亜人の娘の手配書が出回っておったが、お前のことだな?」
「違う」
とっさに嘘をつくと、ハブラは見透かしたようにニヤリを笑ってから続けた。
「ポゼライエとかいう大物貴族の養子で、家を離れるとき領主の印を受け継いだだろう。アトレイシアと、名までもらっていたとはな。躍起になるわけだ」
この言い方……名前をもらうことに何か特別な意味があるのかな。ただ偽名として使えという意味じゃないのか。
「…………」
「……ふ、捨てた過去だったならすまんな」
名前の意味を訊こうかなと思ったところで、屋敷の中から聞き覚えのある声がした。
「アトレイシアちゃん!」「あ、おい――」
脇にいた男が引き止めようとするのをすり抜けて、エルリリが飛びついてきた。
「来てくれてありがとー! ――ひぃっ、ひどい怪我!」
「ん……」
エルリリの怪我は……頬の腫れが引いて前よりいいくらいか。よかった。
「返してやる。お前はビクビクしてばかりのくせに口が固くて、なかなかしっかりした娘だ。あそこに姉妹か誰か、大切な者がいるな? もうじき再会できるから辛抱しておれ」
「ふぃ!? あっ、ありがとうございます……」
まだハブラのことが怖いのか、一転してエルリリはわたしの背にしがみつきながら震え声で応じた。
「エルリリ、ハブラは大丈夫だよ」
「アトレイシアちゃんニンゲンに慣れ過ぎだよぉ……」
「仲間になってくれるニンゲンとは、仲良くしないとだめ」
「えぇ~……」
「ふん、その様子では人間に舐められて、ますます亜人が低く見られるようになるぞ。怖かろうが自分の足でしっかり立っていろ。同胞たちのためだ」
「うぅ、わかりました……」
ハブラにまで心構えを説かれると、エルリリはようやくわたしの服の裾を掴んでいた手を放して膝を伸ばした。
それでも膝はがくがく、しっぽはカチコチに固まってるのを見て、わたしはハブラと顔を見合わせて肩をすくめあった。無理してるのが見え見えすぎる。
「もういい、さっさと隠れておれ」
「ん。……いこ」
「え? その、帰りたいんだけど……」
「……ひとりで?」
「……一緒にいますぅ」
この子、頼りない。まあ、タヌキ亜人って大概超臆病だし、仕方ないか。
……それにしてもお腹がすいた。もうそろそろお昼だ。ハブラが何かくれないかな。
「ハブラ、ごはん」
「……はあ、アトレイシアよ、いいかよく聞け。ニンゲンに餌付けされる獣人とは――」
やっぱりいいや。お腹が減ってからといってうろうろしてもいられないから……寝よう。
――で、いい加減待つのも飽きた。一度目が覚めてもう一回眠ったのに、変わったのは太陽の位置くらい。全然直ぐじゃないじゃん。
かなり静かになってきたけど、戦闘はどうなっているのかな。これじゃヘッドを貶した手前立つ瀬がない。
「……まだ?」
起きてわたしの問いかけに、エルリリから「むにゃむにゃ」と答えが返ってきた。あれほどびくびくしていたのに気持ちよさそうに寝ている。わたしが眠っている間に衣料品を持ってくるようにハブラに頼んで、傷の手当をしてくれもしたし、もう大丈夫と余裕を持っているみたい。
お腹すいた。ケイトのところに帰りたい。ハブラなんかについてこなればよかった。
……ん。あ、きた。
「目を覚ましたかと思えば、気付いたのか。流石だな」
ハブラが勘違いして褒めてきた。いや、起きたのはたまたまなんだけど……まあいいか。
しばらく待っていると、活力の欠片もない兵士たちの先頭で馬に跨ったアダーガドが、前見たときとは違う明らかに危ないギラついた目をしながら姿を現した。
「これは領主様、成果はありましたかな?」
「……何故ここにいる?」
「お屋敷の警護以外に、何かあるとお思いですかな? このお屋敷は偉大なる先代領主ボーベット・ハーベス様の残された大切な遺産、戦いの混乱に乗じて不届きな輩が近付かぬよう――」
「黙れ! 領主たるこのおれを残して戦場を離れるなど、不届き者とはお前のことだハブラ!」
「お訊きになられながら「黙れ」と言われましてもな……。「好きにしろ」とおっしゃられたのはアダーガド卿であったと記憶しておりますが?」
「黙れ、黙れ! 臆して逃げるとは武闘家が聞いて呆れる! ――この卑怯者を捕らえよ!」
アダーガドの号令で、ハブラはたちまち取り囲まれた。背が小さいから後ろ姿がまるで子供。でも、背中は凄く大きく感じる。
「私めは先代当主ボーベット様の頃より、永くハーベス家に仕えてきた身、このわたしを縄にかけられるかアダーガド卿。先代当主の側近たるわたしへの辱め、偉大なる先代の名に泥を塗ることにもなりますぞ」
「それがどうした! 獣人ごときを相手に武勲を重ねた程度で何が偉大なものか! そのくせに、重圧となっておれを苦しめる……! もう、もうアイツの栄光などおれにはいらぬ。あんな奴がおれの父でなかったなら、おれは――」
「アダーガド卿、そこまでになされよ」
先代を貶めるような口はそこまでと、ハブラは続く言葉を遮った。
「ハブラ……」
「なんでございましょう?」
「お前には死んでもらうぞ……。お前は父の片腕、父の誇りだった。おれには無用の存在だ」
「領主様!? おやめください、ハブラほどの武人はそうそういません。どうかお考え直しを!」
突然の処刑宣告に、背後に控えていた男が慌てて進み出てアダーガドを諌めた。ハブラを取り囲んでいた兵士たちも浮足立ったように見える。
あの状況でも、ハブラはただでは死なないはず。無理にでも殺そうというなら何人かは道連れになる覚悟を決めないと勝てない。
「黙っていろ! こいつなど、今はただの耄碌爺に過ぎんわ! ――銃兵、何をしている!? もたもたしていないでコイツを銃殺せよ!」
「えっ、それが……銃兵は散り散りになって、いまは手元に残っておりません」
「だったらこの手で殺してくれる!」
アダーガドが剣を抜いた。完全に狂って殺意の塊になっている。
ハブラはお前の片腕でもなかったのか。勝てるわけ無いからやめておけばいいのに、わたしの出番まで犠牲になるじゃないか。
「はぁ、何処までも狂われてしまったようですな。……いいでしょう。かかってくるがいい。わたしを殺せるなら殺してみることです。その代わり、命乞いは聞けませんぞ?」
「ほざけぇっ!」
アダーガドはわたしが思っていたよりも速かった。踏み込みもいい。小柄なハブラを叩き潰すように、両手で握った剣を上段から振り下ろした。
そして、振り下ろされた剣はハブラ頭の上を越え、背後に落ちた。手は剣の柄を握ったままだ。
ハブラの右手ではサーベルの刀身が輝きを放ち、右足では義足の先から仕込みの刃が覗いている。あんな義足あるんだ。特注品なのかな。
「うっ、うわァアッ! 手が、おれの手がッ!」
アダーガドが自分の両手首の断面と、そこからあふれる血を見て尻餅をつき、瞬く間に顔面蒼白になって言語とはいえない言葉で喚き始めた。
弱い男。あれでも武門家の長なのに、やっぱりニンゲンの貴族はたかが知れてる。ざまあみろ。
「所詮はその程度の未熟者が、粋がらないことですな。だからこうやって痛い目をみる」
仕込み刃を義足の中に戻して、ハブラが一歩近付くと、途端にアダーガドは恐れおののくように泣き喚きながら、両足をばたばたと動かして離れようとした。立ち上がろうにも両手がつけない上に、どうやら腰に力が入らないらしい。
「やめろ! 来るな!」
「何を怯えておられる。もう何も恐れることはありませぬぞ」
「え――」
ハブラの言っていることがよくわからなかったのかきょとんとしたアダーガドの顔は、そのまま真っ二つに割けた。
ハブラはやっぱり強い。去年わたしと戦ったときは手加減してくれてたのかな。スズリカが一目置くだけのことはある。オオカミ亜人のシャルルサでも勝てなかった相手に、アダーガドみたいな半端な実力で戦えるわけない。
それにあのサーベル、もの凄い切れ味。異名の通りにしばらく死なずに動いたり喋ったりしてたけど、どうやったらああいう風に切れるんだろう。
「哀れな。己に課せられた重圧に耐えきれず、心を病んだ未熟な男よ」




