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* *
キツネ亜人の女の子がわたしの前に立っている。幼馴染のエクリナだ。
「どうして……止めてくれなかったの……?」
違う。わたしは止めようとした。声が枯れるまで、やめてって叫んだの。でも、誰も聞いてくれなかった……。
「わたしたちのことを見捨てて、生き残った。戦わなかった。わたしたちを、裏切った……」
やめてエクリナ。そんなこと言わないで。わたしは……わたしは……。
「お前も死ねばよかったのに」
……また、この夢。しばらく見なかったのに、あれからまた見るようになった。
エクリナはまだ、わたしの中で生きている。こうやって遺恨に締め付けられ続けるなら、いっそわたしなんて、もとからいなければよかったのかな。
身体中、汗でじっとりしてる。気持ち悪い。お風呂に入りたい。
それにまだ、全然、太陽が沈んでない。ベッジたちに合わせてニンゲンみたいに寝起きしていた名残かな。昼間ちゃんと眠れない。
……それでここは、何処だっけ?
「…………?」
ああ、そうだ。
ヘッドたち、異世界の兵士たちと別れて数日、活発に動き回るタナトスたちを避けながら、わたしは同胞たち、いや、親友の暮らす隠れ里を目指して、そして道に迷った。
わたしはどうにもひとりでは生きていけないらしい。2年前ひとりで里を飛び出したはいいけど、去年から今年にかけての冬越しに失敗して、都合よくモンスターに襲われていたベッジを助けて食料をせびったついでにこの間まで一緒にいた。里にいたときは一日中、同じキツネ亜人のケイトと過ごしていたし、それに加えてこの前のヘッドたちの件、わたしは無意識の内にでも誰かの傍らにいないと死んでしまう性でもあるみたい。
わたしは昔、ニンゲンの家の養子として、我が子の如く可愛がってもらった過去がある。ニンゲン嫌いとなった今でもそのときのことを忘れきれずに、仲良くしてくれるのではと近寄ってしまう自分がいる。世迷い事にも程がある愚かさだ。
だからもう、ニンゲンのいない里で、一番好きな人の傍にいよう。このままではわたしという寂しがり屋はまたベッジのような碌でもないニンゲンの手先にでもされてしまう。そんな過ちは二度と繰り返したくない。
なのに、おかしい。隠れ里が見付からない。この辺りの山間の盆地にあるから山を突っ切れば着くはずなのに、まさかタナトスの侵攻を受けないように術を強化してる? 同胞のわたしまで着けなくなるなんて忍んでいるにもほどがある。
そもそもわたしはただのキツネ亜人族の獣人で、ベッジの言ったような危険種と呼ばれる、妖術に精通してる妖獣人じゃない。変化の術を知り合いに教えてもらった程度で生粋の化け狐じゃないし、挙句に術を教えてくれた知り合いはキツネじゃなくてタヌキという有様。
つまるところ本職の妖獣人の術を看破するような術も耐性もわたしにはない。
……これでは里にたどり着けないし、一度出直そうかな。
寝床にしていた穴から這い出して周囲を見回す。実を言うと鬱蒼と茂る木々に囲まれて方向感覚がなくなっているいま、この場から脱出することすら運任せではある。最悪はここに住もう。人居ないし。
「ここは、何処?」
誰か、誰かいないかな。人でも動物でもなんでもいいから出てきてほしい。お腹がすいたから道案内になるか食料になるか選んでほしい。
そう思ったとき、神の救いか誰かの声が耳に届いた。居るものだね神。
「ここは、何処だ……」
神はわたしを見放した。信心のないわたしを救ってくれるとはもとより思っていなかったけど……いや、いっそ人だって食料にすればいいのか。よし、だいたいの進路を予測して様子を探ろう。
人だったら音さえ聞いていれば距離も進路も速度もそれなりにわかるし、気付かれる前に襲うのは簡単。けど、大人数で馬にでも乗っているのか、近付いてみると騒々しくて距離感狂うし、馬と追いかけっこもしたくない。慎重にいこう。
少し移動して適当な茂みの中に潜んでいると、やはり馬に跨った一団が近付いてきた。馬の数は25頭、乗っているのは27人と、ひとりで襲い掛かるには数が多い。二人を除いて他はみんな似たような服を着込んでいて、色は違うけどヘッドたちの着ていた服に何処か似ている。装備品も物々しいし、また異界の兵士なのかな。
ただ、それ以上に気になるのは相乗りしている二人で、明らかに小さくて女の子のように見える。しかも髪はこの国のニンゲンにはない黒っぽい髪色で、知り合いのオオカミ亜人のそれに近いから、確率としては獣人の可能性が一番高くなりそう。
あの子たちもわたしと同じように彼らと巡り会ったんだろうか。でも、人の事言えないけど、獣人が子供だけでなんで里の外にいるんだろう、抜け出したのかな。
それと、なんだかと見ているともやもやした気持ちが溜まってくる。何なんだろう。
「なんだ? 馬が落ち着かないな」
「まさか、近くに何かいるのでは?」
「まさかまた変なバケモノが……? ちょっと止まろう。周囲警戒」
一団の跨ってる馬がそわそわと周囲を警戒し始め、主人たちもそれに気付いて馬の歩みを止めた。
あの馬勘が鋭い。とにかく、いまはじっとしてやり過ごそう。
そう思ったけど、非常に都合の悪いことにわたしの潜んでいる茂みがガサガサと揺れた。耐えて無視しようかとも思ったけど、くすぐったさを感じて耐え切れず振り向くと亜人でもなんでもないただの若いキツネが、わたしの隣に入り込んで顔をこすりつけてきていた。
なんだこの子。わたしだって女の子だ。異性に対して馴れ馴れしすぎる。
ムッときたから捕まえて追い出してやろうと手で掴むと、今度は顔を舐めてきた。
「ちょっと、やめて」
そう言っても一向にやめる気配がない。この子無邪気だからと言っても積極的過ぎる。親は何処にいるの? あなたの息子異性に対して遠慮がなさ過ぎて困るんだけど。
……ん? この子に付いてるにおい、記憶にある。この子もしかして……いや、まさかそんな。
「誰かいるな」
「そのようですね。――誰だ、出て来い!」
もうダメだ。考え事はあとにしよう。
仕方がないからキツネを抱き抱えたまま立ち上がった。頭に被っていたボロが茂みに引っかかって取れたけど腕の中のキツネが暴れるからそれどころじゃない。この子どうしよう。もう目の前にいる一団も半ばどうでもよくなってきたし、この子をなんとかしないと。
「「……耳?」」
「……え?」
姿は見せたけど挨拶もなしにひとりキツネとじゃれ合うわたしに、一団から発せられた第一声は「耳」。普通はありえないと思うけど……え、耳に何かとんでもないものでも付いているの? 毛虫でもくっついたかな?
……あ、変化解けてる。いつ解けたんだろう、とんでもない事態だ。
「見てくださいお姉さま、ズタボロのイヌっぽい人がキツネらしきものを抱いてます」
「素晴らしい。とても興味深い出で立ちですが、今はそれどころではありませんね。――で、何か考え込んでいるようですがどうかしたのですか?」
「……なんでもない。イヌでもない」
「あ、ギンギツネですね。コスプレイヤーもびっくりのケモミミ美少女ですよお姉さま」
「ここは地球ではないはずなのに、人間どころかキツネまでいるのですね」
初対面のわたしに臆することなく声を発した女の子二人はどうやら双子らしく、外見がよく似ている。ただ、獣人ではなくどう見てもニンゲンだった。近くで見ると服装も見慣れないし、まさかこの二人も異世界人なんじゃないだろうか。わたしを見て「イヌっぽい人」と言った辺り獣人を見慣れている感じでもないし、何よりも使ってる言葉がまた聞いたことない。
ああ、普段あれだけ注意を払っているのに何やってるのわたし、間抜け過ぎる。あまりの情けなさが本気で恥ずかしい。この子どうしてくれよう……。
抱いていたキツネを地面に下ろすと、去っていくどころか前足を上げて足にしがみついてきた。どれだけスケベなのこの子。何処かで嗅いだ覚えのあるにおいがするけど、まさか知り合いの子じゃあるまいに。うん、絶対違う……はず。
「よくわかりませんが面白そうな人です。捕まえてしまいましょう」
「え、ちょっと待って」
気付けば双子は馬から降りて、怪しい眼光を光らせながらこっちに近寄ってくる。だぶんこの二人あれ、普通じゃない。ちょっと怖い。
「いや。来ないで。ちょっと君、気持ちはわかったから離して。逃げたい」
「「ふふふ、そう言われるとむしろ虜にしたくなりますねぇ」」
なんなのこの状況、こんなの想定してない。誰か、いや後ろにいる人たち、苦笑い浮かべてないでどうにかして。それともお前たちも悪いニンゲンってことでいいの?
……ん?
「おーい、タローくーん。――あ、いた! って、あれ?」
頭上から聞き覚えのある声が届いた。振り向くと逆光の中、崖の上に人の姿が見える。顔見えないけど間違いない。あれは、あの獣人は……。
「シェ――アトレイシアちゃん? やっほーっ。こんなところでどうしたの?」
幼馴染のキツネ亜人、リュイナだ。サラッとわたしのことを本名で呼ぼうとするとは恐ろしい。二人きりのときでも本名は控えてと言ってるのに。
まあ、またベッジたちみたいに視界に入っただけで殺したくなるようなやつが出て来なくて良かったと思おう。もうニンゲンの前で目立ったことはしたくない。
「リュイナ、この子リュイナの?」
「えっとね、一応、母親代わりではあるのかな? 親が死んじゃって、いまは代わりにわたしが育てるんだよ。可愛いでしょ?」
「ふしだら過ぎる」
「ええー? そうかな? ――ところでそこにいる人たちは……ニンゲン?」
リュイナは馬に跨った一団に視線を向けるとたちまち眼の色が変わった。
困ったことになった。リュイナはニンゲンを見たらまず殺すかどうかを判断する。何度か質問を繰り返したりして、相手が選択肢を間違えて言葉を返そうものならお終い。
流石にわたしでもサイコキラー過ぎて引くくらい危険な幼馴染とここで出会ったのは、実のところ不運極まりない事態だ。どうしよう。
「待ってリュイナ、早まらないで。この人たちは違うの。それとこの子どうにかして」
しかしどうして、わたしは初対面のニンゲンなんかの身を案じてしまうんだろう。
いや、そんなこと気にしてられる状況じゃない。ヘッドたちエルンヴィアの兵士たちに続いてこれとは……本当にどうしよう。下手に止めに入るとわたしの命も危ない。
「どうしたのアトレイシアちゃん? わたし、アトレイシアちゃんには何もしないよ?」
しばらくぶりだけど、今日も素敵な笑顔だ。こう言いつつ下手なことを言うと同胞といえど危ういのがリュイナの真の恐ろしさだったりする。
キツネのタローはリュイナが短く口笛を吹くと彼女のいる崖の下へ走っていった。これでリュイナが襲い掛かって来てもわたしはなんとかなる。残る大きな問題はニンゲンたちをいかに見逃してもらうかだ。もう諦めようか。
「数が増えましたよお姉さま。二人とも捕まえてわたしたちの木偶にしてやりましょう」
「名案です。皆さんも手伝ってもらえますか?」
「え、いや、いささか無礼極まりないので遠慮したいのだが。少女を拉致する趣味はない」
この双子は先に黙ってもらわないと全員道連れにリュイナに殺されてしまうのではなかろうか。嫌だ。もうしばらくは血を見たくない。
……血か、今頃ヘッドは大丈夫かな。鎮痛と解熱に効果のある薬草を見付けて木からぶら下げておいたけど、ちゃんと気付いてくれたかな。進路を読み違えてなければいいけど――って、現実逃避してる場合じゃないよ自分。いまは目の前のことが大事。
「……リュイナ、その大荷物は何? 里で何かあったの?」
頑張って状況を観察し、取り敢えずリュイナが背に大量の荷物を背負っているからそっちに話を逸らすことにした。
そういえば、リュイナって今は里を離れてひとりで暮らしてた気がする。なんで里の近くにいるんだろう。帰って来たのかな。
「あっ、そうだった! 例のタナトスってよくわかんないのが近くまで来てるから逃げるところなの! アトレイシアちゃんも一緒に逃げよう?」
リュイナは元気いっぱいに荷物を背負ったまま崖から飛び降りて、わたしのところへ駆けてきた。途中馬上から悲鳴じみた声が聞こえたけど、彼らがどよめくのも仕方ない。
「タナトスがこんなところに?」
「うん。直ぐに移動しよう? 最近あいつらやたらと活発だから、落ち着くまで里に戻ろうと思うの。アトレイシアちゃんもそうじゃないの?」
「そうだけど、入り方がわからない。里ってこの山の上だったよね」
「え? 違うよ」
「え、違うの?」
……じゃあ、ここ何処? リュイナたすけて。