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アトレイシアともう一度  作者: 長原玉乙
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 そして、わたしは彼らの前に立った。

 先頭に立つ男の若干不機嫌そうな顔が視界に入れると、それは見覚えのある、いや、よく見知った顔だった。昨晩まで隣にいた男の顔だ。

「…………ッ!」

「アトレイシア? おっ、おい、どうしたってんだ!?」

 何を言う前に、わたしは走り出していた。

 なんで、なんでこんな時にまた巡り会ってしまったんだろう。わたしを切り捨てたニンゲンに、次に会ったら殺すと誓った、わたしの敵に。

 一番前にいた男がわたしに気付いて即座に武器を抜こうとしたけど、あまりにも遅い。

「ぎゃぁ!」

「ベッジ、わたしのこと、憶えてるよね?」

 跳びかかって両手で首を掴んで押し倒し、そのまま首を締め付けてやる。突然のことに周囲が静まり返り、苦しそうな男の呻き声とわたしの唸り声ばかりが辺りに響いた。

「こいつ! どうしてこんなトコにいやがる!」

 ようやく状況を飲み込んだ仲間のひとり、ハウィンソンがナイフを取り出して手元で逆手に握り直したあと、わたしの裏首筋目掛けて振り下ろした。

 こいつはニンゲンにしては機敏な方。でも、動きが丸わかりで大したことない雑魚だ。わたしは即座に男の首から手を放して振り下ろされた刃を回避した。勢い余った末ナイフは下にいた男の額に切れ込みを入れ、呻き声が悲鳴になった。

 そしてわたしは、ナイフを仲間に振り下ろして無防備になった男の首筋に噛みついた。

「うぎゃぁぁぁあッ! 離れろぉ!」

 その言葉を最後に、ハウィンソンの声はごぼごぼと血を吐き出す音に変わる。2つの音が重なり合って耳に響くのがなんとも心地良い。

 それに、ハウィンソンの肉は案外美味しい。ニンゲンの肉は塩気があって結構好き。やっぱりお前たちなんていたぶって遊ぶか食べるしか価値はない。わたしにとってその程度の存在だったんだ。

「おい、やめろ!」

 背後に回り込んだ男の手が右の肩に触れた。

 それが誰の手かなんて考えず、わたしは反射的に身を捻って、振り向きざま背後にいた男の顔を爪で薙いだ。

「わっぶ!」

「あ……」

 そこにいたのはヘッドだ。右の頬を押さえてうずくまっている。

「……ごめんなさい。わざとじゃない」

 気付けばヘッドの部下たちが周囲を取り囲んで、怯えた顔でわたしに銃を向けていた。

「ひぃっ! へっ、兵隊さんよぉ! 助けてくれ、殺されちまう!」

 三人組の最後のひとり、ひとり無傷のままだった男が、半泣きの情けない顔で脇に立っていた兵士にすがりついた。セベズっていう名で、直ぐに調子に乗るけどその実小心で一番のグズ。

「なぁベッジ、アンタが勝手にこいつを仲間にして捨てたんだから、責任取ってアンタが食われてくれよ!」

 ……本当に、お前たちのせいで台無しだ。わたしを餌にして逃げた上に、自ら他人にしがみついてでも助かる気なのか。クズのくせにおこがましい。

 ここまでやっちゃったんだし、いっそやるだけやってしまおう。

「アトレイシア、やめろ!」

 パトラフスキの声が耳を突いた。うるさい。やめさせたいなら撃てばいい。撃てないんだったら、口を挟むな。

「不味い感じがするぞ。おれの後ろに隠れてろ」

 助けを求めるやつがいれば戦う。そんなことを言っていたサイレントが男を庇って立ち塞がった。有言実行とは見上げたものでも、何も知らないニンゲンがわたしの動きについて来れやしない。無駄な邪魔もしないで。

「ひっ! 来るなアトレイシア、おれたちが悪かった。謝るから、な? ヘマしたこともお前の言うこと聞かずにキャンプを襲ったのも謝るから、ゆるし――」

 サイレントはそれなりの体躯で細身なセベズの身体をすっぽりと隠したけど、上を飛び越えてしまえば問題にならなかった。セベズの背に取り付き、首を掻っ捌く。

 だいたいこいつが昨日あの難民キャンプでヘマをしたのが悪い。自分たちが逃げるために、不意打ちでわたしの変化を解いてニンゲンたちの中に置き去りにしてくれたことを、ごめんなさいで済ませようだなんてそうはいくか。

 昔助けてあげたのに、いうこと聞いてきてあげたのに、裏切りだ。許さない。

 さっき首の肉をいただいたハウィンソンもとっくに死んでいる。もう、残るはあとひとり。

「お前ら、その手に持ってるの銃だろ!? 早く撃てよ! あいつは獣人だ、生かしとく必要ねぇ!」

 最後に残ったベッジはベッジで、傍にいたパーキーに突っ掛かり始めた。この世界のニンゲンからしたら獣人なんて、それだけで攻撃して当然なものだから、銃を持っているのに撃たないなんて理解不能だろう。

 それを聞いて見せた、パーキーの戸惑った表情、やっぱり獣人を知らなければ、なんの恨みもないらしい。外の世界のニンゲンはそんなものなのか。イジイジしていた自分が馬鹿みたいだ。

「何なんださっきから? 何語か知らないが耳障りだから黙っていろ。あの子には借りがあるんだ。いいから二人とも動くなよ? ――ヘッド、大丈夫ですか? この状況をどうするか、今回もあなたに従います」

「事情もわかんねぇのに付き合えるかっての。休戦しろ休戦。それと喋ると痛ぇんだから次から自分たちで決めろぉ……」

 ヘッドは頬を押さえたままそれだけ伝えると、痛みで悶えて呻き声を上げた。

 さっきは狙いもつけずに適当に腕を振ったからこの程度で済んだけど、危うく殺しちゃうところだ。どうしよう、恨まれるよね。仲良くなれると思ったのに、みんなわたしのことを睨んでる。

「おいッ、ふざけんな薄らデブ! あいつがたったいま二人を殺しやがったの見ただろ!? こいつは危険種だぞ、早く駆除しろよ!」

 ベッジが怒り狂った様相でヘッドに掴みかかろうとして、パーキーに止められた。

「お前は黙っていろと言っただろ! ボウマン、ウッドロット、この男を連れていけ!」

 パーキーの指示で二人が左右からベッジの腕を掴んで、無理矢理連れて行こうとする。でも、いくらうるさいからといって、それは困る。

「待って。その……お前たちは部外者、余計なことしないで」

「こいつも食う気か?」

 即座にそう返ってきた。ハウィンソンの首に噛み付いたときには、挙句その肉を咀嚼して飲み込みまでしたし、彼らからすれば相当なインパクトだったろう。無理もないか。

「ううん。話がしたい。食べる気はあんまりない」

 生かしてはおかないけど、この男は食料にするにはどうにも不味そう。言うなれば生理的に受け付けない。

 パーキーは更に何か言おうとしたけど、状況が把握できていないのに口出しするのをためらったのか声には出さず、代わりにベッジの拘束を解くように指示を出した。ボウマンとウッドロッドが掴んでいたベッジの腕を離し、そそくさと下がっていく。

 解放されて、彼らがあてにならないと悟ったベッジはいくらか憮然としながらも、それでも挑発的にこっちを睨んできた。意外と根性があるのか、やっぱりただの阿呆なのか、どっちにしても逃げ出されるより張り合いがあっていい。

「くそっ、アトレイシア、お前がなんでこんなとこにいんだよ? お前は確かに――」

「そこの人たちに助けられた。それだけ」

「……はっ、化かしてお情けいただいたってか? 相変わらずお前らはせこい手使って小賢しく立ち回ることばかり上手いな?」

 相も変わらず失礼な男だ。この男は自分のような存在がいるからあれこれいがみ合いが起こるということを察するべきだ。

「向こうが勝手に助けてくれただけ。わたしはお前とは違う」

「同じでたまるか。お前ら亜人は世界のゴミ、一緒にされちゃ人間様は名乗れねぇのよ」

「そう。じゃあ、その亜人に助けてもらって、他人から奪うことで生きていたお前たちは、やっぱりこの世界に存在することの許されない害悪なの? そうだよね? わたしがいないと生きることもままならない、弱いニンゲンさん?」

「あ? ガキがナメた口利いてんじゃねぇよ。駆除するぞ」

「……お前にできるの?」

 たまにはニンゲンを煽るのも楽しい。どうせこれから始末するんだから楽しまないとね。

「はっ、ハウィンソンとセベズを殺して調子乗ってる見てぇだなぁ? お前がおれたちに会う前まで何をしていたかってのも知ってるぜ。だからと言っておれには勝てねぇよ。死んでから後悔しろクソガキ、この妖獣狩りのベッジ様がお前の本当の姿を晒してやる」

 ベッジは喋りながらも額の傷に治癒術を施して止血を済ませた。この男は面倒くさいことに、小物悪人にしては割りと高等な技能持ちだ。

 こうやって生きるためならどんな技術も知識も貪欲に吸収するベッジも、人を犠牲にしてでも自分が助かればいいというタイプ。だけど、ここで逃げを打たないところ旧知の仲だった二人の死はこたえているらしい。ついでにわたしの正体を暴いて見せつける気らしいけど、こいつらが来なければその場で教えていたはずのことだからどうでもいい。

「御託はいい。後悔させれるのならさせて見せて」

「ほざきやがって! くらえ!」

 ベッジがわたしに向かって赤黒い筒を2つ投げた。血花筒けっかとうという道具で、円筒状になっている部分が植物の花の蕾のようになっていて、底に付いた紐を引くと蕾が開く。蕾の中には主に豚の血が詰まっていて、開くと前方に向けて血を散らす。適当にかければ済むことなのにそんなギミック要らないでしょとは思うけど、とにかく豚とかの血を浴びると、幻術は作用しなくなって変化が解かれるから、幻術を活用してニンゲンに紛れているわたしや他の亜人がくらうと洒落にならない。血を浴びて亜人だとバレると、遅かれ早かれその場にいるニンゲンにリンチされる。

 戦いの得意な獣人相手でも、その場にいる群衆を煽動して数の力で押し込んでしまえば大半はどうにかなる。亜人の言い分を信じるような奴は、この世界のニンゲンにはいない。ベッジは異種族の炙り出しと駆除に関してはプロだ。

 まあ、いまはべつに術が解けても構わないけど、大抵は何かしらの刺激物を混ぜ込んで鼻や目を潰せるようにしてあるから、くらいたくはない。

「馬鹿なやつ」

 小細工じみた道具を使おうが、結局いつだって数が頼りのくせに、たったひとりで相手になるはずがない。調子に乗ってるのはお前だ、ベッジ。

 ハウィンソンの死体を盾代わりにして、間髪入れずにベッジに向けて蹴り飛ばす。遊ぶか食べる以外にもこんな利用方法もあったものだ。

「やってくれるな、クソがァ!」

 わたしの思惑を悟ったつもりか、ベッジは躊躇なくハウィンソンの死体を払いのけつつ、その後ろの空間にナイフを握った左手を突き出した。一応それなりに場数を踏んだこの男は、直感でそこにわたしがいると判断したんだろう。

 実際は、わたしは払いのけられた死体の後ろに隠れてベッジの背後に回り込んでいた。

「なっ!?」

 ベッジが気付いて振り向こうとしたとき、わたしのナイフの切っ先は彼の首に沈み込んだ。大層な自信だったけど、所詮この程度の輩。

「お前は狩人じゃない。ただ、卑怯者だっただけ」

 他のニンゲンよりも、ずっと、ずっとね。

「て、テメェ……」

 ベッジの口が悪態をつこうと動いたけど、それ以上声が発せられることはなかった。最期の最期まで口汚く無駄にしぶとかったな。まあ、虫けらみたいなこいつに相応しい結末でもある。

 ……なんにせよ、これで終わった。

「おおぅ……怖っ」

 ヘッドの第一声だ。あれこれ取り繕わず素直な感想をくれるのはありがたい。

 視線を向けるとヘッドの顔は頬の傷にガーゼをあてて、その上から包帯でぐるぐる巻きになろうとしていた。傷跡は残るだろうし、夜には熱が出るかも知れないけど、やってしまったからにはどうしようもない。

「おじさん、おじさんのその素直なところ、嫌いじゃない」

 そう言ったあと、わたしは自身に掛けた術を解いて、頭に被ったぼろを剥いだ。ニンゲンとは違う位置に付いた耳と、背後にはしっぽが見えていることだろう。

「……これがさっき教えようとした、わたしの本当の姿。わたしは、ニンゲンじゃない」

「あっ、ああ、そうみたいだな。見るからにその……イヌかな?」

「キツネなんだけど……」

「え、その色で? きつね色してないのに?」

「うん」

 このニンゲンなんてマヌケな顔をしてくれるんだろう。笑いそうになる。ニンゲンだって人によって髪の色は違うじゃないか。いくらかキツネが混じってたって同じだ。

 でもまあ、確かにわたしの毛色はちょっと珍しい銀色と黒だからか、出会ったばかりの人はキツネだと思ってくれない人もいる。わかっているけど、納得はできない。

「ああーっと、まあ、なんというかな、おれたちの世界じゃキツネはみんなきつね色さ。たぶんな。――おい、露骨に眉間にシワ寄せんなって。よしわかった。この話はやめだ。要するにここでは差別主義な社会構造が一般的なんだな?」

「そう」

 話をすり替えられた。……いや、いいけど。

 やっぱり察しは悪くない。目は不正確だけど、とにかく話が早くて助かる。獣人に関する記憶がないせいか、ずっと顔に驚いた表情を貼り付けて落ち着きを失っているけど、落ち着きに関してはもとからないような人だし、思考が止まっているわけじゃないらしい。

「化かしてごめんなさい。もう迷惑かけない」

「いや、謝られてもな……気にしねぇぜ?」

 うそつき。目が泳いでるじゃないか。

「わたしたちとお前たちニンゲンとの間には隔たりがある。やっぱり一緒にはいられない」

「そうか?」

「……状況を理解してる? あなたの仲間の目をよく見て。怯えてるでしょ? わたしがここにいる限り、彼らには負担がかかるの。それは、だめ」

 あまりにショッキングな光景に困惑した表情で視線を泳がせる人がいれば、わたしを睨みつける人もいる。口を開けて荒い息をする人も、緊張し過ぎて息を止めてる人も、視線を向ければ息を短く吸い込んでビクリと身を震わせた。そんな彼らがわたしに向けた銃口のほとんどは震えている。

 みんな怖いんだ。わたしのことが。あれは、得体の知れないバケモノを見る目。

 仕方がない。この人たちは訓練を受けた兵士であって、人殺しの悪党とは違う。人の命を奪うことに躊躇いがあるどころじゃなく、一部はそれができそうにない。彼らはわたしがしたことを理解することも許容することもできず、ただわたしのことを拒絶している。

 わたしは彼らを傷付けた。間接的で、精神的に。わたしの存在が彼らの心に傷として残っている限り、わたしは一緒にはいられない。

「いや、いやいや、それはな、みんなお前さんのことを知らないからさ。わかり合えるって、きっとそうだよ」

 部下たちを一瞥し、全てを察しておきながらもヘッドはこの場を取り繕おうとした。

 この人はなんでこんなにわたしに気を使おうとするんだろう? いっそあの人みたいに突き放してくれた方が、気が楽なのに。

「わたしはもう、あなたたちとはいられない。さっき横切った道を西に行くとニンゲンたちがまだ残ってると思うから、明日いってみるといい。死体はこのままにしておいてくれれば、あとで誰かが片付ける。……それじゃあ、さよなら」

 わたしはハウィンソンの死体を担いだ。食べかけを放置するのは褒められたことじゃない。ひとくちでもいただいたなら食べれるだけ食べるのがわたしのルール。お腹いっぱい食べよう。

 ……なんでだろう、悲しい。わたしがもしも、もっとか弱くて、善良で、優しくて、罪にまみれていなかったら、この人たちはわたしのことを優しく受け止めてくれていのかな。

「お、おい待てよ待てって待ってくれよ! それじゃあお前が――くそっ、離しやがれ!」

「ヘッド、怪我が……っ!」

 包帯を巻いている最中に暴れるものだから、ガーゼがずれてヘッドの顔はますます血まみれになった。血まみれになりながらもヘッドは食い下がった。痛いはずなのに声を大にして、わたしを止めるために。

 やけになってる。自分ひとりがどう言ったところで変えることができないことだって、この人は察しているはずだ。素直に諦めてほしい。

「ごめんなさい。おじさん、わたしと今日話したことはもう、忘れて」

「お断りだい! いつか絶対一軒家立ててやるからいつだって戻って来いっての!」

「……ありがとう」

 この人は、わたしのことを受け入れようとしてくれている。それは嬉しいけど、これ以上わたしに関わるとこの人までどのような目を向けられるかわからなくなる。大嫌いなニンゲン相手とはいえそれは嫌だ。

 そしてわたしは、彼らに背を向けて歩き出した。誰ひとり、追いかけてくることはなかった。

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