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「何処からだ?」
「右から。奴らが近付いてくる」
ヤンコフスキは即座に左右を確認すると、「引き返す。なるべく静かにな」といっそう声を小さくして伝えた。まだ姿が見えていないから、さっさとお暇してしまおうと思ったらしい。
足元に注意しながら早足で来た道を戻り始めたけど、ペスティスの集団の中に他より軽い足音か混じって聞こえた。これはきっとニンゲンの相棒、イヌ。
「イヌがいる」
「ルット、右だ。ここはやり過ごすぞ」
「隠れても気付かれるのでは?」
「試してみるいい機会だ」
慌てて進路を変えて、その先で身を隠すと、そんなことはお見通しだとばかりにの正確さで、イヌはこっちに向かって駆け出した。
「走って」
「どっちだ。結局、イヌが相手じゃどっちかわからないな」
においで気付かれて走ってきたのかも知れない。試すにしたってこれじゃ本末転倒だ。
「イヌはわたしが片付ける。先にいって」
速度を落としてイヌを迎え撃つと、3匹のイヌが速いのから順番に跳び掛ってきた。それを一匹ずつナイフで斬り殺してから、ヤンコフスキとルットに追い付く。
そのまま大急ぎで駆け戻ると、馬にわたしたちも乗るかどうかを身振りで訊ねてきたから、首を振って断った。自分の足で走っていた方がいざというとき対応しやすい。ケイトもこの時点で馬を下りた。
「戻るぞ」
「ヤンコフスキ、タナトスがきている」
ケイトが駆け出した馬の前方に進み出て、ペスティスの来る方向を指差した。それ以外にもあちらこちらからわらわら出て来る。やっぱり門の周りは格段に数が多い。
馬の加速に合わせてわたしたちも足を速める。後ろからきている足音は遠ざかっているから、そっちは問題なさそう。
「そんなに速く走っていて、体力は持つのか?」
ザメンホフはわたしたちがへばらないか心配のらしい。確かに、いくらわたしたちでも馬と並んで走り続けたら、こっちのスタミナが先に底をつく。
「疲れたら飛び乗るから気にしないで。それができなくても、べつに死にはしない」
「アトレイシア、ケイト、好きに動いていい。そうした方が上手く逃げ切れるだろう」
「ん。わかった」「了解……」
前をいくケイトが右手側に逸れるのに続いて、わたしもヤンコフスキたちと距離を取った。
木々の間を突っ切っていく方が真っ直ぐ逃げれるし、ヤンコフスキたちは地形の関係上いったん南の方へ迂回する進路を取るから、少しくらい走るペースを落としてもあとで合流できる。
ただ、前方にはすでにペスティスの集団がたむろしているけど、これも大した時間をかけず突っ切れるだろう。
さっきのところが門だから、西に6リゼール(約4.7キロ)抜ければ101の本隊と合流できる。そしたら追いかけてくるペスティスなんて煮るなり焼くなりだ。
「見えた」
ペスティスたちの姿が見えた。徒の歩兵だけど、もとは騎士団の一員だったのか、鉄製らしい鎧に身を包んだ、最近見た中ではかなり上等な敵。
一戦交えたいという幾分かの衝動を感じたけど、そんなことをして遅れたらヤンコフスキたちが心配する。極力無視する以外にないかな。
騎士たちは一瞬遅れながらわたしたちの接近に気付くと、取り囲むように左右に広がった。これならむしろ正面が薄くなるから好都合だ。
ケイトが更に加速して、囲みを突き抜けようとするのに、わたしも続こうとした。すると突然足元の地面が持ち上がり、体が宙へと引っ張られる感覚が続く。目の前に網目状になった紐が映るより先に罠だと気付いたから、口が絞られる前に網を切り裂いて事なきを得た。
ちょっとケイトに近付きすぎてたかな? 二人揃って罠に引っかかるのはいささか危険が大きい。何より仕掛けた連中に間抜けっぽく見られるから精神的によろしくない。
「驚いたな……」
ケイトがそれだけ言い残して、わたしたちはその場を走り去った。視界から消え去った頃になって馬のいななきが聞こえたから、どうやら何処かに隠していたらしいけど、まさかまだ追いかけてくるんだろうか。
「アトレイシア、ヤンコフスキたちにもう少し近付こう」
木々の茂った斜面を駆け上がり、ヤンコフスキたちの姿もとうに見えなくなっていたけど、馬上で張り上げる声はここまで届く。
「隊長、回り込まれました!」
「突破するぞ、続け!」
ここで偶然南側の視界が開けた。斜面を駆け上がったことで左は崖になり、崖の下の大地をヤンコフスキたちが駆けていくのがよく見えた。
後ろに続く3人が馬上で銃を構えて、走りながらの射撃、そして間髪入れずにヤンコフスキがサーベル片手に先頭を切ってタナトスの集団に突撃する。
3人は偵察に行くには目立つからと銃を持っているけど、彼らも戦車や機関銃が火を噴く世界からきたのに、普段は槍一本で敵と戦うから凄い。近付く前に敵に見付かったら為す術がないだろうに。
ついでにいうなら彼らは騎士のように体を保護する鎧や兜は身に付けないし、馬も馬鎧なしの軽装だ。わたしたち獣人の持つ感性のせいか、この守りを完全に捨てた出で立ちは、ゴテゴテしたこっち世界の騎士より遥かに勇敢に見える。
4人はあっという間にペスティスたちを突き抜けて、余裕綽々とばかりにこっちに向かって手を振ってきた。よくわたしたちのことを見付けたな。
……でも、左前方の稜線の影に別の一団がいることには気付いていないかな。
それに、さっきわたしたちを取り逃がした騎士たちが案の定馬に跨って、今度はヤンコフスキたちを追いかけている。
「挟み撃ちになるか?」
「そのつもりみたい」
崖から飛び降りてでも助けにいった方がいいかも。
迷っている内にヤンコフスキたちの前にまたタナトスたちが姿を現し、ヤンコフスキは右に逸れてやり過ごすことにした。木が多くて馬がそれまでの速度を維持するのは難しいけど、タナトスが多いよりは幾分マシだ。ただ、背後に迫る騎士たちに読まれていたようで、そちらからは逃げ切れそうにはなくなった。
「助けにいこう」
「そうだな。――ん?」
わたしたちはいったん足を止め、飛び降りる前に一度崖下の状態を見ようと崖に近付いた。
そして、崖の縁に立って、ケイトが何かに気付いたそのとき、ヤンコフスキたちを追いかけていたタナトスの騎士が爆発した。
「わ」「ん」
騎士が導火線に火の付いた爆弾を抱えていたわけじゃない。足元の地面めがけて放たれたと思しき砲弾が偶然手前を通過しようとした騎士に直撃したんだろう。
正直かなり驚きながら、崖下を覗き込むと、うっすらと白煙が漂っている。それと、右手の方の地面にわずかに2本の線が見えた。ケイトはさっき、これに気付いたらしい。
「戦車だ」
車体も砲も小さいが、崖下にいたのは確かに戦車だった。
エンジンの発する轟音が耳に届いた。注意して聴くと、その中でわずかに人の声も聞こえる。
「――各、カク、カク、突撃せよ」
隊長らしきニンゲンの声がして、指示を発すると、崖の壁面に空いた隙間から、茂みの中から、外見の似通った2両ずつ、計4両の戦車が飛び出して、騎士たち目掛けてこれまた見事な突撃を決めた。
「おお、あれは日本軍! この世界に来ていたのか! ――救援を感謝する!」
「あなた方はやはり。後はどうか、私共にお任せいただこう」
ヤンコフスキたちが驚き半分の中でも快く礼を言った。どうやらあの人たち、初対面だろうけど何か縁があるらしい。
ニホンといえばウタゲとマツリの母国で、二人も会ったときからヤンコフスキたちを高く買っていた。たぶん、お互い関わりの深い国なんだろう。
「各車、発砲止め。蹂躙せよ」
気付いたときには騎士たちを追い払っていた日本の戦車たちは、残るペスティスたちに向かって横一列に突っ込んでいった。
そして砲も機銃も使わずただひたすらに轢く。頑張って取り付いたペスティスだけがピストルで撃たれてぽとぽとと地面に転がった。
こうして、予期せぬ助っ人に、わたしたちの出番は完全に奪われてしまった。
「……あ、ヤンコフスキたちいっちゃった」
「とにかく、戻ろう。お礼を言わないとな」
「ん」
ヤンコフスキたちを助けてくれた。きっと、いい人たちだ。




