29
「だ、誰がお前のような小娘に!」
「……降参して。じゃないと先に両眼を潰す」
目にナイフの切っ先をゆっくりと近付けると、まぶたに当たったところでザンダは観念した。
「降参する降参する!」
「……もう亜人を狙わない?」
「狙わない狙わない!」
「じゃあここで大人しくしててね」
「ぐっ」
首筋を殴って気絶させたあと、念のため刀を没収して、腰帯を解いて首に引っ掛けて、余った帯を木の枝に巻き付けて手の届かないところで縛った。寒いけど鍛えてるし、もし救出が遅くなっても大丈夫だよね。たぶん。
木々の間から抜け出して、気絶したままの鉤爪の男を担いで戻ることにした。ケーニヒに従って、この男はこのまま連れて帰ろう。
みんなのところに戻ると、手も足も出ませんでしたとばかりに山積みにされた武闘家衆の姿が見えた。
「ケイト、怪我はない?」
わたしがそう訊ねるとケイトは小さく頷いた。どうやら服に血が付いたことが不満そう。
「まったく、こんななまくら刀でわたしたちに傷を付けられると思われては困りますね。――さて、そこにいるのがこの人たちの親玉のハブラですね? 貴方の手下、何人か預からせてもらいますよ」
「……好きにするがいい。そいつらが勝手にしたことだ」
ケーニヒにバレて、少し離れた木の陰から姿を現したハブラは、部下たちの情けない姿に深々とため息を付くと、不満気な顔でわたしを見つめた。そんな顔されても困る。
「……ハブラ、ついてきてたの?」
「折角見逃してやったのにお前まで馬鹿騒ぎをするから仕方なく見物に来てやったのだ。兵士どもが来る前にさっさと行け。適当に言い訳しておいてやる」
馬鹿騒ぎを吹っ掛けてきた連中の親玉が高みの見物だなんて、わたしたちは巻き込まれただけで見世物じゃない。不満があるなら来たときに止めればいいじゃん。
でも、兵隊に言い訳してくれるのはありがたい。いまこの領地にいる兵士が私兵なのか正規兵なのか、どういうものなのか知らないけど、ここは素直に従うとしよう。
「それとお前たちはオオカミ亜人だな。珍しい者がいたものだ。お前たちもそいつらを連れてさっさと去れ」
ハブラがオオカミ亜人の二人にもそう言って手で追い払うような仕草をすると、シャルルサが進み出て、ハブラと向かい合った。
「いや、それよりもいい案がある。ここでお前も倒してしまえば、屋敷の地下に囚われた仲間を助けにいけるでしょ?」
「ちょっと、何を言っているのですか? 戻りますよ」
ケーニヒが慌てて止めに入ったけど、シャルルサはすでに殺気立っている。
「ほう……お前は何を焦っている? 力の差がわからんのか? 愚か者めが、お前たち獣人は、仲間の足を引っ張るような真似ばかりだな」
「シャルルサ、わたしもやめ――」
「舐めるなニンゲン!」
わたしの制止は物ともせずに、シャルルサは一気にハブラとの間合いを詰めて短槍を繰り出した。
いまはもういない親友のアレッサと同じく、シャルルサは短槍を扱う。それと、アレッサと最期をともにした妹に教え込んだ格闘術が彼女の武器だ。
でも、それにオオカミ亜人としての特技を付け足したところで、たぶんハブラは勝てない。スズリカに認められるだけの実力が健在なら、ハブラは並の獣人以上には強い。そして、シャルルサは並。ケーニヒだったらいけるかも。
「シャルルサ、一体どうしてしまったというのですか。落ち着いてください」
そういえば、二人がいなくなってからのシャルルサはあまり変わっていないように見えて、実際は考えなしの行動が多くなっていると誰かが言ってるのを耳にした覚えが。当然ケーニヒにも知れていることだろうけど、極めて理性的なケーニヒは暴走を始めたシャルルサの初動を掴み損ねたみたい。
もう無理に止めに入るのは危ないから、大人しく見守ろう。わたしたちはオオカミ亜人みたいに刃を弾くなんてできないし、同じオオカミ亜人のよしみでケーニヒが止めてくれないかな。
「ニンゲン! 剣を抜け!」
「すまぬな。刀剣を通さぬお前たちとはいえ、わしに斬られたら怪我をしてしまうからな」
四歩刀なる異名を持つサーベルを手にしても、鞘から抜かないまま自分の相手をし始めたハブラに、シャルルサは憤って攻勢を強めた。
「よくないですね」
「シャルルサ、落ち着いて」
下手に攻めすぎて隙ができてる。あれじゃハブラに踊らされているだけ。戦うならもっと冷静にならないと。
「躾のなっていない犬ころが、煩わせるでないわ!」
「ぐっ……」
言わんことじゃない。ハブラは攻撃の隙きを見逃さず、未だ鞘に収まったままのサーベルで数度シャルルサを突いて、あっさりと膝をつかせた。ニンゲンがオオカミ亜人に土つけるとこ初めて見たな。この先見ることはないと思いたい。
「ふふっ、身体の硬化を解いた。しばらくは紙切れでもお前の身を切り裂ける。未熟者が、己の弱さに気付いたのなら大人しく帰ることだな」
ハブラは気分良さそうに、にやにやとシャルルサを
見下ろしながら勝った気でいる。実際、これ以上続けても無駄かも知れない。でも、ハブラがサーベルを腰に戻したところで、シャルルサは槍を握り直した。
膝をつかされたんじゃない、わざと膝をついたんだ。次の一撃の踏み込みのために。
次の瞬間には、シャルルサの槍はハブラの左胸に突き立てられていた。
「あれは! ――シャルルサ、離れてください!」
「人の話を聞かんたわけが!」
ハブラに触れた槍の穂先は裂け、ハブラは一瞬のけぞったあと、自ら槍で貫かれようとするように上体を押し込んで、一気に槍をへし折った。
「そ、そんな……」
シャルルサがよたよたと後ずさってケーニヒの腕に抱えられる。お腹の周りにじんわりと染みが広がって、実質的な敗北は決定的な敗北へと姿を変えた。
まさか槍を生身で受け止めて、オオカミ亜人の身体を手刀で貫くなんて……スズリカってどうやってこのニンゲンに勝ったのかな。今度訊いてみようかな。
……いや、長くなりそうだからやめよう。
「よしよし、腕は未熟だが身体はよく鍛えられているな。死にはせんからもう行け」
「あなた、いい感じの腕ですね。わかりました。お見逃しいただき、感謝致します」
これ以上長居はできないと、ケーニヒは素早くシャルルサの傷口を服で縛って、背中に担いで駆け出した。口調と仕草からはシャルルサの怪我をを心配している感じがしないし、怪我をさせたところでハブラをどうこうしようとは思っていないらしい。
「お前たちも何をもたもたしておるのだ。身を清めて出直してこい。獣臭くて敵わんわ」
鼻をつまみながら追い払う仕草をされても怒っていられない。わたしとケイトも黙って帰ることにした。宣言通りハブラの手下を連れて帰れるけど、これじゃ逃げ帰るのと変わらない。
近付くと、シャルルサの瞳に悔し涙が滲んでいるのが見えた。無理もない。わたしでもあの負け方は数日へこむ。
「わたしが……あんなニンゲンの、老いぼれに負けた……くやしいよう……」
「鍛錬し直しですね。わたしも付き合いますから、いまは大人しくしていてください。――そういえば、あなたたちの仲間のリュイナも何処かに行ってしまったのです。何か知りませんか?」
「リュイナが? ……ううん。知らない」
いきなりリュイナの名前が出てきて少し戸惑った。いなくなったなんて、どうしたんだろう?
「リュイナはひとりでエルリリの捜索に当たっていました。何か掴んだのかも知れませんが、それならば領主の屋敷か誘拐に関わったニンゲンのもとにたどり着くはずです。無理をしないといいんですが……」
リュイナがたったひとりで……。
まずい。狙われたニンゲンが危ない。ハブラなら不意打ちをくらわないし、戦いになればリュイナを追い返せるだろうけど、リュイナは薬学の応用で猛毒も扱う。これが効いたらハブラだって危ない。
リュイナ、どうか大事は起こさないで……。
「彼女の噂を聞くに、いまのシャルルサの怪我の状態よりも心配です」
「……ちょっとムカッときた」
突然の非道い言いように、シャルルサが口をとがらせた。
「元気だしてくださいってことですよ」
「……ふん。いーし、絶対いつかアイツのこと倒す――いててっ!」
身動きした拍子に傷に響いたらしく、シャルルサは奥歯を噛み締めて動かなくなった。大人しくしてて。
「……アトレイシア、わたしたち、におうか?」
シャルルサの状態がそこまで悪くないと安心したところで、綺麗好きのケイトはハブラの言葉に素直にショックを受けたのか、鼻をひくつかせてにおいを気にし始めた。
みんなここ数日お風呂に入れてないし、寒くなって手足に冬毛が生えてきている。ちゃんと洗わないとだんだんとにおうのも仕方がない。
でも、わたしやケイトとかは川で水浴びするときに石鹸で洗っているからマシ。今朝もちゃんと洗ったし、ここでにおいそうな人は……シャルルサ?
「水浴びして帰る?」
「いや、まだいい。……せっかくウタゲに石鹸の作り方を教えてもらって、頑張って綺麗にしているのに、獣人はつらいな……」




