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「――あの時の娘だな?」
突然、ハブラがそう言った。
「あやつらに気付かれぬほど気配を押し殺すとは見事だ。実を言うとおれも、今の今まで気配を掴みきれていなかったからな。見事なものだ」
捕まっている子に向けた言葉じゃないと気付くのにちょっと時間がかかった。ハブラはわたしに向かって喋ってる。
「…………」
「心配するな。お前のことはここだけの秘密にしておいてやろう。この娘にも危害は加えん。だからお前が質問に――」
「誰かいるの? わたしのことはいいから、早く逃げて!」
捕まっている子の悲痛な叫びがハブラの言葉を遮った。脱出しようともがいているのかそれに混じってガタゴトと物音も聞こえる。
「こらこら、暴れられたら話は別だ。大人しくしていればわしは何もせんよ、わしはな」
わたしはあの子の名前を覚えていないけど、あの子はわたしの名前を覚えてくれている。逃げてと言ってくれている。ここで逃げを打ったら、わたしはまた自分の行いに後悔するだろう。
……それは嫌だ。
「ハブラ……いつから気付いてたの?」
「アダーガド様の私室で、なんとなく慣れぬ気配がしたのだ。もしやと思ってこうしてカマをかければ、やはりボロが出たな。お前は気配を殺すのは上手いが、殺気を抑えることだけは下手だ。それに独特の癖がある」
もしかしてと思っていたけど驚いた。そんなに前から感じ取っていたのか。やっぱり一筋縄ではいかない相手だ。
「……何が訊きたい?」
「ダメだよ! わたしのことはいいから帰ってよ!」
そうは言われても、決めたことはやるの精神はケイトと同じく強く持っているつもりだ。
「大丈夫。わたしに任せて」
「ふふふ……銀髪の娘、お前はあの時も仲間を助けようとしていたな。助けると決めたら助ける、やると決めたらやるというのはお前の美点だ、そうは思わんかね?」
つまりケイトの美点ということか。確かにそう思う。いや、いまはそのことはいい。
「……訊きたいことを言って」
「まずはそうだな……女店主を知らないかね?」
「知らない」
「お前たち獣人が彼女の店に立ち寄った際、獣人のひとりに針で刺され、彼女の様子がおかしくなった。行方がわからなくなったのはその直後で、この時を最後に彼女の姿を見たものはいない。状況的に容疑者として絞られるのはお前たちというわけだな。領民を守る立場である我々がそんなお前たちに手を貸せるとでも思っているのかね。むしろこうして捕まえて、いたぶってでも、自供させてやるのが筋ってもんだ。違うか? それとも、獣人にはわからない感性か?」
何処までわたしたちのことを見ているんだこいつ。
いや、流石に町に入れば様子くらい見に来るか。この屋敷町から凄く近いし。
「そんなことしたら、あなたたちの方がどうなるか……」
「悲惨な目に遭うのはお前たちもだ。あの生意気な小娘にハーベス家と敵対する気はない。ならば、獣人も勝手な真似はできまい。せっかく仲間になった人間だ、大切だろう? いいか、お前たちがなんと言ったところで、このことを含めてお前たちのことを教会に報告すれば、お前たちは終わりだ。獣人の言うことなど聞く耳は持たれんからな。わしらをどうしようと、いずれは駆除される。大教師長は決して獣人を許しはしないだろう。こうしてひとりずつ捕まって、手足を切り落として火あぶりにされるのさ。お前たちに手を貸したあの人間たちもどうなることかな」
大教師長、イーラ校正教会の頭……いや、それよりも、校正教会には獣人を殺せるなら他はどうなってもいいって狂人がごまんといる。行き着く先はハブラの言う通りだろう。
わたしがどう返そうかと逡巡している内に、ハブラは更にまくし立てた。
「ほら、なんとか言え。お前たちはハーベス家のもとに下ることができずとも、敵にもなれんのだ。校正教会の仕切る神聖連邦の構成国であるベーレーレンの領主を敵にするということは、神聖連邦全てを敵に回すと同義、タナトスと連邦の間に板挟みになって押し潰されぬためには時間を掛けて、有力者を懐柔し後援を得るしかないのだ。お見通しだぞ。助けてやっているのだから好き勝手させろなどとはいかん。身の程に相応しい態度を示すんだな。さあ、彼女はどうした? 今度またわからぬと言えば、こいつをから聞くぞ」
ハブラは椅子に近付いて舌舐めずりした。見えはしないけど絶対悪い顔してる。
でも、言っていることは痛いところを突いてくる。確かに、いまの戦闘団にはハーベス家と敵対したときのデメリットは大きすぎる気がしなくもない。
ベーレーレンは正式名称、神聖ベーレーレン・イーラ教王国で、神聖イーラ教国連邦の構成国だけど、これは言ってしまえば何処も同じ。この大地に存在する国は全てこの連邦に属している。補足するとそれは表向きな話だけど、教会が怖くて反抗的、異端的な行動はできない。
当然各地の領主もそうだ。イーラ校正教会にとって亜人は絶対悪であり敵。だからペスティスのような危機が迫ろうと、積極的に獣人と協力してくれはしない。彼らに連邦から孤立する覚悟を付けさせるには強大な力が必要で、わたしたちは、それにはまだ及んでいない。こうしてペスティスと戦っている最前線の地で、わたしたちへの恩を押し付けながら、共生の道を得ることが唯一の戦闘団存続の道だ。
……あ、そうだ、こうしよう。
「わたしは町にきてないから、その人のことは知らないけど……町を離れたいけど体調が悪いし、西の平原は危険だから、そこを抜けるまで護衛をしてほしいってい人が来てたよ。女の人だった。その人ならまだ戦闘団にくっついてきた難民に混じってる」
この国の土地は戦争中まで獣人が住んでいたところだから、危険生物の駆除が進んでいないところもある。この辺りは、いま言った西の草原から、その先の森林、山岳部までみんなそうだ。この付近の通過には護衛がいるし、この辺りの軍隊にはそんな余裕ないから、わたしたちの方で難民を西の国に避難させる準備も進めてる。これに巻き込んじゃおう。
店主のことをあとで確認しようとしてきたら、そのときはコーニャかホロビがその人に化けて応対すればいい。帰って直ぐに伝えればそれで通せる。
「ほー、そうかそうか、あそこの店主はいけ好かなく思っていたんだ。出ていってくれるなら大変結構。よくやってくれたな。ははっ、気味がいいわ。上手いぞ」
「…………?」
何を言われるかと思ったら、笑いだしたんだけど、もしかして本気で信じているのかな。いや、この男ならこのくらい見抜けるだろう。本当に嫌ってて、内心は死んじゃってせいせいしてるのかな。上手いぞとか言われたし、それって言い逃れ方のことだよね。
「心配するな。正直に言えば……実のところ店主が生きていようが死んでいようがどうでもいい。それより、スズリカは生きているかね?」
「スズリカ……?」
「この辺じゃ有名なキツネ亜人で、戦争を生き残っているはずなんだ。直接探しにいくのも面倒だ、お前たちのところにいるなら一言伝えておいてくれんか?」
「……なんて?」
「よくぞ生き残ってくれたと、感謝の言葉を伝えておいてくれ。明日またあそこに行くがな、顔を見せてくれるかわからんからお前の口から伝えてもらいたいわけだ」
右足を奪われたときの復讐したい……ようには感じない。こっちはこっちで、純粋に生きていてくれたらいいと願っているような、憎しみの欠片も感じない声だ。
「……そんな人、知らないって言ったら?」
「それならばそれで構わんよ。あの娘が生きていようと死んでいようと、わしのやることは変わらん。楽しむだけだ。――そうだ、ついでにあの生意気なガキに覚悟しておけとでも伝えてくれるか?」
「生意気なガキ」とは、ウタゲのことか。そんなことを言ったところで気にするとは思えないけど……。
「断る前に念を押して言っておくが、この娘を無事に返してほしかったら、あいつもお前も、わしの言うことを聞くことだ。ん? どうだ、わかったかね?」
「……わかった」
「よし、それじゃ気をつけて帰ることだな。ひとまずわしの後ろについてくるがいい。上の連中はどけてやる。それから先は自分で上手くやることだ」
「ん」
廊下に下りると同時に扉が開き、中からハブラがニヤニヤしながら出てきた。
「ははっ、似合っているぞ。土産にやるから、ここで働いたらどうだ? 歳は離れて過ぎているが、お前はおれ好みだ。可愛がってやるぞ?」
どうやらこの男は「わし」と「おれ」で一人称を使い分けるらしい。
「……あの領主嫌い」
「ここにいる連中の大半も、そう思っているとも」
本当に人望ないんだ。わかってあんなのに仕えてるなんて、ハブラも律儀だな。
部屋の中に視線を向けると、やっぱり三つ子の次女が中央で椅子に縛り付けられていた。
「迷惑かけて、ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
「……殴ったの?」
「おれじゃないさ。仕返しするなら上の二人にするんだな」
頬が腫れているのがここからでもわかる。あのニンゲン、仕返しされないといいけど。
「ねえ……お願い。みんなに、レーリリとルコリリに、わたしことは心配しないでって、そう伝えてくれる……?」
「ん。わかった」
レーリリとルコリリは姉妹の二人か……つまりこの子がエルリリ。よかった、あってた。きっと姉妹は心配しているだろうし、今頃向こうは大変な騒ぎになっているだろう。早く戻らないと。
「娘、はっきり言ってわしらは敵同士だが、わしはお前たちと手を結びたいと思っている。あの小娘と、族長に伝えておくといい」
「……そうなの?」
ハブラは直ぐには答えず、先に上で待っている二人を帰らせた。
「お前たちのような骨のあるやつと闘うのはいくらでも構わんが、歳のせいか、お前たちのような年端もいかぬ娘が戦場の立つのは間違いのように感じてきたのさ。せめて、今度は味方でいてやりたいのよ」
「……あなたの主は、そうは思っていない」
「残念ながらそのようだな。だからいまは味方にはなれん。――さあ、行くがいい。お友達が待っているぞ」
「ん」
ワインセラーに出て、隠し通路への扉が閉まると、ワインの並んでいるラックの裏からケイトが姿を表した。ケイト、よくここにいるってわかったね。
「……アダーガドは眠ったぞ」
「直ぐに戻ろう。明日また来るってハブラが言ってた」
「口封じは、しなくていいのか……?」
「ん、大丈夫」
見逃してくれるなら、その言葉に甘えておいた方がいい。いくら獣人の身体能力がニンゲンより高くても、ハブラとは経験の差がありすぎる。
並んでワインセラーをあとにして、もと来た通路を駆け足で逆行する。床が硬いからニンゲンの足音が聞き取りやすくて助かる。
「服、どうするんだ?」
「持ってく」
「……泥棒はよくないぞ?」
「人攫いはもっと悪い。それに、ハブラがくれるって言ってた。なんなら屋敷で雇ってもくれる」
「そうか……ん? 「人攫い」……誰かいたのか?」
「タヌキ亜人の子が誘拐されて、地下室に監禁されてる。三つ子の真ん中の子」
「真ん中、確か……エルリリか。あのニンゲン、手が早いな。でも、人攫いを先にしたのはわたしたちの方で、向こうは容疑者を捕まえただけだ」
ん……確かにそうだ。こっちはすでに殺して食べちゃってる辺り、もう最悪。どう考えてもこっちが悪者
屋根裏の倉庫に戻って服を脱ぐと、ケイトは脱いだ服を手早く畳んで箱に入れてくれた。ケイトの分は、やっぱりやめておこう。
「もう遅いな……いまからだと、ウタゲとマツリは眠っているかも知れない」
「ん。先に、スズリカとマルティナ族長にここのことを伝えよう」
「……そうだな。どうやら、スズリカに任せた方がいい相手のようだ。まあ、なんとかしてくれるだろう」
ケイトもハブラには感心したようだ。こっちは完全に後手に回っちゃてる。
やっぱり昨日のうちに来るべきだった。昨日は参加したのいいけどほとんど記憶がないし、実際これと言って何か食べたわけじゃないし、起きたらヤンコフスキにケイト取られてたし、あんなことしていなければ今日こんなことにはなっていなかったはず。
……悔やんでも仕方がない。早く戻って、腹いせにヤンコフスキと、ついでにヘッドも叩き起こそう。




