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アトレイシアが目を覚ました4時間ほどの後、ひとりの男のもとに報告が届いた。
「ラプサンに布陣した軍勢から数人が、町に買い出しにきています」
その報告を聞き、表情をほころばせて立ち上がった男、小柄な体躯に不敵な笑みを湛えた頭を乗せ、右足では特注品の義足がつややかな輝きを放つ、この男こそハーベス家当主の側近、かつてハーベス家の誇る天性の武闘家として勇名を馳せたハブラその人である。
「よし、町へ行くぞ」
「はっ。では、門前でお待ちしておりますので、支度が整い次第――」
「いや、このまま行く。うかうかしている間に帰られても困るからな、ひとりでいい」
そう言っている間にも廊下に出て、早足でそのまま屋敷の外へと繰り出したハブラの心は躍っていた。
(獣人たちもついに動いてくれたな。このままこの地を枕に生を終えるかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。良い時代が来たものだ……)
彼は、ウタゲと名乗った少女の背後に控えていた二人が妖獣人だと勘付いていた。なんとなくわかるのだ。4年前スズリカに片足を奪われて以来、彼の身体は獣人と人間を無意識のうちに区別するようになっていた。
領主ハーベス家の屋敷から、町はそう遠くない。屋敷は周囲から一段高い台の上に在り、正面門を通り、たった6段の石段を下りれば、もうそこは住民たちの暮らす町並みが広がっているのである。これは、暇を見付けては町へと繰り出し、領民たちと時間を共にすることを好んだ先代領主ボーベットの趣向の現れであった。
「ハブラ様、お待ちを」
「何をしておるのだ。ついてくるなら勝手にすればいいが、トロくさいにも程があるぞ」
息を切らして、ようやく追い付いた若い兵士は、ハブラの右足が本当に義足なのかと疑ったが、ハブラからしたら、この程度で息を切らすこの男が本当に兵士なのか疑わしいものであった。
(パブスめ、どうしてこのような奴を――)
それもそのはず、この兵士は所詮志願したての私兵であり、訓練のひとつもまともに受けていないのだ。そのようなことまでは知らないハブラは私兵隊長を内心で罵った。
案内をしようとするその兵士の言うことには耳を貸さず、いくつか目星を付けて町を歩いていると、間もなくして聞き覚えのない、女子の話し声が耳に届いた。
「わぁ、美味しそうなお野菜ですね。そこそこに安いですよ。彩りがほしいですし、ちょっと買って帰りませんか?」
「そう、そうだね。野菜は健康管理に重要だからね。いいんじゃないかな?」
「いらっしゃい。あらまあ、こんなに大勢の子がお店に来るなんでいつ以来かしら?」
アルアリス・シェルバロフ率いる買い出し班は、服屋でありったけの衣服を買い込んだ後、偶然目に留まった野菜売りの店に誘われていった。
同行する獣人たち、彼女たちの隠れ住んだ里の中では物々交換が主流で、金銭を用いての買い物など数年ぶりか、まるっきり初めての面々ばかりである。アルアリスは人間らしくどうか最後まで振る舞ってくださいと心中で願い倒し、もはや心身ともにかなりへばっていた。
「えーっと、これなんてどうかな? 見ての通りの新鮮っぷり、なかなかだよ」
「え? そういう水っぽいのはだめですよ。水分ばかりで栄養が少ないですから。それより豆類か、増やしやすい芋がいいですね」
「あ、ああ、そう、そうだよね」
(……もうわたし、いらないんじゃないかな)
これでも最初は、外見の割に年齢の幼い獣人たちを引き連れることで、頼れるお姉さんになれると思っていたアルアリスだったが、(この子たちが獣人だってバレて住民の人たちと揉め事になったらどうしよう)という思考に取り憑かれて以来、(常に全体を見渡さないと!)と意識し過ぎて自分が一番挙動不審であった。自分でもそのことに気付いているが、どうしても落ち着かない。
一方で、同伴したコーニャとホロビはすでに幼い獣人たちの中で「お姉さん」のポジションを確立させていた。物覚えがよく、妖獣人から学んだ術を扱え、族長スズリカの側近のひとりとして戦闘における技術も優れたコーニャは、ケイトと同様に他のキツネ亜人からの信頼の厚い人物、そしてホロビは妖獣人のキツネ亜人の6人の中でも特に人柄よろしく、気さくで陽気な面倒見のいいお姉さんであった。
「この町も、かなり人が減っているみたいですね。お店も大変でしょう?」
会話で気を紛らわせようと、アルアリスは店番をしていた中年の女性に声をかけた。これまた人の良さそうなご婦人である。
「そうねぇ、ちょっと前まではもっと賑わってたのよ? わたしは、姿はまだ見たことないけど、タナトスっていうおっかない化物が東の方からもうこの辺まで来てるじゃない? みんな逃げ出しちゃってねぇ、商売あがったりさ」
「あなたは逃げないんですか? もう、ここは危険です」
「わかっているよ。だからいまは閉店セール中なのさ。お金はもうなんとかなるから、あとは売れるだけ売って西の国に移るよ」
それにしても逃げ出すには遅いが、この店主はこの領地にまで触手を伸ばしたタナトスというものに、そしてこの領地の置かれている状況に対してあまりにも無知であった。
「ほんとは嫌なんだけどね。せっかく手に入れたお店なのに、まさか数年で店じまいになるなんてねぇ。教会に行ってイーラ様のご加護を戴いたはずなのに、土地が悪かったのかしらね?」
「まさか、ペス……タナトスは何処にいても襲ってきますよ。やむを得ないんじゃないかなぁ?」
「でも、やっぱり獣人の住んでた土地じゃあイーラ様も見向きしてくれないのかも知れないわ。土地が穢れているのよ」
「え、あー、そんなことは――」
「あいつらをやっつけようって時は景気がよくってここでも稼げたけど、やっぱり住む場所を土地代の安さで選んじゃだめねぇ。――あ、あいつら意地汚い連中だったから、もしかして悪い呪いでもかけられていたのかしら? 教会建てたってだめなとこはだめなのね」
(あー、不味い。どうしようこのおばさん、いろいろ溜め込んでるのか、止まる気しないね。どうにでもなーれ)
アルアリスは早々に諦めたが、実際にこの店主の口は止まるところを知らないのか、仕事中であることと一緒にそれを忘れてしまったのか、周囲に漂う危険な空気などお構いなしに喋り続けた。いまの彼女は空気などまともに吸ってもいないのだ。
「ねえ……」
「まだあいつら、時々生き残りがいるじゃない? きっとこの辺りにも残ってて、この土地ごとわたしたちを呪ってるのよ。くさいし、意地は悪いし、そのくせわたしたち人間に紛れ込んで悪さするのよ? 気持ち悪いったらもう……」
「ねえねえ、おばさん」
「ほんと、こんなとこくるんじゃなかったわよ。――なに? お嬢さん?」
「顔色悪いですよ? 大丈夫?」
すでに(あーあ……どうなっちゃうのかなこのおばさん)とアルアリスは店主に憐れみの視線を送っていたが、店主はそれに気付くことも勿論なかった。
「え? あ、あら? な、なんだか、めまいが……」
「コーニャ、ナイス!」
「ふんふーん。この程度、わたしにかかればお安い御用ですよ。これで数日分の食料が賄えますね」




