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「……ん……」
……わたし、いつの間に眠ったんだろう。頭が痛い。
朝かな? 空が曇っていて太陽が見えない。東の空がペスティスに侵食されてからずっと曇っているから、毎日朝が来たことがわかりにくくて不便なのには慣れた。でも今日は完全に曇っているから、雷がなりそうで怖い。こればかりはずっと慣れない。
体に掛けられた毛布をどけて、頭に乗っかっていた露を払うと、隣でケイトが木を背もたれに座ったまま眠っていた。
「ケイト……」
どうして、ヤンコフスキに膝枕してあげているの?
お酒の勢いだったにしても、わたしをケイトから引き剥がして、自分がケイトのぬくもりを独占するなんて……。べつにいけど、いいけどちょっと気に食わない。
「……アトレイシア、おはよう」
ケイトが目をつむったままわたしに声をかけた。起こしちゃったのかな。
「ケイト、起きてたの?」
「呼ばれた気がしたから、目が覚めたんだ……。ユレックはまだ眠っているから、もうしばらくはこうしていよう……」
「ユレック?」
「ヤンコフスキの愛称だ。ヤンコフスキは姓で……名前はイェジィ、そのイェジィという名前の愛称がユレックというそうだ。ずっと他人行儀な呼ばれ方もなんだから、愛称で呼んでくれていいそうだぞ……」
「へぇ」
愛称で呼び合う……ニンゲンの社会ではたまにあることだけど、わたしたちにはよくわからない話。他人の枠組みから一歩踏み込んだ間柄になったということなのだろうけど、ケイトが人のことを特別な呼び方で呼ぶのは、どうにも複雑。
うとうととしたケイトはそんなわたしに気付くこともなく、ヤンコフスキの寝顔を見下ろした。
「わたしたちよりずっと長く生きているのに、寝顔は子供と変わらなくて可愛らしいな……」
「……そうかな?」
「ああ。ヤンコフスキは、どうにも子供っぽいところもあるしな……」
ケイトがお母さんの目をしてる。ケイトがお母さんの目をしてる。ヤンコフスキの頭を撫でながらケイトがお母さんの目をしてる。まだわたしと同じ歳なのに。
「……アトレイシア……?」
わたしはヤンコフスキの頬に手を伸ばして、肉がちぎれない程度につねった。
「――いだだだだだっ!?」
「…………」
飛び起きて、頬を擦りながらわたしとケイトを交互に見ては、何故かほっとした表情を覗かせているヤンコフスキにこれだけは言っておこう。
「ケイトは、わたしの」
「4対1で手を打ってくれないだろうか?」
「だめ。おはよう」
「……ああ、おはよう。アトレイシア。悪かった、許してほしい」
「ん」
よし、わたしの聖域は守られた。たとえヤンコフスキといえどわたしとケイトの間に割って入ることは許容しない。
でもいま、今度は妙に複雑な顔をされたような……。そんなにケイトとお喋りしたりしたいならちょっとぐらい許してあげてもいいかな。
そんなことを思っていると、ケイトがやんわりとわたしの服の袖を引っ張った。
「……アトレイシア、意地悪はだめだぞ……?」
未だに眠気を残しながらふわふわした感じでわたしを戒める姿がもう、愛くるしい。また寝そう。
「ん。ごめんね、ヤンコフスキ」
身勝手なことをしたとは思っているから素直に謝ると、ケイトとヤンコフスキは揃ってわたしの頭を撫でてくれた。
こうしてみると、ニンゲンと比べて体温の高い獣人の手は、寒い日でも温かくて気持ちいい。今朝は曇っている割に寒いから、案外雲が出てから間もないのかな。
「よしよし。これからもケイトと仲良くな。――目も覚めたことだし、わたしは散歩に行ってくるとするか」
ヤンコフスキは立ち上がるとサーベルを腰に挿して帽子を被った。軍人らしく目覚めがいい。昨日あれだけ飲んだのにけろっとしてるし、お酒への強さも一級品。それともこっちのお酒ってそんなに弱いのかな。
「ひとりで大丈夫?」
「サーベルの扱いには自身がある。大きめのヘビくらいなんとかなるさ。馬ばかり乗っていないで、たまには自分の足を使ういい機会さ」
ヤンコフスキはサーベルを抜いてひゅんひゅんと振ると、鼻歌を歌いながら散歩に出かけた。
他のニンゲンはまだひとりでうろつくのは怖いらしくて、パートリッジからも単独行動は控えるように言われてるはずだけど、豪胆だな。やっぱり堂々と馬に乗って敵の群れに挑みかかるような人たちは違う。
「……ケイト」
「……なんだ……?」
また眠りかけているケイトの反応は鈍い。それでも、いまのうちに聞いておこう。
「わたしのこと、誰から聞いたの?」
「……魔術の習得は、隠しておくべきだったか……? あれこれ手を出したからな……」
ケイトは一言で何を訊かれているか察し、直ぐに自分の失敗に気付いたらしい。
ケイトはあれこれと頑張りすぎている。昔より格段に実力をつけた反面、体は弱りきっていて、もしケイトが獣人ではなくてニンゲンだったら死んでいるだろう。わたしが里を離れていた間はまともに睡眠を取っていたとは思えない。
「……ホバーラとフウカだ。すまない……」
観念したようにケイトはそう告白した。
二人で話し合って決めたのかな。誰にも言うなとは言ってないし、ケイトが聞いたところで責めることもない。
ただ、そのことが、ケイトに無理をさせてしまう要因になったのは間違いない。まだケイトには知ってほしくなかった。こうしてケイトのところに帰ってくるはずではなかったし、いっそわたしのことは諦めて、忘れてくれた方が良かったのに。
「気にしないで。一緒にいるって決めたいま、いつか知るときはきてたから。むしろ、ケイトこそいいの?」
「ん。気にしなくていい……。わたしは……わたしの命は、シェリナと、一緒に……シェリナのために……」
それから先は続かなかった。
顔を覗き込むとケイトはすでに眠りについていた。微かに浅く、ゆっくりとした寝息が聞こえる。
ごめんね。わたしなんかのせいで、無理をさせちゃって。ありがとう。わたしなんかのことを、諦めずにいてくれて。
いま、わたしはケイトの体を優しく抱きしめて、頬を濡らすことしかできないけど、わたしがこの世界で一番ケイトのことを好きだって、伝わるといいな。




