18
「ケイト、大丈夫か? 疲れた顔をしているぞ」
ヤンコフスキが料理を盛り付けた皿を片手に、傍らにしゃがみこんで心配気な顔で覗き込んできた。
「……ん。大丈夫だ……わたしは……」
わたしはなんとなく、視線を逸らした。
この人の目はあまり好きじゃない。というか、怖い。不気味だ。ニンゲンの目はみんなそうだ。何故かはわからないが、苦手だ。
「大丈夫なものか。ケイト、アトレイシアのことが心配なのはわかるが、ひとりでなんとかしようと考えるのは無茶だぞ。君は疲れ果てている。見ていて心配だ。ほら、一緒に食べようじゃないか。――おぉっ……なんだこれ。齧ってしまったが、代わりに食べてくれないか」
興味本位で手を出したのか、虫をすり潰して丸めた団子をかじったヤンコフスキは、ひとくち食べた時点で無理と判断して食べかけを差し出してきた。
捨てるのは勿体無いから受け取ったが、体にいいから頑張って食べてもらった方が良かっただろうか。団子には虫以外にもあれこれと混ぜ込んであって、食べると苦味と甘みと一緒に、ハーブの爽やかさが広がる。この複雑な味は食べ慣れていないと苦痛に感じものだ。
「わたしのことは、気にしないでくれ……」
「それはできない。わたしは君のことも大切に思っている。君が悲しい顔をしているのを無視しなければならないなんて、耐えられないことだ」
ヤンコフスキがわたしの頭を撫ぜた。
ポーランド人はやたらと身体に触ってくる。イギリス人もエルンヴィア人も異性との交流は積極的に見えるし、わたしはニンゲンが日頃他人とどれだけ触れ合っているものかなんて知らないが、ポーランド人はまるでわたしとシェリナが自分たちの子供とでも思っているようだ。好意的に接してくれているわけだからさほど不快ではないが、実のところは落ち着かない。
「……わたしにとって、アトレイシアとの時間は、幸せでしかないんだ。わたしがどうなろうと、わたしは幸せだ」
「それでは、君の周りにいる人は不幸になってしまうよ」
「駄目か? わたしは、アトレイシアが幸せになってくれれば、それでいい。そうしたら、わたしも幸せだ。それだけでいい。わたしたちは、二人で全てさ……」
みんなシェリナを不幸にした。だから、みんな、わたしたちには不要だ。
目を瞑っていると、どうしてだろうか、ヤンコフスキに今後は頬をつままれた。
なんだ? 何がしたいんだ?
「ケイト、そんなことを言われるとショックだな。わたしたちは君たちを愛しているというのに、あの森で言った言葉は嘘だったのか?」
「…………」
「愛している」などと、ヤンコフスキはこういう恥ずかしい言葉を平気で使うから尚更落ち着かない。
しかし……そうだったな。獣人がまたニンゲンと仲良くなれるように、シェリナには架け橋になってくれと言ったし、わたしも頑張ると宣言した。確かに、そう言った。
「ケイト、アトレイシアはより多くの友人を求めている。失ってしまった、多くの人との繋がりを、愛を取り戻そうと悩み続けている。君ひとりがこの子を独占して、全てを抱え込むことはないんだ。できないんだよ」
「……ん。その通りだ。すまない」
「良い子だ。それじゃあ、まずはわたしに話してくれないか。アトレイシアのことを」
「…………」
どうすべきだ? ヤンコフスキの言っていることもシェリナの望む道だが、シェリナが秘密にしていることをわたしが伝えてしまっていいのか?
わたしが口を閉じたことを訝しむヤンコフスキはそのままに、ひとまずリュイナを呼んだ。
「ケイトちゃん、どうしたの?」
「ヤンコフスキと、少し話がある。アトレイシアを見ていてくれないか?」
「うん。いいよ」
リュイナなら安心してシェリナのことを任せられる。フウカ族長から受け取った薬を手渡して、わたしはヤンコフスキについてくるように促した。
少し歩いたところで、早速あとをつけてこようとした誰かをリュイナが捕まえてくれた。こういう気が利くところも頼りになる。
……それなのに、どうしてシェリナを切り捨ててしまったんだ。リュイナ……。
「――ケイト、もういいんじゃないか。……うん? 茂みか、ケイトは何処だ?」
暗闇の中わたしのあとに続いていたヤンコフスキは、わたしを見失って茂みに話しかけた。振り返ると目の光が見えたのか、「お、そこか」と呟いて、おぼつかない足取りで近寄ってくる。
「ヤンコフスキ、アトレイシアには秘密が多いんだ。わたしにもなかなか話してくれないし、いまも秘密にしていることがある。わたしの口からは、あまり教えられない」
「アトレイシアが、ケイトにも秘密に?」
「ああ。全てを知っているとしたら族長たちくらいだろう。昔馴染みのリュイナとリティアもある程度は知っているだろうけどな……」
最初はみんな、何も教えてくれなかった。シェリナを腫れ物のように扱って、触れることをためらっていた。いくらか改善されたが、いまだってそうだ。
わたしはわたしで、シェリナが嫌がるから勝手にあれこれ言いたくはない。たまに魔が差したついで意地悪なことを言うことはあるが、日頃はシェリナが嫌がる話題は出さないようにしているつもりだ。それがいいことなのか、自信はないが……。
「あの二人はアトレイシアと付き合いが長いんだな」
「そうだな。アトレイシアは、昔はよく、二人のところに遊びにいっていたらしい」
「アトレイシアから? 意外だ」
「アトレイシアは誰かと一緒にいるのが好きなんだ」
ただ、大人のことは苦手なのか、嫌っているのか、当時は大人と一緒にいることは少なかったらしい。いまは、そうでもなさそうだが。
「リティアはアトレイシアとあまり上手くいっていないように思っていたが、秘密は守っているんだな。それほどのことなのか?」
「いまはまだ、触れるべきじゃないんだと思う。あまり多くは教えられないな……」
「ふむ……いや、秘密を探りたいわけじゃない。友人として、最低限知っておくことだけでいいとも」
ヤンコフスキは足元を蹴って木の根を探り当てると、さっさと腰を下ろした。片手に持ったままの料理をつまんで口に運ぶと、当たりだったらしく満足気に頷いている。
「そうか。助かる。……さっき見た通り、アトレイシアは眠るとうなされるんだ。昔の友達が夢に出てきて、自分のことを悪くいうらしい。アトレイシアはいまでも苦しんでいるんだ。それなのに、誰もそんなアトレイシアに見向きもしない。みんな、アトレイシアのことを悪くいう。何も悪いことはしていないのに……」
叱責を浴びせたところで、シェリナに何ができたっていうんだ。ずっと、シェリナの意志は軽んじられてきた。周囲の都合に振り回されて、何もかもを押し付けられたシェリナに何故、みんなは冷たく接するんだ。
「わたしはアトレイシアの味方でいたい。罪のない人が苦しむのは、間違っている。アトレイシアには癒やしが必要だ。このままでは、壊れてしまう……わたしは、それが嫌だ」
「君たちのうちの何人かが、眠っている最中にうなされているのは何度か見たことがあるが……アトレイシアの様子は明らかに異常だった。わたしは、悪魔が彼女に取り憑いて首を締め付けているのかと思ったよ」
フウカ族長が処置しているあいだ、ヤンコフスキは十字架を取り出して悪魔祓いでもするのかという様子だった。ポーランドの人たちの信心深かさは、わたしとしては感銘を受けるほどだ。
「……そうかも知れないな」
「え?」
「悪魔に憑かれているのかも知れない。呪われているのかも知れない。それがなんだ。わたしは……わたしがアトレイシアを助ける」
「…………」
ヤンコフスキはわたしのことをじっと見つめた。何を考えているかわからない目をしている。
「なんだ?」
「いま、君のことをとても美しく思った」
何をいきなり言っているんだ?
「君の抱いているアトレイシアへの無償の愛情を、わたしは気高く、美しく、素晴らしいものだと思う」
「……やめてくれ。恥ずかしい」
「恥じるものじゃないさ。さあ、ちょっと来てくれ」
促されるままヤンコフスキの隣に腰掛けると、ヤンコフスキはわたしの頭を優しく撫でて笑った。
「なんだろう、複雑だな。さっきまでアトレイシアのことを心配していた。いまでも勿論そうだが、君がいると思うとなんとかなるようにも思えて、いくらか安心もしている。ありがとう」
ん……なんて返せばいいんだ? わたしのことを信頼してくれているんだろうが、シェリナのことに関しては行き詰まっていることだから、信頼されたところで困るな……。
「わたしも君と一緒にアトレイシアの助けになりたいな。もっと教えてくれないか。彼女のことを、君の中のアトレイシアを」
「わたしの中の……?」
「ケイトの感じている、アトレイシアの魅力だよ。もっと彼女のことを知って力になりたいんだ。君に訊くのが一番だろう?」
「ん……」
シェリナの魅力か、人にそれを訊かれるのは初めてだ。また少し恥ずかしいが、なんだか嬉しいな。
「そうだな……アトレイシアは瞳がとても綺麗だ」
何から伝えようかと迷った挙句見ればわかるようなことを言ってしまったが、ヤンコフスキは「うん」と頷いて、好奇心あふれる目で続きを求めた。
「声も好きだ。昔の、母と似ているんだ。あまり人と話すことが得意ではないんだが、人一倍友達思いが強くて、寂しがり屋なところが可愛らしくて好きだ。いろいろと自分の中に抱え込んでしまう不器用なところが心配だが、そういうところも好きだ。それから――」
言い出してみれば止まらなくなった。ヤンコフスキはしきりに頷きながらわたしのシェリナ語りを聞き続けてくれた。
わたしはこうも饒舌になったことが、これまであっただろうか。考えるまでもなくそれは否だ。シェリナはわたしを変えてくれた。いま、わたしの中ではシェリナだけが光り輝いている。
失いたくない。わたしの光を。
ヤンコフスキ、シェリナのために力を貸してくれるなら、わたしのように命を懸けてくれるなら、いつかその命をもらってもいいか?




