17
シェリナが眠ってしまった。
ん、どうしよう。もしまたうなされたら、ここにいる人たちを心配させてしまうな。もう切り上げて、わたしも早く眠ってしまおうか……。
「可愛い顔してるな」
「か~ぅ……くー」
「お、あくびしたぞ」
「よしよし。どうしよう、起こした方がいいかな。全然食べてないぞ」
「この様子じゃ、起こしても直ぐに寝るよ。寝かしておいてあげよう。見ろ、この幸せそうな顔、なんだよこれ撫でろっていうのか」
……起こしたら可哀想だ、もう少しこのままでいよう。
大丈夫、うなされるときは起きる前だ。そのときまで眠った方がいい。ごはんはいつだって食べられる。ぐっすり眠れる時間の方が大事だ。
「ケイトちゃん、アトレイシアちゃんの下敷きになってるけど、そのままがいいならごはん取ってあげようか?」
「ん。そうだな」
リュイナが気を利かせて、わたしの口元に食べ物を近付けてくれた。
この、シェリナの旧友は、ここ数日とても機嫌がいい。以前は五体不満足の母親と幼い弟妹たちの世話をしながら、シェリナのことでしょっちゅうリティアと口論になっては頭を抱え、常々精神的に疲弊しているようだった。ある日里を出たまま戻って来なくなると、みんな心配したものだ。……シェリナの時と違って。
「あ、これも美味しいよ。はい。あーん」
「ん。あーん」
茹でた肉か。う、熱い……。
でも、確かに美味しい。よく煮詰められていて、舌の上で勝手に崩れる。やっぱり茹でる時間は長い方がいいんだな。
……おかしいな、それなのになんでいつもわたしが調理すると失敗するんだ。火加減が悪いのだろうか。もっと強い火で熱を加える方がいいのか?
「おお、アトレイシアは寝ながらでも食べるぞ」
「これも食べさせよう」
「いや、こういうときこそ野菜だよ野菜」
頭の上でシェリナが餌付けされている。ちゃんと噛めずに上から食べかすが落ちてくるからやめてほしい。
「なんでも食べるのかこの子」
「指近付けてみろよ」
「ほーれ、美味しそうな芋虫さんだぞ。――ぎゃあ! ちょ、いってぇ! 血が、血がァ!」
血が降ってきた。本当に、もうやめてほしい。シェリナは幸せそうだがこれは流石に嫌だ。
「むにゃむにゃ……」
「あ、今度はケイトの耳を食べだした」
「ちゃんと甘噛だ。えらいな」
シェリナ、よだれが、よだれが髪に染み込んでくる。それはよしてくれ。
「あ、追い払った」
「時折ケイトの耳がベタついてるのって、アトレイシアに食べられてるからなのか?」
「ん。一緒に寝ていると、たまにするんだ」
やっている本人は眠っているときの記憶なんて毎度残っていないから気付いている感じもないが、眠っているときのシェリナはよく動き、近くのものにまとわりついて甘える。
いつもみんなと距離を取っているが、本当は甘えたいんだ。里にいた獣人たちはそんなこと知りもしなければ、知ったところで何もしないか、かえって突き離すだろう。ここのニンゲンたちの方が大切にしてくれるし、シェリナにいい影響を与えるはずだ……。
そうしてひとり同胞たちへの鬱憤を重ねていると、サモフィナが近付いてきて、シェリナの顔を覗き込んだ。普段話し掛けもしないくせに無遠慮だな……。
「眠ってるところ初めて見たけど、アトレイシアでも寝てるときは無防備なんだなぁ。アトレイシアって背後に隙がないじゃん? 前に立つと目つき怖いじゃん? 話しかけにくいんだよねー。うわ、しっぽさらっさら」
「わたしが念入りに手入れしているからな」
シェリナが怖い? お前たちが突き離すからシェリナはそうなったんだ。
「ケイトとはお似合いだよ、二人が出会ったのも運命だよねー。……あれ、アトレイシア大丈夫?」
「ん? アトレイシア……?」
サモフィナに気を取られて気付くのが遅れたか、どういう言うわけかシェリナの寝息が聞こえなくなっている。胸も動いている感触がない。
「アトレイシア、どうしたんだ……?」
身体を揺すってみたが、反応がない。上で遊んでいたニンゲンたちも異変に気付いたらしく、シェリナの肩を叩いて揺すった。
「どうかしたか? アトレイシア」
「お、おい、息をしてないぞ!? おいアトレイシア、アトレイシア!?」
「喉に何かつまらせたか? おい、起こそう」
「……かッ、アァ――」
抱き上げられたシェリナが、ようやく、苦しそうに息を吐き出した。でも、つまりが取れていないのか、口を開けて胸を動かしているのに息は殆どできていない。
「気道が塞がってる。背中を叩け」
突然のことにニンゲンたちは慌てて、シェリナの身体を持ち上げた状態で背中を叩き始めた。
シェリナの呼吸の音は食べ物が詰まった音じゃない。しまった。あのときと同じなのか。
「駄目だ。出てこない」
もっと強く叩こうと振りかぶった手を、駆けつけたフウカ族長が押さえた。
「これ、慌てるんじゃないわい。リュイナ、コーニャ、ちょっと手伝っておくれ。ニンゲンさんはその子を下ろすのじゃよ。儂が診るからの」
族長がシェリナを地面に仰向けで寝かせると、シェリナは胸を押さえて悶え始め、えづいた。それを見てニンゲンたちはますます狼狽えたけど、フウカ族長は気の毒そうな顔をしつつも落ち着いている。
「それじゃ喉のつまりは取れないぞ」
「物が詰まってるんじゃないんじゃよ。身体を押さえておいてもらえるかの。――アトレイシアよ、聞こえるか? もうちょっと頑張ってこっちにおいで」
「あ……あっ……あー……」
「お、おい、何か喋ろうとしてるぞ――」
目を見開いて暴れるシェリナの姿を見ておろおろするばかりのニンゲンは、みんなに服の袖を引っ張られて引き下がっていった。
「コーニャ、針じゃ。リュイナは服を脱がしておくれ」
「ケイトちゃん、服脱がすから手伝って」
「ん」
リュイナがシェリナの身体に跨って腕を取っているうちに、わたしが服を掴んで引剥そうとすると、力で敵わないシェリナは次第に大人しく、されるがままになった。ただ、その表情からは正気が失われて、瞳孔が閉じたり開いたりを繰り返し、喉からはシェリナのものとは思いたくない不気味な呻き声が漏れた。
わたしたちが作業を終えるのを待ちながら、フウカ族長はコーニャから受け取った針を数本、しっぽから取り出した小瓶に浸し、「一応お主も族長なのじゃから、この子ともう少し話し合ってみてくれんかの」と傍らに立ったスズリカとひそひそと耳打ちした。
「……話をしてくれるとでも?」
「それもそうじゃが……」
スズリカはいつまで経ってもシェリナと対話することに二の足を踏んで、成果を出してくれない。シェリナの方が拒んでいるのも問題だが、スズリカにはもう一歩踏み込んでもらいたいという思いがフウカ族長にもあるらしい。
「ししょー、終わったよ」
「よし、しっかり押さえておくんじゃぞ」
気を取り直したフウカ族長がシェリナの首から胸にかけて深々と針を突き刺すのを、輪になって取り巻いたニンゲンたちが固唾を呑んで見守っている。ポーランド人たちは十字架を握り締めているのが見えた。
「――よし、これでラクになったはずじゃぞ。しばらくこうしておくのじゃ」
処置が終わり、シェリナは呼吸が楽になったようだけど、意識は戻らないまま泣いて暴れようとする。挙句、とうとう戻してしまった。
前より長い。里に帰ってきたときは直ぐに目を覚ましたのに、どうしてしまったんだ。こんなの、初めてだ。
「アトレイシア、目を覚ましてくれ……」
「――ご……め……」
「おっ、起きたか?」
「いや、うわ言だろう。誰かに謝ってる。――フウカ族長、アトレイシアは以前からこのような発作を?」
途中から輪に混ざっていたヤンコフスキも心配そうに、そう言ってシェリナの頬を撫でた。
「いや、寝ているときにうなされるとは聞いておったが、こんな症状は聞いておらんのぉ……」
そう言いながら視線を向けられて、わたしはひとり、周囲とは違う気まずさを覚えた。
「里に帰ってきたとき、こんな感じだった。直ぐに起きたし、それからはいつも通りだったから言わなかったんだ……すまない……」
訊くのが怖かったんだ。シェリナの身体が壊れてしまったんじゃないかと、本当のことを聞くのが怖かった。
わたしは結局、シェリナのなんの助けにもなれていない。わたしの腕の中で、シェリナはどんどん壊れてしまう。早く、なんとかしないと……。
「ひとりにときにこうなったら危険じゃの。ケイトに薬を渡しておくから、今後も処置ができる子を側につけるように、頼むぞスズリカよ」
「承知した。それと、ありがとうございます。フウカ族長」
「仲間じゃしの、困ったときはお互い様じゃよ」
姿勢を整えて深く頭を下げたスズリカに、フウカ族長はにこりと笑いながら気さくに返した。
「わたしも、その……感謝する。ありがとうございます」
こういう時、わたしの国の言葉では表現しにくいというか、言葉選びに違和感を覚える。敬語とか丁寧な言葉というものはよくわからないが、シェリナを助けてくれた相手だというのに、我ながらちょっと無礼な気がする。
「うむ。これからもこの子を頼むぞ」
続けて礼を言ったわたしに薬の入った小瓶を手渡すと、思わず頷いたところでわたしの肩をぽんと叩いて、族長はてくてくと歩き去っていった。なんて懐の深い人だ。
それから、シェリナは少しずつ落ち着きを取り戻したから、じきに針を引き抜いて寝かしておくことになった。
「可哀想に、きっと昔何かあったんだ。たぶん、身体に傷が残ってるから虐待だな」
「いや、途中口にしていたのは友達の名前を呼んでいたんだよ。例の戦争で死んじゃったんじゃないのか」
「可哀想に、まだ幼いのに、精神疾患を患っているなんて、酷い話だ……」
近くに生えていた木の根元に寝かされたシェリナに、ニンゲンたちは未だ遠巻きに視線を送りながら口々に同情の言葉を発している。
「アトレイシアも、やっぱり後悔してるんだね」
「自業自得よ」
「恨まれて当然だよ。心配することないって。まったく人騒がせなやつだよ」
獣人たちは大して気にした様子もなく食事を再開した。薄情者ばかりだ。
シェリナ、大丈夫か? すまない。いつかわたしが治すから、それまで耐えてくれ。
隣に寝転んで髪を撫でると、シェリナは嬉しそうに身を寄せてきた。……胸が締め付けられるようだ。




