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「盗み聞きなんてしてねぇでこっち来いっての。お、ケイトも起きたのか一緒じゃねぇか、よかったなノッポ。さ、こっち来なよ」
「ん」「……嫌味な奴だな」
拒絶する理由もないからケイトと並んでパートリッジの前に進み出てみると、同じく長身のヤンコフスキと並んでまるで壁みたいだ。これでは3人並んだときヘッドが可哀想に見える。
それとヤンコフスキからはお酒のにおい、ヘッドからはそれに加えてタバコのにおいがするけど、パートリッジからはなんだか別のいいにおいがする。お茶かな?
「おや、先ほど見かけた子だな。こんにちは、お嬢さん。わたしはテレンス・パートリッジ、以後、お見知り置きを」
「「…………」」
……ひざまずいて手の甲にキスをするのはどういう意味なんだろう。ただの挨拶にしてはスキンシップが過ぎる気がするけど、まさか求愛行動じゃないよね。
「たぶんな、ドン引かれてるぜおっさん」
「……先ほど族長の方たちにも変な顔をされたことだし、この世界でこういう挨拶は控えるとしよう。記憶によれば元いた世界では問題なかったはずだが……」
「……挨拶だったのか?」
ケイトが真顔で尋ねると、パートリッジはわたしたちの反応の薄さに困った顔をした。
「そうだけど、失礼だったようだね、申し訳ない」
「大丈夫だ。気にしてない。わたしはケイト。初めまして、パートリッジ司令官」
「「司令官」、いい響きだ。落ち着きがあっていい子だね。――そちらのお嬢さんも、お名前を教えてもらっていいかな?」
パートリッジの綺麗な小さな瞳が、わたしの目を覗き込んだ。ほとほと上品な顔立ちだ。
「わたしは、アトレイシア。……こんにちは」
「うんうん。君たちが、例のケイト嬢とアトレイシア嬢なんだね、お話できて嬉しいよ」
「ん……わたしたちのことを、聞いているのか?」
「もちろんだとも。語り草さ。君たちは他の獣人たちを先に逃がして、戦車とともに敵の眼前にとどまり、満身創痍になるまでこれを押し留めたと聞いている。勇気ある、英雄的な活躍だ。いや、助けが間に合って本当によかった」
「いや、あのときは貴重な戦車も失ってしまって、申し訳ないと思っている」
「はは、君たちの命に比べれば安い出費だったとみんな思っているし、それが事実だ。聞けば乗っていたのは英国の歩兵戦車だったそうだね。役に立ったようで、わたしも英国軍人として鼻高々だよ」
パートリッジは少し顔を上げて鼻を掲げると「ちょっとリアクションがほしいな」と言いたそうな目をしたから、取り敢えずこくこくと頷いておいた。鼻はもとから高そうだけど、喜んでくれているようで何より。
「司令官殿、この子は砲手として、あの一戦で重戦車を含む多数の敵戦車を筆頭に、多くの車両、火砲を撃破しました。表彰が必要だと思います」
ヤンコフスキが、パートリッジが上機嫌なところをすかさず言い寄って、ケイトへのご褒美を求めた。部下たちには黙ってこっそりニンゲン初のケイトファンクラブ会員になったヤンコフスキにとって、ケイトのための行動はたぶん義務。これで2年近く白紙だったらしい活動日誌に、ようやく第一文が書き込まれる……かも知れない。
ちなみに、わたしが名誉会長のレンカに勧誘されて二つ返事で入会したのは先々日のこと。誰がどういった経緯を持って作ったか知らないけど、わたしの居ない里は平和だったんだね。
「当然だろうな。大英帝国の戦車に乗っていたんだから、まずは英国の勲章を授与しよう。これを受け取ってもらえるかな? お嬢さん」
そう言って胸に付けた勲章を外してケイトに手渡そうとすると、ケイトは困った顔をして手に取るのをためらった。
「ん。気持ちは嬉しいが……わたしみたいな物の価値のわからない人にはもったいない。司令官に褒めてもらえるだけで、十分だ……」
「これ自体に価値を見出さなくてもいい。このこと自体に価値があるのだからね。きっと君ならわかるだろう?」
謙遜するケイトの態度に気を良くしながら、パートリッジがそう伝えると、ようやくケイトは頷いて勲章を受け取った。
「ん……。このような名誉を賜ること、光栄だ。司令官。とても嬉しい」
「よしよし、聡い子だ。君のような子は娘にほしいくらいだよ。――ヤンコフスキ隊長、そんな目で見つめないでくれないかな?」
パートリッジはケイトの頭を撫でながら、羨望と嫉妬の混じった視線を向けるヤンコフスキに対して苦笑いをこぼした。ヤンコフスキ、愛情がわかりやす過ぎて若干気持ち悪い。
「アトレイシアにも何かねぇのか? 装填手だったんだ、何もなしじゃ可哀想だろ?」
「そうだね。でも、生憎わたしは勲章をたくさんもらえるほど勇敢じゃなくてね……」
パートリッジがまだ胸にいくつか勲章を下げているのに、表彰を渋り出したと見たヘッドは「こいつ……!」と頬を引きつらせて、そのまま意地悪な笑顔を作った。
「端のそいつなんかどうだ?」
「うん? これかい? だめだめ。これはわたしが英王室の、大英帝国の騎士である証だ」
ヘッドが指差した勲章を一瞥して、パートリッジが言語道断と切り捨てると、ヘッドは露骨に呆れた顔をした。
「ここにはアンタの国王陛下なんていねぇだろ」
「もしも帰ったときになかったら、陛下に顔向けできないじゃないか。これは功績を讃えるためのものではないんだよ」
「じゃあそっちの……いや、いいや。おれのやるよ。そっちよりデザインがいい」
ヘッドは自分の上着に手を突っ込んで、五芒星の描かれた円の縁と、その下の長方形のところの裏にエルンヴィア語か何かが書かれている勲章を取り出してわたしに手渡した。
見ると、星の先端に小さな宝石が埋め込まれている。ヘッドみたいな人でもこういう、なんだか凄そうなものもらってるんだ。
「なんと書いてあるんだね?」
「外周に書いてあるのは『星々の力を常に』、プレートの裏は受賞年とか、勲章の等級とか、あれこれだな」
「君の本名も?」
何を難しく考えて作られた言語なのか、ぎゅうぎゅう詰めに刻印された文字の羅列の中で人名らしきものを見付けるのは無理だった。段落ごとの文字数が揃っていないのに端から端まで隙間なく、潰れて小さくなっているようにも見える文字をどうやって刻印したのかも謎。魔術を使ったり戦車を作ったり、わたしの想像もできないような技術にあふれた世界なのかも知れない。
「さあね。おれはヘッドだ、それより前はペイしたぜ。だからそんなものもおれには要らねぇよ。それにほら、結構綺麗じゃねぇか。宝石は女に付けるに限るぜ」
「ん。ありがとう。大切にする」
「すまないね。我々の友好の証として、今度また正式な授賞式をしよう。いまはわたしたちもヘトヘトでね、休息がほしいところだからそのついでに済ませてしまおうか」
「賛成です」
「……そういうの、苦手」
「心配すんな、名前呼ばれたら突っ立ってりゃいいんだよそんなもん」
「おいおい、身も蓋もないこと言うんじゃないよ」
そう言ってパートリッジが失笑すると、ヘッドとヤンコフスキからも笑みがこぼれた。
「ああ、そうだ。そういや、昨日はそっちにドラゴンが出たんだってな」
「うん? ああ、あれには驚いた。ここでは野生のモンスターの相手までする必要があるのが厄介だよ。特に空から来られるのには参る。爆撃機のように飛び去ってもくれないから撃墜せねばいかんが、あまりに弾薬がもったいない。人員も燃料も弾薬も食料も茶葉も全てが足りていないのに、これじゃジリ損というものだよ」
突然ヘッドが話を切り替えたから、パートリッジは一瞬遅れて答えた。怖い目に遭ったと、上機嫌はすっ飛んで悲しげな顔をすると、漂わせる哀愁は一際だ。
「そんなに可哀想な顔しなさんな。もうちょっと寒くなれば春まで出てきはしねぇさ」
「そんな、熊じゃあるまいし、安心させてなんてくれないさ」
パートリッジはますます表情を曇らせて、小さくため息をついた。この人もそうだけど、ニンゲンたちはここ数日で身も心も疲れ果ててしまったらしい。住む家を失って間もない獣人たちの方がむしろ元気で、毎日を楽しんでる。
ドラゴンなんて希少なものに襲われるなんてよほどないと思うけど、ワイバーンにでも出くわしたのかな。飛竜とも言われるドラゴンの亜種だけど、れっきとしたドラゴンのように言語を理解できないし、魔力も弱い、下位互換と言って差し支えない種族だ。訓練すれば馬や地竜同様に乗り物として扱えるからニンゲンたちに根絶やしにもされることもない、ラッキーな生き物でもある。だからといってワイバーンになりたいなんて気はしないけど、羨ましい。
「あの双子が族長たちと連携して物資をかき集めてくれていたことが唯一の救いだ。彼女たちのことは認めざるをえない。今後も補給に滞りがないよう改善していってくれるようだし、後は紅茶さえ手に入ればいいんだが……。ああそうだ、お嬢さん、いつかお茶でも飲みながらお話でもいかがかな? いまは生憎茶葉がないが、用意しよう」
長台詞の最後にお茶に誘われるとは予想外だけど、やっぱりパートリッジから漂ってくる芳しい香りはお茶の香りだったらしい。
「司令官は、お茶が好きなのか……?」
ケイトにそう訊き返されるとパートリッジは深刻そうにうなずいて「英国人からジョークと1日7回のティータイムを取り上げたら何も残らない」とうそぶいた。
「それなら、いい茶葉が手に入ったから、分けようか?」
ケイトは外の世界のニンゲンを自分たちの味方としてつなぎ留めておくためにも、気前のいいところを見せて印象をよくしようとしているらしい。彼らがお茶好きというのは、自身もお茶を好むケイトからすれば好都合だ。
「本当かね? 嬉しいな。しかし、それは赤くはないんじゃないかね?」
「……ん。色か……どうだろう?」
「……まあ、黄色かな?」
赤色かどうかと訊かれても、わたしたちの目は赤色を識別できない。だから大抵のキツネ亜人や、イヌ亜人は赤色という色の存在を知らないし、それ以外の色も少しずつ見え方が違うみたいだから、色を訊ねるのはまず無意味だ。
「司令官殿、こいつら半分はキツネだから赤色は認識できねぇかもな」
「君はわたしの認識より博識らしい。なるほど、では実際は赤いのかも知れないね」
「口に合うかどうか、今度わたしのところにきて一杯飲んでみるといい。お菓子も出す」
ニンゲンも含め、わたしたち全体のリーダーになったパートリッジの機嫌を損ねないことは最重要だ。ケイト、頑張って。
「それはいい。必ず行くよ。――おっと、もうこんな時間か。そろそろ失礼ささせてもらうよ。仕事が増えてしまったことだしね。またあとで会おう」
「はっ。大佐、ぜひとも無理をせぬよう、お身体にお気を付けください」
待たせていた車へと歩み寄ると脇に立っていた兵士がドアを開け、そこからパートリッジは座席に座った。あれも外の世界の軍隊の乗り物なのかな、でも扱いはまるで貴族の馬車だ。
「それと最後にアトレイシア嬢、早速で申し訳ないのだけど、今後は人前でヘビを仕留めてそのまま食べるのは禁止だ。カエルも禁止、そして食事の前後では手もちゃんと洗うんだよ」
「……はい……」
「アトレイシア……」
そういえばわたし、空腹に負けてパートリッジたちに嫌がらせしてた。ごめんねケイト。
「へへっ、やっちまったな、アトレイシア。罰としてヤンコフスキに向かって爪立てて「がおー」ってやってみな」
「え? ……がおー?」
「ヘッド、どうしてこういう発想がぱっと出てくるんだ? ありがとう」
……ヘッドのおもちゃにされた。もうだめ、早くごはん食べて寝よう。




