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アトレイシアともう一度  作者: 長原玉乙
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       *        *


「うぅ……すまない。いつの間にか、眠ってしまっていた……」

「ケイト、おはよう」

 食事会が終わって、会合がお開きになったところでケイトが戻ってきた。まだ眠そうだけど、頑張って起きてきたらしい。

「昼はまだ……眠いな……」

「……ヘビ、いる?」

「遠慮する……なんてものを食べているんだ……」

「カエルも、捕まえた」

「う……」

 カエル、げこげこ可愛い。いただきます。

「待ってくれ。わたしの前でそういうのは、やめてくれ」

 わたしがカエルを口に運ぼうとするとケイトが眠気をふっ飛ばし、すがるような目でわたしを止めに入った。

 長く暗闇の中で、食べ物の見た目を知らずに生きてきたケイトは、いざ目にするようになった食べ物の見た目をかなり気にする。かつてカエルをまるごと煮込んでごはんとして出したら、見た途端にビクッっとして固まってなかなか食べてくれなかったし、食べてる間もけして目を開けようとはしなかった。

 捕まえた獲物を調理せずに、生きたままかじりついたときにも相当なショックを受けたようで、しばらくまともに口を利いてくれずに部屋の隅でビクビクと縮こまっていし、数年経ったいまでもケイトのそういうところは大して変わらず、なんだか微笑ましい。

 わたしはケイトの、そういう野生の薄れたニンゲンっぽいところも好き。

「お昼がまだだ……食べ過ぎるのはよくない。それに、ヘッドたちが驚く……」

 その点に関してはすでに手遅れで、ヘビを食べている最中、まずヤンコフスキと目が合って、ヤンコフスキはわたしを二度見した上で見なかったことにした。そのあとでパートリッジがかつてのケイトのようにしばらく固まっていた。見ていて面白かった。

「あのおじさんのこと、怖がらせちゃったかな。あのあと喜んでいるようにも見えたけど」

「ん」

 ん? いつもと違う。感情のこもってない相槌を打つということは、何か気になることがあるのかな。

「……ケイト?」

 ケイトが突然、何かを見てそわそわし始めた。普段のケイトからしたらありえない。

 ケイトの視線を追いかけると、ウタゲとマツリがチャニに歩み寄って話しかけるのが見えた。

「チャニさん、目と喉の状態を診せてもらってもいいですか?」

「ああ、その、いくらか心得があるもので、助けになれたらいいな……と」

「……やめておいた方がいい……」

 そういえば、以前ケイトも一度だけ、なんとかできないかとチャニの目の状態を見たことがあるらしい。

 それ以来、ケイトは誰かが同じことをしようとするのをことごとく阻止していると聞いているけど、ウタゲとマツリは口で言っても止めることができないだろう。天才とまで自称する二人は無理に止めると自尊心から意地を張り出す。

 チャニは二人の提案に対していくらか迷った様子たったけど、結局は了承したから、ケイトの表情がますます曇った。しかし、チャニが自ら承諾したからには文句は付けられないと、ケイトは口出しするとこを早々に諦め、遠巻きに様子を見ることにした。

 実のところ、わたしもチャニの顔がどうなっているのか気になる。ずっと目をつぶっているし、人前に出るときは布で顔を覆って隠していることも多いから、日増しに素顔が見たいという好奇心がわいて出てきた。

 ウタゲとマツリは、チャニと一緒にひとまずヘッドたちから見えないところまで移動すると、早速診察を始めた。

「ますは喉の方から、それから鼻も」

「――お姉さま、これは、なかなか……」

 口の中を覗き込んだ時点で二人の表情も曇った。それから鼻の状態を見て眉間のしわを増やして、ウタゲはそれから指先でまぶたを持ち上げたところで、動きが止めて「うぐっ」とうめいた。

 ケイトに連れ添ってこっそりあとをつけてきた、ここからでもウタゲの指先が震えているのがわかる。でも肝心のチャニの目は見えない。わたしが見たそうにしているの気付いたケイトが、わたしが動かないように手を繋いで無言で制した。

「……なるほど、そういうことですか」

 かなりのショックを受けたように見えたけど、ウタゲは直ぐに気を持ち直して両目の診察をやり終えた。

「いま直ぐ日本に連れ帰って、チャニさんには手術室に入ってもらいたいですね。お姉さま」

「えっ……ええ、手術で治療も可能……かも知れませんが、確証は……」

「チャニさん、あなたは手術によって治療可能です。いつかそのときが来るまで待っていただくしかありません。しかし約束しましょう、この命がある内はあなたのことを諦めないと」

 おそらく治療できると言われたことは初めてだろう、そう言われて、大人しいチャニもしっぽを振り回して喜んだ。

しかし、その様子を見ながら微笑む姉妹の姿は、酷く複雑そうだ。特にウタゲはマツリに対する不安を隠しきれていない。

「では、お姉さま、行きましょう」

「そうですね……末莉」

「……二人を追おう」

「ん」 

 チャニに分かれの言葉を告げて歩き出した二人を追おうとすると、こちらに気付いていたチャニが手を振ってきた。ニンゲンと面と向かって話をするのは久しぶりか、もしかしたら初めてのことだったのか、ほっとした様子で、深々とため息をついたのが聞こえた。

 前方からは水の音が聞こえる。この先の川を越えはしないだろうから、直ぐに立ち止まるはずだ。

「末莉、この辺りでいいでしょう」

「え、ええ、お姉さま……。――オエッ」

 思った通り川の岸辺に着いたところでウタゲは立ち止まり、マツリは地面に突っ伏して吐いた。

「お姉さま……あれは……非道すぎます」

「ええ、何かしらの薬物を浴びせられたのでしょう。とても人道的とは思えません。おそらくは嗅覚もほとんど残っていないでしょうね。ああ言ってはしまいましたが、治療の方も……」

「わかっています。おそらくあの模様は治癒術による回復を防ぐための呪詛でしょう。あれを無視して治療したら、彼女がどうなるかはわかりません」

 やっぱりチャニは、いまはあの二人でも手の施しようがない状態なんだ。

 聞いた感じだと薬物で駄目にしたうえで、傷が癒せなくなる呪毒を掛けられている。亜人たちが妖獣人の治癒術を含め一切の治療を受け付けなくなるように、ニンゲンたちが前の戦争の途中から使いだしたやり方だ。

 戦闘以外でも、捕まえたあとの見せしめに時折使われていたらしいけど、使う側としても用意に手間が掛かるからそこまで積極的には使われなかったし、目や鼻、耳を使えなくなった子は早々に見捨てられて長生きはしなかったから、こうして被害者が生き残っているのは珍しい。

 さしもの双子も呪術に関してはからっきしだろうし、その辺が得意分野のフウカでも治せないんだろうから、どうやっても打つ手なしかな。

「わたしたちの出る幕はないと思うべきですよ、末莉。何故あのようなことを言ったのですか? 感情に流されて無責任な発言をしてはいけません」

「わかっています! ですが、ですがわたしは、彼女に現実を突き付けるのが怖かったんです。わたしたちの無力さで、失望させたくなかった。希望を持ってほしかった。そう思ってしまった! ごめんなさいお姉さま、わたしが押し付けがましく、傲慢で、愚かで、未熟だったばかりに、あなたを困惑させてしまった。彼女に嘘をついてしまった。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 マツリは両手で顔を覆って泣き出した。

「……わたしもあなたも人間です。どれほど優れた頭脳を持とうと、人として生まれ持った心に逆らうことはできません。そして、あなたの未熟のように見えるそれは、あなたの心の優しさの現れ、あまり思いつめることはありませんよ」

「……お姉さま、どうしてこの世界の人間たちはあんなことができるんですか? 何が、彼らをそうさせたのですか? わたしは、わたしは、あの光景を二度と忘れることができません。忘れようとしてもその度に、悪夢に見ることになるでしょう。わたしは、怖いです……!」

「落ち着いて、末莉。わたしたちが冷静さを失ってはいけません」

「わかっています……わかっています、お姉さま。しかし、あまりにも非道すぎて、悲しくて、悔しくて、わたしはどうにかなってしまいそうです。わたしはお姉さまほど強くありません。自分が無力に思えて、それを拭い去ることができないほどに弱いのに、悔しくて、悔しくて……もう、全て壊してしまいたい……」

 なんだかすんごいことになってるけど大丈夫?

「しっかりしてください末莉。いま、わたしがわたしであれるのは、あなたの姉であるから、ただそれだけです。あなたがしっかりしてくれなければ、わたしも……」

「お、お姉さま……? ――お姉さま!? 泣かないでください。申し訳ありません。お姉さまの妹でありながら、情けない姿を見せてしまって! もっ、もう大丈夫です!」

 姉の頬を伝った涙を見て、マツリは大慌てで涙を拭うと、無理に溌剌とした顔をしてみせた。

 マツリって、姉といっても双子で、同じ日に生まれて同じように育って、頭がいいといっても自分と同じくらいであろうウタゲ相手にちゃんと姉妹として尊敬を持って接しているのが凄いと思う。獣人も双子かそれ以上の人数が一気に産まれることが多くて、その割にきっちり縦一列の関係だったりするけど、ニンゲンの場合はどっちが上かで喧嘩するはずなのに。

「……ふう。いえ、わたしこそ気を動転させすぎました。いまのことは忘れてください。……末莉の気持ちはよくわかります。しかし、この世界の人間を一掃してやろうなどと考えるのはあまりにも早計で短絡的です。天才たるわたしたちには相応しくありません」

「ええ、その通りです」

「ですがそれでも……許せませんね、末莉。あのようなことをした人がいまも平然とこの世界に居座っているとすれば不愉快極まりないことです」

「まったくですお姉さま。首謀者も実行者も、見せしめとして死んでもらうべきです。わたしたちの気分を害した罪もまた万死に値します」

「必ず見付け出して報いを受けさせねば……」

 なんだかまた物騒な話になってきた。

「……あの二人は、どうして赤の他人のチャニのために、ああなれるんだろう?」

「やったのが同じニンゲンだから、それを認めたくないから、消そうとする」

「ん、そうなのかな……?」

「あの二人は誇り高くて傲慢だからな、他のニンゲンの行いが種族全体の評価を下げて、自分たちのまでまきぞいになったら嫌だ……と口では言うだろうが、実際はただ優しいだけだろう」

「……どっちなの?」

「チャニが可哀想だったから、それだけさ。……もう、いこう。あの二人なら、大丈夫そうだ」

「ん。わかった」

 わたしたちは二人に背を向けて歩き出した。そして、直ぐに歩みを止めた。

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