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アトレイシアともう一度  作者: 長原玉乙
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「……来たな。合図を出せ」

 ヤンコフスキは双眼鏡で覗く視界の先に、小さな人影を見付けた。頭から三角の出っ張りと、きらりと夜闇を貫くような瞳の輝きが見える。

 松明が灯され、味方が応えた。

(よし、もう直ぐだ。やってやるぞ)

「おい、ニンゲンさんよ、これをやろう」

 改めて気合を入れつつ、部下のもとに戻ろうと振り返ると、いつの間にやらそこには妖獣人タヌキ亜人族長のフウカが佇み、懐から怪しい気な紙札を取り出していた。

 ヤンコフスキは、差し出されたそれを何物かと訝しみながら受け取り尋ねた。

「これは?」

「一枚一枚、特別強い念を込めた術符じゃ。数は少ないが、なに、狙って投げれば絶対当たる。危ないと思ったら投げることじゃよ」

 歩きながらの説明に、ヤンコフスキはしきりに頷きながら耳を傾けた。果たして、疾走する馬の背から、このぴらぴらとした紙をどうやって狙いすまして投げるのか。まあ、そのときになればなんとかなるのだろう。

「当たったらどうなるのですか?」

「ふふふ、相手がなんじゃろうと、当たれば捻り潰れてぐちゃぐちゃじゃ。間違って仲間に投げるんじゃないぞ?」

「わかりました。有り難く使わせてもらいます」

「それと、ちょっとぐらい手足がもげても直ぐに持ってこれば繋げてやるからの、それまで思いっきり暴れてくれ。ただ、死なんように気を付けることじゃ。死なれちゃ治せん」

「……あの、その治療は魔術の類だったりしますか? 宗教的に受け付けないのだが」

「魔術なんかと一緒にするんじゃないわい。儂らの術は極めて自然的で高潔なもの、断じて魔術などではない。ほれ、細かいことはいいから早く敵をぶちのめして来るのじゃ! 天地も神も、その意思はお主と共にある。闘争を捧げよ!」

 魔術の類を疑われ、老人地味た口調の少女は気分を害したようだった。胡散臭さはあるが、しかし食い下がっている暇はない。部下のもとへたどり着いたヤンコフスキは最後にもう一度、しっかりと頷くと、颯爽と愛馬に跨った。

「隊長、直ちに前進しましょう」

「いや、焦るな。もう少しだ。敵が出て来てくれなければ話にならない。森を抜けるのを待て」

 焦れったいことではあるが、周囲に広がっているのは一切人間の手の加わっていない未開の大地であり、騎兵の運用には支障も多い。土地勘の無い彼らにとって、慣れない地形は鉛弾より恐ろしいものである。事情がどうあれ夜の森に突撃する選択肢など無かった。

 それから間もなくして、囲みを突破した獣人たちが猛然と駆け寄ってきた。先程まで、肉眼ではゴマ粒のよりも小さく見えるほどのだったが、流石に健脚である。

「フウカ様もいらしたのですね。怪我人は何処に連れていけばいいですか?」

 真っ先に口を開いたのはキツネ亜人のヤコアであった。駆けてきた勢いとは裏腹に、口ぶりは落ち着いていた。

 ヤンコフスキは舌を巻いたが、それもそのはず、同年代のキツネ亜人の中では、このヤコアは双子の妹ともども実力は上位にあたる経験豊富な戦士で、1歳年下のアトレイシアでは手も足も出ないような存在である。このような状況であっても揺らぐ精神の持ち主ではなかった。

 しかし、それよりも気になるのはあの4人である。自分たちを導いてくれた唄華、リュイナ、アトレイシアの3人、そしてケイト。きっと例の、里で修理されていた戦車に乗っているに違いないと思っていたが、一向にそれらしい姿が見えないのがなんとも不吉に感じられた。

「敵は森を抜けたか? 誰か状況を教えてくれ。――君、戦車はどうなっている?」

「……山を下りて、森を出るところで、みんなが逃げ切れるまで踏ん張ってる」

 たまらずヤコアに訊ねてみれば、冷たい視線を浴びせられ、彼女は言うだけ言ってさっさと離れていってしまった。あまり心配している様子でなかったのが気になったが、それどころではない。だったら尚更に、自分たちが救援に向かうべだと彼は直感した。追いすがる敵群も森を抜けたのなら、頭を押さえられよう。

 また、いつの間にかフウカの姿は掻き消えていたが、そんなことにも気が回らない。目の前の戦場が全てである。

「合図を出せ。並足用意。――並足、進め」

 また、味方が応えた。灯される松明が作戦の進捗度合いを示している。協定は済ませた。伝達に間違えがなければ、次は向こうから合図が来るはずである。しかし、何分いきなりのことだったので、どうか間違えがないようにと、敵に突っ込むこと以上に不安であった。この暗さでは味方撃ちもあり得る。機銃の1連射、砲弾の一発くらいは覚悟していたが、それ以上撃ってくるようなら一度怒鳴り込みに行こうかと、不敵な考えが浮かんだ。

 敢えて雑念を払わず逸る気持ちを紛らわせ、慎重に地形を吟味した彼は、麾下の部隊を敵群の北側側面へと機動させた。ここから一挙戦場に進入し、突破し、撹乱する。

 そして必ず、もう一度、彼女たちと共にこの大地を歩むのだ。

「今日も頼むぞ、アトレイジア」

 最後にひとこと愛馬に念を押すと、彼女は鼻を鳴らして応えた。


 ヤンコフスキたち槍騎兵は、獣人たちの突破地点から北北西に2.5キロの地点から移動を開始した。これと時を同じくして、南西に広がる台地を北に迂回するようにして、別の一団が戦場に侵入しようとしていた。

「おいおいおい、こりゃ随分派手に賑わってんじゃねぇか。あのノッポ、あれに突っ込む気かよ。正気じゃねぇぜ」

 生え際が後退しようとしている物悲しい頭部に、ぎょろりとした目が特徴的なみすぼらしい顔、背が低く、横幅の広いずんぐりとした胴体、しゃがれた声、よれよれの軍服、紛うことなきこの男。そう、ヘッドである。

「この辺りには人が近付かず、誰も住んでいないと聞いていたが、これはどういうことだ。誰が戦っているのだね」

 脇に立ちそう言った、丁寧に整えられた口髭を上顎に生やし、可愛気のある小さな目を持つ上品な顔、スラリとした長身に、よく通る声と、多少シワは寄っていても隣の誰かさんのそれと比べれば新品同様の綺麗な軍服の紳士は、その名をテレンス・パートリッジといった。英国陸軍大佐、歩兵連隊の指揮官である。

 そう、いまここには英国の歩兵連隊が参上しているのである。とは言っても、流石に完全編成の連隊が丸々この異世界の地に飛ばされたわけではない。現在に至っては3両の歩兵戦車の乗員を含め、戦闘が行える将兵は合わせて300人にも満たなかった。中隊に毛が生えたようなものである。

 彼らは9日前にこの世界に来て以来、難民たちに捕まって、彼らを護衛しながら西を目指していた。その鈍重な歩みに辟易しながらも、無事、難民たちをこの国の軍隊に引き渡すと、真っ直ぐに逃げるより一度タナトスの進行ルートを逸れた方が賢明であると判断を下した。車両の燃料が心許ないが、所々に放置されている燃料があると気付いたため人手を駆使して掻き集め、それでも故障などで車両の半数を落伍させながらも、どうにか進路を北に舵取りした先で出会ったのがヘッドたちエルンヴィア兵であった。

 此時、エルンヴィア兵たちは北へ向かうタナトスの大群を確認しており、このまま北進を続けてはこの群れに進路を封鎖される可能性が大であった。再び進路を変更するか、敵群を追跡し攻撃の機会を窺い、然る後に此れを襲撃、突破して進路を確保するか、パートリッジは熟考の末に後者を選んだ。予想を上回るタナトスの数と速度の前にして、進路変更による時間の浪費は壊滅的な結果を招くと考えて判断であった。補足すると、そこから西に進路を取ったところで大規模な地割れにより進行不可能であると予想されており、更にそこから北進するとなれば広大な原生林が通行を妨げ、南進すれば元々の進路に戻るだけであった。

 そして今、北進するタナトスの一群は、眼前で繰り広げられている戦闘に参加しており、英軍は自ら戦闘に介入しない限り。安全に北方へ退避可能であった。砲火を突破した槍騎兵に発見され、頭を下げられたものだから支援を約束したが、実のところ乗り気ではない。

 指揮官のパートリッジは当初、山中で包囲されているのはポーランド軍であると勘違いしていたが、同時に兵力の不足を感じていた。実際の数は彼の予想を下回っているが、これが悩みどころで、救援のつもりが道連れで玉砕となればジョークでは済まない。しかし、ヘッドの方は何か心当たりがあるのか、やる気満々で部隊を叱咤激励している。どうしても突入したいらしかった。

「はぁ……何だかとんでもない状況に巻き込まれている気がするよ。――ユフス君、山中に孤立している友軍の数は?」

「それが、どうやらこの付近に避難していた民間人のようです。それも子供ばかりで、散り散りに森を抜けて逃げて来ています」

「子供? 敵は子供相手にこうも騒々しく戦争をしているのかね。気に食わないな。……しかし、誰の子かも分からない避難民のために部隊を危険に晒すのも頂けない」

 結局、偵察に出した部下の報告を受けて、彼の闘気は霧散したのであった。積極的な攻撃は行わず、突入した部隊の脱出を支援し、殿となって戦域の離脱を図ることにした。

「焦れってぇ野郎だ、つべこべ言ってないでついて来いよ。子供を守るのも責任有る紳士の責務だぜ」

「君はどうして乗り気なのかね?」

「そんなこと行けば分かる」

「……ふむ、本当に行く気なら喜んで力を貸すよ」

 ただならぬ砲声に、内心ではいくらか躊躇いがあるが、なに、いまのところの危険な任務はこのみすぼらしい男に託されているのだ。駄目なら駄目で、全力で逃げればなんとか自分たちくらいは生き長らえるだろう。不安が勝ってはいたが、彼はそこそこに楽観的な人間であった。

「戦車もくれると嬉しいね」

「馬車にはついていけない。やるだけやったら帰ってきてくれ給え。後は我々が引き継ぐよ」

「殿を引き受けてくれるってか? 気前がいいじゃねぇか。太っ腹だねこりゃ」

「なに、君ほどではないさ」

「腹を見て言うなよダンナ。まあいいや、それじゃ行ってくるぜ」

 パートリッジは、このヘッドという男はネタにしがいがあるので、なんとか成功させて生還してくれないだろうかとも思っているが、彼は口には出さないことにした。

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